勇者として召喚された社畜、王女による魔力供給がないと死ぬブラック環境に配属。『解析』『構築』能力を悪用して王国も正義も神も容赦なく破壊する。 作:筆負野ユウ
「エリサ、無理に付き合わず、ララと一緒にいてもいいんだぞ」
「大丈夫よ。別に無理なんてしてない」
本当はあまり大丈夫でもない。
一階の空き部屋。
石壁は夜の湿気を吸って冷たく、油と薬草の匂いが重く沈んでいる。
外では白鎧の斉射が石壁をときおり叩き、床石がびりびりと震えた。
椅子は脚ごと床に縄で固定され、捕虜が括りつけられている。
まだ若い。
私とそれほど変わらない年齢だろう。
二十に届くかどうか。
両肩はセトによって外されたまま。
まともに動くはずもない腕は背で強く縛られ、足は前に据えた低い台に乗せられ、つま先が浮く角度に固定されていた。
卓の上に道具が並ぶ。
細い木べら。
小刀。
千枚通し。
鎖。
麻縄。
盥の水。
塩。
汚れた襤褸。
松明。
セトが、おそらく捕虜の男を観察ついでに並べたのだ。
セトらしからぬ几帳面な並びが、かえって胸に悪い。
正面にミラーク。
脇にガバン。
セトは扉のところで半歩退き、私は壁際で薬瓶を整えている。
縛られた男が、道具を一つずつなぞるように目で撫でた。
これから自分の身に起こる惨劇を充分に想像できた頃を見計らって、尋問が始まる。
「お前たちは何者だ。なぜこの館を攻める」
ミラークの声は乾いて、低く通った。
男は目を閉じたまま、何も答えない。
喉仏だけが小さく上下する。
「やれ」
ミラークが視線も動かさず言う。
兵が膝をつき、右足の小指の爪に木べらの先を当てた。
ぐり、ぐり、と少しずつ角度を変えながら、白い爪と肉の隙に押し入れていく。
「……ぐぅっ……!」
嚙み締めた口から押し出された声。
肩の外れた両腕が不用意に震え、逃げ場のない痛みだけが全身を走る。
木べらはさらに潜る。
爪縁がかすかに弾け、粟粒ほどの血が縁ににじむ。
思わず視線を外す。
外した先にあったセトの横顔を見る。
彼は表情を変えず、ただそれを見ている。
「まだ十九枚あるからな。じっくり楽しもう。その次は火で炙るか」
もちろん、そんな暇がないのを私は知っている。
それでも、ミラークは言う。
兵は木べらを抜かず、今度は薬指へ移った。
爪の白い先に小刀の背で圧をかけ、薄皮を割ってから、また次の木べらを差し込む。
ゆっくり。
ゆっくり。
歯ぎしりが歯列を擦る音と、椅子脚が石を削る悲鳴が重なる。
「お前たちは何者だ。なぜこの館を攻める」
同じ問い。
沈黙。
捕虜の男の喉がまた上下し、唇が乾いて貼り付いた。
ガバンが布切れを二枚取る。
ひとつを口の中に押し込み、もうひとつで顎の後ろから縛った。
喋れなくしてから、松明を掲げる。
火は顔に近づけない。
ただ、視界に入る位置でゆっくり揺らし、それから左の掌を開かせ、鎖で固定した。
焔の熱だけを当てる。最初は耐える。
全身を固くして、喉の奥で短く息を刻み、音を漏らさない。
数分ののち、じゅ、と湿った爆ぜが皮下で弾けた。
皮膚が膨れて、赤と白のまだらに変わる。
焦げと脂の悪臭。
若い男の体が跳ね、布に鼻水が広がった。
さすがに気分が悪い。
臭いだけでも吐きそうだ。
が、それは努めて表には出さない。
セトは相変わらず黙って見ている。
ただ、表情には変化があった。
あえて言うならば、興味深いな、といったところであろうか。
火を離す。
火傷の痛みは、熱が離れても終わらない。
空気に触れるだけで、掌がまた震える。
男は自身の左手の惨状を、涙目でじっと見ていた。
質問はしない。
兵が今度は右の中指に取り掛かる。
木べらが爪の根へ向かって、じわじわ押し上げられていく。
「あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙っっ――!!」
さっきまで噛み締めていた口が決壊し、布越しにくぐもった音を出す。
涙と唾と涎で顔がぐしゃぐしゃになる。
椅子の脚が床で鳴り、縛った縄が食い込んで皮膚が白く染まる。
中指が終われば、次は薬指。
手順は同じ。
ぐり、ぐり、と時間をかけ、付け根までねじ込む。
男はもう、顔と股間から体液という体液を漏らしていた。
視線は宙を彷徨って、何も見ていない。
ガバンがようやく、顎の布を解く。
口の中の襤褸をつまみ出してやると、男は空気を貪って咳き込み、舌を噛みそうになって、また呻いた。
「おい、どうした。初物のメスみたいに泣き叫んで。股座までぐちょぐちょじゃねぇか」
ガバンのややしわがれた声が責める。
「……こ……殺せ……」
毅然さなんて欠片もない。
ただの、弱い懇願だった。
喉の奥では湿った音がひとつ転がり、沈黙が落ちた。
外の砲撃が間を詰め、石がまた一つ、二つと鈍く割れる。
セトが短く言った。
「喋らせたいなら、水くらい飲ませてやればいいじゃないか」
盥の水で襤褸を濡らし、兵が男の唇へあてがう。
吸い上げる音。
咳。
舌を噛みかけて止まる。
ミラークはその様子を横目に、淡々と続けた。
「名は」
沈黙。
ガバンが塩壺の蓋を外す。
黒ずんだ掌へ、ひとつまみ。
「っっ!あああああっ!」
男が跳ね、椅子脚が石をきしませる。
塩の白が、赤に沈んだ水ぶくれでじゅくりと消えた。
「名は」
「……ア……ンド……」
「名は」
「……アンドレアス……」
喉からこぼれる。
ミラークは頷き、指で二つ目を示す。
「どこの兵だ。旗は」
「……兵じゃ……ない……」
「なら、なんだ」
アンドレアスは喉を鳴らす。
痛みと水と血で濁った声が、切れ切れに落ちた。
「白衣……白衣の……騎士……」
「白衣騎士修道会か」
ミラークが補う。
アンドレアスの目が、痛みの奥でわずかに光った。
誇り。いや、誇りだったものの残骸か。
「白衣は……白衣だ……でも、会は腐った……」
「腐った?」
「聖音を聞かない……祈りだけ……形式だけ……」
肩の痛みを忘れたのか、アンドレアスは顎を上げかけた。
すぐに苦痛で顔を歪め、また俯く。
「俺たちが……本当の白衣だ……」
「誰の命令で動いている」
「命令じゃない……」
「なら、なんだ」
「聞いたんだ……」
「なにを」
「聖音だ……いや、声だ……王都で……神の声を……聞いた……」
神の声。
その言葉を聞いた瞬間、部屋の中の空気が、ほんの少しだけ変わった気がした。
ミラークの瞼がわずかに動く。
ガバンは何も言わない。
セトだけが、表情を変えなかった。
「王都で啓示を受けた。そういうことか」
セトの声は穏やかだった。
アンドレアスは、首を小さく縦に振る。
「……俺たちは……選ばれた……」
「白衣騎士修道会の命令ではないな」
「違う……俺たちだけが、選ばれた……」
「修道会を抜けた騎士くずれか」
「抜けていない……俺たちこそ……白衣だ……」
まともな答えではない。
けれど、意味は分かった。
彼らは正規の騎士ではない。
白衣騎士修道会の名を背負ったまま、その外へ滑り落ちた者たちだ。
「ここから東の小村。お前たちがやったな」
セトが口を開く。
アンドレアスの喉が鳴る。
否定は出ない。
セトは淡々と続ける。
「なんのためだ?」
「……神兵降臨のため……背信者共を……捧げた……」
神兵。
降臨。
捧げた。
言葉の意味が、ひとつずつ胃の底へ落ちていく。
「お前たちは今でも聖音派の信徒なんだな?」
しっかりと、顎が下がる。
私は胃のあたりが冷たくなるのを、自分で押さえた。
「神兵というのは、白い鎧の兵士たちのことだな? お前たちの命令を聞くか?」
「……聞かない……近づくなと……言われてる……」
「誰に」
「声に……」
「触れたらどうなる」
「裁かれる……」
セトは一拍置いて、核心をひとつだけ刺す。
「神兵の目的はなんだ?」
アンドレアスの視線が、卓上の道具を経て、どこか見えない遠くへ滑る。
「……遺物……すべての忌まわしき遺物……」
「遺物とは何だ?」
ミラークの問い。
「知らない……」
「知らないのに襲ったのか」
「声が……言った……ここに……忌まわしきものが……」
ミラークはしばらく沈黙した。
その横顔は、石よりも表情が少ない。
セトがこちらへ目だけよこす。
視線の意味は分からない。
ガバンが吐き捨てる。
「白鎧は遺物とやらをぶっ壊す。じゃあ、お前らは何をする」
「……逃げる者を……追えって……」
「誰を」
「背信者を……」
ミラークの目がわずかに細まる。
「背信者とは、誰だ」
「……遺物を匿う者……聖音を穢す者……」
「もう一度、確認だ」
セトが、畳みかけるようにではなく、優しく問いかける。
「神兵は指示に従わない。それどころか、近付けば攻撃されかねない。彼らはあくまでも忌まわしき遺物を破壊するだけ。そうだね?」
アンドレアスは首を縦に振る。
「お前たちは、その周囲から逃げる者を狩る」
また、頷く。
「神兵が目的を果たしたら、どうなる」
「……浄化が……終わる……」
「白鎧は消えるのか?」
「知らない……」
「お前たちは逃げるのか?」
「……神の……導きに……従う……」
便利な言葉だ。
意味はない。
だが、彼には意味がある。
セトは少しだけ口元を動かした。
笑った、のかもしれない。
「アンドレアス。教えてくれて助かった。ありがとう」
兵が手早く焼けた掌を布で覆い、麻縄を増し巻きにして、血が溜まりきらないよう指を軽く上げて固定する。
治療じゃない。
ただ、生かすだけの手当て。
アンドレアスは、布越しの冷たさにほんの一瞬だけ目を細めた。
セトはそれを見て、何も言わなかった。
外の砲撃がまたひときわ近く、石目をはじく。
間隔が狭い。
夜の濃さと一緒に、押してきている。
ガバンが扉に手をかけた。
「ひとまずここまでだな。道具はしまえ。火は落とす」
セトは扉を開けたガバンに続きかけ、ふと立ち止まって振り返る。
アンドレアスの前へ戻り、膝を折らずに、視線だけ落とした。
何か言った。
いや、聞き間違いでなければ、聖音派の祈りの言葉だ。
皆はそれほど違和感を感じていないだろう。
拷問で傷ついた捕虜に同情して、祈りの言葉を投げただけ。
それだけのことに見える。
しかし、私はセトを知っている。
こんな時に敵に対して同情するような男ではない。
なにより、断じて聖音派の信徒などではない。
「……なにも死ぬことはない。祈りは小さな声でやれ。大声は傷にひびく」
意味のない助言に聞こえる。
だが、アンドレアスの瞳孔がほんの少しだけ開いた。
助け舟に聞こえたのだろうか。
部屋を出る。
廊下は冷え、魔法灯の光が薄く黄ばむ。
ララ様が壁にもたれて待っていた。
短く目を合わせると、セトは何気なく言う。
「風向きが変わる。いくつか二人に頼みたいことがある」
「了解。なにをするの?」
「人助けさ」
軽口に聞こえるのに、声の底が乾いている。
私は、胸を締める指を一度ほどいて、頷いた。
◇◇
夜は濃く、砲撃の間はさらに詰まる。
白鎧の輪は地面に薄い光の筋を刻み、規則正しく脈打っていた。
騎兵の焚き火は遠くで赤く、ひとつの影が周囲を歩哨のように、しかし怯えた足取りで往復する。
ララ様が窓の外を一瞥してから、短く言う。
「一度目の合図は変更なし?」
「ああ。砲撃が止む。……止める」
セトはそう言って、窓枠に手をかけた。
さっき、あの人は本当に飛んだ。
今度も、飛ぶ。
私は喉の奥で息を折り畳む。
「手筈通りに」
「任せて」
セトは軽く笑って、私たちを見送る。
私たちには私たちの仕事があるのだ。
一階へ降りる階段を踏みながら、振り返る。
セトは笑っていた。
表情から笑みは消えている。
声にも出さない。
それでも笑っているのが、私には分かった。
これから無茶をしようという男が、いったいなにを面白く思っているのだろうか。
いや、それほど無茶だとも思っていないのだろうか。
そして、このろくでもない異世界人から目を離すのに、ほんの少しの名残惜しさを自覚してしまった我が身の不幸を嘆くのは、すべてが終わってからにしよう。