神様、ちょっと黙ってろ ~神は死んだ。聖女はまだ祈っている。~ 作:筆負野ユウ
召喚の儀で呼び出された男。
姿勢が悪い。視線が定まらず、呼吸も浅い。剣を握る者の重心ではない。
周囲をきょろきょろと見回す様は、戦場どころか、訓練場にも立ったことのない素人そのものだった。
少なくとも、私はそう判断した。
そして、その判断は正しかったはずだ。
セトは優れた反応と身体能力で敵を蹴り飛ばし、手傷を負いながらも二人を斬り伏せた。
だが、その動きに剣士としての術理はない。足運びは粗く、間合いの取り方も危うい。剣を振るう腕にも、訓練で作られた型や、実戦で染みついた癖が見えなかった。
つまり、素人だ。
なのに、判断だけが早い。
敵の隙を見つける。急所を選ぶ。殺すべき瞬間に、手が止まらない。
新兵なら震える。
訓練された兵士でも、初めて人を殺す瞬間には迷いが生まれる。
セトが恐怖していることは分かった。殺しに慣れているようにも見えない。
それでも、殺す局面では止まらなかった。
そこが、ひどく不気味だった。
そして今、彼は魔法に驚いている。
やはり、彼の世界には魔法が存在しないのだろう。火球を見て目を見開き、何かをぶつぶつと呟いている。
だが、怯えて固まるわけではない。
避ける。観察する。次に備える。
恐怖し、混乱している。
それでも、止まらない。
初陣にしては、充分すぎるほどだった。
私はセトから意識を外し、こちらへ放たれた火球へ向かって踏み込んだ。
姿勢を低くし、軌道を読む。熱が髪を掠めた。
火球の下を潜り抜け、そのまま黒い外套の男へ迫る。
「ノア、その男、カイルスかもしれません!」
ルナ殿下に言われるまでもなく、私も同じ名を思い浮かべていた。
カイルス。
トラキス公の影にいる、正体不明の人物。
王党派の間では、危険人物として名を挙げられていた男だ。
断言できる材料はない。
報告にあった黒い髪。貴族然とした服装。戦場に立ちながら、ひとりだけ周囲と温度の違う目。
それだけだった。
だが、それだけで充分に嫌な予感がした。
私は助走を乗せ、渾身の一撃を両手剣へ込める。
カイルスは片手剣を添えるように上げた。
受け止めるつもりか。
そう思った次の瞬間、手応えが消えた。
刃が滑る。力の向きが逸らされる。踏み込んだ重心だけが前へ流れ、両腕が空を斬った。
「なっ……!」
受けられたのではない。
流された。
カイルスは、崩れた間合いへ半歩だけ入ってきた。
剣が横薙ぎに振るわれる。速いというより、振りが小さく、無駄がない。
とっさに剣で受ける。
今度は骨まで響く衝撃が来た。剣の表面を火花が走り、私はたたらを踏んで後退した。
「ノア! うしろ!」
切迫した声が飛ぶ。
反射的に身をひねると、背後から振るわれた剣が鎧の表面を掠めていった。
危うい。
あと一瞬遅ければ、まともに受けていた。
カイルスとの距離を保ちながら、背後から来た敵兵へ向き直る。
そして、耳を疑った。
いまのは、どこかぎこちないながらも、確かにこちらの言葉だった。
叫んだのはルナ殿下でも、味方の兵でもない。
セトだ。
言葉が通じないはずの男が、私の名を呼び、背後の敵を警告した。
いつ覚えた。
考える暇はない。
敵兵が斬りかかってくる。
踏み込みをずらし、剣筋を外し、反撃の一刀で斬り伏せる。
視線を戻した。
カイルスは追ってこない。
斬り込むでもなく、命じるでもない。ただ、こちらを見ていた。
ルナ殿下ではない。
私でもない。
セトを見ている。
セトは、まだ何かを呟いていた。
その視線は、二人の魔術師へ向けられている。
魔術師たちが火球と石の矢を放った。
セトは低く潜り込むように回避する。
その動きは、先ほど私が火球を潜り抜けた時のものによく似ていた。
私の動きを見て、真似たのか。
そう考えた時には、すでにセトは魔術師の目前まで迫っていた。
手の中に、長く尖った棒が生まれる。
マテライズ。
物質化魔法だ。
槍というより、長い杭に近い。武器として整った形ではない。
だが、突進の勢いを乗せたそれは、重装騎兵の突撃槍のように魔術師の胸へ突き立てられた。
魔術師が崩れ落ちる。
召喚された直後から、マテライズを使いこなしている。
被召喚者――クロスが、本能的に持つ術式なのだろうか。
なぜここまで戦えるのか。
それもクロスだからということで片付くのか。
考えたい。
だが、目の前の剣士が斬りかかってくる。
油断はしていない。
踏み込みをずらし、剣筋を外し、カウンターを合わせる。
一刀で斬り伏せた。
視線を戻す。
セトは、倒した魔術師の短杖を握っていた。
まだ、ぶつぶつと呟いている。
いや、あれは――。
セトが短杖を突き出す。
火球が放たれた。
「……!」
残った魔術師は反応できなかった。
自分たちの術式を、目の前の異邦人が使うなど想定していなかったのだろう。炎に包まれ、踊るようにのたうち回る。
セトが呟いていたのは、詠唱の模倣だったのか。
だが、そんなことが可能なのか。
マテライズなら、まだ分かる。クロスにあらかじめ備わった術式なら、本人が理屈を知らずに発動させることもあるだろう。
幼い子どもが無意識に術式を漏らす例も、別に珍しくない。
しかし、詠唱魔法は違う。
確かに言葉を正しく真似ればよいだけだ。
だから多くの者に使用され、普及している。
だからといって、初めて耳にした詠唱を、その場で再現できるものではない。
まして、魔法の存在しない異世界から来た男が。
セトはもう一度、燃える魔術師へ短杖を向け、詠唱を始めた。
先ほどと同じ火球――ではない。
彼の手元に、金属質の短い杭が生まれる。
マテライズ。
それを、射出した。
魔術師の頭が跳ねる。
炎の中で続いていた舞いが止まり、そのまま床へ倒れた。
マテライズした物体を、詠唱魔法で射出した。
ただの模倣ではない。
奪った杖。
聞き取った詠唱。
自身のマテライズ。
それらを、その場で混ぜ合わせている。
ぞっとした。
セトは、魔法を学んでいるのではない。
戦場で盗んでいる。
盗んだものを、その場で別の形へ組み直して使っている。
私たちが長い時間をかけ、個別の術式として覚えるものを、彼は部品のように扱っていた。
セトがカイルスへ向き直る。
動ける味方は、ルナ殿下とセト、そして私だけだった。
室内にいた兵たちはすでに斃れている。外を警戒していた者たちも、剣戟が止んでいる以上、無事とは考えにくい。
敵も、残るはカイルス一人。
討ち取るなら今しかない。
だが、ルナ殿下を危険に晒すわけにはいかない。
カイルスの剣技は、明らかに私を上回っている。
カイルスはしばらく、セトを見ていた。
思案しているようにも見える。
何かを待っているようにも見える。
やがて、わずかに笑った。
左手で小さく印を切り、詠唱を始める。
「させるか、カイルス!」
動作と詠唱を組み合わせた複合術式。
完成する前に身体を乱せば、術式は崩れる。それだけでいい。
私は踏み込んだ。
だが、剣は簡単にかわされた。振り下ろした刃が石床を砕く。
ほとんど同時に、セトの鉄杭が飛来した。
それも、カイルスは最小限の動きでかわす。
数歩後退し、剣を構え直した。
その時には、もう遅かった。
カイルスの隣に、異形の人型が立っている。
全身へ灰色の革帯を幾重にも巻きつけ、その表面から無数の棘を突き出していた。
革帯の隙間からは黒煙が滲み、呼吸するように蠢いている。
右手には、鍔のない大型の片刃剣。
ファルシオンに似ていた。
――スピリット。
自然界に発生する霊的存在。
火、水、風、土の四大元素霊が代表的だが、契約によって魔術師が使役することもある。
だが、目の前のそれは違う。
自然に生まれた存在の気配ではない。
形が整いすぎている。
戦うために不要なものを削られ、必要な性質だけを悪意によって与えられていた。
作られたものだ。
人造スピリット。
文献でしか知らない代物だった。
ならば、強力であると考えるべきだ。そうでなければ、カイルスがこの場で呼び出すはずがない。
カイルスが、初めてルナ殿下を見た。