勇者として召喚された社畜、王女による魔力供給がないと死ぬブラック環境に配属。『解析』『構築』能力を悪用して王国も正義も神も容赦なく破壊する。 作:筆負野ユウ
背後の気配が、質量を持ったかのように圧迫してくる。
言葉を発しない。
呼吸をしない。
足音すら少ない。
なのに、その圧がうるさい。
視界の外から、空間が削られていく。
セトが引き付けているのが二体。
残り七。
そのうち四体を、私に差し向けてきた。
予想外、なんて言葉はここでは役に立たない。
役に立つのは、手と足と、あと一つだけ。
時間。
まずいね、これは。
いったん逃げるか。
逃げられるか。
足なら私の方が速い。たぶん。
いや、たぶんじゃ駄目だ。
奴らがのろまじゃないのは、もう充分わかっている。
しかも今は単体じゃない。
連携されている。
逃げるなら、走り出す最初の一歩に必ず刃が来る。
逃げられたとしても、問題の先延ばしにしかならない。
ガバン達はもう限界だ。
白鎧はそれを見抜いたみたいに、三体だけ残して、残りをこちらへ回してきた。
先延ばしにすれば、エリサやガバンたちが死ぬ。
状況は悪化する。
次に相手取るのは五体になるか。
六体になるか。
最悪、七体。
私が息を整えている間に、列は崩れる。
崩れたら、次は私が死ぬ。
反省したところで、事実は変わらない。
囲まれた。
なら、囲まれたまま状況を変えるしかない。
左から、ポールアックスが来る。
水平。
首を刈る軌道だ。
私は腰を落として受け流す。
刃の腹で受けると腕が持っていかれる。
だから、いなす。
硬い音が一瞬遅れて耳に届き、衝撃が肩から背骨に走る。
重い。
受け流した、だけじゃ駄目だ。
小器用に立ち回るのは無理だ。
次が来る。
次の次が来る。
右と背後から同時に斬撃。
片方は先ほどと同じ水平。
もう片方は垂直に打ち下ろし。
垂直のそれは威力が高く、受けきれば硬直する。
そして、直後に死ぬかもしれない。
こちらはステップを踏んで、ぎりぎりでかわす。
水平のそれは、あえて受けきる。
そして、そのまま力任せに跳ね上げる。
柄の途中を引っ掛け、上へ。
白い刃先が空を切って跳ねる。
相手の体勢が、ほんの少しだけ崩れる。
その、ほんの少しを買う。
体当たり。
肩からぶつける。
鎧の縁が肋に食い込んで痛い。
痛いが、痛いだけで済むなら安い。
白鎧は重い。
重いものは、傾けば戻すのに時間がかかる。
素早く、突くように斬りつける。
ガン、と鈍い音。
白い粒子が肩口から少しだけ零れた。
ほぼ同時に、背後からの攻撃。
これも、ぎりぎりでかわす。
本当は仕留める一撃を見舞うつもりだったが、寸前で思いとどまった。
そうしなければ死んでいた。
なんとかして、一体だけ落とす。
一体落とせば、戦力差が僅かに埋まる。
埋まれば、また落とせる。
右手の白鎧へ切り替える。
いま体勢がいいのはこっちだ。
盾が前に出ている。
盾の縁を上げれば、脇が空く。
逆側からの攻撃を体ごと避けつつ、その勢いで盾へ体当たり。
白鎧が踏ん張ることで、動きが一瞬だけ止まる。
連携のテンポが乱れる。
ここだ。
盾の縁に刃を掛けて持ち上げる。
肩をねじ込む。
その瞬間、左から風が鳴った。
さっき跳ね上げたはずのポールアックスが、もう戻ってきている。
早い。
いや、戻ったんじゃない。
別の一体だ。
四体相手じゃ。
刃が落ちてくる。
私は肩を入れるのを捨て、身を沈める。
避けた、はずだった。
ザリ、と音がした。
火花。
肩が軽くなる。
左肩の防具が、はじけ飛んだ。
痛みが遅れて来る。
熱い。
血の匂いがする。
自分の血か、風で流れて来た歩兵たちのそれか、判別する余裕はない。
構わず、右手の白鎧を斬る。
落とす。
今しかない。
脇へ。
継ぎ目へ。
えぐるんだ。
受け止められる。
盾じゃない。
ポールアックスの柄が、私の刃を押し返してきた。
反発が強い。
こちらが軽い。
今度は私が体勢を崩す。
跳ね上げられる、というより、地面から足が剥がれる。
踵が滑る。
視界が傾く。
くそっ。
崩れた勢いを使って後退する。
半歩。
いや、一歩だけ。
距離を取る。
地面を蹴るのと同時に、左頬に衝撃。
一瞬だけ意識が飛ぶ。
なにをされたのか。
おそらく、ポールアックスの柄で殴られたのだろう。
再び距離を詰めることはしない。
距離を取ったということは、逆側の敵との距離は縮んでいる。
後退の勢いは殺さずに、体を半回転。
振り返りながら斬る。
つまり、見えていない背後へ向けて刃を払う。
当てる必要はない。
白鎧に盾で防がれる。
ひと手間強要することはできた。
しかし、その間にも背後からは再び距離を詰めてくる気配。
呼吸を入れる隙がほとんどない。
息が苦しい。
心臓は破裂寸前。
鼓動をこめかみで感じるほどだ。
全身が重い。
どこが痛いかはよく分からないが、ふくらはぎはぴくぴくと痙攣している。
前後。
左右。
白鎧。
僅かな隙に息を吸う。
喉が乾いて張り付いている。
呼吸がしづらい。
砂塵が舌に貼りつく。
頭は少しだけ鈍っている。
動きながら考えるが、正解は見えない。
落ち着け。
落ち着け。
落ち着け、私。
次の一撃が来る。
紙一重でかわす。
敵の攻撃が鋭くなっている?
いや、違う。
私の動きが悪くなっている。
連携の隙間に、こちらの一手を差し込めない。
それでもかわす。
かわす。
かわす。
いや。
かわし切れるわけがない。
刃がどこかを掠めた。
布が裂ける感触。
背中が熱い。
浅い。
大丈夫。
浅い。
そう言い聞かせる。
浅いなら動ける。
動けるなら、まだ死なない。
頭上に影。
ポールアックス。
兜は被っていない。
前に出ることで、刃の部分だけは避ける。
柄が頭を叩く衝撃が、視界を白くする。
再び、意識が飛びかける。
斬られたんじゃなくてよかった。
そんなことを思っている場合じゃないのに、頭の片隅がそう判断してしまう。
まずい。
ほんとに、まずいね。
ここから先は、一回のミスが致命になる。
考えている間にも、刃は次々と来る。
間合いが狭い。
呼吸ができない。
視野が狭い。
白い面ばかりが増えていく。
まだ、序盤だ。
まだ、ここで終わるわけにはいかない。
私は足を踏ん張り、次の隙を探す。
四方の白の中に、たった一筋の抜け道を。
抜け道。
たった一筋の抜け道を探す。
探す、というより、作る。
作らなければ、ここで終わる。
踏み出そうとした瞬間、盾が来た。
ドン、と空気ごと叩きつける衝撃。
胸が潰れる。
鎧の縁が肋に食い込み、息が喉で止まった。
肺が硬直する。
無理に吸おうとすると、さらに痛い。
松明頼りの暗い視界が、一瞬だけさらに暗くなる。
重い。
白鎧は重い。
重い物に押されて、いったん下がり出せば、簡単には立て直せない。
押し返すには筋肉だけじゃ足りない。
踏ん張りが必要だ。
踏ん張りの効く体勢が必要だ。
押されることで、その体勢が崩される。
右から刃。
体を捻り、受ける。
踏ん張れないので、そのまま崩される。
膝を付く。
背後から打ち下ろし。
仰け反って、受ける。
受けた衝撃が背骨に突き抜ける。
ずきりと鈍い痛み。
間違いなく腰を痛めた。
それだけではない。
衝撃が肘から先の感覚を半ば殺した。
握っているはずの柄が、他人の手の中にあるみたいだ。
左からも刃。
避ける。
避けたつもりで、脇腹に熱が走る。
薄い。
浅い。
浅いはず。
この程度の痛みは既に感じないので、本当はよく分からない。
さらに叩きつけられたポールアックスを、転がりながら避ける。
転がりながら、呼吸をする。
うるさい。
黙れ。
呼吸がうるさい。
地面に転げる音がうるさい。
鎧の擦れる音がうるさい。
心臓がうるさい。
それなのに、白鎧たちは静かだ。
呼吸もしない。
呻きもしない。
命の雑音がない。
だから余計に、重苦しい。
人間が相手なら、怒鳴れば怯むかもしれない。
睨めば一瞬止まるかもしれない。
あるいは、仲間の血を見れば恐怖も過るかもしれない。
だがこいつらは、ただ正確に詰める。
空間を削り取ってくる。
立ち上がるのと同時に、背で風が鳴る。
ポールアックスが、今度は斜めに来た。
避ける。
避けるために身を捻る。
その捻りを待っていたみたいに、別の盾が滑り込む。
逃げ道が、閉じる。
私は咄嗟に刃を伸ばす。
盾の縁へ。
刃を掛けて、持ち上げる。
先ほどと同じ手順。
先ほどの勝ち筋。
先ほどまでの。
持ち上がらない。
肩の防具が飛んだ側。
左腕が、きちんと力を伝えない。
痺れが残っている。
握力が抜ける。
白い刃が盾の縁を噛んだまま滑る。
避けきれない。
今度は右肩の防具がはじけ飛ぶ。
体内を嫌な音が走る。
金属じゃない。
私の骨を引っ掻く音。
だめだ。
だめだ、いまは。
言葉が頭の中で途切れる。
白い面が近い。
近い。
近い。
近い。
面の白が視界を埋める。
白しか見えない。
白の中で、目に当たる部分だけがこちらを覗いている感覚。
無いはずの目と、目が合う。
目を合わせるな。
合わせたら、気圧される。
気圧されると、動けなくなる。
動けなくなると、死ぬ。
私は視線を外し、足を出す。
出した足に、引っ掛かる感触。
足首。
刃先じゃない。
柄だ。
石突きだ。
低い位置から、ただ引っかけて転ばせる。
卑怯でも嗜虐的でもなんでもない。
合理的だ。
合理的な死に方ほど、救いがない。
体勢が崩れる。
膝が折れる。
地面が近い。
諦めてたまるか。
そこで無理やり、腰をひねって踏みとどまる。
すでに痛めている腰から、激痛が脳天へと抜ける。
膝が鳴った。
筋が裂ける感触がした。
痛みが遅れてくるのが分かる。
遅れてくる痛みほど、怖い。
これ以上、脚をやったら終わり。
脚をやったら、走れない。
ステップも踏めない。
踏ん張りも効かない。
ただ斬られる。
背中に熱さが走る。
さっき浅いと言い聞かせた傷が、もう一度抉られた。
今度は浅くない。
布が裂け、皮が裂け、肉が裂ける感触が、はっきり分かる。
「……っ」
声が出そうになるのを噛み殺す。
声を出した瞬間、呼吸がさらに乱れる。
死が、近づく。
代わりに、歯が鳴った。
血の味がする。
いつ出血したのかも、もう分からない。
腰と脚が満足に動かない。
両腕共に力が入らない。
ここから打てる手はなんだろうか。
なにが出来るだろうか。
――逃げられない。
逃げるか、という問いが、いまようやく答えになる。
逃げられない。
あの時、ひとまずは逃げておくべきだったのかもしれない。
それでも私は刃を振るう。
振るうしかない。
振るいながら、落とす順番を探す。
どれか一体。
どれか一体だけ落とせば。
もはや、それぞれの敵との位置関係すら分からない。
目の前の白鎧へ我武者羅に剣を振る。
簡単に盾で防がれる。
横から来た突きを、咄嗟に上体を捻って避ける。
いや、避けきれない。
胸に受ける。
呼吸がまた止まる。
背中を攻撃された際に、鎧の留め具が外れかけていた。
鎧がずるりとずれて、上半身は肌着だけになる。
冷たい空気がそこへ刺さる。
寒い。
戦場で寒さを感じるのは、終わりが近いのかもしれない。
もう一度、突きが来る。
細い。
速い。
盾の陰から出てくる、嫌な軌道。
私は体を捻って受け流そうとする。
刃の腹で払う。
払える。
払える、はずだった。
突きが、擦った。
もう腰は捻れないか。
擦っただけだが、皮膚が肌着ごと裂けた。
血が走る。
むき出しになった左胸と肩に、新たな裂傷。
熱い。
寒い。
熱い。
寒い。
頭が、その二つを行ったり来たりする。
ああ。
これは、いよいよ。
思考が、薄い膜みたいになる。
剥がれそうになる。
目の前の白が、滲む。
白鎧が、ポールアックスを振りかぶった。
高い。
ゆっくりに見える。
実際は速いはずなのに、視界の中では、落ちてくるまでの時間が長い。
長い時間の中で、私は理解する。
避けられない。
今の脚では。
今の腕では。
今の息では。
やられる、と思った。
思った瞬間。
目の前の白鎧の肩口が、ふと崩れた。
砂鉄をばら撒くみたいに白がほどけ、形が失われていく。
振りかぶったポールアックスが、途中で力を失って粉になる。
白い面が、まるで糸を切られた操り人形みたいに沈む。
何が起きたのか分からない。
分からないのに、救いだけが先に来る。
崩れ去った白の向こうから、人影が現れた。
微笑を浮かべている。
知っている笑顔。
セト。
砂塵の中で、平然と歩いてくる。
まるで散歩だ。
まるで、いま私が死にかけていないみたいに。
「大丈夫か。いつも以上にセクシーになってるぞ」
なにを、やったんだ。
笑う余裕なんて、どこにもないのに。
胸の奥だけが、ぞわりと冷えた。
こいつは、私の知らないやり方で、白鎧を壊した。