勇者として召喚された社畜、王女による魔力供給がないと死ぬブラック環境に配属。『解析』『構築』能力を悪用して王国も正義も神も容赦なく破壊する。   作:筆負野ユウ

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第40話 刃より先に

セトが、白鎧に触れた。

 

斬ったわけではない。

突いたわけでもない。

 

火も、雷も、氷も。

 

音すらない。

 

斬撃を軽く躱すと、ただ腕を伸ばし、掌を白鎧の胸のあたりへ軽く置いた。

 

次の瞬間、白鎧が崩れた。

砂が崩れるように、ではない。

 

もっと乾いていて、もっと静かだ。

粒子がほどけ、形を失い、そこにあったはずの物が消えていく。

 

私は、息を呑む暇すら遅れた。

白鎧は武器を構えたままだった。

盾を上げ、斧を振り上げ、次の一歩を踏み込むはずだった。

それが、踏み込む前に、全身が崩れて消えた。

 

何を、した?

魔法の発動を見ていない。

詠唱も、術式の紋も。

 

治癒なら分かる。

火球も分かる。

 

遮蔽も、結界も、私の理解の範囲にある。

でも、これは。

 

理外、というより、倫理の外だ。

斬るより速い。

 

痛みも恐怖も挟まらない。

戦いが処理になる。

 

そしてセトは、それを当然みたいにやる。

私の背中が冷えるのは、強さのせいじゃない。

あの平然さのせいだ。

 

一体、二体。

セトは足を止めない。

 

戦場の中を歩く速度で、白鎧の間を縫うように進み、触れては崩し、触れては崩す。

 

剣は抜かない。呼吸も乱れない。

まるで作業だ。

 

先ほどまでの苦労が、無意味になったわけじゃない。

そう言い聞かせるのに、時間が要った。

 

ただ、私の理解だけが置き去りにされていく。

助かったのに、背中が冷える。

 

そうして、最後の一体が崩れた時、初めて周囲の音が戻ってきた。

 

松明が燃える音。

砂利を踏む音。

誰かの呻き声。

私自身の息の荒さ。

 

勝った。

理解はできないが、勝ったのだ。

 

視線を走らせると、ララ様がへたり込んでいた。

片膝をつき、片手で地面を掴み、顔色は青い。

 

視線だけがセトを追っている。

 

恐怖。

消耗。

 

それもある。

 

しかし、なにより認識が追いつかないといったところだろう。

 

「……ララ様!」

 

私は駆け寄り、肩に手を置く。

体温が下がり、震えがある。

 

鎧が外れて露出した肌に、裂傷がいくつも。

 

治癒。

まずは止血。

 

そう思った瞬間、ララ様が低い声で言った。

 

「いい。……それより、余力があるなら奴らを叩いて」

 

「え?」

 

「まだ交戦中なら……どちらかを挟撃できる。サーコートだか、白鎧だか……」

 

今にも気を失ってしまいそうな、か細い声。

息が切れているのに、目だけが冷静だった。

 

私は耳を澄ます。

遠くの金属音は、もうない。

叫びもない。

交戦の気配は、ない。

 

「……もう終わっているように見えます。ですが……」

 

振り向く。

周囲を見回す。

 

セトが、いない。

 

「セト!?」

 

迂闊だった。

 

白鎧がここに来た理由も、サーコートの連中の動きも、まだ何も分かっていない。

今の勝利が終わりではなく、しのいだだけかもしれない。

 

私は治癒の手を止め、歯を食いしばった。

 

「ララ様、少しだけ――!」

 

分かっている。

こういう時、自分が目の前の人に引っ張られる凡人だと。

正しい判断より、助けたい気持ちが先に出る。

それでも、止められない。

 

「行け」

 

短い命令だった。

ララ様は私の主人ではない。

普段は命令などしない。

 

私は頷き、立ち上がり、走る。

砂が靴の中に入り、先ほどの戦闘で負った傷が軋む。

でも、そんな小さな痛みで止まっている場合じゃない。

 

セトの姿は見えない。

夜目の効く彼は、松明など持たない。

闇に溶ける。

 

私は松明を持ち、サーコートの騎兵たちが屯していた辺りへ向かう。

松明の灯りの輪を抜けると、夜が濃くなる。

空気が冷たくなる。

 

そして、視界の先に別の輪が見えた。

倒れた松明。散った火。

そこだけ、地面が不自然に明るい。

 

大した距離ではない。すぐに追いつけた。

その輪の中に、セトがいる。

 

そして、もう一人。

戦闘は、すでに終わっている。

生き残りは、その一人だけ。

 

白鎧の姿はない。

数で勝る白鎧に勝ったのなら、連中は相当な手練れだ。

白鎧と同時に相手取っていたら、想像するだけで背筋が粟立つ。

 

白いサーコートは着ていない。

メイルの男が、何かを抱えている。

 

いや、そうか。

私は、一瞬で理解した。

 

あの顔。

あの体格。

あの、頼りなげな輪郭。

抱いているのはアンドレアスの亡骸だ。

 

喉の奥が冷える。

 

この男が。

 

直感する。

 

アンドレアスが言っていた兄だ。

 

セトは、無機質な歩幅で距離を詰めている。

その右手に、獲物を仕留めるための冷たい集中が宿るのが分かった。

 

今のセトには、戦う能力がある敵か、そうでない敵か。その二つしか見えていないように思えた。

でも、私の目には、それ以外のものが映ってしまう。

 

男が、セトを一瞥した。

 

え?

 

そこに、鋭い殺意はなかった。

あるのは、張り裂けそうな悲しみ。

そして、あまりに場違いな、おそらくは感謝。

 

男は亡骸を、丁寧に地面へ横たえた。

それは死体を片付ける動きではなかった。

荷物を置く動きでもない。

眠っている幼子を起こさないように気を遣う、慈しみに満ちた、あまりに静かな手つき。

 

包帯の端が砂に触れないように押さえ、めくれかけた肌着を直す。

もう痛みなど感じないはずの相手に、それでも痛まないように触れている。

 

その一連の所作だけで、私の胸は締め付けられた。

あの人は、アンドレアスを死体にしたくないのだ。

弟のまま、そこに置きたいのだ。

 

アンドレアスが言っていた通りだ。

この人は、弟を愛していた。

 

分かってる。

彼らが何をしたか、私は忘れていない。

それでも、目の前のこの手つきに、心が負ける。

 

その兄は、馬の首筋に一瞬だけ手を置いた。

落ち着け、とでも言うように。

自分に言い聞かせているようにも見えた。

それから、驚くほど機敏に馬に飛び乗る。

 

(逃げて)

 

自分でも驚くような思考が脳裏をよぎる。

 

戦えば、どちらかが死ぬ。

セトが勝てば、この悲しい兄の生はここで途絶える。

男が勝てば、セトが失われる。

 

どちらも、嫌だ。

 

目の前でこれほど深い愛惜を見せつけられて、なお、この男を敵だと思い込むほど、私は強くも賢くもなれなかった。

 

馬が駆ける。

砂が跳ねる。

 

闇へ溶けていく背中が、一瞬だけこちらを、いや、セトを振り返った。

 

右耳に、右手を添える。

聖音派の祝福の動作。

脱出前のアンドレアスが、ララ様に向けたのと同じ、心からの敬意。

 

ああ、やっぱり。

 

セトに、この仕草の意味は伝わっているだろうか。

聖音派でたまに見られる祝福、という程度の知識はあるかもしれない。

ないかもしれない。

 

ただの挑発か、魔術の予備動作にしか見えていないかもしれない。

 

でも、私には分かる。

あの人は今、弟を逃がしてくれたセトへ、自分たちの信仰で最も尊い祈りを捧げたのだ。

 

少なくとも、私には、戦う必要なんてもうないように見えた。

憎しみは、あの祈りと共に闇に消えていくはずだった。

そう思ってしまうのも、祈りだろうか。

 

それなのに、セトの右手に、容赦のない魔力が収束していくのが見えた。

白鎧を崩した時とは違う。

今度は、いつもの投射だ。

追いつけない距離を、魔術の弾丸で埋めようとしている。

 

私には、剣がない。

いや、ある。

 

腰の片手剣と、術式と、まだ少々の魔力はある。

でも今この距離で、二人の間に割って入れるのは、それじゃない。

 

言葉だけだ。

 

ガスパーレの別邸で、私は本当の意味での言葉を持たなかった。

もちろん、言葉の教育は受けた。

読み書きだって出来る。

 

会話は限られた人間にしか許されない。

身の回りを世話する使用人とは、必要なやり取りだけ。

 

「お食事の用意が整いました」

 

「はい」

 

「算術の先生がお見えになる時間です。ご支度を」

 

「かしこまりました」

 

それで終わる。

 

こちらから指示を出すような立場ではない。

私は世話を受けるだけ。

 

教師との会話も、会話というより確認だった。

教えられ、できれば褒められる。

できなければ直される。

それだけ。

 

私は真面目な生徒だったと思う。

それなりに優秀だったかもしれない。

あまり厳しくされたというような覚えもない。

 

今思えば、商品にしては妙に丁寧に扱われていた。

当時は疑問にも思わなかったが、今なら分かる。

あれは異常な待遇だ。

 

けれど、丁寧なだけ。

所詮は奴隷だった。

 

その後に、ガスパーレがあっさりと私を売り払おうとしたのも、理由は分からない。

 

それでも、たまに訪れるガスパーレとの問答が、一番会話らしい会話だったかもしれない。

 

魔術はどうか。

礼法はどうか。

日常はどうか。

 

私は自分の言葉で答える。

ガスパーレは、そうか、と返す。

それで終わる。

 

でも、セトは違った。

彼はもっと気さくな関係を求めた。

 

気軽に喋れと言った。

意見を言えと言った。

 

「堅苦しくするな」

 

「気づいたことがあれば言え」

 

「嫌なことは嫌と言え」

 

褒めることもあれば、露骨に嘲笑うこともある。

そして彼は時々、意味の分からないことを言う。

その時、私は初めて、なにを言っているのか分からないわ、と言えた。

言っても許された。

 

気に入られたくて、軽口を真似しようとしたこともある。

上手くはできない。

最近は無理せずとも、自分なりの軽口を言えることもある。

少しでも面白いのかどうかは、よく分からない。

それでも私は、どこか楽しいと思い始めている。

 

言葉を発していい世界が、こんなにも温度を持つのだと知ってしまった。

だから今、私は刃より先に声を抜く。

 

祈りを見た。

悲しみを見た。

敵意の無さを見た。

 

それを言葉にしないなら、私はまた、あの別邸の人形に戻ってしまう。

 

セトの右手に魔力が収束していく。

 

私は叫ぶために息を吸った。

 

今から私がすることは、おそらく要求の類だ。

 

貴族であるララ様でさえ、先ほどのような緊急時でもなければ、セトの所有物である私に命令などしない。

 

わきまえている。

 

奴隷である私が、主に要求をする。

 

禁じられてはいない。

 

するな、と命じられていない。

 

できる。

 

しかし、やるべきことでは、断じてない。

 

ぜんぜん、わきまえていない。

 

喉が震える。

怖い。

 

それでも、声だけは届くはずだ。

待って、セト。

やめて。

あの人はもう。

 

セトは敵を追っている。

 

私は人間を見てしまった。

 

同じものを見ているのに、違う結論に至る。

 

私は、叫ぶより先に、意識して大きく息を吸った。

 

ためらったから。

 

その行為を、一瞬だけ先延ばしにした。

 

言葉にする前に、夜気が冷たく肺に刺さった。

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