勇者として召喚された社畜、王女による魔力供給がないと死ぬブラック環境に配属。『解析』『構築』能力を悪用して王国も正義も神も容赦なく破壊する。 作:筆負野ユウ
男の剣先が止まった。
止まったというより、躊躇った、が正しいか。
乱れた呼吸を整える途中で、筋肉がぴくりと震えた。
その心情は怒りか。興味か。
少なくとも、硬い鎖帷子の下にある柔らかいところへ、指先くらいは届いたらしい。
俺は今回、笑わない。
少なくとも現時点で、挑発して荒い攻撃をさせることが主目的ではない。
特に明確な目的もない、手探りの会話。
ほどほどに怒らせて、何か引き出せないかな、という会話。
「……なにを、言った」
低い声だった。唸りに近い。
怒鳴り声じゃない。むしろ、腹の底で鳴る音。
これが出るならば、心がまだ冷えていないのだろう。
微表情を観察しながら続ける。
口元が、ほんの僅かに歪むが、その心情までは読み取れない。
「女だよ。恋人。婚約者。そういうやつ」
俺は肩を竦めた。
なるべく軽く。
なるべく、どうでもいい話題として投げる。
「いずれ一緒になって、商売をするんだってさ。未来に縋る目で言うもんだから、俺も……あの時は本当に助けてやるつもりだったんだよ」
「嘘だ」
否定が早い。反射だ。
考えるより先に口が出たタイプの『嘘だ』。
本当に嘘だと確信できているのではなく、嘘であって欲しいというただの願望。
問題は、なぜ嘘であって欲しいのか。
何が嫌なのか。
弟に女がいたことか。
俺がそれを知っていたことか。
怒りの向きが、俺か、弟か、神か。
「なんで嘘だと思う?」
俺は半歩、踏み込む。
剣は構えない。
「俺がこんな嘘をついて、なんの得がある?」
まあ、本当の話をする意味もないのだが。
男は動かない。動けない。
剣先が僅かに泳いでいる。
息が一度だけ乱れた。
「……俺たちは、信仰に生きる修道騎士だ。あいつが……そんな……」
語尾が細い。言い切れない。
自信がないからだ。
「普段がそれだったら、余計あるだろ。人間だもん」
弟は人間だった。
それを認めたくないとは、なかなか酷いお兄ちゃんもいたもんだ。
「痛いのが嫌。怖いのが嫌。死にたくない。美味い飯を食いたい。酒を飲みたい。ゆっくり寝たい。女を抱きたい。誰かに手を握ってほしい。そういう普通の願いがあって何がおかしい?」
言いながら、視線だけをエリサに飛ばす。
岩の上。
彼女は詠唱に入ろうとして、途中で止めている。
俺と男の会話の温度が、彼女の喉を縛っているのだろう。
それでいい。
今は黙ってろ。
黙って見てろ。
俺は今、武器を研いでる。
たぶん。
男の眉間が歪む。
剣を握る手が強くなった。
鎖帷子が軋む。
「お前が知らないだけで、あいつにはお前の知らない人生があった。それだけのことだ」
俺はさらに畳みかける。
ただし、畳みかけるようにではなく、精一杯優しい口調で。
「お前が想像していなかった未来があった。それが、お前が連れてきたこの無意味な戦場で、全てなくなった」
男の喉が鳴った。
呼吸が一段深くなる。
「……無意味ではない」
「無意味さ。使命とやらは果たせず、ただ死んだ」
いいぞ。反論しろ。
なんでもいいから、糸口をよこせ。
「……やめろ」
「やめない」
俺は即答した。
対話を試みつつ、相手に対話の余地を見せない。
主導権は手放さない。
相手の神経を削る。
それがどういう意味を持つかは、まだ分からない。
「残されたその女、今頃どうしてるだろうな。お前が死なせた弟を、何も知らずに待ってるのかな? そのうち、捨てられたとか思うのかな?」
男の剣先が、大きく跳ねた。
「だれも彼女にアンドレアスの死を報せてやれない。お前が彼女を知らなかったから。弟に、そういう話をされる兄じゃなかったから」
次の瞬間、彼は踏み込んできた。
さっきまでの溜めを全部、脚に変換してきたような踏み込み。
重いのに速い。
鎖帷子が鳴る。
「黙れええええっ!」
ミスった。
怒らせすぎた。
怒声と一緒に、刃が走る。
縦。
横。
突き。
形を変えながら、隙間を探ってくる。
怒ってはいる。
だが、怒りが手癖をあまり潰していない。
フォームが崩れない。
クソ真面目で嫌になる。
攻撃を剣で受ける。
反撃。
受けられる。
次々と剣を構築し、連撃を見舞う。
つもりだったが、斬撃を流され、危うく体勢を崩されかける。
もう少し深く踏み込んでいたら、危なかった。
怒らせて雑な攻撃を誘うという策は、そこまで、はまらなかった。
しかし、まるで無意味というわけでもない。
こいつ、受けに回ると、やたら上手い。
時折見せる防御主体の立ち回りが本来の姿なのだろう。
それを多用させないだけでも上出来だ。
剣が来る。
俺はあらためて構築した刃で受ける。
火花が散る。
衝撃が肘に噛みついて、痺れが腕に残る。
受けた後に崩れる。
構築物は安い。
安いから便利で、安いから使い捨て。
俺の戦い方と性格に向いている。
だが。
手、痛すぎて草。
いや、全然草はえない。
受け続けるのは無理だ。
受けないと死ぬのも事実だ。
だから、受けて、逃げて、撃って、逸らして。
全部を小銭みたいに細かく使う。
短杭。
二発。
顔。
反射で受けられる。
だが、その隙にすぐ横へ逃げる。
また短杭。
今度は膝。
避けられる。
足が止まったところへ、刃を構築して踏み込み。
届かない。
いや、届く距離に入った瞬間、こっちが斬られる。
踏みとどまる。
この男は、守りながら前に出るのが上手い。
防御が準備になっている。
剣の腹で弾いたその動作のまま、次の踏み込みが来る。
受け流し、崩し、斬りかかってくる。
メイルの重さも、逆に勢いに変換してくる。
怒りのまま殴ってくる時間は短い。
呼吸が荒くなっていくほど、技が研ぎ澄まされていく。
矛盾しているようで、スポーツなんかでもよくある。
落合のアレだ。人間は疲労するほどに無駄を省く。
そして、冷静さも少しずつ取り戻す。
戦闘のテンポが落ち着き、また男の戦闘スタイルが受け主体に近づいていく。
こちらの呼吸も苦しいので、助かると言えば助かる。
しかし、ますます攻め手はなくなっていく。
俺は息を整えるふりをして、距離を取る。
ちらりと背後を確認。
岩から降りて、俺の後方から援護をする構えのエリサ。
火球の詠唱に入るタイミングを探っているが、さっきから撃てていない。
撃っても読まれる。
読まれた火球は、ただの派手な照明だ。
魔力が枯渇寸前なので、温存しているのだろう。
ここぞという機があれば撃つ、という姿勢だけでも多少の牽制にはなる。
男は距離を詰めてこない。
呼吸を見る。
荒い。
今まさに整えている。
俺と同じだ。
左腕の傷は浅い。
痛みはあるはず。
だが、戦いの精度を落とすほどじゃない。
街道の砂利が、踏みしめられるたびに鳴る。
互いの息が白くはならない夜だが、肺の奥が熱い。
喉の奥から鉄のような味がして、舌が乾く。
このまま削り合えば、最初に折れるのはエリサだ。
そうなれば、今より少し不利になる。
俺の魔力はまだ残っているが、こいつを一撃で倒せる確殺の手がない。
雑にやれば、こっちが死ぬ。
真面目にやれば、時間がかかる。
時間がかかれば、エリサが尽きる。
残る有効な手は、館の壁をぶち破るのにも使った新技だが、あれは魔力消費と溜めが大きい。
こういう頑強な奴相手の決め手にはなるのだが。
いや。
こういう時は基本に立ち返れ、だ。
上司やクライアントを怒らせてしまった時。
厄介な仕事を振られて断りたい時。
困った時は、いつだってそうしてきた。
――相手の立場と気持ちになって考えよう。
昔、先生が言っていた。
どうも俺は自己中心的なところがちょっとだけある。
だからこそ、今でも大切にしている言葉だ。
俺は今回、この男の気持ちについては、だいぶ寄り添ってきたつもりだ。
成果もあった。
しかし、立場にまで考えを巡らせていただろうか。
いや、気持ちについても、もう一度よく考えてみるべきでは。
――こいつ、本当に怒っているのだろうか。
微表情に注目してみても、俺はこの男のことをそれほど知らない。
本物や偽物の表情と比較ができないので、演技を完全に見破れるわけがない。
それでも、やはり怒ってはいると思う。
たぶん。
しかし、結局のところ隙は見せていない。
歴戦の兵の性というのもあるが、どこか冷静な部分があるのでは。
そんな奴が、こちらの誘導通りに、本来のスタイル以上の攻勢に出た理由は怒りだけなのだろうか。
こいつの立場、視点で考えてみれば?
俺の能力を知らなかったはずなのだから、もっと慎重でもいいはずだ。
飛び道具――火球を使う様子もない。
まあ、状況的にあまり役に立つとは思えないが。
やはり単純に怒っている?
――勝負を急いでいるとしたら?
そうか。
この男は、俺たちの事情を知らない。
ガバンもララも館の連中も、もう戦えない。
援軍なんて来る見込みも薄い。
そんなこと、こいつは知る由もない。
むしろ逆だ。
これだけ怒声を上げ、松明が散って、鉄が鳴って、火球まで飛んだ。
近くに仲間がいたら、寄ってこないと考えるほうがどうかしている。
だからこそ、この男は焦っている。
怒っているからだけじゃない。
怒りはエンジンで、理由はもっと冷たい。
相手の視点に立ってみれば、簡単な話だった。
反省。
俺は口の端を上げた。
笑ったんじゃない。
笑いを貼り付けただけだ。
「やけに遅いな」
吐き捨てるみたいに言って、背後へ視線だけを投げる。
「エリサ。火球を空へ撃て」
「……え?」
間の抜けた声。エリサにしては察しが悪い。
まあ疲労のせいだ。無理もない。
今のエリサは、戦術の会話をする体力すら削れている。
俺は言い方だけを整えた。説明的なフォロー。
だが、命令は重く。
「これだけ派手にやってるんだ。確かに、場所が分からないってことはないだろうな。でも、急かすくらいはしていい。撃て」
はっとした表情。
珍しく顔に出過ぎだ。
かわいいな。
かわいがってやりたい。
詠唱が始まる。
言葉が紡がれる。
音が、空気の密度を変える。
エリサを妨害し、俺に隙を見せる愚は犯さない。
が、男の眉が、ほんの僅かに動いた。
――そうだよな。
火球が夜空へ放たれた。
橙の光が、しゅるりと尾を引いて昇り、頂点で弾ける。
短い花火。いや、信号弾だ。
誰にも宛てていない、虚しい信号弾だ。
瞬間、街道の闇が一段明るくなって、血の跡と、踏み荒らされた砂利と、倒れた馬の影がくっきり浮いた。
男は揺れない。
動揺しない。
ただ、踏み込んできた。
速い。
重い。
メイルの鎖が鳴る。
俺は、露骨に受けに回った。
さっきまでの削る弾を止める。
撃つよりも、動く。
受ける。
いなす。
距離を崩さない。
男のスタイルを、見よう見まねでなぞる。
一合。
刃が触れて、火花が散る。
衝撃が腕に残る前に、受け流す。
反撃を考慮しない。
攻める気がない。
だから、ある程度は模倣できる。
二合。
今度は突き。
杭で逸らすのはやめる。
刃ではなく、ただの棒を構築。
相手の刃先だけ噛ませて角度をずらす。
浅い。
危ない。
でも、手は痺れない。
三合。
横薙ぎ。
足を引く。
砂利が滑る。
転ぶ寸前で踏ん張る。
恥ずかしいほど下手だ。
でも、死ぬほど下手じゃない。
男のように上手にとはいかない。
そんなことは分かっている。
そのぶん、時に距離を取って飛び道具を織り交ぜる。
牽制程度に。
俺に攻め気がないのは理解しているはず。
それでも、過度に大きく踏み込んではこない。
罠かもしれないという警戒もあるだろうが、やはり身に沁み付いたフォームは簡単には崩れない。
男の顔が、わずかに歪む。
鬼の形相じゃない。怒りじゃない。
焦りと苛立ちの入り混じった表情。
俺は呼吸の合間に、軽く言ってやった。
「お前さ」
刃が当たる。
受ける。
流す。
ステップで距離を取る。
「面倒だから……いなすことにしたわ」
男の視線が一瞬だけ揺れる。
俺の後ろ。そこにいる、いもしない誰かを確かめるように。
そう。いい顔だ。
もうすぐ仲間が駆けつけてくるとは言わない。
ちゃんと伝わっているはずだ。
呼吸がなかなかしんどいなか、俺は余裕を見せるように、また笑った。