勇者として召喚された社畜、王女による魔力供給がないと死ぬブラック環境に配属。『解析』『構築』能力を悪用して王国も正義も神も容赦なく破壊する。 作:筆負野ユウ
小学校何年生だかの時、担任の先生――名前は思い出せない、年季の入った脳内お花畑女だった――が、学級目標を指差してよく言っていた。
『相手の立場と気持ちになって考えよう』
根が素直な俺は当時、それを『自分の都合より相手の都合を優先しろ』程度の意味にとらえて無視、あるいは小馬鹿にしていた。
だが、クソみたいな社会に出て、俺はあの言葉の本当の意味にたどり着いた。
相手の立場と気持ちを理解しなければ、上手に立ち回ることは決して出来ない。
人間関係の基本だ。
俺はそもそも、そういった能力に欠けている。
特に気持ちの部分だ。
しかし、これは放置して良い問題ではない。
だから、努力して理解に努めている。
今もだ。
そして、もうひとつの学級目標。
『人の嫌がることを率先してやりましょう』
こちらの言葉を実践することはなかった。
当然だ。
そりゃ皆が嫌がることをやってくれる都合の良い奴は、排除されないだろう。
それでも、人の嫌がることは、俺も嫌なのだ。
だが、そびえ立つクソのようなこの世界に来て、俺はあの言葉の裏の意味にたどり着いた。
戦いの基本は、相手の嫌がることをすることだ。
わざわざ他者へ嫌がらせをする趣味はないつもりだが、世知辛い世の中なので致し方ない。
ありがとう、先生。
俺、今、人生で一番あなたの教えを実践してるよ。
戦いもまた人間関係。
だから人間関係の標語が役に立つんだな。
いま、この男が嫌がることは、時間を掛けられること。
突破口の見えない今、自分の都合――こいつを殺したい――ばかり考えてもダメだ。
相手の立場と気持ちを考えて、嫌がることをするのだ。
つまり、時間をかけるのだ。
お、効いてる。
男の踏み込みが、ほんの刹那遅れる。
剣は止まらない。
止まらないが、次の一手が揺れている。
怒りではなく、判断の迷い。
踏み込んだところで簡単に殺せないことが分かっている。
だから迷う。
そして、そこに混じるのは――苛立ちだ。
俺はその遅れを逃さず、剣を受けない。
受けると手が痛い。
痛いのは嫌だし、この場では死につながる。
だから受けない。
刃が来る前に半歩ずらす。
刃が追ってくる前に、足場を変える。
街道の砂利は相変わらずうるさく、踏むたびに小さく鳴いて、こちらの呼吸を笑ってくる。
男の視線が、一瞬だけ、俺の後ろへ跳ねた。
俺の背後。
火球のあとでまだ息が整わないまま、少々青い顔で、詠唱もやめたまま立っているエリサ。
まだエリサに対する警戒は解いていない。
消耗がブラフの可能性も考慮している?
見えるはずだ。
あいつは盤面を見ている。
怒りで殴りながら、勝つための手順を捨てていない。
俺は確実に殺したい。
動機は安全安心。
会社員の頃から変わらない。
面倒の芽は早めに摘む。
出来れば無傷で。
でも、確実で安全な手が、今はない。
相手は急いで殺したい。
動機は怒り。
時間が経てば経つほど不利になると誤解してる。
だから手早く。
でも、俺が防御に寄せたせいで、殺せない。
互いに攻め手が欠けている。
だから、膠着する。
距離を取る。
本当に牽制程度の射撃。
距離を詰められる。
俺は一合、流す。
二合、流す。
返さない。
返す気もない。
三合。
今度は流せない角度。
受ける。
刃が触れて火花が散り、衝撃が腕に残る前に体ごと角度を変える。
手首の内側が、僅かに痛みでうずく。
使い捨ての構築刃はすぐ崩れる。
男が焦れて踏み込む。
縦。
横。
突き。
そのたびに俺は、受ける、逸らす、下がる。
受ける、逸らす、下がる。
そして――また、視線。
そこにいるのは、エリサだ。
街道の端、いつでも詠唱を始めるという構えのまま、肩で息をしている。
さっきの信号弾代わりの火球で、魔力はほとんど底だろう。
撃てるか撃てないかの境目で、ただ構えるしかない。
元々それほど脅威でもないエリサを、さっき以上に気にしている?
俺は一瞬、わざと受けを雑にした。
刃が擦れて、火花が弾ける。
男の踏み込みが少しだけ深くなる。
いい。
もっと来い。
来い、と思った矢先に、男の目がまたエリサを掠めた。
口が勝手に動いた。
「なあ。さっきの話の続き、聞きたい?」
男の眉間がさらに寄る。
「貴様の話は聞かん!」
わりと聞いてるじゃねえか。
俺は笑わない。
その代わり、言葉を汚くする。
汚い言葉は、手っ取り早く相手の内側を引っ掻く。
「……なんだお前、戦闘中にエリサをちらちら見やがって。禁欲生活で精液が頭にまでまわったか?」
我ながら品のない野次が、夜の空気に落ちた。
落ちた瞬間、男の呼吸が一段だけ乱れる。
「エリサ! こいつ、お前が欲しいらしいぞ!」
男が怒声を上げる――と思った。
だが返ってきたのは、エリサの声だった。
それは静かで、そして何故かひどく不機嫌で丁寧な声。
「……違います。セト、おそらく彼は、先ほどのアンドレアスの思い人の話を私に重ねているだけです」
「……は?」
もちろん、俺だってこいつが本気で欲情したと思ったわけじゃない。
だが、弟の思い人とエリサには、なんの関係もない。
せいぜい、女という程度の共通点だ。
だがエリサの言葉を補助線にして男の顔を解析し直すと、見え方が変わる。
怒りの向き。
憎悪の色。
そして、視線の意味。
「貴様……っ、魔族の分際で、その穢れた口で弟を語るなぁぁぁぁ!!」
叫びと一緒に刃が走る。
振り下ろし。
重い。
速い。
乱暴――に見えて、芯は崩れてない。
なるほど。
そういうことか。
いなせる。
だが、いなさない。
あえて受けた。
衝撃を真正面から受け止める――ふりをして、下半身だけを抜く。
踏ん張らない。
耐えない。
体重を預けない。
相手の力を、俺の体ごとの後退に変える。
砂利が跳ね、背中に風が刺さり、距離が生まれた。
「セト!」
背後でエリサの声。
近づく足音。
剣を抜いて駆け寄ってくる。
その動きが、俺の狙い通りに盤面を動かす。
俺の隣で剣を構えようとしたエリサを、抱き寄せた。
エリサの腰を抱いたまま、半歩だけ位置をずらす。
男へ背を向けさせる形になるが、どうせ戦力外だ。
彼女を前に、俺を後ろに。
けれど完全には隠れない。
俺の顔と右手が、男から見える角度を残す。
囮は、見えなきゃ意味がない。
仕掛け人も、見えていなきゃ成立しない。
「え、セト……?」
戸惑う彼女の細い腰を、わざとらしく、これ見よがしに抱く。
「な、な、なにを……!」
困惑と、たぶん怒り。
その言葉を、唇ごと塞ぐ。
俺の唇で。
エリサの肩が、びくりと跳ねる。
体が強張る。剣を持つ手にも、微かに力が入った。
呼吸は元々荒いが、更に激しくなる。
口を塞いだことで、鼻息がこそばゆい。
唇を重ねたのは、ほんの数秒のはずだった。
なのに、腕の中のエリサの体が強張るには充分すぎた。
唇を離した瞬間、夜気が妙に冷たかった。
腕の中の体は石みたいに固まって、呼吸だけが荒い。
唇を押さえようとする気配すらなく、ただ信じられないものを見るような目で俺を見上げる。
「……最低」
掠れた声だった。
怒鳴る余力もないらしい。
「評価が厳しいな」
ひどいことを言う。
最低なわけがない。
まだ本当に最低なことまではしていない。
これは戦術だ。たぶん。
少なくとも俺の中では、まだその分類に入っている。
あらためて男を観察する。
案の定、啞然としていた。
怒りで血走っていた目が、あっという間に空白となる。
剣は握ったまま、腕は中途半端に止まっている。
俺が今したことをどう解釈すればいいのか、困惑している。
エリサが、ようやく我に返ったようにわずかにもがいた。
腕の中で腰が逃げようとする。
だが、本気で振りほどこうとしているわけじゃない。
怒っているし混乱もしているが、いまは俺の作る流れに乗るべきだと判断している。
可愛いな、と一瞬だけ思った。
その一瞬の悪戯心で、俺はもう一度だけ顔を寄せかけて――さすがに途中でやめた。
危ない危ない。
今からするべきは、エリサの口内を蹂躙することじゃない。
いかつい騎士を蹂躙する仕事の続きだ。
いつも押し込めているものが、戦術という言い訳を得て噴き出しかけていた。
いまは断じて、そんな場面じゃない。
俺は、ほんの少しだけ大きな声で言った。
「エリサ、下がっていろ。……いや、皆を呼んでくるんだ。戻ってこなくていい。お前は充分に働いた」
エリサが、俺を見る。
怒りの色が薄れ、困惑が濃くなる。
そこに、理解が混じるまで、一拍。
「でも、あなたになにかあったら私は……」
微妙に演技臭い言葉を途中で止めるように、俺はエリサをさらに強く抱きしめた。
『思いは伝わったよ』が男から見ても分かるように、ぎゅっと力を込める。
男はわざとこちらから視線を外すように、暇を持て余すように、剣を指先でなぞったりしている。
いかにも、はいはい、終わるまで待ってますよ、みたいな態度。だが、エチケットなわけがない。
騎士道精神で恋人たちの別れを待ってやるほど、この男は甘くない。
なにか考えている。
だが、今はそれでいい。
待ってくれるなら、演出が完成する。
「大丈夫」
やはり少しばかり大きな声で言う。
「必ず生きて、お前の元へ戻るさ」
自分で言ってて少し笑いそうになった。
どこのメロドラマだ。
だが、こういう安い台詞ほど、外から見れば効く。
だって、それがメロドラマだから。
髪をひと撫でしてから、抱擁を解く。
エリサはしばらく黙っていたが、やがてごく小さく頷いた。
そして少しの間を置いて、俺にしか聞こえない声で言う。
「ゆっくり、後ろを振り返らずに去ればいいのね」
分かっているじゃないか。
ほんと、よくできた子だ。
怒っているくせに、理解している。
理解しているくせに、乗ってくる。
俺の作った安っぽいメロドラマの脚本で、自分がどう使われるのかまで。
その賢さが、少しだけ厄介で。
少しだけ、嬉しい。
最悪だな。
まあ、いまさらか。