勇者として召喚された社畜、王女による魔力供給がないと死ぬブラック環境に配属。『解析』『構築』能力を悪用して王国も正義も神も容赦なく破壊する。   作:筆負野ユウ

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第44話 人の嫌がることを率先してやりましょう

小学校何年生だかの時、担任の先生――名前は思い出せない、年季の入った脳内お花畑女だった――が、学級目標を指差してよく言っていた。

 

『相手の立場と気持ちになって考えよう』

 

根が素直な俺は当時、それを『自分の都合より相手の都合を優先しろ』程度の意味にとらえて無視、あるいは小馬鹿にしていた。

 

だが、クソみたいな社会に出て、俺はあの言葉の本当の意味にたどり着いた。

 

相手の立場と気持ちを理解しなければ、上手に立ち回ることは決して出来ない。

 

人間関係の基本だ。

 

俺はそもそも、そういった能力に欠けている。

特に気持ちの部分だ。

 

しかし、これは放置して良い問題ではない。

だから、努力して理解に努めている。

 

今もだ。

 

そして、もうひとつの学級目標。

 

『人の嫌がることを率先してやりましょう』

 

こちらの言葉を実践することはなかった。

 

当然だ。

 

そりゃ皆が嫌がることをやってくれる都合の良い奴は、排除されないだろう。

それでも、人の嫌がることは、俺も嫌なのだ。

 

だが、そびえ立つクソのようなこの世界に来て、俺はあの言葉の裏の意味にたどり着いた。

 

戦いの基本は、相手の嫌がることをすることだ。

わざわざ他者へ嫌がらせをする趣味はないつもりだが、世知辛い世の中なので致し方ない。

 

ありがとう、先生。

俺、今、人生で一番あなたの教えを実践してるよ。

 

戦いもまた人間関係。

だから人間関係の標語が役に立つんだな。

 

いま、この男が嫌がることは、時間を掛けられること。

 

突破口の見えない今、自分の都合――こいつを殺したい――ばかり考えてもダメだ。

 

相手の立場と気持ちを考えて、嫌がることをするのだ。

つまり、時間をかけるのだ。

 

お、効いてる。

男の踏み込みが、ほんの刹那遅れる。

 

剣は止まらない。

止まらないが、次の一手が揺れている。

 

怒りではなく、判断の迷い。

踏み込んだところで簡単に殺せないことが分かっている。

だから迷う。

 

そして、そこに混じるのは――苛立ちだ。

 

俺はその遅れを逃さず、剣を受けない。

受けると手が痛い。

痛いのは嫌だし、この場では死につながる。

だから受けない。

 

刃が来る前に半歩ずらす。

刃が追ってくる前に、足場を変える。

街道の砂利は相変わらずうるさく、踏むたびに小さく鳴いて、こちらの呼吸を笑ってくる。

 

男の視線が、一瞬だけ、俺の後ろへ跳ねた。

俺の背後。

 

火球のあとでまだ息が整わないまま、少々青い顔で、詠唱もやめたまま立っているエリサ。

まだエリサに対する警戒は解いていない。

消耗がブラフの可能性も考慮している?

 

見えるはずだ。

あいつは盤面を見ている。

怒りで殴りながら、勝つための手順を捨てていない。

 

俺は確実に殺したい。

動機は安全安心。

会社員の頃から変わらない。

面倒の芽は早めに摘む。

出来れば無傷で。

でも、確実で安全な手が、今はない。

 

相手は急いで殺したい。

動機は怒り。

時間が経てば経つほど不利になると誤解してる。

だから手早く。

でも、俺が防御に寄せたせいで、殺せない。

 

互いに攻め手が欠けている。

だから、膠着する。

 

距離を取る。

本当に牽制程度の射撃。

距離を詰められる。

 

俺は一合、流す。

二合、流す。

 

返さない。

返す気もない。

 

三合。

今度は流せない角度。

 

受ける。

刃が触れて火花が散り、衝撃が腕に残る前に体ごと角度を変える。

手首の内側が、僅かに痛みでうずく。

 

使い捨ての構築刃はすぐ崩れる。

 

男が焦れて踏み込む。

縦。

横。

突き。

そのたびに俺は、受ける、逸らす、下がる。

受ける、逸らす、下がる。

 

そして――また、視線。

そこにいるのは、エリサだ。

 

街道の端、いつでも詠唱を始めるという構えのまま、肩で息をしている。

さっきの信号弾代わりの火球で、魔力はほとんど底だろう。

 

撃てるか撃てないかの境目で、ただ構えるしかない。

元々それほど脅威でもないエリサを、さっき以上に気にしている?

 

俺は一瞬、わざと受けを雑にした。

刃が擦れて、火花が弾ける。

男の踏み込みが少しだけ深くなる。

 

いい。

もっと来い。

 

来い、と思った矢先に、男の目がまたエリサを掠めた。

 

口が勝手に動いた。

 

「なあ。さっきの話の続き、聞きたい?」

 

男の眉間がさらに寄る。

 

「貴様の話は聞かん!」

 

わりと聞いてるじゃねえか。

 

俺は笑わない。

 

その代わり、言葉を汚くする。

汚い言葉は、手っ取り早く相手の内側を引っ掻く。

 

「……なんだお前、戦闘中にエリサをちらちら見やがって。禁欲生活で精液が頭にまでまわったか?」

 

我ながら品のない野次が、夜の空気に落ちた。

 

落ちた瞬間、男の呼吸が一段だけ乱れる。

 

「エリサ! こいつ、お前が欲しいらしいぞ!」

 

男が怒声を上げる――と思った。

 

だが返ってきたのは、エリサの声だった。

それは静かで、そして何故かひどく不機嫌で丁寧な声。

 

「……違います。セト、おそらく彼は、先ほどのアンドレアスの思い人の話を私に重ねているだけです」

 

「……は?」

 

もちろん、俺だってこいつが本気で欲情したと思ったわけじゃない。

 

だが、弟の思い人とエリサには、なんの関係もない。

せいぜい、女という程度の共通点だ。

 

だがエリサの言葉を補助線にして男の顔を解析し直すと、見え方が変わる。

怒りの向き。

憎悪の色。

そして、視線の意味。

 

「貴様……っ、魔族の分際で、その穢れた口で弟を語るなぁぁぁぁ!!」

 

叫びと一緒に刃が走る。

振り下ろし。

 

重い。

速い。

乱暴――に見えて、芯は崩れてない。

 

なるほど。

そういうことか。

 

いなせる。

だが、いなさない。

 

あえて受けた。

衝撃を真正面から受け止める――ふりをして、下半身だけを抜く。

 

踏ん張らない。

耐えない。

体重を預けない。

 

相手の力を、俺の体ごとの後退に変える。

砂利が跳ね、背中に風が刺さり、距離が生まれた。

 

「セト!」

 

背後でエリサの声。

近づく足音。

剣を抜いて駆け寄ってくる。

 

その動きが、俺の狙い通りに盤面を動かす。

 

俺の隣で剣を構えようとしたエリサを、抱き寄せた。

エリサの腰を抱いたまま、半歩だけ位置をずらす。

男へ背を向けさせる形になるが、どうせ戦力外だ。

 

彼女を前に、俺を後ろに。

けれど完全には隠れない。

俺の顔と右手が、男から見える角度を残す。

 

囮は、見えなきゃ意味がない。

仕掛け人も、見えていなきゃ成立しない。

 

「え、セト……?」

 

戸惑う彼女の細い腰を、わざとらしく、これ見よがしに抱く。

 

「な、な、なにを……!」

 

困惑と、たぶん怒り。

 

その言葉を、唇ごと塞ぐ。

 

俺の唇で。

 

エリサの肩が、びくりと跳ねる。

体が強張る。剣を持つ手にも、微かに力が入った。

 

呼吸は元々荒いが、更に激しくなる。

口を塞いだことで、鼻息がこそばゆい。

 

唇を重ねたのは、ほんの数秒のはずだった。

なのに、腕の中のエリサの体が強張るには充分すぎた。

 

唇を離した瞬間、夜気が妙に冷たかった。

腕の中の体は石みたいに固まって、呼吸だけが荒い。

 

唇を押さえようとする気配すらなく、ただ信じられないものを見るような目で俺を見上げる。

 

「……最低」

 

掠れた声だった。

怒鳴る余力もないらしい。

 

「評価が厳しいな」

 

ひどいことを言う。

最低なわけがない。

まだ本当に最低なことまではしていない。

 

これは戦術だ。たぶん。

少なくとも俺の中では、まだその分類に入っている。

 

あらためて男を観察する。

案の定、啞然としていた。

怒りで血走っていた目が、あっという間に空白となる。

 

剣は握ったまま、腕は中途半端に止まっている。

俺が今したことをどう解釈すればいいのか、困惑している。

 

エリサが、ようやく我に返ったようにわずかにもがいた。

 

腕の中で腰が逃げようとする。

だが、本気で振りほどこうとしているわけじゃない。

 

怒っているし混乱もしているが、いまは俺の作る流れに乗るべきだと判断している。

 

可愛いな、と一瞬だけ思った。

 

その一瞬の悪戯心で、俺はもう一度だけ顔を寄せかけて――さすがに途中でやめた。

 

危ない危ない。

 

今からするべきは、エリサの口内を蹂躙することじゃない。

いかつい騎士を蹂躙する仕事の続きだ。

 

いつも押し込めているものが、戦術という言い訳を得て噴き出しかけていた。

いまは断じて、そんな場面じゃない。

 

俺は、ほんの少しだけ大きな声で言った。

 

「エリサ、下がっていろ。……いや、皆を呼んでくるんだ。戻ってこなくていい。お前は充分に働いた」

 

エリサが、俺を見る。

怒りの色が薄れ、困惑が濃くなる。

そこに、理解が混じるまで、一拍。

 

「でも、あなたになにかあったら私は……」

 

微妙に演技臭い言葉を途中で止めるように、俺はエリサをさらに強く抱きしめた。

『思いは伝わったよ』が男から見ても分かるように、ぎゅっと力を込める。

 

男はわざとこちらから視線を外すように、暇を持て余すように、剣を指先でなぞったりしている。

 

いかにも、はいはい、終わるまで待ってますよ、みたいな態度。だが、エチケットなわけがない。

 

騎士道精神で恋人たちの別れを待ってやるほど、この男は甘くない。

 

なにか考えている。

だが、今はそれでいい。

 

待ってくれるなら、演出が完成する。

 

「大丈夫」

 

やはり少しばかり大きな声で言う。

 

「必ず生きて、お前の元へ戻るさ」

 

自分で言ってて少し笑いそうになった。

どこのメロドラマだ。

 

だが、こういう安い台詞ほど、外から見れば効く。

だって、それがメロドラマだから。

 

髪をひと撫でしてから、抱擁を解く。

エリサはしばらく黙っていたが、やがてごく小さく頷いた。

 

そして少しの間を置いて、俺にしか聞こえない声で言う。

 

「ゆっくり、後ろを振り返らずに去ればいいのね」

 

分かっているじゃないか。

 

ほんと、よくできた子だ。

 

怒っているくせに、理解している。

理解しているくせに、乗ってくる。

 

俺の作った安っぽいメロドラマの脚本で、自分がどう使われるのかまで。

 

その賢さが、少しだけ厄介で。

少しだけ、嬉しい。

 

最悪だな。

まあ、いまさらか。

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