神様、ちょっと黙ってろ ~神は死んだ。聖女はまだ祈っている。~ 作:筆負野ユウ
カイルスがルナに視線を向けた。
たったそれだけで、ノアに選択肢はなくなった。
すでに力の差は見せつけられている。ルナに危害を加えられる前にカイルスを排除する、というのは難しい。
なら、ルナの側で盾になるしかない。
忠義深いことだ。
カイルスは相変わらず動かない。また、俺を見ている。
代わりに、異形がゆっくりと歩み寄ってきた。
速くはない。
全身に灰色の革帯。
そこから生える無数の棘。
隙間から滲む黒煙。
気持ち悪い。
カイルスはこれを呼び出したのではない。作り上げた。
いや、そう見えた。
俺が剣や杭を構築するときの感覚と、よく似ている。創造主が気味悪ければ、作品も当然気味が悪いということか。
まずは火球で試す。
詠唱。
脳内に構築したコード。
発火。
射出。
直撃。
炎が派手に燃え上がり、異形の身体を包む。
だが、止まらない。
燃えたまま、平然と歩を進めてくる。燃えているというより、炎を着ているようだった。
あまり効果的とは言えない。
続いて、石を矢のように飛ばす魔法。
射出。
石矢は革帯に弾かれた。表面を削るだけで、奥に届かない。
なら、もっと硬く。
もっと重く。
少し時間をかける。
金属質。槍に近い長さと太さ。
ただし、穂先は単純な杭でいい。
硬く。重く。
構築。
射出。
今度は突き刺さった。
異形の胸元に杭が食い込む。革帯を割り、黒煙を散らす。
だが、止まらない。
短杖が、そこで音を立てて砕けた。負荷が高すぎたらしい。
まあいい。
仕込まれていたものの読み取りは済んでいる。あとは、杖なしでも動かせるかどうかだ。
魔法。
――あれ? これプログラムじゃね?
そう気づいてからは、頭の片隅で常時解析スレッドを回している。バックグラウンド処理ってやつだ。
火球。
石矢。
短杖。
詠唱。
マテライズ。
短杖に刻まれていたコードを、必要な部分だけ脳内に再構築する。詠唱はローブ共のモノマネ。
石矢。
力を込める。速度も硬度も、先ほどの石矢を上回るように組んだ。
発動。
結果は、革帯を少しえぐっただけだった。石矢をそのまま再現するより、マテライズした金属杭を射出する方が威力は上か。
だが、発動確認は取れた。
短杖は不要。
問題は、この化け物に対する有効打がないことだけだ。
燃やしても駄目。
穴をあけても駄目。
斬る。
殴る。
まあ、効果薄いだろうな。
ルナやノアと相談できればいいんだが、まだ言語の解析は全然だ。一部単語の拾い読み程度しかできない。
今、できることはなんだ。
金属質の物質は構築できる。
火球と石矢は、詠唱を真似ただけでは駄目だった。短杖に仕込まれたコードで補完して、ようやく発動した。
その短杖も解析済み。もう杖はいらない。
火球にも石矢にも、共通の部品がある。そこが“射出”とあたりを付け、抜き出して、俺の構築物に繋げた。
だから撃てる。
手持ちのカードはこんなところ。あとは身体能力くらいか。
いや。
もうひとつ、模倣できるものがあったな。
俺は後退しながら、左手で印を切る。カイルスがさっき見せた動き。
詠唱もなぞる。
――何も起こらない。
くそ。
模倣が不完全か。それとも短杖みたいなアイテム仕込みか。
触れてじっくり解析する手段がないなら、この先は進まない。思考を切り上げるしかなかった。
異形が、突如として加速した。さっきまでののっそりした歩みが嘘のようだった。
振り下ろされる大刀。
速い。
だが、大振りだ。
避けられる。
ノアが援護に来ようとする。しかし、カイルスの視線ひとつで釘付けにされている。ルナを見られたら、動けない。
カイルスはなぜ、ルナとノアを殺さない?
その気になれば殺せたように思う。さっきだって、ルナを見ることでノアを牽制した。だが、あの強さならノアを殺すこともできたはずだ。
殺せない事情がある?
駄目だ。
情報不足。
考えても分からない。
二撃目。
回避。
三撃目。
今度はさっきよりコンパクトだった。危うく掠める。
反射的に弾丸を構築する。
金属質。
小型。
尖らせすぎる必要はない。
精度も要らない。
重要なのは速度と連射。
脳内で射出のコードを組む。
詠唱なし。
一発。
成功。
続けて四発。
合計五発。
よし。
無詠唱化できた。
脳内だけで射出のコード構築を完結させれば、詠唱を挟む必要はない。これなら連射できる。
手持ちのカードがまたひとつ増えた。
マシンガンとまでは言わない。だが、弾丸を連続して叩き込む。
異形の革帯が跳ねる。
黒煙が散る。
傷は浅い。
倒せない。
それでも、連続した衝撃に異形の上体がわずかに仰け反った。大刀を握った右腕を前方へ突き出し、崩れた均衡を取り戻そうとしている。
チャンスだ。
その剣をよこせ。
俺は踏み込む。
手首を掴む。
棘が刺さった。
痛い。
まあ、覚悟の上だ。
先ほど学んだように捻り上げ――られない。
(こいつ……
形は人型だ。
腕もある。
脚もある。
似たような動きをしている。
だが、構造が違う。
関節の向きも、力の逃げ方も、肉の抵抗も、人間のそれではない。人間の関節構造を利用した技は通用しない。
いや、それよりも――。
異形が、棘だらけの左腕を振るった。ラリアットのような一撃。
避けられない。
右腕に鈍い衝撃が走り、棘が肉へ食い込んだ。熱い痛みが傷口から広がり、息が漏れる。
そのまま異形は片腕を背中へ回し、抱きすくめるように俺を締め上げてきた。
押しつけられる胸部。
灰色の革帯。
黒煙の臭い。
無数の棘が身体へめり込む。
皮膚が裂ける。シャツの下で、ぬるい血が広がる。
痛い。
押し返そうと身体を捻った途端、刺さった棘が横へ動いた。傷口の内側を引っかき、皮膚だけでなく、その下の肉まで削っていく。
動けば裂ける。
止まれば潰される。
最悪だ。
二センチほどの棘。即死には至らない。
だが、全身へ何本も突き刺さり、逃れようとする動きそのものが傷を広げる。抵抗するたびに血が流れ、少しずつ力が削られていった。
異形の腕へ力がこもる。
胸郭が圧迫され、息を吸える幅が狭くなった。呼吸するだけで、背中と脇腹の棘が肉の中を動く。
肺が膨らまない。
浅い息が、かすれた音になって漏れる。
穴だらけの両手で異形の胸を押し返す。手のひらにも棘が刺さった。
指の間を血が伝う。力を込めるたび、手の中で肉が裂ける感触がした。
それでも押す。
離れない。
離れられない。
ただ耐えているわけではない。
――もう少しだッ。
締めつけが、さらに強くなる。骨が軋んだ。
血の巡りを奪われ、指先が冷えていく。視界の端が暗くなり、異形の輪郭が滲み始めた。
痛い。
息ができない。
棘がさらに深く食い込む。
だが、読める。
最初に触れたとき、すぐに分かった。
人間に触れても、人間そのものを解析はできない。
動き、声、目線、呼吸、筋肉の反応。五感で仕入れた情報を解析することで、その人間について間接的に読むことはできる。
だが、触れただけでは何もできない。
解析しようと意識を伸ばしても、掴むものがない。触って確かめようとした手が、空を切るような感覚だけが残る。
一方で、ローブ男の短杖に触れた時は違った。仕込まれたコードへ、そのまま指を差し込めるような感覚があった。
そして、この異形も同じだ。
こいつには、短杖と同じく魔法のコードが仕込まれている。
ただし、情報量が膨大だ。読み込みに時間がかかる。
骨が軋む。
視界が狭まる。
痛みで意識が白くなる。
それでも、コードは少しずつ繋がっていく。
痛い。
息ができない。
骨が軋む。
棘がさらに食い込む。
だが、読める。
読めるなら、まだ終わっていない。
うまくいくかは分からない。しかし、同じ要領だ。
火球と石矢のコードから、射出の構成要素だけを抜き出したように。それを物質構築の魔法と組み合わせ、再構築したように。
いや。もっと単純だ。
正しく動作するよう編集するのではない。
削除するだけだ。
白紙化。
“Delete”。
「誰かが組んだコードをまるっと削除……ゾクゾクするな」
異形が崩れた。
断末魔の叫びはなかった。
灰色の革帯がほどける。棘が乾いた音を立てて落ち、崩れる。黒煙が霧のように散った。
胸の圧迫が消える。
肺へ、ようやく空気が戻った。焼けるような痛みと一緒に。
俺は膝をつきかけ、なんとか踏みとどまった。
成功だ。
シャツは穴だらけ。
血だらけ。
手のひらも、腕も、背中も、まともな場所を探す方が難しい。立っているだけで精いっぱいだ。
だが、賭けには勝った。
残る敵は一人。
カイルス。
もう一度あの化け物を出してきても、今度はワンクリックで消せる。ノアと二人がかりならやれるか。
いや。
実力の底が見えないのが怖い。
カイルスが俺を見ている。
一瞬、笑った。
楽しんでやがる?
表情を元に戻したカイルスが、ルナたちに何か語りかける。