勇者として召喚された社畜、王女による魔力供給がないと死ぬブラック環境に配属。『解析』『構築』能力を悪用して王国も正義も神も容赦なく破壊する。 作:筆負野ユウ
王城の会議室は、祈りの場所ではない。
だが、ここで口にされる言葉は、しばしば祈りよりも重い。
残念なことに。
「コスタ外務卿、神託が届いたとな?」
長机を挟んで、国王グレッブ陛下が座す。
温和な御方だ。慈悲深い。
それは、否定しようのない美徳である。
しかし、美徳と決断は、同じ棚に並ぶとは限らない。
その右に、王太子レオトバイ殿下。
鎧を纏っていない時でさえ、武人の匂いがある。
だが、よく見れば理性の人だ。
勝てぬ戦に飛び込まない。割に合わぬ軍を動かさない。目的の曖昧な戦を嫌う。
それは有能である証だが、神託に対しては、いささか慎重が過ぎる。
そして向かいに、トラキス公爵。
東方の権益を握り、国境の小競り合いを“現場の負担”と称して、中央の意志を鈍らせる男。
奸雄。
戦果はそれなりに上げているので質が悪い。
己の利を“国家の理”に化けさせる術だけは、見事だ。
本来なら、ここにルナ殿下が居てほしかった。
信仰と正義を、言葉だけでなく行いで担うお方だ。
いや、むしろ――。
思考が危険な方向へ滑るのを、私は喉の奥で止めた。
今は外務卿としての役目がある。
空想ではなく、現実を動かさねばならない。
扉が開き、聖務局の文官が入室する。
国王が頷き、文官は巻物を机上に置いた。
「聖音教会より、神託の知らせにございます」
神託。
それは、いつも唐突に落ちる。落雷のように。
落ちた後に、周囲がそれに合わせて景色を描き直す。
文官が巻物を開く。朗読が始まる。
「サボエの地を人の手に回復せよ」
朗読が終わる。
短い。それだけ。
むろん、私は外務卿として内容を事前に把握している。
それでも、胸の奥が静かに震えた。
神託とは、そういうものだ。
紙に記された文字ではない。
政治の口実でもない。
少なくとも、私にとっては。
ただ、それをこの場でそのまま差し出しても、国は動かない。
信仰は、現実の形を与えられねば力にならない。
私はそのために、この席にいる。
ビュザンティア王国と長年対立する魔族国家、ミストラティ神聖国。
むろん、神聖国は自称だ。
我々は通常、かの国をそうは呼ばない。
その国境地帯にある、ミストラティの同盟市。実質的に傘下の都市、サボエ。
ここは人間の人口が多い地だ。
会議室が静まる。
誰もが、同じ言葉を別のものとして咀嚼している。
私は息を吸い、先に言うべきことを言った。
「……神意が示されました。サボエ奪還。これを、ただの軍事作戦として捉えるべきではありません。人を救い、国威を正し、信仰の秩序を回復する。これは、正義の戦いです」
「外務卿。正義は結構。しかし、今は必ずしも好機ではない。ミストラティは同族のパールス部族連合に圧迫されている。敵同士が争っているからといって、片方を追い詰めれば得になるとは限らん」
トラキス公が、すぐに反応した。
分かりやすい。
こういう男は、いつも早い。
「必ずしも、そこまでミストラティを追い詰める必要はないのです」
私は口を挟む。
彼の“現場の懸念”の衣の下にある、別のものが見えている。
トラキス公は、遮った私の言葉を気にする風もなく続ける。
「我らが兵を出せば、ミストラティもこちらへ兵を割かざるをえん。より危険なパールスの侵攻を手助けする結果になるのでは。そもそも、サボエを得たとして、それほどの旨味はあるまい」
我ら。
いつもそうだ。
国家ではなく、我ら。
王国の名を使って、己の領分を守る。
私は丁寧に、しかし逃げ道を塞ぐように返した。
「それほどの旨味がないと言われるが、相手にとっても同様です。ミストラティにとってサボエは同盟市に過ぎない。自国領ではない。いま本国の軍を割いてまで守る価値があるとは思えません」
「価値がないから譲る、と?」
「ええ。少なくとも、交渉の余地は大きい」
私は地図の上、サボエに指を置いた。
「求めるのは、ミストラティ本国の屈服ではありません。サボエから手を引かせることです。名目上の自治は保つ。商路も保証する。限定的な共同統治も考慮する。彼らが面子を保つ余地は残せます」
穏当な条件だ。
奪い尽くすわけではない。
焼くわけでもない。
滅ぼすわけでもない。
ただ、人間の多い地を、人間の手に回復する。
神託に応え、秩序を正す。
それだけの話だ。
「いまなら勝てます。それは相手にとっても自明の理です。ゆえに、大軍を出すと見せれば、彼らは譲歩するでしょう。彼らの東方、直轄都市マリリポがパールスに脅かされているこの情勢で、我が国と本格戦争などできるはずがない」
戦争をしたいわけではない。
少なくとも、剣を交える必要はない。
神託は血を求めているのではない。
正しい秩序の回復を求めているのだ。
こちらが本当に剣を抜くと信じさせれば、それで足りる。
外交とは、抜かずに斬るための技術だ。
本当は、神託が出た今なら戦勝は約束されている、とでも言いたい。
いや、そもそもそういう次元の話ですらない。
だが、この場には信仰の本質を理解しない者もいる。
彼らには、軍事、政治的合理性で包んで渡すしかない。
トラキス公は唇を歪めた。
「随分と、ミストラティを“理性的な敵”として扱う。蛮族ではない、とでも言うのか」
「蛮族と断じるのは簡単です。しかし、簡単な言葉で現実を理解したつもりになるのは危険だ。敵は敵として、冷静に扱うべきです」
「冷静に扱うなら、なおさらだ」
トラキス公の声が、わずかに低くなった。
「敵が理性的ならば譲歩する、という理屈は分かる。だが、理性的だからこそ譲れぬものもある。外務卿。脅しとは、失敗した時に本物になる。大軍を見せれば向こうは退くと言うが、こちらもまた退けなくなるのだぞ」
会議室の空気が、わずかに重くなる。
その懸念は正しい。
正しいからこそ、正面から答えるべきではない。
答えれば、この場は「危険を冒すべきか」という話になる。
それでは、いけない。
神託に応えるため、どの程度の力を用意するか。
問うべきなのは、そちらだ。
「中途半端な大軍なら、その懸念もございましょう。しかし、ミストラティの全軍を上回る規模で圧力を掛ければどうでしょう。事は短期で済みます。特に東方の諸侯にはサボエの統治と防衛に力を割いて貰わねばなりません。動員体制を長引かせるのは、私としても本意ではありません」
短期で済む。
東方の負担は軽く、新たな秩序には席を用意する。
それを、この男が理解しないはずがない。
私は視線を国王陛下へ向けた。
陛下は、指を組み、静かに聞いておられた。
だがその目は、まだ決めていない。
いつものように、誰かが“決める理由”を差し出すのを待っている。
そこで、レオトバイ殿下が父王へ向き直った。
「父上。神託は“いつ”サボエを奪還せよとは述べておりません」
静かな声だった。
「神託を軽んじるつもりはありません。ですが、神託に応えることと、今すぐ軍を動かすことは同じではないはずです。まずは情勢を見極め、時を選ぶべきかと」
陛下の目に、わずかに安堵が差した。
殿下は、父王に逃げ道を差し出したのだ。
神託に背かず、なお決断を先へ送るための道を。
実に正しい。
そして、実に危うい。
「殿下のお言葉、まことにごもっともです」
私は深く頷いた。
「神託は“いつ”を示しておりません。ならば我らが、最も神意に適う“いつ”を選ばねばならない」
トラキス公をちらりと見やる。
「そう、曖昧に構えるのが最悪なのです。勝てる形を整え、敵が譲歩せざるを得ない条件を示す。飲むならば良し。拒むなら……その責は彼ら自身が負うことになります」
トラキス公が眉を動かす。
この男は、利権の嗅覚だけは鋭い。
私の言葉の先に何があるか、察し始めた。
少なくとも関心を持った。
そもそも、この男が現状で嫌っているのは、東方の利権を中央に踏み荒らされること。
そして負担の増大だ。
それなら、それ以上に大きな餌と危機感を匂わせてやればいい。
サボエの奪還に大した旨味はないのだ。
サボエだけなら。
「私は、今こそがその時であると考えます。ミストラティはパールスに圧迫され、サボエを巡って本格戦争を選びにくい。つまり今こそ、最も血を流さずに神託へ応えられる時なのです」
国王の安堵が、少し違う色を帯びる。
先延ばしの道は、今や“より良い時”を選ぶ道に変わった。
そして、私が示した“より良い時”は、今だ。
レオトバイ殿下が口を開いた。
「外務卿の見立ては理解できる」
低く、落ち着いた声だった。
「ミストラティは今、パールスへの対応で余裕がない。こちらが本気で兵を集めれば、サボエを巡って正面から戦うことは避けようとするだろう」
殿下は、机上の地図へ視線を落とした。
「だが、それは必ずしも向こうがこちらの望む形で折れるという意味ではない」
正しい。
実に正しい。
だからこそ、困る。
「そして、その“本気”を見せるために、どれほどの軍を動かす。どれほどの金を使う。どれほどの領主に負担を強いる。サボエは、それに見合う土地か」
「殿下は、サボエを捨て置けと?」
「そうは言っていない」
殿下の返答は速かった。
「脅しとは、安く済むから脅しなのだ。高くつく脅しなら、それは半ば戦争と同じだ。戦争を仕掛けるには、勝利の根拠がいささか曖昧に思える」
殿下は戦争を恐れているわけではない。
むしろ、戦争というものを理解している。
軍を動かせば金が消える。
馬が潰れる。
内政が滞る。
商流が止まり、兵糧が食われ、徴発に不満が生まれる。
戦わずに済んだとしても、動員はただではない。
殿下は、それを見ている。
だからこそ、私はその正しさを否定しない。
否定せず、使う。
「殿下のお言葉、まことにごもっともです。半端な脅しは、戦争より悪い。金を失い、威信を失い、得るものは少ない」
レオトバイ殿下の目が、わずかに細くなる。
私の言葉の先を警戒している。
聡明な御方だ。
「ならば、半端に脅すべきではありません」
私は少しだけ溜めてから言った。
「拒まれた時、ただサボエを取って終わるような構えでは足りない。ミストラティ本国への進軍すら辞さぬ。そう相手に信じさせる必要があります」
会議室の空気が、わずかに変わった。
「待て、外務卿」
レオトバイ殿下の声は低かった。
「それは本国攻略を視野に入れるということか」
「視野に入れる、のです」
私は静かに返した。
「実行するためではありません。実行できると示すために」
「脅しのために本国攻略の準備をする、か」
殿下は、机上の地図を見下ろした。
「軍は舞台装置ではない。動かせば金が消える。領主が備える。敵もまた備える。そこまで進めば、脅しと戦争の境目は薄くなる」
やはり、殿下は見えている。
戦争を嫌っているのではない。
費用に見合わぬ軍事行動を嫌っている。
そして、脅しが本物に変わる瞬間を見ている。
「だからこそ、曖昧に構えてはなりません」
私は言った。
「見せかけの動員では見抜かれる。本気で勝てる形を整えるからこそ、相手は譲歩する。剣を抜かずに済ませるためには、剣を抜いた後の勝利まで用意しておかねばならないのです」
殿下の懸念を解くことはできない。解く必要もない。
必要なのは、懸念を抱えたままでも、殿下が引き受けざるを得ない形を作ることだった。
「動員規模に関して、少々不充分な説明となっていたことをお詫び致します。レオトバイ王太子殿下総指揮のもと、最大規模の動員を整えるべきかと」
短いどよめきが走る。
誰もが腹の中で勘定を始める。
その中で、トラキス公は、何も言わない。
先ほどまで誰よりも、私は反対だ、という顔をしていたのに。
釣れた、とまでは思わない。
この男は、餌に食いつくほど単純ではない。
だが、盤面が変わったことは理解したのだろう。
サボエの利権の話に加え、ミストラティ本国への進軍を視野に入れた大動員となれば、話は変わる。
そこまでやれば、サボエの奪取は確実だろう。
それどころか、その先もありえないとは言い切れないと考える。
そうなれば、現状の利権を多少毀損することより、新たな利権にありつけないことを恐れるのが欲深い人間だ。
おそらく彼はいま、反対の言葉ではなく、関与の条件を探している。
ならばよい。少なくとも、この場で真っ向から折りに来ることはない。
「殿下」
私はレオトバイ殿下へ向き直る。
「これは神があなたに用意された、次期国王としての試練であり、舞台なのです」
レオトバイ殿下は、それなりに戦場経験を持っている。
だが、大規模な軍の総指揮の経験はない。
そもそも、そのような戦役が起こることなど、これまでなかったのだから当然だ。
私は殿下に『花はあなたに持たせて差し上げますよ』と言っているのだ。
そして、武人の面を被ったこの方に、この空気で反対を言い出せるだけの政治的余力はない。
国王の代理人として総指揮を執るという話だ。
せっかく次期国王としての器量を示せる機会。
ここで断れば、逃げた、という印象はぬぐえない。
殿下は初めから、明確に反対の立場を取るべきだったのだ。
もっとも、それほどの大胆な立ち回りは普通、出来ない。
私の企てを知っている、私だから言えることだ。
レオトバイ殿下が口を開きかける。
止めるか。条件を緩めるか。
だが、殿下は賢い。
自分が今、反対すれば、神託に背く者、臆病者の顔を被らされることも分かっている。
武闘派の仮面の下の理性が、慎重に口を閉ざす。
国王が、ゆっくりと頷いた。
「……神託を無視するわけにもいかぬ。しかし、突然のことで準備が不十分でもある」
実質、何も言っていない。
その声には、迷いが混じる。
だが私は、迷いを“期限”に変える術を知っている。
「陛下。準備の時間は必要です。しかし、準備とは先延ばしの口実ではありません。“いつか”を盾にすれば、誰も動かなくなる。民心も揺らぎます。信仰も揺らぎます。揺らげば、秩序が崩れます」
民心。
信仰。
秩序。
これらの言葉は、国王陛下の心に届く。
陛下は温和だが、それらを失うことは恐れる。
お優しいこの御方は、後の惨状を想像するだけの知性もお持ちだからだ。
「……兵を動かせば、死ぬ者が出る」
国王がぽつりと言った。
それは、王の言葉としてあまりに優しい。
そして、あまりに弱い。
私は深く頭を下げる。
「だからこそ、剣を抜かずに済むだけの力を示すのです」
国王は黙った。
沈黙は、拒絶ではない。
迷いだ。
迷いなら、形を与えられる。
「……では、どうせよという」
ようやく、欲しい問いが出た。
問いが出れば、答えを置ける。
私は机上の地図を示す。
国境。
サボエ。
街道。
山。
川。
「半年」
私は言った。
「半年で軍を整え、使節を立て、条件を提示する。期限を切って返答を迫る。望む返答が得られねば、我らは神託に従い、サボエを経てミストラティへ進む」
ざわつく場。
本心では反対の者もいるだろう。
しかし、ここで強硬に反対する価値はない。
これは勝てる政略なのだ。
まず間違いなく、無血でサボエを獲得して終わる。
そうなるとは限らないという反論も、あるにはあるだろう。
だが、そうならなかった場合は、王太子が総司令官を務める王家の戦争だ。
そしてなにより、神託に基づいた戦だ。
であるならば、流れに乗り、少しでも多くの甘い汁を確保すべきだ。
トラキス公は、なおも何も言わない。
沈黙。それが、この男の返答だった。
国王の視線は泳ぐ。
陛下は“半年”の意味を、まだ十分に理解していない。
半年の準備は、半年の動員だ。
半年あれば、貴族や騎士の準備は万全に整う。
そして、動員は簡単に取り消せない。
取り消した瞬間、王権が傷つく。
しかし陛下は、その点を今は考えない。
今考えるのは、迷いを収める言葉だ。
レオトバイ殿下が、低く口を開いた。
「……半年で整える。動かすなら、勝てる形でなければならない」
殿下は、準備の必要性を認めた。
だがそれは、開戦への同意ではない。
軍を動かす以上、戦にならぬ形を作る。
王太子として、武人として、その一点を外すことはできないのだろう。
国王が、静かに口を開く。
「……半年後。準備の後に、使節を立てる。ミストラティが拒むなら、開戦となる」
私が言ったままだが、重要ではない。
言葉は一度、王の口から出れば、もはや戻らない。
勝ったとは思わない。
ただ、もう誰も盤面から降りられなくなった。
会議室に熱が満ちるのを感じる。
あるいは、私自身の体温かもしれない。
私は胸の内で祈った。
神よ。
正義よ。
秩序よ。
そして、願わくば。
ルナ殿下がこの場にいてくれたなら――いや。
神の意志は動き出した。
それは人間の意思では止まらない。
止められないものを、正しい方向へ押す。
それも外務卿の仕事だ。