勇者として召喚された社畜、王女による魔力供給がないと死ぬブラック環境に配属。『解析』『構築』能力を悪用して王国も正義も神も容赦なく破壊する。 作:筆負野ユウ
第58話 二万の胃袋
戦闘員だけで二万。
その数字を聞いた時、最初は大軍だと思った。
その後すぐに、少ないと思った。
いや、二万が少ないというのは、我ながら感覚がおかしい。
現代日本で二万人が動くといえば、平日のプロ野球とかだ。
人が集まり、飯を食い、酒を飲み、トイレに並び、帰り道で死んだ顔をする。
それだけでも、外苑前や信濃町の駅は大騒ぎになる。
まして、ここにいる連中は、観戦に行くのではない。
人を殺しに行く。もしくは、殺されに行く。
そう考えれば、二万は多い。多いはずだ。
だが、この国の規模を考えると、やはり少なくも感じる。
ビュザンティア王国の総人口を、俺は正確には知らない。
戸籍も統計局も国勢調査もない世界だ。
似たようなものはあるのかもしれないが、少なくとも俺が見たことはない。
それでも、王都の大きさ、地方都市の数、街道沿いの村々、貴族領の広がり、そういったものを考えれば、数百万は下らないはずだ。
その国が、近年最大規模の動員で二万。
少ない。やはり少ない。
日本の戦国時代でも、百万石クラスの大名なら二万くらいは充分に動員できたはずだ。
百万石の人口は、せいぜい百万人だ。
「セト、どうしましたか」
向かい側から、ルナが言った。
ルナは馬車の座席に腰かけ、こちらを見ている。
白を基調とした旅装。
その上に、軽い防具。
軍と共に歩む王女。
絵にすれば勇ましい。
実物は、がたがた揺れる箱の中で少し顔色を悪くしている女である。
王女という職業は、思ったより尻と胃に厳しいらしい。
「二万って、多いのか少ないのか考えてた」
俺は窓の外を眺めながら言った。
全軍は複数の縦隊に分かれて進んでいる。
窓から見えるのは、その一列にすぎない。
それでも、細い行列はどこまでも続くと錯覚させるほどだ。
王家の紋章を掲げた馬車は、行軍列の中央より少し前にいた。
周囲を騎士と従士が固め、その少し後ろに荷車の列が続いている。
車内には、ルナ、ノア、そして俺。
王女。
実務担当。
護衛。
役割だけ見れば、なるほどという配置だ。
現実には、王女は揺れに耐え、実務担当は書類に耐え、護衛はこの空間に耐えている。
たいへん均整の取れた地獄である。
「少なくはない」
ノアが書類から顔を上げた。
「近年では最大規模の動員だ。王家や諸侯の手勢、傭兵。これほどの軍勢が動くことは、そうそうない」
「この国の人口、何百万かいるんだろ」
「正確には分からない」
「武田とかだって、もっと多く動員してるぜ」
ノアは少し眉を寄せた。
「タケダ?」
「気にするな。俺の故郷の祈祷句だ」
ノアは何か言いたげだったが、追及しなかった。
最近、ノアは俺の意味不明な言葉を流す技術が上達している。
成長である。あるいは諦めである。
「ですが、二万の軍勢があれば、相手にこちらの本気は伝わります」
ルナが言った。
「本気、ね」
「戦わずに済ませるためにも、力を示すことは必要です」
それはそうだ。それ自体は間違っていない。
こちらが本気であると見せなければ、相手は譲らない。
譲らせるために軍を動かす。
戦わないために、戦える姿を見せる。
よくある話だ。
平和を願うなら、まずは戦っても勝てると相手に見せる。
反論はない。真っ当な手順である。
「戦にならないといいな」
俺は言った。
ルナは真面目に頷いた。
「はい」
その真面目さが、少しだけ痛い。
ルナは本当にそう思っている。
この軍勢を見ても。
この槍と旗と荷車と傭兵の列を見ても。
まだ、戦にならないことを願っている。
いや、それは悪いことではない。
むしろ、かなりまともだ。
俺も、そうだ。
問題は、まともな願いが、まともに現実へ反映されるとは限らないことだ。
馬車の外では、軍勢が続いている。
騎士。
従士。
魔法兵。
傭兵。
荷運び。
商人。
職人。
娼婦。
聖職者。
ついでに、何をするのかよく分からない連中。
どこまでが軍で、どこからが軍に群がる民間業者なのか、ぱっと見では分からない。
たぶん、この世界の人間にも分かっていない。
軍隊というものは、厳密な組織というより、巨大な生活圏に近い。
飯を食う。
馬にも食わせる。
博打を打つ。
大小便をする。
祈る。
女を買う。
喧嘩する。
盗む。
そして、たまに戦う。
戦うために集まったはずなのに、戦う前から大量の生活が発生する。
厄介な生き物だ。
「二万しかいないのは、農民兵が少ないからか」
俺は言った。
ノアが頷く。
「農民を集めることはある。荷運び、道の整備、臨時の雑役などだ。しかし、戦列に並べることは少ない」
「戦力にならない?」
「訓練を受けていない者は、魔力強化を施した騎士や傭兵の前では持たない。逃げる。崩れる。巻き込まれて死ぬ。そうなれば、かえって邪魔になる」
戦うというより、踏まれるか。
大量の低コストユニットで押し込む戦争ではない。
高コストエリートユニット同士の殴り合い。
この世界では、戦闘に特化した者とそうでない者の差が大きい。
魔法。
魔力強化。
騎士の訓練。
矢も、ただの矢ではない。
それらを持つ者と、畑から連れてこられた農民では、戦闘力が違いすぎる。
槍を持った武士程度なら、槍を持った農兵数人で殺せる。
だが、普通のサラリーマンは戦闘機を操縦できない。
この世界では、魔力と魔法がテクノロジーだ。
農民を大量に並べても、数の暴力になる前に、ただの死体の量産になるのだろう。
そして死体は飯を食わないが、死体になる前の農民は飯を食う。
たいへん効率が悪い。
「セト」
ルナが言った。
「農民を戦わせないことを、効率だけで考えるのはよくありませんよ」
「口に出てた?」
「顔に出ていました」
顔に出ていたらしい。
顔の管理が甘い。
「戦わずに済む者を戦わせない。それは、よいことです」
ルナは静かに言った。
「まあ、それは、そう」
俺は素直に認めた。
農民を無理やり連れてきて、槍を持たせ、魔法で焼かせるよりはいい。
だが、農民を戦わせないということは、その代わりに騎士や傭兵を高価な資源として運用するということでもある。
高価な資源は、維持費も高い。
飯は農民以上に食う。
装備もいる。
馬もいる。
従者もいる。
それを二万規模で動かす。
なるほど。
この国で、近年最大規模の動員だというのも、分かる気がしてきた。
軍隊は巨大な胃袋だ。
歩く胃袋。
槍を持った胃袋。
王家の旗を掲げた胃袋。
それが東へ向かっている。
「軍隊は胃袋で動く、か」
俺は呟いた。
「また、品のない言い方を……」
もう慣れたのか、ルナがわずかに苦笑して言った。
「いや、実際そうだろ。歩きながら食う。食いながら進む。食う物がなくなったら、近くの村を食う」
今度はルナの眉がひそめられた。
言い方が悪かったらしい。
だが、間違ってはいない。
王都から離れたばかりの今は、まだよい。
物資はある。
荷車は並んでいる。
商人もついてきている。
貴族たちも見栄を張っている。
兵たちも元気だ。
だが、これが二十日続く。
さらに国境で止まる。
そこで相手を威圧する。
威圧はタダではない。
立っているだけで飯を食う。
馬も食う。
従者も食う。
傭兵は飯だけでなく金も食う。
これがどれほど続けられるのか。
俺は知らない。
たぶん、誰も正確には知らない。
「だからこそ、統制が必要なのです」
ルナは言った。
「この軍が民に害をなせば、王国はサボエを得たとしても、そこに暮らす人々の心を得ることはできません」
「まあ、それも、そう」
完全同意だ。
「略奪して、家を焼いて、女を襲って、畑を荒らして、それで明日から王国民ですって言われても困るだろうな。統治コストで赤字になりそうだ。いっそ皆殺しにしたほうが安く済むんじゃないか?」
「滅多なことを言わないでください」
「対案の提示だよ」
「そんな対案なら、不要です」
言い切られた。
「怒るなよ。俺だって平和を愛してる」
「どのあたりがですか」
「自分が死にたくないところ」
ルナは窓の外へ視線を戻した。
「恐怖で従わせることはできるでしょう。けれど、それは統治ではありません。私たちは、奪いに行くのではありません。戦にするために向かっているのでもありません。人々を正しき秩序へ導くために……」
そこまで言って、ルナは少し黙った。
自分の言葉が、どこかで引っかかったのかもしれない。
正しき秩序。
綺麗な言葉だ。
神託に基づく政略。
東方政策。
関係正常化。
外交的再構築。
そういう立派な言葉と親戚である。
立派な言葉は、だいたい刃物を包む布として使える。
布をめくれば、ちゃんと切れる。
「ルナ殿下の仰りは正しい」
ノアが言った。
彼は書類を膝の上に置き、落ち着いた声で続ける。
「サボエを得ることができたとして、その統治が困難になれば、王国の負担は増す。民心を損なえば、徴税も治安維持も難しくなる。ミストラティ側の工作も入りやすくなる」
「だから、同意してるじゃん」
「だったら、何が言いたいのだ」
「じゃあ、王国軍全体にそれを徹底できるのか?」
ノアの言葉が詰まる。
そういうことだ。
正しいことを言うのは簡単だ。
いや、簡単ではないかもしれない。
でも、正しいことを実行するのはもっと難しい。
まして、二万の胃袋を相手に。
「王太子殿下も、その点は認識しておられる」
ようやく、ノアはそれだけ言った。
「だろうな」
レオトバイ王太子。
俺はあの男を、まだ深く知っているわけではない。
だが、少なくとも、愚かではない。
むしろ、かなり頭が回る。
為政者として必要な決断力もあると思う。
ルナと違って、善意だけで世界を動かそうとはしていない。
今回の大動員も、ただ兵を集めただけではない。
国内政治も動かした。
王党派。
トラキス公。
ケルテス伯の失脚。
俺が踏み込んだあの館の事件も、今では王太子の政治材料になっている。
いや、最初からそうだった。
聖職者を素材にした事件。
王党派に紛れ込んでいた伯爵家の失点。
神託に基づく政略の直前に発覚した、実に都合のよい不祥事。
都合が良すぎる。
もちろん、王太子が全部を仕組んだわけではないだろう。
俺も動いた。
カイルスも動いた。
ミラークも、勝手によく喋って死んだ。
王太子は、使えるものを使った。
死体も、証拠品も、神への冒涜も、政治ではきちんと再利用される。
環境に優しい。
「何を笑っている」
ノアが言った。
スルースキルはまだまだ未熟らしい。
「いや、王国って資源を無駄にしないなと思って」
「どういう意味だ」
「死んだ伯爵家も使えるだけ使うって意味」
ノアは一瞬だけ目を細めた。
怒ったのかもしれない。
だが、否定はしなかった。
否定しないなら、概ね、そういうことだ。
「セト」
ルナが静かに言った。
「人の死を、そのように言うものではありません」
「ごめんなさい」
俺は素直に謝った。言い方が悪いのは事実だ。
ただ、考え方まで悪いとは限らない。いや、悪いかもしれない。
どちらでもいい。
現実として、ケルテス伯は終わった。
ミラークも終わった。
館の研究所も潰れた。
そして、その事件は王太子の主導権強化に使われる。
世の中は、たいへん無駄がない。
馬車が大きく揺れた。
ルナが座席の縁を掴む。ノアの書類が少しずれる。俺は窓枠に肩をぶつけた。
「これ、二十日以上続くのか」
「途中で宿営を挟む」
ノアが真面目な顔で言った。
冗談や軽口で言っているつもりはないのだろう。
「当たり前だろ。二十日間ぶっ通しで揺られたら、尻が王国から独立する」
ルナが小さく笑った。
笑った後で、少しだけ表情を戻す。
王女としての顔。
最近、ルナはそれを意識している。
兵たちも民も、彼女を見る。
王女として。
巫女として。
神託に関わる者として。
サモンドを従える者として。
それは、ルナにとって重いはずだ。
だが、彼女は逃げない。
逃げないことが、必ずしも正しいとは限らない。
それでも、逃げない。
そういうところは、少しだけ立派だと思う。
口には出さない。出したら負けだ。
行軍は続く。
道の脇には、見送りに来た者たちが並んでいた。
子どもが手を振る。
女が祈る。
老人が頭を下げる。
若い男が軍勢を見て目を輝かせる。
槍が光る。
旗が揺れる。
馬が嘶く。
強い王国。
頼もしい王太子。
慈悲深い王女。
神託に導かれた政略。
遠くから見るぶんには、綺麗だ。
あらためて窓の外を見る。
騎士の乗る馬が、歩きながら糞をたれた。
「くっさ」
俺は言った。
馬車の外から、かすかに笑い声が聞こえた。
エリサだ。
彼女は馬車には乗っていない。
身分の問題だ。
俺は王女の騎士という扱いで、この馬車に同乗している。
エリサは、その騎士に付き従う女。
便利だが、馬車に乗せるほどではない存在。
この世界の身分制度は、雑であり頑丈だ。
俺が窓から顔を出すと、エリサと目が合う。
周囲の護衛列から少し外れ、しかし離れすぎない位置。
いつものように、油断なく周囲に目を配っているのだろう。
「セト、酔った?」
「まだ尻が王国から独立しかけてるだけだ」
「それは大変」
「助ける気のない返事だな」
「助けようがない」
正しい。
まだなにか話したいと思った。
しかし、背後にある四つの眼が気になり、やめた。
俺は少しだけ、笑いかける。
エリサも少しだけ笑い、また前を向いた。
彼女の足取りは意外に軽い。
こちらは馬車に乗っているのに疲れている。
不公平だ。
いや、歩いている方が疲れるか。
よく分からない。
「サボエ……いや、ハンブディフだっけ? そこまでは、どれくらいだ」
俺は馬車内へ戻り、ノアに尋ねた。
「知ってるだろう。トラキス公領を抜け、その先にサボエ。その北方、二日ほどの距離にハンブディフがある。サボエの属領都市だ。広い意味ではサボエの一部と見なして良い」
「合わせて二十二日。長いな」
「遠征だからな」
「到着したらハンブディフを睨むだけ?」
「一応、ミストラティ側の対応次第だ。王太子殿下の本隊がサボエへ圧力をかける。別動隊は、ハンブディフを牽制する。それで決着が付けば良し。無論、万が一には備える」
俺は視線を逸らし、窓から顔を半分だけ出す。
エリサが歩きながら腰に手を当てて、背を仰け反らすのが見えた。
俺たちは、王太子率いる本隊の後方というより、別の目的を持った部隊として組み込まれている。
二万のうち、ルナの別動隊は三千ほど。
小規模領主と二線級傭兵の寄せ集め。
見栄えはそう悪くない。
立派な旗もある。
一応の隊列もある。
ルナ王女殿下の名もある。
ただ、実際に戦うとなると、かなり頼りない。
少なくとも、ノアはそう見ているようだ。
「何か言いたいことがあるのか」
「ないよ」
嘘ではない。
俺が聞いている限り、ミストラティに対する圧迫のロジックは破綻していない。
俺より賢くて、情勢を遥かに把握している者が判断を下すのだ。
きっと、それなりに正しい。
俺は王国のやることが、なんであれ気に食わないのかもしれない。
とにかくケチを付けないと気が済まないだけかもしれない。
文句を言い続けないと、自分を保つ自信がないのだろうか。
行軍は続いた。
一日目。
二日目。
三日目。
王都を離れれば離れるほど、軍は軍らしくなっていった。
最初は華やかだった旗も、埃に汚れる。
槍の光も鈍くなる。
馬も人も疲れる。
荷車は遅れる。
遅れた荷車を待てば、全体が遅れる。
待たなければ、後で困る。
道が狭くなれば、列は詰まる。
橋があれば、渋滞する。
雨が降れば、泥になる。
泥になれば、車輪が沈む。
沈めば、人が押す。
人が押せば、腹が減る。
腹が減れば、飯を食う。
飯を食えば、荷が減る。
荷が減れば、補給がいる。
補給が遅れれば、周りから取る。
たいへん分かりやすい。
分かりやすく、ろくでもない。
「軍隊って、想像よりずっと面倒だな」
俺が言うと、ノアが頷いた。
「大軍を動かすとは、そういうことだ」
「知ってた顔で言うなよ。お前も初めてだろ」
ノアは黙った。
図星らしい。
まあ、俺も初めてだ。
現代日本で軍隊を率いたことはない。
今も率いているわけじゃないが。
だが、物流に関わる仕事はしていた。
そのせいで、妙なところが気になる。
荷の量。
道の状態。
積み替え。
滞留。
遅延。
消費速度。
現場で「なんとかしろ」と言われる類の問題。
王国軍は強そうに見える。
だが、どれだけ強くても、飯が届かなければ動けない。
魔法があっても、胃袋は魔法で満たせない。
騎士も傭兵も魔法兵も、魔力を大量に消費する者は燃費が悪い。
俺もこっちの世界に来てから、よく食う。
ルナから魔力供給を受けているはずだが、そういう問題ではないらしい。
そして飢えた軍隊は、絶対に悪さをする。
もちろん、現状でこの軍が村々を襲っているわけではない。
自国領でそんなことをするほど末期ではない。
村々は軍を見て多少は怯えながらも、物資を売った。
商人は軍について回った。
貴族たちは互いに見栄を張り、兵たちはまだ元気だった。
ルナは道中の村で何度も声をかけられた。
神託の王女。
慈悲深き姫。
サモンドを従えた巫女。
呼び方はいろいろある。
ルナはそのたびに馬車を止め、祈り、励まし、時には子どもの頭を撫でた。
俺は少し離れて見ていた。
面倒くさいと思った。
同時に、必要なのだろうとも思った。
こういうものが、民衆には効く。
旗や槍よりも効くことがある。
たぶん、統治には必要なのだ。
ここまで二十日の予定が、実際には二十三日。
通常行軍は、あくまでも通常だ。
一切のトラブルなくプロジェクトが進むなど、ありえない。
長い行軍だった。正確には、長く感じた。
途中から、日付の感覚が薄れていた。
今日が何日目かより、次の水場はどこか、次の宿営地にどれだけの空き地があるか、荷車が何台遅れているかの方が大事になる。
やがて、空気が変わった。
トラキス領を抜け、国境を超える。
兵たちの声が低くなる。
傭兵たちは逆に明るくなる。
儲けの匂いがするのだろう。
貴族たちは態度を硬くする。
これからが本番だと、誰もが知っている。
かつては大きな街だったのであろう、巨大な遺跡、というか廃墟を通過する。
そこにある石橋を渡る際、尻の独立運動は激化した。
サボエはもう近い。
さらに北には、ハンブディフ。
俺たちルナの別動隊が睨むことになる都市。
王太子の本隊は、サボエ近郊へ向かう。
ミストラティ神聖国に要求を突きつけるために。
同盟を破棄せよ。
サボエから手を引け。
言葉にすれば、それだけだ。
だが、その言葉の後ろには二万の胃袋がある。
さらに、二万を支える胃袋がある。
槍が。
馬が。
傭兵が。
娼婦が。
借金が。
証文が。
「セト」
馬車の中で、ルナが言った。
彼女は遠くを見ていた。
まだ見えないハンブディフの方角を。
「戦にならないようにしましょう」
俺は少しだけ黙った。
ここで頷くのが騎士なのだろう。
姫の理想に寄り添い、共に平和を願う。そういう場面だ。
残念ながら、俺は騎士ではない。そう呼ばれているだけだ。
だが、口に出して皮肉を言うのも、少し違う気がした。
馬車の外には、二万の軍勢が続いている。
止まるには大きすぎる。
戻るには遠すぎる。
何もせずに解散するには、金がかかりすぎている。
「そうだな」
俺は言った。
ルナがこちらを見る。
俺は窓の外へ視線を戻した。
東の空は、やけに広い。
その広さが、少しだけ怖かった。