勇者として召喚された社畜、王女による魔力供給がないと死ぬブラック環境に配属。『解析』『構築』能力を悪用して王国も正義も神も容赦なく破壊する。 作:筆負野ユウ
私は、この遠征を望んだわけではない。
不服かと問われれば、不服だった。
だが、不服だから失敗してよい、ということにはならない。
決まった以上、勝たせる。それが王太子の仕事だった。
動員計画を進めるうえで、まず考えねばならなかったのは、敵ではなかった。
トラキス公だ。
東方派閥を率いる公爵。
王国に二家しかない公爵家の一つ。
サボエへ向かうなら、彼の領を抜ける。
東方の事情に通じ、配下の貴族も多く、兵も持つ。
今回の政略において、彼を無視することはできない。
だからこそ、私は初めから警戒していた。
しかし、トラキス公は意外なほど大きな権限を求めなかった。
どこか、政略の本流からは距離を置くような態度。
配下の貴族にも充分な動員を命じた。
行軍路の整備にも協力している。
物資も出す。助言もする。
表面上は、従順ですらあった。
それが、かえって不気味だった。
彼は、この政略が失敗する可能性を見ているのか。
東方の事情に通じる彼がそう考えているなら、気をつけねばならない。
いや。
それ以上に、なにかを企んでいると考えるべきかもしれない。
だが、現状でおかしな動きはない。少なくとも、責められるような動きはしていない。
ならば、使うしかない。
不気味だから遠ざける、などという贅沢は許されなかった。
トラキス公を警戒しながら使う。それが、この政略における最初の難題だった。
そして、次の難題は、この遠征に火を着けた男。
「コスタ卿」
私は卓上の地図から目を上げた。
呼ばれた男は、静かに頭を下げる。
法衣を思わせる白い衣装の上に、旅用の外套。
汚れが目立つ色だが、野営地の土や埃を嫌う様子はない。
コスタ卿。
爵位は伯爵だが、外務卿という大臣職を務めているため、爵位より官職を取ってコスタ卿と呼ばれることが多い。
単純な信仰の男ではない。
そのことが、私には好ましくもあり、不愉快でもあった。
「はい、殿下」
「満足か」
コスタ卿は、まばたき一つせずに問い返した。
「何に、でございましょう」
「神託は二万の兵を動かした」
幕舎の外から、軍のざわめきが聞こえる。
兵。
馬。
荷車。
商人。
従者。
それらが作る、巨大な気配。
この幕舎の布一枚の外に、王国の大動員がある。
コスタ卿は首を振った。
「満足などしておりません」
「ほう」
「動かしただけでは意味がございません。動いた以上、勝たせねばなりません」
私は黙った。
その答えは、嫌いではなかった。
祈ればよい。神は見ておられる。
そのようなことを言われれば、私は顔をしかめただろう。
だが、コスタ卿はそうは言わなかった。
「神託が出たのだ。勝利は約束されている。卿は王都で寝ていれば良いのでは?」
「神託は、無償の約束ではありません。我々の努力を求めます。行動の上に約束が果たされるのです」
「祈りだけでは不足か」
「はい」
即答だった。
コスタ卿は静かに言った。
「行動には、馬が要ります。麦が要ります。金が要ります。諸侯の欲も、民の不安も、商人の帳簿も利用しなければなりません」
「ずいぶん俗な神託だ」
「俗世に降りた神託でございますから」
私は、わずかに笑った。
やはり、この男は嫌いだった。
ただの理想家であれば、軽んじることができた。
現実だけを見る者であれば、扱うことができた。
だが、コスタ卿はそのどちらでもない。
理想のために現実を見る。正義のために、俗な手段を嫌わない。
そこが厄介だった。
そして、だからこそ使える。
「使節団からの報告は読んだか」
「はい」
ミストラティ神聖国の本国へは、すでに王国の使節団が入っている。
軍をサボエ方面へ進める一方で、正式な要求はミストラティ本国へ届ける。
サボエは同盟都市に過ぎない。
こちらの外交要求を呑むか、拒むか。
その最終判断を下すのは、ミストラティ本国だ。
使節団とは早馬で連絡を取っている。
昨日届いた文面は、丁寧だった。
実に、丁寧だった。丁寧な文面というものは、時に読むことすら面倒だ。
「正式な回答には時間を要する、だったな」
「はい。神殿会議と都市評議会、双方の確認が必要であると」
「予想通りだ」
「予想通りでございます」
コスタ卿は落ち着いていた。
「ミストラティは、すぐには折れません。サボエへの面子がございます。同盟都市を前に、初手から膝を折る姿は見せられますまい」
「だが、折れる」
「折れます」
コスタ卿は断言した。
ためらいはない。
「マリリポを脅かされている以上、彼らに西で王国と争う余裕はございません。サボエは重要でしょう。けれど、直轄都市ではない。まして、こちらはミストラティ本国を攻めると言っているわけでもない」
「同盟破棄を要求している」
「名目の整え方は、いくらでもございます」
コスタ卿は、地図上のサボエへ視線を落とす。
「完全な破棄でなくともよろしいでしょう。古くからの友誼は残す。慣習上の交流は妨げない。サボエの自治も認める。そうした形で、ミストラティが顔を保つ余地はございます」
「必要なのは、ミストラティ軍の撤退だ」
私は言った。
「そして、王国軍の駐屯」
「はい」
コスタ卿は頷く。
「サボエの城壁に王国の兵が立つ。それで、誰が勝ったかは明らかになります」
そうだ。
王国への完全併合までは必要ない。
できれば最上。だが、必須ではない。
サボエが名目上、独立都市として残ってもよい。
ミストラティとの古い同盟を、言葉だけで残してもよい。
王国が求めるのは実質だ。
ミストラティとその同盟軍が退く。
王国軍が駐屯する。
王国商人が保護される。
サボエの軍事と外交に、王国が手を入れられる。
それでよい。
それで、私は勝ったと言える。
王太子として。
王家として。
神託に応えた政略として。
「問題は」
私は指先で地図を軽く叩いた。
「折れるまでに、どれほど時間を使うかだ」
コスタ卿の目が、わずかに細くなる。
同意、と受け取った。
「二万を動かしている。動かした以上、何も得ずに戻ることはできない。だが、時間をかけすぎれば、こちらが削れる」
「諸侯は待つことを嫌います」
「勝つことは好きだが、待つことは嫌いだ。費用を負担することは、さらに嫌いだ」
「人とは、そういうものです」
「卿の支持者もか」
「もちろんでございます」
コスタ卿は平然と答えた。
「信仰は、人を人でなくすものではございません。空腹になれば苛立ち、損をすれば怒り、得をすれば笑います」
「よく分かっているな」
「分かっていなければ、人を導くことなどできません」
その言葉には、少しの誇りがあった。
私は、それを聞き流した。
認めてしまえば、余計に腹が立つ。
「期限は切らん」
私は言った。
「期限を切れば、こちらが縛られる。期限を過ぎれば攻めねばならない。攻めなければ弱腰と見られる」
「賢明かと」
「だが、期限を切らなければ、ミストラティは引き延ばす」
「はい」
「だから軍を見せる。サボエの前に置く。使節団の文言だけではなく、槍と旗と馬で返答を迫る」
「それが、この政略でございます」
この政略。
その言葉に、私はわずかに息を吐いた。
政略。便利な言葉だ。
戦争ではない。
しかし、戦争を現実とする能力を見せている。
戦わずに済ませるために、戦える形を組み上げている。
言葉としては正しい。
だが、それを決めたのは私ではない。
「父上は、ご決断なされた」
私は言った。
責める口調ではない。
だが、褒める口調でもない。
コスタ卿は慎重に頭を下げる。
「陛下は、神託を重んじられました」
「卿が、重んじるべきだと申し上げたからだ」
「それも事実でございます」
否定しない。
そこが、また厄介だった。
「神託を受けながら何もせぬなら、王家の信仰は疑われます。諸侯も、民も、神託というものを軽く見るようになるでしょう」
「だから、軍を動かしたか」
「いいえ。神託が下ったから。それだけです」
「私は望んでいなかった」
私は言った。
コスタ卿は静かに受け止める。
「承知しております」
「それでも、決まった以上は勝たせる」
「はい」
「そのために、卿の協力は必要だ」
「惜しみません」
即答だった。
私はコスタ卿を見た。
嫌いな男だ。
理想を語る。
正義を語る。
神託を語る。
だが、それらに逃げ込まない。
現実から目を逸らさない。現実の醜さを、理想が汚れる理由にしない。
強い男だ。だから、嫌いだ。
「では、働いてもらう」
「そのために参りました」
「東方の教会勢力への対応は卿が担え。聖職者どもは、ケルテス伯の件でまだ熱を持っている。こちらの政略と、あの事件を結びつけすぎる者が出ると面倒だ」
「神への冒涜を裁く王家。神託に応じて東方へ秩序を示す王家。物語としては、結びつきやすいですな」
「結びつきすぎると、軍事ではなく聖戦になる」
「それは避けるべきです」
コスタ卿の返答は早かった。
「意外だな。卿なら、聖戦という言葉を喜ぶかと思った」
「今回、過度な熱狂は不要です。真に見るべき相手は魔族ではありません」
コスタ卿はまっすぐに言った。
「今回必要なのは、神の名で全てを焼くことではないのです。王国が正しき秩序を示すことです。サボエの民に、王国の支配は圧政者のそれではないと示さねばなりません」
「その点では、ルナと同じことを言う」
「ルナ殿下は、正しい」
「卿は、あれを甘いとは思わないのか」
「思います」
これも即答だった。
「ですが、甘さの中にしか、人が心から従いたいと願うものは宿りません」
「きれいなことを言う」
「きれいなものは必要です。汚いものだけで国を動かせば、最後には誰も旗を見上げなくなる」
現実を見る者が、理想を捨てない。
それは、現実だけを見ている者よりも扱いづらい。
「甘さを承知で、あれに別動隊を率いさせたと言うのだな」
「率いさせた、などとは不遜ですが、そのように王太子殿下へお願い申し上げましたな」
トラキス公と、そして、もう一つ。
対応に苦慮したのが王党派だ。
王党派の力を削ぐ。
そう言えば、あまりに露骨だ。
正確には、王党派の中で、王家が主導権を握れる形を作る必要があった。
王党派の中心が王家ではなく、公爵家であってよいはずがない。
コルミトル公爵家。
王党派の代表格であり、西方諸国との折衝に力を発揮してきた家だ。
だが、だからこそ、今回の東方政略においては留守居に回せる。
西方を任せる。
王都を任せる。
聞こえはよい。
実際、役目もある。
しかし、遠征からは外す。
コルミトル公は反発した。
当然だ。
神託に基づく政略。
近年最大の動員。
王太子自らが率いる東方遠征。
これに加わらぬということは、功績から遠ざけられるということでもある。
だが、彼を連れてくればどうなるか。
王党派諸侯のある程度は、私ではなく、彼の顔を見る。
それでは意味がない。
王党派の中心はコルミトル公ではない。
王家だ。いや、今回に限って言えば、私でなければならなかった。
そのためのカードが、ケルテス伯の失脚だった。
表向き、ケルテス伯はコルミトル公に近い王党派貴族だった。
実際には、トラキス公とも深く通じていた。
そのケルテス伯を、サモンドのセトが探っていた。
ケルテス伯の荘園で起きた一件は報告を受けていたので、すぐに関連を疑った。
良い機会なので、セトと直接の接触を持ち、利用した。
結果、ケルテス伯の館から、聖職者らを素材にした魔道具と冒涜の証拠が出た。
荘園の代官は死に、研究所は暴かれた。
これほど使いやすい不祥事もない。
セトの関与は伏せている。重要なのは、最終的に私の兵が暴いたということだ。
本来なら王党派にとって大きな傷になるはずだ。
しかし、今回は王太子である私が裁く構図だ。
王家にとっては功績で、コルミトル公にとっては傷となる。
私はその傷を使った。
王党派を割るためではない。
王党派を、王家の下に戻すために。
その時、協力者となったのがコスタ卿だった。
彼もまた、王党派の有力者だ。
ただし、コルミトル公とは違う。
権益のためだけに動く男ではなかった。
神託。
王家。
正しき秩序。
そのような言葉を、本気で信じている。
そして、信じているからこそ、それを現実に通すための手段を惜しまない。
私は、コスタ卿を好いてはいない。
だが、無能だと思ったこともない。
この遠征において、彼は条件を出してきた。
ルナを、別動隊の指揮官に任じること。
私は、その条件を飲んだ。
飲む価値があった。
本隊は私が率いる。
サボエへ圧力をかける主力。
そして、ハンブディフへ向かう別動隊はルナの指揮。
規模は三千ほど。
小規模領主と傭兵の寄せ集め。
戦闘になれば頼りない。
だが、長期的に見れば、王家にとって大きな価値がある。
ルナの名の下に、小領主たちが集まるきっかけとなる。
末端ともいえる諸侯を、王家の旗の下で動かす経験になる。
これもまた、トラキス公が大人しいからできた策だった。
トラキス公が強く権限を求めていれば、東方でこれほど王家主導の形は作れなかった。
コルミトル公が遠征に加わっていれば、王党派諸侯は彼の顔を見ただろう。
コスタ卿の協力がなければ、コルミトル公を押し切ることも難しかった。
「ルナには、サティエンス伯を付けている」
「ノア=サティエンス伯ですか。御父上が亡くなられ、正式に後を継がれたのでしたな。親子共に苦労が多い」
本気で気遣うようにコスタ卿は言う。
いや、本気なのだろう。
「サモンドもいる」
「セト殿ですな」
「あれは、役に立つか」
コスタ卿は少し考えた。
「ルナ殿下の護衛戦力としては、必死に働きましょう。大いに役立つかと」
「それ以外では」
「現状ですぐに役に立つかは、分かりません」
珍しく、コスタ卿は断言しなかった。
「ただ、ルナ殿下の傍に置く意味はあるかと」
「なぜだ」
「彼は、ルナ殿下の理想を信じておりません」
「それが意味になるのか」
「信じていない者の言葉が、役立つこともございます」
私は少しだけ笑った。
「卿は、あのサモンドを買っているのか」
「買っていますよ。ルナ殿下とは別の意味で、私も、いずれ彼とは協力できると考えております」
「卿と私のようにか。同意見だ」
セト。
あの男は、扱いづらい。
王国に忠誠を誓っているわけではない。
帰属意識すら持ち合わせていないだろう。
ルナを崇拝しているわけでもない。
そして、ときに王国の人間が口にしないことを口にする。
側に置けば、不快なこともある男だろう。
同時に、あの男は、扱いやすい。
否応なくルナに縛られる。
コスタ卿やルナのような信念は、おそらくない。
理と利を語れば受け入れる。
武だけでなく、頭も一応は使える。
そして、不快な言葉は役に立つこともある。
耳障りの良い言葉だけ侍らせるのは、賢者の振る舞いではない。
私は再び地図へ目を落とした。
二万。
サボエ。
ハンブディフ。
ミストラティ本国。
トラキス領。
王都。
駒は整っている。
整っているように見える。
私の本隊はサボエへ。
ルナの別動隊はハンブディフへ。
使節団はミストラティ本国へ。
トラキス公は、ひとまず従順。
コルミトル公は、西方に残す。
ケルテス伯の失脚により、王党派の内側には楔を打った。
ミストラティは、二正面の戦いに耐えられない。
全てが、勝つために動いている。
勝つ。
つまり、ミストラティをサボエから退かせる。
王国軍を駐屯させる。
完全な併合でなくともよい。
名目上の友誼が残ってもよい。
サボエの祭りにミストラティの代表が来ようが、古い盟約の碑を残そうが、構わない。
門に王国の兵が立つ。
それが勝利だ。
「卿」
「はい」
「ミストラティが折れた時、彼らの面子を残す文言を用意しておけ」
「すでにいくつか」
「だろうな」
「古き友誼の維持。交流。サボエ自治の尊重。王国軍の駐屯は、一時的な秩序維持のため。そうした形が使えるでしょう」
「一時的、か」
「永遠に続く一時もございます」
私は今度こそ笑った。
「やはり卿は聖職者に向いている」
「恐れ入ります」
褒めてはいない。
だが、コスタ卿は平然と受け取った。
強い男だった。
本当に。
「よい」
私は言った。
「文案を詰めておけ。使節団へ送る。こちらの勝利条件を曖昧にするな。ミストラティ軍の撤退。王国軍の駐屯。この二つは譲らん」
「承知いたしました」
「それ以外は、顔を立ててやってもよい」
「そのように」
コスタ卿が頭を下げる。
私は地図の上のサボエに指を置いた。
「これは、戦争ではない」
私は言った。
自分に言い聞かせるためではない。
この場の者に確認するためでもない。
ただ、言葉にする必要があった。
「政略だ」
コスタ卿は静かに頷いた。
「はい。そして戦争同様に、勝たせねばなりません」
私は目を閉じなかった。祈りもしなかった。
必要なものは、祈りではなく判断だ。
少なくとも、今の私にはそう思えた。
幕舎の外では、二万の軍勢が東へ進んでいる。
それを動かしたのは、神託か。
父上か。
コスタ卿か。
それとも、私か。
答えは、どれでもよかった。
動いている以上、止めるのは難しい。
ならば、勝たせる。
それが王太子たる私の仕事だった。