勇者として召喚された社畜、王女による魔力供給がないと死ぬブラック環境に配属。『解析』『構築』能力を悪用して王国も正義も神も容赦なく破壊する。   作:筆負野ユウ

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第60話 ハンブディフの聖女

ルナの別動隊は、清く正しい軍隊だった。

 

略奪は禁止。

乱暴狼藉は禁止。

民には優しく。

弱者には慈悲を。

逃げてきた者には粥を。

 

たいへん素晴らしい。

 

道徳の教科書なら、拍手喝采である。

なお、軍隊は道徳では動かない。

 

ハンブディフ近郊に布陣して、四日目。

避難民の数は、目に見えて増えていた。

 

最初は数人だった。

女。

子ども。

老人。

怪我をした男。

痩せた牛を引く少年。

背負えるだけの荷を背負った家族。

 

それが十人になり、二十人になり、今では一日に何度も列が来る。

逃げてきた民だ。

 

王国軍本隊の方で、徴発が始まっているらしい。

 

徴発。

便利な言葉である。

 

金を払えば買い上げ。

証文を渡せば徴発。

殴って奪えば略奪。

手順と書類が少し変わるだけで、同じ麦袋にも違う名前がつく。

 

なお、棍棒でぶん殴ってから、証文を渡せば徴発である。

 

「セト」

 

ルナが俺を呼んだ。

 

保護した避難民が増えてから、ルナは幕舎にいる時間より、外にいる時間の方が長い。

白を基調とした旅装は、もう白とは言いづらくなっていた。

 

袖口に泥。

裾に草の汁。

手袋に血の跡。

王女様の衣装としては、かなり減点である。

 

ただし、民衆に見せる衣装としては満点に近い。

王女が民の泥と血で汚れている。それだけで、人は泣ける。

 

「聖女様、本日も大繁盛だな」

 

俺が言うと、ルナがこちらを見た。

怒るかと思った。だが、怒らなかった。

 

少しだけ、悲しそうな顔をした。

 

「その呼び方は、やめてください」

 

「俺がやめても、あいつらは呼ぶ」

 

逃げてきた民たちの中から、すでに何度かその言葉が出ていた。

 

ハンブディフの聖女。

 

最初は、小さな呟きだった。

それを商人が拾った。

傭兵が茶化した。

兵が噂にした。

保護された民が祈るように口にした。

 

言葉は、火より早く広がることがある。

特に、飢えた人間が縋れる言葉は早い。

 

「私は、そのような者ではありません」

 

ルナは言った。

 

「だろうな」

 

俺は頷いた。

 

「聖女なら飯を増やせるだろうし」

 

ノアが目を閉じた。

彼の胃壁が一枚削れた音がした。

 

すまない。

 

少しだけ悪いと思っている。

 

少しだけ。

 

◇◇◇◇

 

布陣から四日目。

 

この別動隊は、三千ほどの兵で構成されている。

 

小領主の兵。

傭兵。

王女の護衛。

王党派から回された者。

 

寄せ集めだ。

寄せ集めなりに形は作っているが、本隊とは違う。

 

本隊には王太子がいる。

大貴族がいる。

兵糧方がいる。

文官がいる。

契約商人も、荷駄も、数が多い。

 

こちらにはノアがいる。ノアは有能だ。

有能だが、人間一人で官僚機構の代わりはできない。

 

いや、補佐する文官も二人いる。

だが、それは簡単な事務処理を担当する要員だ。

この別動隊は、基本的に兵站を本隊に頼る前提で編成されている。

 

まして、予定外の避難民を数千人も抱え込むための組織など、最初から存在していなかった。

 

避難民の数をノアに訊いたが、把握していなかった。

正確な数を誰も知らないのに、食い物だけが出ていく。

 

ぱっと見たところ、別動隊の総数、つまり三千に迫っていそうだ。

いや、超えているかもしれない。

 

どちらにせよ、三千の兵を動かすための兵站に、さらに三千近い胃袋が乗っていることになる。

 

当然、食糧事情は悪くなる。

まず、兵の粥が少し薄くなった。

次に、従者の分が削られた。

それから、貴族用の食事も少し貧相になった。

 

俺は貴族ではない。

だが、ルナのクロスであり、護衛であり、サモンドである。

扱いとしては、貴族に準ずる。

つまり、特別扱いである。

 

その俺の木皿でも、肉が少し小さくなった気がする。

 

小さい。本当に小さい変化だ。

だが、小さい変化でも嫌なものだ。

軍隊の危機は、きっと最初に食事に現れる。

 

「セト」

 

ララが隣で小さく言った。

 

「肉が小さくなったね」

 

「やっぱりか」

 

「ああ」

 

ララは真面目な顔で頷いた。

 

「粥が薄くなったって、兵士も騒いでた」

 

ララは、ルナの護衛以外の時間を、だいたい俺か兵士たちのどちらかと過ごしている。

俺もララも護衛に付いていない時とは、ルナがノアと政務に当たっている時だ。

 

羊皮紙を睨みつけて、脳から汗をかくララの姿は想像できない。

 

「兵站、うまくいってないのかな」

 

ララはそう言いながら、口に肉を放り込む。

 

「本隊に物資の申請はしてるんだろ。あの難物っぽい王太子が、難民を食わす分まで面倒見てくれるかは知らんけど」

 

「あれ? セトって王太子殿下と関りあったっけ?」

 

「……いや、そんな気がしただけ」

 

微妙に失言。

俺とレオトバイ王太子との関係は、漏らすべきではない。

 

どうも、ララ相手だと口が軽くなる。

馬鹿じゃないくせに馬鹿っぽい態度が油断を誘うのだ。

 

「まあ、物資はノアがなんとかするんじゃないのか」

 

なんとかなるのかは知らない。

なんとかしてくれないと困るが。

 

略奪を行うどころか、飢えた難民に施す聖女様に幸あれ。

 

俺はやや小さな肉切れを、惜しみ惜しみ嚙みちぎった。

 

◇◇

 

その日の夕刻、レオトバイからの返答が届いた。

ノアが送った書簡への返答だ。

 

ルナは、避難民の保護に対する協力と、食料の追加供給を求めていた。

返答は簡潔だった。

 

避難民の保護を行う必要はない。

別動隊は本来の任務を優先せよ。

ただし、徴発の判断については、現場の裁量を認める。

 

きれいな言葉だった。

だが、意味は分かる。

 

避難民を守るな。

食料は送れない。

必要なら現地で何とかしろ。

 

つまり、徴発しろ。

さらに言えば、実質的な略奪も黙認する。

 

そういうことだ。

 

「兄上は、正しいのでしょう」

 

ルナは書簡を読んで、そう言った。

 

その声は平らだった。

 

「正しいかどうかで言えば、正しいのだと思います」

 

ノアは慎重に答えた。

 

「本隊も余裕があるわけではありません。避難民の保護は、我々の本来任務ではありません。殿下が命を受けているのは、ハンブディフへの圧力です」

 

「分かっています」

 

また、それだ。

 

分かっています。

でも、やめません。

 

そう言っているように聞こえた。

 

「徴発を認める、ということですね」

 

ルナは言った。

 

「……そのように読めます」

 

「私は、しません」

 

「殿下」

 

「私は、しません」

 

ルナは繰り返した。

ノアの顔色が、また少し悪くなった。

胃袋がいよいよ独立戦争を始めそうである。

 

話を聞いていると、兵站の破綻はほぼ確定している。

 

レオトバイは全体を見ている。

ルナは目の前を見ている。

ノアはなにを見ているのだろう。

俺は木皿の上から肉が減ったのを見ている。

 

みんな違うものを見ていた。

そして、全員が少しずつ不幸になっている。

 

◇◇◇◇

 

布陣から六日目。

 

一度に大量の避難民が押し寄せるようになった。

 

村ごとの逃散が始まっているらしい。

もう、数人や十数人ではない。

 

荷車が何台も来る。

老人が戸板に乗せられてくる。

家畜を連れた者がいる。

何も持っていない者もいる。

男が少ない列もある。

男しかいない列もある。

女だけの列もある。

 

そういう違いを見るだけで、何があったか、だいたい想像がつく。

想像がつくので、詳しく聞きたくない。

 

ルナは聞く。

一人ずつ。

丁寧に。

 

どこから来たのか。

誰が怪我をしているのか。

誰が残っているのか。

誰を助けられるのか。

聞きながら、顔色が悪くなっていく。

 

それでも聞く。

本当にやめてほしい。見ているこちらの方が疲れる。

 

兵たちの不満も、もう軽い冗談では済まなくなっていた。

 

酒は、少ない。

女を買うにも、高い。

賭け事は、風紀にうるさいので、あまり大っぴらにはできない。

逃げてきた民に手を出せば処罰される。

商人の干し肉は値上がりしている。

靴紐一本まで高い。

 

そして、粥の列には兵ではなく避難民が並ぶ。

 

「俺たちの飯は」

 

兵の誰かが言った。小さい声ではなかった。

周囲が一瞬静かになる。

 

ルナにも聞こえたかもしれない。聞こえなかったかもしれない。

聞こえていても、聞こえないふりをしたのかもしれない。

 

ノアがその方向を見る。

一人の兵が目を逸らした。

 

「不満があるなら、私に言え」

 

ノアが言った。

 

「殿下の前で言うな」

 

兵は黙った。

 

命令は効いている。

まだ。

 

その日の昼、俺の食事は明らかに貧相になった。

もはや誤差ではない。

 

肉はない。

粥は薄い。

パンは小さい。

 

そして、ララの表情が険しくなった。

たぶん、俺のも険しい。

 

「ララ」

 

「なんだ」

 

「ノアに言いに行こう」

 

「何を」

 

「飯だよ」

 

「嫌だよ。ノアに睨まれたくない」

 

「俺が一人で行っていいのか? なにを言うか分からんぞ」

 

はあ、と溜め息をつきながら、ララが立ち上がる。

 

持つべきものは戦友である。

 

 

ノアは幕舎の中で、書簡と帳簿に囲まれていた。

 

顔色が悪い。

 

悪いというか、そろそろ肌の色が王国から独立しそうだった。

 

「ノア」

 

俺は声をかけた。

 

「食事が貧相になった件について、ララが文句を言いたいそうだ」

 

「セト!」

 

ララが慌てた。

 

ノアは顔を上げた。

怒るかと思った。だが、怒らなかった。

 

「……文句を言いたいのは、こちらだ」

 

ノアは低く言った。

 

「王太子殿下から、また返答が来た。状況が落ち着けば食料を回す。それまでは現場で何とかしろ、だそうだ」

 

「落ち着けばって」

 

俺は言った。

 

「落ち着いてないから食料がいるんだろ」

 

「その通りだ」

 

ノアは、乾いた声で言った。

 

「加えて、難民保護などしている余裕があると思っているのか、と叱責された」

 

「まあ、正論だな」

 

「正論だ」

 

ノアは頷いた。

 

「だから困っている」

 

本当に困っている顔だった。

 

ララは、居心地が悪そうだ。なにも言おうとしない。

こういう話題でララが役立たずなのは分かっていた。

それでも連れて来たのは、少しでもノアからの悪印象を分散するためだ。

 

「そんなにまずいのか」

 

俺は聞いた。

 

ノアは黙って、帳簿の束をこちらに押し出した。

 

「そもそも、三千人以上を養う計画がない」

 

ノアは言った。

 

「さらに、その三千人分も計画通りには届いていない。いま日々届いているのは、計画の四割程度だ」

 

「四割」

 

「商人は本隊側へ行っている。買い増しで補填できているのは、一割分程度に過ぎない」

 

「つまり、合わせて五割」

 

「そうだ」

 

「なのに消費は」

 

「……おおよそ、倍だ」

 

俺は少し黙った。

 

まずい。

これは、思っていたより本当にまずい。

 

「集積は」

 

「三千人の五日分ほど」

 

「今はそれを食いつぶしている状況か」

 

「そうだ」

 

「……これ以上、消費が増えなくても、三日でほぼ底をつくってことか」

 

俺がそう言うと、ノアは俺を睨みつけた。

 

え。

なに。

怒ってる?

 

ノアは立ち上がり、俺の両肩を掴んだ。

 

怖い。

なに?

 

「前から思っていたが」

 

ノアは言った。

 

「お前、算術に明るいよな」

 

「いや、別にそれほどじゃない」

 

「なんでもいい」

 

ノアの手に力が入る。

 

普通に痛い。

 

「頼む、助けてくれ」

 

それは、貴族がサモンドに向ける言葉ではなかった。

副官がルナの護衛に向ける言葉でもなかった。

溺れかけた人間が、近くに浮いていた板に手を伸ばす声だった。

 

ララが息を呑む。

俺はノアの手を見て、それから帳簿を見た。

 

助ける。

何を。

帳簿を。

兵糧を。

ノアを。

ルナを。

別動隊を。

 

どれも、あまり気軽に請け負いたいものではない。

だが、放っておけば、全部壊れるのだろうか。

 

「ああ、もう」

 

俺は言った。

 

「見るだけ、見てみるか」

 

助けられるとか思ったわけではない。

大学は理系だが、その程度。

 

それほどの酷い状況を、自分が把握していないのを、恐ろしいと思ったのだ。

 

◇◇

 

在庫と、現状の消費量は分かる。

かなり切り詰めたうえでの消費量だ。

 

兵の分も削っている。

従者の分も削っている。

避難民の分も薄めている。

それでようやく回している。

 

ただ、避難民の正確な人数が分からない。

増え続けている。

誰も数えていない。

そこが一番まずい。

 

「今日の配給時に人数を測る」

 

俺は言った。

 

「測る?」

 

ノアが聞き返す。

 

「数えろと言っても無理だろ。だから概算する。砂時計一回で何人が食料を受け取るか数えろ。配給場所ごとに記録する。全部終わるまで砂時計何回分かかったかも記録しろ」

 

「それで人数が分かるのか」

 

「だいたいはな」

 

「だいたいか」

 

「だいたいでいい。今は何も分からないよりマシだ」

 

ノアはすぐに人を動かした。

 

書記。

兵糧方。

炊き出しを管理している女。

保護民の整理をしている兵。

 

何人も呼ばれた。全員、顔色が悪い。

この宿営地は顔色の悪い人間で回っている。

かなり不健康な組織である。

 

その間、俺は兵站書類を書き直した。

この世界の数字は、ギリシャ数字に似ている。

計算に向いていない。

まるで向いていない。

 

計算盤を弾く者もいる。

慣れればそれなりに速いのだろう。

だが、記録に残すには弱い。

式を組むには弱い。

比較するには弱い。

 

羊皮紙と羽根ペン。

それにアラビア数字。

これだけで、俺の方が遥かに早く、正確に見える。

 

まあ、見えるだけだ。

食料は増えない。ただ、破滅の形だけは見える。

 

俺は羊皮紙に線を引いた。

 

横線。

縦線。

項目。

二重線。

 

見慣れたアラビア数字を書いていく。

この世界の者には、謎の記号に見えるだろう。

 

構わない。俺が読めればいい。

 

「これは何だ」

 

ノアが覗き込んだ。

 

「表」

 

「表には見えん」

 

「俺には見える」

 

「読めるように書け」

 

「無理。俺が読めればいい」

 

ノアは何か言いかけた。

だが、黙った。

賢い。

 

今は俺に文句を言うより、俺を使った方がいい。

俺も、今は説明するより自分でやった方が早い。

 

属人化。現代社会でも嫌われるやつである。

だが、現場が燃えている時に教育計画を立てる馬鹿はいない。

いるかもしれないが、ノアは違った。

 

やがて、配給の記録が戻ってきた。

砂時計一回で、平均七人。

配給場所は十二か所。

全員が受け取るまでに、砂時計七十回。

 

俺は羊皮紙の端に数字を書いた。

 

7 × 12 × 70 = 5880

 

「約六千人」

 

俺は言った。

 

「避難民は、だいたい六千人だ」

 

幕舎の空気が止まった。

ノアの顔色が、さらに悪くなる。

ララが口元を押さえる。

文官の一人が、小さく神の名を呟いた。

 

「概算もいいところだ」

 

俺は言った。

 

「でも、三千じゃないことだけは確かだ」

 

誰も反論しなかった。

 

「いくつか出す」

 

俺は羊皮紙に線を引き直した。

簡単な方程式で導き出せる。

Excelが欲しい。

 

過程は違えど、同じ計算のできる奴が、この世界にいないわけではない。

レオトバイの本隊には、何人もいると思う。

 

問題は、ルナの別動隊が寄せ集めで、軍の統治システムができていないことだ。

ノアと、二人の文官が補佐しているに過ぎない。

 

それで、九千人の胃袋を抱え込んでいる。

そりゃ死ぬ。

 

「ノア」

 

「何だ」

 

「聖女様のところへ行くぞ」

 

「殿下だ」

 

「はいはい」

 

真面目か。

 

いや、この真面目さがノアを支えているのだろう。

その支え、そろそろ折れそうだけど。

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