勇者として召喚された社畜、王女による魔力供給がないと死ぬブラック環境に配属。『解析』『構築』能力を悪用して王国も正義も神も容赦なく破壊する。 作:筆負野ユウ
ルナは、炊き出しの近くにいた。
粥の列ができている。
子どもが椀を持って並んでいる。
老人が咳をしている。
女が祈っている。
兵が釜の前で固まっている。
王太子の命令は届いている。
給養を止めろ。
別動隊の兵糧を民に使うな。
それでも、粥は煮えていた。
ルナは、釜のそばに立っていた。
顔色が悪い。それでも、民の前では笑おうとしている。
見ていられない。
そう思った。
その感情が、自分の中から出てきたことに少し驚いた。
いや、打算はある。
ルナが壊れれば、俺の魔力供給にも影響する。
別動隊が崩れれば、俺も危ない。
ノアが死ねば、仕事が増える。
どれも本当だ。
本当なのに、それだけではなかった。
「ルナ」
俺は呼んだ。
彼女が振り返る。
「セト」
「話がある。今じゃないと遅い」
ルナは、俺の顔をじっと見た。
俺が真面目な顔で話しかけてきたことに、少なからず驚いている。
小さく頷いた。
ノアも一緒に来た。
少し離れて、ララとエリサもこちらを見ている。
ララは心配そうに。エリサは、静かに。
俺は数字を説明した。
このままでも、あと三日で食料が尽きること。
村の逃散が始まった以上、避難民はさらに増加すること。
略奪を禁じた状態で、兵に満足な食料供給がなければ、軍が内側から崩れること。
ルナは黙って聞いていた。
途中で泣かなかった。
口を挟まなかった。
ただ、俺の言葉を一つずつ飲み込むように聞いていた。
その目が、少し怖かった。
今までのルナは、願っていた。祈っていた。助けたいと言っていた。
だが、今のルナは聞いていた。
自分の願いが、どれほど重いかを。
「現状は、六千人分の食料を九千人で食ってる」
俺は言った。
「兵には規定量を出すべきだ。そうしないと戦えない。略奪も乱暴狼藉も禁じてるんだから、せめて飯は出せ。出せないなら、軍は割れる」
ルナは小さく頷いた。
「避難民への配給はさらに減らす。兵の三割だ」
「三割」
ルナの声が揺れた。
「そもそも、魔力強化も使わない一般人が、兵と同じ量を食う計算がおかしい。三割でも、死にはしない。たぶんな」
「たぶん、ですか」
「医者じゃないからな」
少しだけ嘘が入っている。
死にはしない。そんなことはない。
病気や怪我で抵抗力の下がった者は、食料を減らせば、死ぬ確率が高くなる。
「長くは持たないかもしれない。だが、いまは長く持たせる段階じゃない。三日後に全部破綻するのを止める段階だ」
ルナは目を伏せた。
それでも、逃げなかった。
俺は羊皮紙を広げた。
ノアには読めない。
ルナにも読めない。
読めないだろうが、数字の重さくらいは伝わる。
表の一段目を、指で線引きしながら言う。
「プランその一。避難民を追い払い、略奪を黙認する」
ルナの顔が強張った。
「これは勧めない。現状でも六千人いる避難民が反乱を起こす。本当なら最初からそうすべきだったのかもしれない。だが、今からやるなら、ある程度殺して追い散らす覚悟がいる」
「それは、できません」
「知ってる」
俺は続けた。
「プランその二。避難民を追い払い、商人からの買い入れを六倍に増やす。これも勧めない。理由は一と同じだ。しかも、それだけの資金がない」
ノアが頷いた。
「ない」
「プランその三。避難民をこれ以上受け入れず、兵には規定量、避難民には三割を配る。その場合、商人からの買い入れを十二倍に増やす必要がある」
「十二倍」
ルナが呟いた。
「これは実施不可能に近い。金がかかりすぎる」
「近い、ですか」
「不可能と言い切ると、そこで話が終わるからな」
俺は四本目の線を引いた。
「プランその四。さらに避難民を受け入れる。仮に、現状の倍まで受け入れるなら、商人からの買い入れを十八倍に増やす。以降、買い入れを一倍増やすごとに、千人ほど受け入れられる」
ノアが呻いた。
「もっと金がかかる」
「そうだ」
「そんな資金があれば苦労はない」
「だろうな」
ノアは、額に手を当てた。
「六倍の資金でも、五日で尽きる」
「六倍の資金で六倍の麦を買えるわけないだろう」
俺は言った。
「買い付けを増やせば値も上がる。商人は慈善団体じゃない」
ルナは、しばらく黙っていた。
それから、顔を上げた。
「ノア、この計算をどう思いますか?」
「……私に、この計算を理解できるだけの算術の心得はありません。しかし、感覚的な乖離はありません。きっと、正しいのだと思います」
「……それで、セトのお勧めは?」
「ない」
俺は即答した。
ルナの目が揺れる。
「全てを解決できる方法なんてない。俺は現実を数値化しただけだ。計算で麦は増えない」
ルナの唇が、かすかに震えた。
「……私を詰《なじ》るために、こんな複雑な計算までしたんですか?」
「そうじゃない」
俺は言った。
少し、声が強くなった。
自分でも意外だった。
「ルナ。王太子から、徴発の裁量権を貰っていたよな」
ルナとノアが、そろって困惑した顔をした。
「ええ」
ルナが答える。
「現場の判断を認める旨の……」
俺は頷く。
「それで商人から徴発しろ」
ノアが目を見開いた。
「商人から?」
「そうだ」
「待て、セト。商人からの徴発自体は、珍しくない。だが、駐屯地や戦地まで物資を届ける契約商人の物資を徴発するなど、慣習上あり得ない。そんなことをすれば、商人が二度とこの別動隊の元に来なくなる」
「証文を渡して奪い取るだけなら、そうだろうな」
「どういう意味だ」
「ノア、現在の食料相場は?」
「……ハンブディフでは八倍から十倍に近い。サボエでも似たようなものだろう」
「なら、十五倍の値をつけてやれ」
ノアが固まった。
「徴発ではなく、買い上げるのか?」
「形としては徴発だ。裁量権を使う。ただし、値をつける」
「だから、そんな資金があるわけないだろう」
「王女、いや、王家の約束手形をつけるんだよ。そのために裁量権を使う」
幕舎の外で、誰かが咳をした。
遠くで馬が鳴いた。
粥の匂いが、まだ漂っている。
「つまりは、無茶な値を付けての借金だ」
俺は続けた。
「裁量をねじ曲げて、拡大解釈する」
王家の家族カードで勝手に買い物をする。
高貴な血筋の信用を、切り売りすることにもなりかねない。
まあ、ご先祖様の遺産をありがたく使わせていただこう。
「そんな無茶な」
ノアが言った。
「そう言っているだろう。他に案はあるか?」
俺は言った。
「避難民は増え続けてる。現状じゃ、あと三日だぞ。今すぐ決めろ」
ノアは反論できなかった。
ルナも黙っていた。
「早馬を飛ばして、サボエやその後方にいる商人に布告する。食料を持ち込めば十五倍。支払いは王家の手形。ルナの名で出す。ノア……サティエンス伯の名も添える。後日の王都払いだ。通商上の便宜でも、王家御用の看板でも、餌にできるものは全部餌にする」
「兄上は、そこまでのつもりで裁量をお認めになったわけでは……」
ルナが唇を震わせたまま言った。
「だから?」
「兄上の命に背きます」
「もう背いてる」
ルナは息を呑んだ。
俺は続けた。
「避難民への供給を三割に減らしても、買い付けを増やさないと四日しか持たない。ぎりぎりだ。布告して、商人が動いて、食料がここに来るまでにも数日かかる。今、決めないと間に合わない」
ルナは、俺を見ていた。
いつものように感情だけで反発しなかった。
泣かなかった。
逃げなかった。
考えていた。
その顔を見て、少しだけ分かった。
ルナは頭が悪いわけではない。
ただ、自分の願いをどうやって現実に置けばいいのかを、知らない。
力が必要だというところまでは辿り着いている。
だが、力がどういう形をしているのかを知らない。
剣。
兵。
神託。
王家の血。
そういうものだけではない。
帳簿。
証文。
相場。
裁量権。
言葉のねじ曲げ。
そういうものも力だ。
「セト」
ルナは静かに言った。
「あなたは、私が間違っていると思いますか」
「思う」
「それでも、力を貸してくれるのですか」
俺は少しだけ黙った。
ここで茶化せば、楽だった。
聖女様に頼まれたら仕方ない。
王女殿下のご命令なら。
供給源が壊れると困るから。
いくらでも逃げ道はある。
だが、ルナは逃げていなかった。
なら、俺だけ逃げるのは少し違う気がした。
「見てられないからな」
俺は言った。
ルナの目がわずかに揺れた。
「お前のやってることは、たぶん馬鹿だ。破綻してる。王太子の命令も分かる。でも、お前がここで全部やめたら、それはそれで何かが壊れる」
「何か、ですか」
「俺には、うまく言えない」
本当に、うまく言えなかった。
民心。
名誉。
理想。
ルナの心。
そういう言葉にすれば、それらしい。
だが、もっと単純だった。
目の前で、本気で手を伸ばしている女がいる。
その手を、俺は払えなかった。
「だから、少しだけマシにする」
俺は言った。
「奇跡じゃない。救済でもない。借金でその日の麦を買うだけだ。それでも、その日の粥は出せる」
ルナは、俺を見ていた。
目が、泳いでいた。
長い沈黙の後、彼女は頷いた。
「……分かりました」
声は震えていなかった。
しかし、まだ迷いがあることは隠せていなかった。
「私の名で、証文を出します」
「殿下」
ノアが言った。
ルナはノアを見る。
「ノア。これは、兄上の命に背くことです」
「……はい」
「あなたにも迷惑をかけます」
「それは、もう充分に」
ノアが疲れた声で言った。
ルナは少しだけ、申し訳なさそうに笑った。
「ごめんなさい」
「謝罪より、決裁をください」
ノアの返しが、かなり末期だった。
俺は少し笑いそうになった。笑わなかった。
「セト」
ルナが再び俺を見る。
「私は、ただ救いたいと願うことしかできませんでした」
「そうだな」
「でも、あなたは、その願いをどうすれば少しでも形にできるかを考えてくれた」
それは違う。
そう言いかけた。
言いかけて、やめた。
「勘違いするなよ。これは民を救う解決策じゃない。王家の信用を質に入れて、今日の粥を買うだけだ」
俺は言った。
「明日も同じことをする。明後日もする。そのたびに借金は膨らむ。商人は笑う。王家の名前には値札が付いている。俺の案を実行すれば、大安売りの開始だ。今後、値はどんどん下がる」
ルナは黙って聞いていた。
「王家の名の値が下がり切れば、商人は去っていく。残るは膨大な借金と、飢えた兵と民だ」
ルナは、俯かない。
真っすぐに俺を見ている。
「それでも、今日は粥が出せる」
そう言ったのは、俺だった。
言ってから、少し嫌になった。
俺はこいつの理想を信じていない。
綺麗ごとで軍隊が動くとも思っていない。
飯が減るのも嫌だし、兵が荒れるのも困る。
ルナが壊れれば、俺も困る。
それでも。
目の前で、泥と血に汚れながら、まだ誰かを助けようとしている馬鹿を見ているのは、思ったより気分が悪かった。
それが事実だ。
俺は、そんな綺麗なことをしたいわけではない。
破綻しかけた現場を延命するために、帳簿を引いて、証文で未来の借金を作るだけだ。
ルナの願いを叶えたわけではない。
願いが腐るまでの時間を、少し延ばしただけだ。
だが、ルナは真剣だった。
「ありがとう、セト」
その礼は、たぶん間違っている。
それでも、悪い気はしなかった。
それが、一番たちが悪かった。
◇◇◇◇
採用されたのは、プランその四に近い方針だった。
可能な限り食料を買い付ける。
可能な限り避難民を受け入れる。
避難民への配給は減らす。
兵には規定量を出す。
王女の名で証文を出す。
伯爵であるノアの名も添える。
早馬を飛ばし、サボエやその後方にいる商人へ布告する。
ハンブディフの聖女に食料を納めた者には、元の相場の十五倍ほどの値をつける。
支払いは後日。
王都払い。
王家の信用。
聞こえはいい。
実態は、かなりまずい。
俺は魔法使いではない。
いや、魔法はよく使っていたな。
だが、麦を増やす魔法は知らない。
全てを解決して、丸く収める方法などない。
目の前の破滅を、少し先へ押し出しただけだ。
商人たちは、思った以上に素早く食いついた。
当然と言えば当然だった。
旬の聖女様が出される証文 ~サティエンス伯の名を添えて~。
場合によっては、通商上の便宜。
王家御用の看板も応相談。
そして、ハンブディフの聖女に食料を納めたという評判。
商人という生き物は、信仰と名誉と利益を別々に勘定できる。
そして、必要なら全部まとめて帳簿に載せる。
優秀だ。かなり嫌な意味で。
「これで、しばらくは持つ」
ノアは、俺の作った謎の表を見て言った。
いや、見てはいない。見ようとしているだけだろう。
「読めるのか」
「読めない」
「だろうな」
「だが、お前がこの表を引いた後、物資の流れは見えるようになった」
「俺にはな」
「だから、お前が見ろ」
「丸投げかよ」
「助けてくれと言ったろ」
ノアは開き直っていた。
胃が限界を超えると、人間は少し強くなるらしい。
「すでに確保できた分で、三日は伸びた」
俺は言った。
「商人が約束通りに持ってくれば、さらに伸びる。途中で反故にする奴が出たら詰むかも」
「信用できる商人は」
「信用するな。競わせろ」
「なるほど」
ノアが真面目に頷いた。
やめろ。
俺をまともな軍師みたいに扱うな。
俺はただの元サラリーマンだ。
しかも、出世欲の薄いタイプだ。
責任ある立場に置いてはいけない。
「まずいことにならない?」
隣から声がした。
エリサだった。
いつの間にか近くに来ている。
「分かってる」
俺は言った。
「ほんとうに?」
エリサは、俺の表ではなく、炊き出しの列を見ていた。
「食料供給を減らされた避難民が、どう思うか考えてる?」
俺は一瞬、返答に詰まった。
「……そりゃ、いい気はしないだろうが」
「うん」
「飢え死にするよりマシだろ」
「甘いと思うけど」
エリサは淡々と言った。
責める口調ではない。
ただ、見えているものを言っただけ。
「私の考え過ぎならいいんだけどね」
考え過ぎ。
そうならいい。
俺は炊き出しの列を見た。
避難民たちは、まだ椀を持って並んでいる。
粥は出る。
ただし、薄くなる。
量も減る。
昨日まで助けてくれた聖女が、今日から少しずつ削る。
人間は、それをどう受け止めるのか。
分からない。
俺は、そこまで見えていなかった。
目の前の破滅を数字にした。
数字にした破滅を、先へ押し出した。
それだけだ。
「すごいな、セトは!」
ララが、やたら嬉しそうに言った。
なぜかノアに向かって。
「ノア、見たか。セトは戦うだけじゃないんだ」
「そうか。そうだな」
ノアは死んだ目で答えた。
「ルナ様もノアも、セトの使い方が分かってきたんじゃない?」
「そうかもな」
「でしょう?」
使い方って言うな。
なぜお前が得意げなんだ。
しかし、ララは本当に嬉しそうだった。
俺が役に立ったことを、まるで自分の手柄みたいに喜んでいる。
やはり、悪い気はしない。
その素直さは、少し眩しい。
ふと、エリサを見る。
彼女は、いつの間にか少し離れたところにいた。
荷車に腰掛けている。
こちらを見ていた。
ララのようには笑っていない。
「エリサ」
俺が呼ぶと、彼女は少し遅れて瞬きをした。
「なに」
「いや。静かだなって」
「ララ様がうるさいから」
「それはそう」
ララが「え、私?」と振り返った。
ノアが目を閉じた。
もう何も聞きたくない、という顔だった。
エリサは少しだけ笑った。
でも、その笑みはいつもより薄かった。
何か言おうとして、やめた。
俺も、聞こうとして、やめた。
今は、やることが多すぎた。
商人との契約。
配給の記録。
保護民の数。
王太子への報告。
ルナの独断の言い訳。
全部、これからだった。
ルナの願いは、まだ叶っていない。
ただ、帳簿に載った。
証文になった。
借金になった。
それだけだ。
俺は、ルナの善意に協力した。たぶん。
いや、違う。
俺は、ルナの善意の愚行に、帳簿と証文を与えた。
共犯。
そんな言葉が、少しだけ頭をよぎった。
ルナは、少し離れたところで民に声をかけている。
その横顔は、まだ憔悴していた。
それでも、数日前と比べれば、だいぶマシなように見えた。
これで救えた。
とは、誰も言わなかった。
ただ、その日の粥は出せた。
明日も、粥は出せるだろう。