勇者として召喚された社畜、王女による魔力供給がないと死ぬブラック環境に配属。『解析』『構築』能力を悪用して王国も正義も神も容赦なく破壊する。 作:筆負野ユウ
予定の半分も届いていない。
その報告を受けた時、私はしばらく声を出せなかった。
怒鳴るべき相手はいる。
兵糧方。
荷駄を管理する者。
街道警備を任された者。
諸侯からの供出を取りまとめる者。
契約商人。
いくらでもいる。
だが、怒鳴ったところで麦は増えない。
怒鳴り声で兵が満腹になるなら、王国軍はとうに世界を征服している。
「もう一度、数字を言え」
私は言った。
兵糧方の役人は、顔色を悪くしたまま書類を読み上げた。
麦。
豆。
塩。
乾肉。
飼葉。
酒。
薬草。
替えの靴。
弓弦。
矢束。
数字は並んだ。
どれも、足りていない。
帳簿の上では足りていた。王都を出る前には、足りるはずだった。
半年の準備期間があった。
諸侯には物資の準備を義務付けた。
王家も買い上げた。商人とも契約した。輸送路も整えた。
トラキス公にも協力させた。
それでも、前線に届いた物資は、予定の半分に満たない。
ある程度の目減りは覚悟していた。
輸送中に傷む。
遅れる。
馬が倒れる。
荷車が壊れる。
雨で道が崩れる。
盗まれる。
横流しされる。
別の部隊に回される。
どれも想定していた。
だが、想定していたという言葉は、想定を超えた時には何の慰めにもならない。
「調査は」
「行わせております」
「解決は」
役人は、口を閉じた。
それで答えは分かった。いますぐには無理だ。
私は書類を卓へ置いた。
二万の兵。
それを支える従者、商人、職人、女、馬。
全てが食う。
寝ているだけでも食う。
動けばさらに食う。
待てば待つほど食う。
そして今、我々は待っている。
ミストラティは、まだ折れない。
使節団からの返答は、相変わらず丁寧だった。
丁寧で、慎重で、礼を尽くし、何も決めない。
「諸侯の様子は」
「不満が出ております」
「出ている、か」
「はい」
隠しもしなくなったらしい。
当然だった。
諸侯は兵を出した。
馬を出した。
食料を出した。
金を出した。
そして今も、出し続けている。
勝利の果実が見えるなら耐える。
しかし、今回の果実は決して大きくはない。
神託は、腹も倉も満たさない。
サボエの城壁を眺めながら、使節団の返事を待ち、麦の値段だけが上がっていく状況に、いつまでも耐える者はいない。
「商人からは」
「購入しております」
役人は、私に求められるまでもなく、取引記録を差し出した。
目の前の羊皮紙へと目を落とす。
私は息を吐いた。
王都でも、物価は上がっていた。
行軍路でも上がった。
ここサボエでは、さらに跳ねた。
数倍。品によっては、それ以上。
戦は、始まっていない。
だが、市場はもう戦時になっている。
契約商人は、軍に随伴している。
そこで食料も、武具も、靴も、女も調達できる。
金さえあれば。
金がいる。
兵を食わせるにも。
馬を食わせるにも。
傭兵に払うにも。
商人から買うにも。
何をするにも金がいる。
金が足りなければ、金になるものを奪う。
金銀。
衣服。
家財。
農具。
そして人間。
人は、食うためなら何でも持っていく。
「無理に止めれば、軍が割れるな」
私は呟いた。
誰も答えなかった。
答えられる者はいない。
略奪を許せば、民心が離れる。
サボエを得た時、王国は怨嗟の声ごと土地を受け取ることになる。
だが、略奪を厳しく禁じれば、諸侯と兵が持たない。
兵糧が届かない。
商人の値は高い。
諸侯の負担は膨らむ。
それでも奪うなと言えば、軍は内側から崩れる。
軍隊とは、一か所に長く留めておくものではない。
分かっていたつもりだった。
今、思い知っている。
私は大軍を率いている。
飢えかけた獣の手綱を握っている。
◇◇◇◇
布陣から十五日が過ぎた頃には、サボエ近郊の村々から奪えるものは目に見えて減っていた。
いや、村々が減っていた。
「昨日も、報告が上がっているだけで二村が空になりました」
報告役が言った。
「逃散か」
「はい。我が軍によるものではありません」
我が軍の将兵が、物理的に殺し尽くしてしまったのではない。
なるほど、それは吉報だ。村を消したのは、我々ではなく、村人自身だ。
逃散した村人達が、周辺の者が、そう見てくれるかは別問題だが。
「反乱は」
「小規模なものが六件。徴発隊が襲われました。死者は八名」
「こちらの死者か」
「はい」
私は目を閉じそうになり、やめた。
目を閉じても報告は消えない。
私は地図を見た。
サボエ周辺は、少しずつ空白になっている。
物が消える。
畑が剥がされる。
井戸が汚れる。
家畜が食われる。
そして、人が逃げる。
逃げた先には、逃げてきた者たちと、その姿を見た者たちの怨嗟が広がっていく。
このままサボエを得たとして、王国は何を得るのか。
都市。
城壁。
関税。
商人。
そして、それらを包む憎悪。
悪くない取引だ、と言える者もいるだろう。
実際、国家とはそういうものを飲み込んで大きくなる。
だが、いまの王国にそれだけの政治、経済的な余裕があるか。
目の前の二万の胃袋すら持て余しているというのに。
便所の増設に関する報告書を手に取る。
現状、食料問題に次ぐ急務と言って良い。
汚物の処理が全く追いついておらず、暫定的に駐屯地を分散させる対応を取った。
結果、諸将に対する手綱を緩めることとなった。
彼らは住人のいなくなった土地に見切りをつけ、ミストラティの影響圏、その更なる奥地へ獲物を求めた。
もはや、私の監視も届かなくなりつつある。
その地で行われる狼藉が、更に凄惨なものになっていくことは想像に難くない。
「殿下」
伝令が入ってきた。
受け取った書簡はノアから定期の報告だった。
ルナには、避難民の保護を停止するよう、何度も命じている。
副官のノアにも、何度も釘を刺している。
しかし、ルナはそれを拒絶していた。
ノアは、あれでルナの忠臣だ。
ルナの立場が悪くなることは望まないが、ルナの意思を正面から無視するようなこともない。
あまり喜ばしい内容は書かれていないだろう。
そう、覚悟はしながら書簡を広げる。
ハンブディフの周辺まで、本隊から出た徴発隊による略奪が及んでいる。
ルナは狼藉を許していない。
近隣から逃れてきた民を保護している。
その数は増えている。
食料も与えている。
一部では、ルナをハンブディフの聖女と呼ぶ声まである。
私は、報告書を読み終えた後、しばらくなにも考えられなかった。
思考が戻ってくると同時に軽くない眩暈を覚え、折り畳み椅子の肘置きを掴む。
ルナらしい。
あまりに、ルナらしい。
そして、愚かだ。
いや。
愚か、と切り捨てるには正しい。
この地獄に近い国境地帯で、ルナだけが狼藉を許さず、逃げてきた民を保護している。
民は救われる。
王国軍への怨嗟は、少なくとも彼女の周りでは薄まる。
ハンブディフの城壁から見れば、王国にも慈悲があるように見えるかもしれない。
それは価値だ。
間違いなく価値がある。
だが。
「食料は、どこから出ている」
私は呟いた。
幕舎の中に、重い沈黙が落ちた。
ノアは無能ではない。
ルナは兵站を理解していないかもしれないが、ノアは理解している。
略奪を許さず、なお民を保護し、食料を与える。
この状況で、それを可能にする方法は多くない。
私に思いつく方法は、一つしかなかった。
胃の奥が冷えた。
「書記」
「は」
「ルナへ書け」
私は言った。
「保護民への給養をただちに止めよ。新たな保護も禁じる。別動隊の兵糧を、民の救済に使うな。これは王の代理人としての命令だ」
書記の手が止まった。
「決して、柔らかく書くな」
私は続ける。
「サティエンス伯にも写しを送れ」
「は」
「副官として、実施状況を逐次報告させろ。兵糧の保全を最優先とするよう念を押せ」
分かっている。
筋の良い命じ方ではない。
ノアはルナの副官だ。監視役ではない。
だが、ルナは止まらない。
止まらないのなら、周囲から押さえるしかない。
ノアには酷だが、板挟みになってもらおう。
「は。承知しました」
ルナは怒るだろう。
泣くかもしれない。
私を責めるかもしれない。
それでも構わない。
民を救うために軍を飢えさせるわけにはいかない。
そして、どんな方法で食料を調達しているにせよ、ろくな方法ではない。
私の想像と違ったやり方であったとしても、続けさせるわけにはいかない。
私は報告書を卓に置いた。
◇◇◇◇
布陣から二十五日。
「使節団より早馬です」
受け取った書簡は、また丁寧だった。
ミストラティ本国は、王国側の文案を高く評価した。
サボエ自治の尊重に理解を示した。
古き友誼の維持にも賛意を示した。
王国商人の通行保障にも、協議の余地を認めた。
ただし、王国軍の駐屯については、サボエの自由と安全保障に関わるため、さらなる検討が必要とした。
ミストラティ軍の撤退については、過去の盟約との整合性を確認する必要を説明した。
要するに、何も飲んでいない。
「美しい文面ですな」
コスタ卿が言った。
「中身がなければ、文面は美しくなる」
私は書簡を卓に投げた。
「ここまで王国の忍耐を試すか」
「そうまで粘る事情が腑に落ちませぬな」
「卿もそう思うか」
「はい」
コスタ卿は珍しく、すぐには言葉を続けなかった。
彼も、何かを測っている。
「面子だけではないな」
私は言った。
「ミストラティがサボエへの義理を示す。そこまでは分かる。実際に我が軍が迫るまで、国内政治も動かない。それも分かる。しかし、使節を往復させ、会議を重ね、言葉を整え、最後には譲歩する。そう見ていた」
「はい」
「だが、長い」
「長すぎます」
コスタ卿は頷いた。
「サボエには、同盟都市の兵を中心に、千ほどが入っているとの報告でしたな」
サボエの兵数を気にする。
つまり、コスタ卿は、最悪を考え始めている。
私は、喉奥に苦い物がこみ上げるのを知覚し、僅かに話をずらす。
「半年前から察知していた、ということだ」
「それはそうでしょうな」
半年。
こちらが準備していたように、向こうも見ていた。
王家が馬を買う。
穀物が動く。
鍛冶屋が忙しくなる。
諸侯が兵を集める。
隠し通せるはずがない。
大軍とは、秘密に向かない。
ならば、ミストラティは備えていた。
備えていた上で、引き延ばしている。
なぜか。
「時間そのもので、我々を攻めているのか」
私は呟いた。
コスタ卿がこちらを見る。
「どういう意味でございましょう」
「どうせサボエを失うなら、王国が得るサボエの価値を落とす」
口にした瞬間、考えが形になった。
「軍を長く留めさせる。諸侯の不満を溜めさせる。兵を飢えさせる。略奪を誘う。一帯を棄損する。王国軍の評判を落とす。民心を離れさせる」
私は言いながら、両の手を握り締める。
「王国が手に入れるのは、荒れた土地と怨嗟の声だ。統治は困難になる。ミストラティはサボエを失っても、王国に重荷を背負わせられる」
コスタ卿は、しばらく黙っていた。
やがて、静かに言う。
「あり得ます」
「悪くない策だ」
「感心なさるのですか」
「実際、苦しめられているからな」
私は息を吐いた。
そう考えれば、ミストラティの粘りにも意味が出る。
ただ面子のために時間を稼いでいるのではない。
時間を稼ぐこと自体が、こちらへの攻撃になっている。
「しかし、それはミストラティにとってはドラゴンの尾を跨ぐような話です」
古い言い回しだ。
しかし、適切だろう。
「こちらの意図を読み切っていたのかもしれん」
「意図の想像はつくでしょう。しかし、そこまで思いきれるものでしょうか」
確かにそうだ。
王国に本格開戦の意図はない。
ミストラティはそう確信していた。
だとしても、だ。
普通はこれほど危険な橋を渡らない。
本格開戦になれば、困るのはミストラティも同じだ。
いや、ミストラティのほうが、状況は絶望的となる。
しかも、これは起死回生の一手ではないのだ。
我々に対する嫌がらせに過ぎない。
いや。
敵に対する嫌がらせ。
それは国家の成すべき事業だ。
軽く見るべきではない。
敵は恐るべき胆力で、それを実行に移した。
それほどまでに追い詰められている。
ミストラティは、存亡の危機と判断している。
敵は、こちらの意図を正しく読んだ。
敵の意識を、我々はどこか軽く見ていたのかもしれない。
私は、最悪に備えなければならない。
最悪の手札も、切る覚悟をしなければならない。
◇◇◇◇
布陣から三十五日。
「圧を強めるべきです」
軍議で、最初にそう言ったのは西方の中堅領主だった。
若くはない。
戦場も知っている。
言葉には苛立ちがあった。
「このまま待てば、我らだけが削られます。サボエは、我らがこの地に立っていることに慣れてしまう。ミストラティも時間を稼ぎ続けましょう」
別の領主が続く。
「痛みを見せるべきです。サボエを囲み、城外については焼き払う。面子を潰せば、向こうも本気で考えます」
「略奪を奨励せよ、ということか」
既に半ば黙認しているではないか、と自嘲する。
「兵には食わせねばなりません」
正論だった。
厄介なことに、正論だった。
「商人から買うにも、価格が上がりすぎております。いや、そもそも品が薄い。諸侯が負担を続ければ、兵を維持できませぬ」
「だから奪わせろと?」
「……あまり、申し上げたくございませんが、商人がハンブディフへ流れております。相場を大きく超える証文が出ているとの話も。ここ、サボエへ集まる物資はますます減っております」
ルナの名前は出さない。
しかし、その意図は明白だ。
ルナが食料を高値で買い集めているため、商人はそちらを優先する。
結果、こちらへ回す食料は減り、価格も暴騰する。
そもそも民を保護することで、食わせる対象が増えているのだ。
必要な食料の総量が増えている。
そんな状況で、保護民に食わせる食料に高値を付けるということは、兵より保護民を優先するに等しい。
王家は保護民に食わせる。貴様らは飢えろ。
私はいま、そう言っているのかを問われている。
「……ルナには、給養の停止をあらためて申し付けている。皆には苦労をかける」
ルナ。
口にその名を出してみて、思う。
このやり方は、ルナではない。
あのやり方は、ルナの発想ではない。
いや、いまはそれよりも。
諸将の険を含んだ視線が刺さる。
こんな言葉では誰も納得しない。
分かりきっている。
しかし、この情勢でルナの軍権を剥奪し、王家を割るわけにもいかない。
ハンブディフへの荷を差し止めれば、王家自身が王女の証文を踏みにじることになる。さらに、商人の反感を買うことにもなる。
私にできることは限られてきた。
「サボエを封鎖する」
私は言った。
こちらを注視する者たちの目が、わずかに光る。
「本格的な攻囲ではない。攻撃は禁じる。だが、サボエへの軍需物資、ミストラティ兵の出入り、同盟軍の補給路を封鎖する」
「本格開戦の一歩手前です」
コスタ卿が言った。
「分かっている」
ミストラティが補給の強行でもすれば、そのまま開戦ともなりかねない。
「それでも」
そう。
それでも。
「こちらの本気を示す必要がある」
私は続けた。
「ハンブディフにも同じことをさせる。ルナへ命じる。ハンブディフを封鎖する」
「ルナ殿下は、苦しまれるでしょう」
コスタ卿が言う。
苦しむだろう。
だが、そんなことは、やらない理由にならない。
「合わせて、徴発については、各自の裁量を認める」
諸将の目が、今度はぎらりと輝いた。
なんのことはない。
『略奪を自由に行え』の言い換えに過ぎない。
軍はもう動いている。
勝たせねばならない。
◇
軍議が終わった後、私は幕舎を出て、遠くに見えるサボエの城壁を眺めた。
最悪の場合は、サボエを力攻めする。
その考えが、頭から離れなくなっていた。
最悪だ。
門を破れば、修復が要る。
壁を崩せば、守るべき都市に穴を開けることになる。
市街に火が出れば、得るはずの富を自ら焼くことになる。
それだけではない。
サボエを力で落とせば、これはもはや政略では済まない。
ミストラティ神聖国との本格的な開戦となる。
講和が結ばれるまで、かなりの軍を張りつけねばならない。
サボエを守り、周辺を押さえ、ミストラティの反撃に備える。
その出費は、いつまで続くか誰にも分からない。
何のために、ここまで戦わずに勝つ形を探ってきたのか。
高い。
あまりに高い。
だが、選択肢から消すことはできなかった。
こちらが本気であると示すには、力攻めに移れる態勢を見せねばならない。
剣を抜かぬために、剣の柄へ手をかける。
政略とは、そういうものだったはずだ。
幕舎へ戻ると、あえていつもより少し大きく声を張った。
「書記を呼べ」
私は命じた。
使節団への文書。
サボエ前面の軍への命令。
ハンブディフ方面の別動隊への命令。
トラキス公への通達。
諸侯への徴発免状。
一つ命じれば、十の文書が必要になる。
十の文書を書けば、百の抜け道が生まれる。
それでも、命じるしかない。
サボエを封鎖する。
ハンブディフも封鎖する。
ルナの愚行を止める。
商人の価格を監視する。
ミストラティには圧を強める。
どれも必要だった。
どれも遅いかもしれなかった。
ミストラティは折れる。
それは変わらない。
変わらないはずだ。
だが、折れるまでの時間を、これ以上好きには使わせない。
軍は、まだ剣を抜いていない。
だが、鞘に収めた剣を、相手の喉元へさらに近づける。
それは戦争ではない。
まだ、戦争ではない。