勇者として召喚された社畜、王女による魔力供給がないと死ぬブラック環境に配属。『解析』『構築』能力を悪用して王国も正義も神も容赦なく破壊する。   作:筆負野ユウ

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第63話 折れぬ理由

使節団への書簡を出した翌朝、最初の報告が届いた。

 

物見の隊長は、泥のついた外套のまま膝をついていた。

馬を潰す寸前まで駆けてきたのだろう。額の汗と、外套についた泥がまだ乾いていない。

 

――ミストラティ軍、東より接近。

 

その報告を聞いた時、私はまだ驚かなかった。

 

ミストラティにも面子がある。

サボエは同盟都市だ。

そこに王国軍が迫っている以上、何もしないわけにはいかない。

 

無理を押して、同盟都市の軍を出してきたか。

あるいは、旗を見せるための部隊か。

少数のアマゾネスが含まれているかもしれない。

 

相手の規模にもよるが、対応する部隊を出すべきだろう。

あえて無視をすることで、大軍の威を見せつける手もある。

 

そんなことを、考えていた。

 

「数はおよそ五千」

 

物見の隊長は続けた。

 

「見る限り、全て騎兵。旗印から見て、ミストラティ本国軍と見られます」

 

幕舎の空気が、わずかに揺れた。

 

私は、その言葉の意味をすぐには理解できなかった。

 

耳には届いた。

単語も分かった。

 

五千。

騎兵。

本国軍。

 

だが、それらが一つの報告として結びつかなかった。

 

「もう一度、言え」

 

私の声は、自分で思ったより低かった。

 

物見の隊長は、同じ言葉を繰り返した。

 

幕舎の中が静まり返った。

誰も言葉を挟まなかった。

いや、挟めなかったのだろう。

 

私も同じだった。

 

ミストラティ神聖国。

アマゾネスの国。

 

魔族と呼ばれ、強兵と恐れられる国。

その本国軍が、こちらへ向かっている。

 

「全て騎兵、だと」

 

「確認できる範囲では」

 

「同盟都市軍ではないな」

 

「違います。旗印は本国軍のものです」

 

五千の騎兵。

本国軍。

 

それは、顔を立てるための小部隊ではない。

同盟都市への義理を示すだけの旗でもない。

 

ミストラティの主力だ。

 

「馬鹿な」

 

誰かが呟いた。

 

その言葉は、私のものではなかった。

だが、私の中にも同じ言葉があった。

 

馬鹿な。

 

ミストラティに、その余裕があるはずがない。

 

彼らは東に、より重い戦線を抱えている。

マリリポを巡って、パールス部族連合と交戦している。

 

だからこそ、我らはここまで来た。

 

サボエへの義理。

神聖国としての面子。

国内政治。

 

それらが彼らを粘らせることは分かる。

簡単に膝を折れないことも分かる。

 

だが、最後には折れる。

そう読んだ。

 

王国と戦うということは、二正面を抱えるということだ。

マリリポを抱えたまま、西で王国と本格的に衝突する。

 

その危険を、彼らが分からないはずがない。

 

「マリリポは」

 

私は問うた。

 

「パールスが迫りつつあるとの報告です」

 

幕僚の一人が答えた。

 

「落ちたという報告は」

 

「ございません」

 

「パールスが退いたという報告は」

 

「それも、ございません」

 

ならば、なぜだ。

 

もちろん、報告がないから、そういった事実がないとは言い切れない。

 

だが少なくとも、私のもとに届いている報告は、私の読みを否定していない。

 

マリリポは危うい。

パールスは退いていない。

ミストラティは、東に重い戦線を抱えている。

 

そのはずだった。

なのに、五千の本国軍がこちらへ来ている。

 

「なぜだ」

 

声に出ていた。

 

誰も答えなかった。

答えられるはずがない。

 

ミストラティの神殿会議でなにが語られたのか。

都市評議会がなにを議論したのか。

サボエとの間で、どのような協議があったのか。

 

この場の私には、分からない。

分からないが、敵軍は消えない。

理解できないからといって、五千の騎兵が霧になるわけではない。

 

 

「敵軍との距離は」

 

「そのままの速度なら明日には接触します」

 

明日。

幕舎の中の空気がさらに重くなった。

 

明日。

外交の言葉が、槍と矢に変わるまでの猶予。

 

短すぎる。だが、猶予があるだけまだよい。

 

私は地図を見た。

 

サボエ。

王国軍本体。

東から来るミストラティ本国軍。

 

地図の上では、ただの線だった。

だが、その線が意味するものは、私の考えていた最悪よりも悪かった。

 

こちらから剣を抜くかもしれない。

それが、私の想定していた最悪だった。

 

サボエを封鎖する。圧を強める。

ミストラティがなお折れなければ、力攻めに移る。

 

それは高くつく。

都市を傷つける。軍を張りつけねばならなくなる。

 

それでも、まだこちらが剣を抜く話だった。

 

こちらが抜くか、抜かぬかを選ぶ話だった。

 

だが、ミストラティは向こうから剣を抜いた。

 

「殿下」

 

別の伝令が進み出た。

私は視線だけを向ける。

 

「北東より、別の敵軍がハンブディフ方面へ向かっております」

 

言葉の意味を理解するまで、一呼吸が必要だった。

 

「数は」

 

「およそ五千。ただし、こちらは歩兵が中心です。旗印は複数。ミストラティ同盟都市の軍勢をかき集めたものと思われます」

 

五千。

 

また、五千。

 

「到着は」

 

「五日ほどかと」

 

五日。

 

まだ時間がある。

そう考えかけて、私は自分の甘さを噛み潰した。

 

五日しかない。

 

ハンブディフ方面にいるのは、ルナの別動隊だ。

三千ほど。小領主と傭兵を中心にした寄せ集め。

正面戦力としては、頼りない。

 

ノアは有能だ。

だが、あれ一人で軍が別物になるわけではない。

 

ルナの名は兵を集める。

民を惹きつける。

弱者に希望を与える。

 

だが、敵の五千を弾き返す盾にはならない。

 

「別動隊が抜かれれば」

 

私は呟いた。

 

誰も続けなかった。

続ける必要がなかった。

 

東からはミストラティ本国軍。

 

五千を少ないと言える者は、戦場を知らない。

歴史を知らない。

物を知らない。

 

アマゾネスの弓騎兵は、時に数倍の敵軍を振り回す。

簡単な相手ではない。

 

そこに、側面へも敵。

本体は、二方面、サボエの守備隊も入れれば三方面を気にしながら戦うことになる。

 

それだけは避けねばならない。

 

「書記」

 

私は言った。

 

「は」

 

「ルナへ命令を出す」

 

書記が羊皮紙を広げた。

 

「ハンブディフを落とせ」

 

書記の手が、一瞬だけ止まりかけた。

 

私は構わず続ける。

 

「ただちに攻城に移れ。攻めながら投降を勧めよ。有力者の権益保護も全面的に認めて構わん。だが、時間をかけるな。敵援軍が到着する前に、ハンブディフを確保せよ。確保後は城内に入り、防備を固めろ」

 

「は」

 

「それと、先に出した命令を徹底させろ。保護民への給養は止める。兵糧は攻城と防備に回せ」

 

自分の言葉が、冷たく聞こえた。

 

ルナは怒るだろう。

いや、怒るだけで済めばよい。

 

彼女は悩む。

傷つく。

私を冷酷だと思う。

 

構わない。

 

今、私が守らねばならないのは、ルナの心ではない。

王国軍だ。

 

「サティエンス伯には別で書け。命令の実施を徹底せよ。ルナが躊躇うなら、副官として押せ。ハンブディフの確保が最優先だ」

 

「は。承知しました」

 

酷な命令だった。

ルナにも。

ノアにも。

 

だが、酷でない命令など、今の私には残っていない。

 

「本隊は」

 

コスタ卿が言った。

 

私は地図へ視線を戻した。

 

「サボエの抑えに二千を残す」

 

ざわめきが起きた。

 

「少なすぎます」

 

幕僚の一人が言った。

 

「囲うわけではない。守備隊への抑えだ」

 

「しかし、その数ですと、サボエが打って出る恐れもございます」

 

「出てきたら、それはサボエが城壁を捨てるということだ」

 

私は言った。

 

「城内にいるから、まだ意味がある。野に出れば、二千でも叩ける」

 

もちろん、完全な安全などない。

二千でサボエを押さえるなど、盤石とは言えない。

 

だが、戦場に盤石などない。

あるのは、より悪くない選択だけだ。

 

「本隊は東へ出る。敵本国軍を迎え撃つ」

 

「野戦でございますか」

 

コスタ卿が言った。

 

「向こうが野戦を選んだ」

 

私は答えた。

 

「ならば、受けるしかない」

 

サボエの城壁前で待つこともできる。

だが、もちろん、そんなことはしない。

 

城内の敵。

東から来る敵。

北のハンブディフ方面。

 

全てを同時に気にしなければならない。

 

ならば、こちらから場所を選ぶ。

 

サボエ東方には丘陵地帯がある。

なだらかな丘が連なり、広く展開できる場所もある。

軽騎兵が自在に駆け回るには、起伏が邪魔になる。

 

完全に有利とは言わない。

だが、平原でアマゾネス騎兵を迎えるよりはよい。

 

「東の丘陵地帯へ向かう」

 

私は地図の一点を指で押さえた。

 

「この一帯で最も大きな丘を取る。そこに布陣する。敵は騎兵だ。上を取れば、少なくとも一方的に蹂躙されることはない」

 

「重装騎兵は」

 

「温存する」

 

即答した。

 

「ミストラティ騎兵は弓を使う。こちらが初手から重騎兵を出せば、間合いを保たれて削られる。まずは弓と魔法、盾で受ける。守る戦いになる」

 

自分の声が、少しずつ戻ってくるのが分かった。

 

分からないことは多い。

 

ミストラティがなぜ戦うのか。

なぜ本国軍を西へ出せたのか。

東で何が起きているのか。

 

分からない。

 

だが、戦い方は分かる。

 

敵は騎兵。

こちらは数で勝る。

重装騎兵もある。

歩兵もいる。

弓兵も魔法兵もいる。

 

こちらは丘を取る。

敵は攻める。

 

ならば、受けて、削る。

 

まずは、それでよい。

 

「諸侯へ命令を出せ。略奪に出ている部隊を呼び戻せ。戻れる者は全て戻せ。連絡がつかぬ者は捨てる」

 

また、幕舎がざわついた。

 

私は構わず続ける。

 

「今、旗下の兵を率いて勝手に動いている者に、こちらから迎えに行く余裕はない。戻らぬ者は、この戦に間に合わぬ。それだけだ」

 

怒る者はいるだろう。

言い訳する者もいる。

後で責任を擦り付ける者もいる。

 

それも構わない。

今は、集められる兵を集める。

 

「トラキス公へも伝えろ。本隊と共に東へ。公には右翼を任せる」

 

「トラキス公を、ですか」

 

コスタ卿が言った。

含むもののある声だった。

 

「当然だ。ミストラティ軍を知っている。兵も持っている。使わぬ選択肢はない」

 

「信を置かれるので」

 

「置かぬ」

 

私は言った。

 

「だから近くに置く」

 

コスタ卿は、僅かに頭を下げた。

それ以上は言わなかった。

 

伝令が走る。

書記が羊皮紙へ命令を書きつける。

侍従が印を運ぶ。

幕舎の外で角笛が鳴る。

 

軍が動き始める音がした。

 

人の声。

馬の嘶き。

鎧の金具。

荷車の車輪。

誰かが怒鳴り、誰かが走り、誰かが祈る。

 

政略は終わった。

 

いや、終わってはいない。

戦争もまた政略の一部だ。

そう言うことはできる。

 

だが、もう言葉だけではない。

 

明日、人が死ぬ。

 

◇◇◇

 

翌日。

 

私は、サボエ東方の丘陵地帯に本隊を布陣させた。

 

なだらかな丘が波のように連なっている。

見通しは悪くない。大軍が展開できる広さもある。

 

軽騎兵が完全に力を発揮できる平原ではない。

だが、騎兵が動けないほどの悪地でもない。

 

互いに不満の残る地形。

だからこそ、こちらにとってはまだよい。

 

王国軍は、一帯で最も大きな丘を取った。

正面に弓兵と魔法兵。

その前に盾持ち。

側面に歩兵。

後方に重装騎兵。

 

四千の重装騎兵。

すなわち、王国の誇る騎士たち。

魔力で強化され、鎧をまとい、槍を構え、馬ごと敵を砕く者たち。

 

本来なら、これほどの兵を並べた時点で、多くの敵は顔色を変える。

だが、今日の相手はミストラティだ。

 

アマゾネスの本国軍。

幼い頃から戦いを叩き込まれた者たち。

 

近隣諸国において、弓騎兵といえば、まずケンタウルスの名が挙がる。

だが、ケンタウルスは人馬一体の種族だ。

馬に乗る者としてなら、アマゾネスこそ最上と評する者もいる。

 

私は、ケンタウルスと戦ったことはない。

だから比較はできない。

 

だが、目の前に現れるであろう相手が、弱いはずはなかった。

 

「兵数は」

 

私は尋ねた。

 

幕僚が答える。

 

「現在、丘に布陣できているのは一万を少し超える程度です」

 

「少ないな」

 

「略奪に出ている部隊の戻りが遅れております。連絡のつかぬ部隊も多数」

 

本来なら、サボエの抑えに二千を残しても、一万五千ほどは揃うはずだった。

 

それが一万少々。

 

略奪部隊が敵地深くまで入り込んでいる。

旗下全軍を連れて出た下級貴族もいるという。

物資を求め、金を求め、悦楽を求め、遠くへ行った。

 

罵ることはできる。

だが、罵ったところで兵は戻らない。

 

補給事情は、悪い。

丘へ持ち込めた食料は二日分。それしかなかった。

 

後方の市には、まだ物がある。

商人もいる。だが、商人は矢が飛ぶ場所まで荷を持っては来ない。

 

金を払えば何でも来る。それは平時の考えだ。

 

戦場へ物を運ばせるには、金だけでなく、安全と道と見込みがいる。

我々には、その全てが足りない。

 

加えて、ルナの別動隊へ食料が流れている。

 

あちらで保護民が膨れ上がっていることは知っていた。

商人たちは儲かる方へ動く。

王女の名で支払いが保証され、慈善の名目も立つなら、なおさらだ。

 

本隊に流れるはずだった物資の一部が、ハンブディフへ向かった。

 

ただ、結果だけがここにある。

このまま長引けば、我々は飢える。

 

「殿下」

 

物見が丘を駆け上がってきた。

 

「敵影を確認。東より接近。数はおよそ五千。全て騎兵です」

 

来たか。

 

私は丘の上から東を見た。

 

なだらかな丘陵。

風に揺れる草。

ところどころに低い灌木。

 

昨日までなら、ただの地形だったもの。

その向こうに、動く影が見えた。

 

最初は黒い線だった。

やがて、それが粒になり、列になり、馬影になった。

 

旗が上がる。

 

ミストラティ神聖国の旗。

同盟都市の雑多な旗ではない。本国軍の旗。

 

本当に来た。

 

報告ではない。

推測ではない。

書簡でもない。

地図上の駒でもない。

 

ミストラティの主力が、そこにいた。

 

「弓兵、魔法兵を前へ。盾持ちを厚くしろ」

 

私は命じた。

 

「重装騎兵は動かすな。合図があるまで待機」

 

「は!」

 

命令が伝わる。

 

丘の上で、王国軍が形を変えていく。

盾が並ぶ。

弓が構えられる。

魔法兵が杖を握る。

騎士たちは馬上で待つ。

 

四千の重装騎兵。

正面からぶつかれば、多くの敵を砕ける。

 

だが、今は動かさない。

 

動かせば、敵は逃げる。

逃げながら射る。

追えば疲れる。

疲れれば乱れる。

 

弓騎兵とは、そういう相手だ。

 

ミストラティ騎兵の列が、丘陵の間から広がっていく。

 

速い。

だが、乱れていない。

 

薄くなる。

広がる。

それでいて、崩れてはいない。

 

まるで水が地形に沿って流れるように、丘と丘の間を抜け、こちらの射線を測っている。

 

「射程を見誤るな」

 

私は言った。

 

「奴らは近づきすぎない。こちらが焦れて前に出るのを待つ」

 

幕僚が頷く。

兵たちにも伝わっていく。

 

敵の一騎が前へ出た。

 

遠い。

 

だが、その騎兵は馬上で弓を持ち上げた。

馬の速度を落とさない。身体だけが、しなやかに傾く。

 

まだ遠いはずだった。

 

弓が引き絞られる。

 

その動作が、やけに鮮明に見えた。

 

風が吹く。

旗が鳴る。

誰かが息を呑む。

 

アマゾネスの弓が、丘の上の王国軍へ向けられていた。

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