勇者として召喚された社畜、王女による魔力供給がないと死ぬブラック環境に配属。『解析』『構築』能力を悪用して王国も正義も神も容赦なく破壊する。   作:筆負野ユウ

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第65話 今日と明日

明日では遅い。

 

そう思った。

 

パールス軍が明日には届く。

物見の報告が正しければ、そうなる。

 

ならば、明日まで待つという選択肢はない。

 

夜に動くこともできない。丘陵地帯の夜は、味方の位置すら曖昧にする。

まして、相手はミストラティの軽騎兵だ。

暗闇で追えば、隊列は乱れる。乱れたところを射られ、分断され、消耗する。

 

だから夜襲はない。

 

ならば、今だ。

 

日が落ちるまでの、このわずかな時間。

 

ミストラティ騎兵には疲れが出ている。

馬の返しが遅い。丘を登る勢いが鈍い。弓を引く間合いが乱れている。

 

彼女たちは、ここまで行軍してきた。

そのまま戦っているに近い。

 

こちらは受けていた。

盾持ちも、弓兵も、魔法兵も疲れている。

だが、交代させている。

 

敵は走り続けた。

こちらは回した。

 

差は、今、出ている。

 

明日ではない。

夜明けでもない。

 

今だ。

 

「殿下」

 

コスタ卿が声をかけた。

 

「分かっている」

 

私は言った。

 

何が、と問われる前に続ける。

 

「今しかない」

 

コスタ卿は黙った。

その沈黙は、同意に近かった。

 

「パールスが明日来るなら、明日では遅い。夜は動けぬ。ならば、日があるうちにミストラティを叩く」

 

口に出すと、考えは形を持った。

 

敵は、こちらを丘に縛りつけるつもりだった。

援軍を待つつもりだった。

こちらの兵糧を削り、時間を削り、明日を待つつもりだった。

 

ならば、明日を与えてはならない。

 

「殿下」

 

幕僚の一人が言った。

 

「ただちに、ですか」

 

「そうだ」

 

私は答えた。

 

「敵の疲れが見えている。今なら動ける。日没までに崩す」

 

「崩せなければ」

 

「後退を考える」

 

言葉は苦かった。

だが、迷う必要はない。

 

「深い打撃を与えられればよし。ミストラティ軍を戦えない形にできれば、明日、パールスだけを相手にできる。そこまで届かなければ、トラキス公の言う通り、一当てして退く」

 

幕僚たちが顔を見合わせた。

 

トラキス公。

 

その名が出たことで、空気がわずかに変わった。

 

「公の進言は、諸卿も聞いているな」

 

幕僚の一人が頷いた。

 

「パールス軍の接近が事実であるならば、このまま戦場に留まるのは危険。犠牲は覚悟でミストラティ軍に一当てし、戦果を得た上で、全軍をサボエ方面へ後退させるべき、とのことですな」

 

戦果を得た上で後退。

 

言葉としては、悪くない。

 

ミストラティ軍に打撃を与える。

王国軍は怯えて逃げたのではない、戦って退いたのだと示す。

パールス軍が到着する前に、兵をまとめ直す。

サボエの抑え、略奪から戻った部隊とも合流できる。

 

理はある。

 

だから、腹が立った。

 

トラキス公は、初めからこの戦を好んでいない。

東方を中央に荒らされたくない。

中央の主導でサボエを得られることも、望んではいない。

 

王国軍が傷つき、王太子である私の権威が削れれば、彼の影響力は相対的に増す。

 

だが、それだけではない。

 

彼は、この土地を知っている。

ミストラティを知っている。

パールスの恐ろしさも知っている。

 

だからこそ、撤退を言う。

 

打算だけではない。

臆病だけでもない。

私を陥れるためだけの進言でもない。

 

そのことが、なおさら腹立たしかった。

 

「進言には理がある」

 

私は言った。

 

幕僚たちが黙る。

 

「だが、今そのまま退くことはできない。何も得ずに下がれば、何が残る」

 

サボエは落ちない。

ミストラティ軍は残る。

パールスは迫る。

ハンブディフの別動隊は危うい。

諸侯は動揺する。

兵は、魔族を前にして退いたと思う。

 

「一当てはする」

 

私は言った。

 

「ただし、軽く当てて退くためではない。崩すために当てる」

 

軽く当てて、軽く退く。

そんな都合のよい戦場はない。

トラキス公も、そんなことは言っていない。

 

ミストラティ騎兵は、こちらを丘から下ろしたい。

それは分かる。

 

ならば、こちらが下りた瞬間、敵は食いつく。

射る。

散らす。

追わせる。

 

一当てのつもりが、崩れになる可能性がある。

だからこそ、半端はできない。

 

動くなら、全体を動かす。

敵の疲労が見えている今、押し潰すつもりでかかる。

 

「重装騎兵は」

 

「まだ動かすな」

 

私は即答した。

 

「まずは弓と魔法を厚くする。交代で休ませていた兵も前へ出せ。三班全てを使う」

 

「全て、ですか」

 

「今が使い時だ」

 

ここで負ければ、明日などない。

夜もない。

 

今、使わずにいつ使う。

 

「盾持ちも前へ。消耗した者は後ろに下げるな。支えられる者は全て支えろ。前列を厚くする」

 

「は」

 

「ミストラティ騎兵を、こちらの火力で押し込む。近づいた敵を確実に落とせ。ある程度の無駄撃ちは許す。今までのように待ちすぎる必要もない」

 

私は右翼を見た。

トラキス公の旗は、まだ少し後ろにある。

 

その位置は、不自然ではない。

不自然ではないからこそ、腹立たしい。

 

「トラキス公へ伝令」

 

私は言った。

 

「今度こそ戦線へ加われ。右翼を前へ出し、射撃に参加せよ。これは王の代理人としての命令だ」

 

「は」

 

「言い訳は聞かぬ。今、動かなければ、敵の到着後に右翼単独でパールスを受けてもらうと伝えろ」

 

幕僚の一人が、わずかに目を見開いた。

 

脅しだ。

だが、嘘ではない。

 

トラキス公がこのまま後ろで測り続けるなら、敵が増えた時、最も危険な場所へ置けばよい。

それが嫌なら、今、戦線に加われ。

 

「強すぎる言い方では」

 

コスタ卿が言った。

 

「今は、それでよい」

 

私は答えた。

 

「公は理由を整える。ならば、こちらも理由を与える」

 

トラキス公は無能ではない。

だからこそ、分かるはずだ。

 

このまま後ろにいる方が危うい。

王太子の命令に背き続ける方が、後で高くつく。

 

そう思わせる。

 

「伝令、行け」

 

伝令が走った。

 

◇◇

 

王国軍の前列が動き始めた。

 

弓兵が増える。

魔法兵が増える。

盾持ちが前へ厚く出る。

 

いままで交代で休ませていた兵を、まとめて出した。

火力を、厚くする。

 

ミストラティ騎兵も、その変化に気づいた。

 

丘の裾を走る群れの動きが、わずかに乱れる。

こちらの矢が増えた。

石の矢が増えた。

火球が増えた。

 

空を飛ぶものの数が、明らかに変わった。

 

アマゾネスたちは散った。いつも通りだ。

だが、散り方が少し荒い。

 

疲れている。

 

見える。

 

「狙うな。面で押せ」

 

私は言った。

 

「初撃から当てようと思うな。囲むように撃て」

 

弓兵長が声を張る。

魔法兵の指揮官が、杖を振り上げる。

 

矢が飛ぶ。

石が飛ぶ。

火が落ちる。

 

丘の下で、草が焼ける。

馬が跳ねる。一騎が大きく外へ逸れた。

 

別の一騎が、石の矢を受けて馬上で揺れた。

落ちない。だが、姿勢が崩れる。

 

そこへ王国の矢が二本、続けて刺さった。

 

今度は落ちた。

 

王国兵から歓声が上がる。

 

「騒ぐな。続けろ」

 

私は言った。

 

だが、止めきれない。歓声が大きくなる。

兵たちの空気が変わる。

 

先ほどまで、遠い矢に削られていた兵たちが、今度はこちらが押していると感じ始める。

 

それでよい。

 

戦場では、事実だけでは人は動かない。

感覚が要る。自分たちは勝てる、という感覚が。

 

それは時に危うい。

だが、今は必要だった。

 

「トラキス公、動きます」

 

幕僚が言った。

 

私は右翼を見る。

トラキス公の旗が、ゆっくりと前へ出ていた。

 

遅い。遅すぎる。

 

だが、動いた。

 

右翼の弓兵と魔法兵が戦線に加わる。

丘の右側からも、矢と魔法が飛び始めた。

 

ミストラティ騎兵の動きが、さらに乱れる。

 

これでよい。

 

ようやくだ。

 

「敵正面、下がります」

 

物見が叫んだ。

 

ミストラティ騎兵の一部が、丘の裾から離れ始めている。

大きく崩れたわけではない。だが、距離を取り始めた。

 

疲労。

損耗。

こちらの火力増大。

右翼の参戦。

 

理由はいくつもある。

 

どれでもよい。

 

敵が下がる。

その事実だけで充分だった。

 

「まだだ」

 

私は言った。

 

重装騎兵の方を見る。

 

騎士たちは待っている。

槍を握り、馬を抑え、今か今かとこちらを見ている。

 

まだだ。

 

もう少し。

 

敵が下がる。

こちらの火力を避ける。

距離を取ろうとする。

その動きが、逃げに変わる瞬間。

 

そこだ。

 

「正面の魔法兵、さらに前へ」

 

「は!」

 

「盾持ち、支えろ。弓兵は撃ち続けろ。右翼、遅れるな」

 

命令が次々に飛ぶ。

戦場が動いている。

 

先ほどまで、こちらは丘の上で受けていた。

今は、丘の上から圧をかけている。

 

ほんのわずかな差だ。

 

だが、戦場では、そのわずかな差が兵の心を変える。

 

ミストラティ騎兵の列が、波打った。

 

一つの群れが、丘の陰へ逃げるように消える。

別の群れが、それに釣られる。

さらに後方の騎兵が間合いを取り直そうとして、横へ流れる。

 

乱れた。

 

完全な崩れではない。

だが、先ほどまでのように整ってはいない。

 

「重装騎兵」

 

私は言った。

 

周囲の空気が変わった。

 

「前へ」

 

命令が伝わる。

 

騎士たちが動き出す。

馬が鼻を鳴らす。

槍が揃う。

 

まだ突撃ではない。

前進だ。

 

丘を下るには早い。

こちらの隊列を崩してはならない。

 

だが、敵に見せる必要がある。

王国の重装騎兵が、動いた。

その圧を。

 

ミストラティ騎兵の動きが、さらに大きく揺れた。

 

彼女たちも知っている。

王国の騎士が、ただの飾りではないことを。

 

魔力で強化された馬。

鎧。

槍。

重量。

 

正面から受ければ、軽騎兵は砕かれる。

だからこそ、彼女たちは距離を保っていた。

その距離を、削る。

 

「まだ追うな」

 

私は言った。

 

「突撃命令を待て」

 

早まれば、罠になる。

遅れれば、機を逃す。

 

難しい。

 

だが、ここだ。

ここで取らねばならない。

 

「殿下」

 

幕僚が言った。

 

「敵左翼、後退しています」

 

「敵中央も距離を取っています」

 

「後方の荷馬付近に動きあり」

 

情報が重なる。

私は戦場を見た。

 

ミストラティ騎兵は、下がっている。

散りながら。

乱れながら。

だが、完全には崩れていない。

 

上手い。

本当に上手い。

 

逃げているように見える。

だが、逃げ切れる距離を保っている。

 

こちらを誘っているのか。

ただ、押されているだけなのか。

 

だが、迷っている時間はない。

 

ふと、遠くの丘を見る。

僅かに、敵の幕舎が見える。

 

その周囲に荷が積まれていることは、物見の報告で分かっている。

麦か。

豆か。

飼葉か。

 

何であれ、食料である可能性は高い。

 

敵は時間を使うつもりだ。

そのための準備もしている。

だからこそ、今、決めたい。

 

そして、あの幕舎まで進めば、ある程度の食料が手に入る。

食料さえあれば、丘の上で粘れる時間が伸びる。

 

東には、明日の敵がいる。

 

パールスが来る。

 

今、ここでミストラティを叩けなければ、明日はこちらが叩かれる。

 

「重装騎兵」

 

私は言った。

 

声が乾いていた。

 

「突撃準備」

 

騎士たちの槍が下がる。

馬が前脚で地を掻く。

 

丘の下では、ミストラティ騎兵がさらに距離を取っている。

 

逃げる敵。

待っていた騎士。

迫る日没。

明日のパールス。

 

全てが、一点に集まっていた。

 

私は息を吸った。

 

「行け」

 

その一言で、王国の重装騎兵が動いた。

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