勇者として召喚された社畜、王女による魔力供給がないと死ぬブラック環境に配属。『解析』『構築』能力を悪用して王国も正義も神も容赦なく破壊する。 作:筆負野ユウ
サボエ近郊の王国軍陣地へ着いたのは、ハンブディフを発って三日目の夕刻だった。
二日で着くはずの道に、三日近くかかった。
味方の陣へ戻った。
そのはずなのに、出迎えられたという感じはしない。
街道の両脇に旗が立っている。
王太子直属軍。
各地の諸侯。
騎士。
傭兵団。
数だけなら、まだ軍勢らしく見えた。
従士が折れた旗竿を抱えたまま、ぼんやりと立っている。
隊長を探してか、同じ場所を何度も行き来する兵がいる。
鎧を脱ぐ気力もないのか、道端へ座り込んだ騎士もいた。
天幕の間では負傷者が呻いている。
地面へ敷かれた外套の上に、脚や腕を固定された男が並んでいた。
その少し先には、もう医官が寄りつかない者たちがまとめられている。
俺たちへ歓声を上げる者はいなかった。
何人かがルナを見た。立ち上がろうとした兵もいたが、途中で諦めた。
ルナは馬上から頭を下げた。
それだけだった。
俺にも、何を言えばいいのか分からない。
三日前まで、俺たちはハンブディフが降るかどうかを気にしていた。
今となっては、ずいぶんと小さな話に思えた。
◇◇
ハンブディフの態度の硬化を使者が持ち帰ったその日。
返答自体は、前日と同じだった。
検討中。
「皆が、妙に落ち着いておりました」
使者はそう言った。
昨日まで顔色の悪かった役人が、今朝は胸を張っていた。
守備兵の動きにも張りが戻っている。
俺たちが知らない、なにかが起こった。
そう考えたしばらく後、早馬が来た。
サボエ東、丘陵地帯での会戦において、戦況は我が方に優位に推移せしが、作戦の最終局面に至り、パールス軍による不測の介入が発生。
これがミストラティ軍の残存兵力と予期せぬ合流を果たしたため、戦域の兵力均衡が一時的に変動せり。
敵軍の攻勢は苛烈を極めたが、我が本隊は敵の意図を破砕するため、予備計画に則り転進を敢行。
現在、サボエにて速やかに、部隊の再編を行っている。
なるほど。
まったく分からない。
いや、分かる。
パールスがミストラティへ加勢した。
レオトバイの本隊は負けた。
再編が必要なくらい、派手に負けた。
命令の方は簡単だった。
ハンブディフ攻略を中止。
別動隊は即時撤収し、サボエ方面の本隊へ合流せよ。
「鳩か」
城壁を見ながら呟く。
「ハンブディフには、俺たちより先に伝わってたんだろ」
伝書鳩か。狼煙か。それ以外か。
正確な方法は分からない。
だが、向こうは、王国本隊の敗北を知っていた。
だから態度が変わった。
もう降る必要がない。
仮に俺たちがハンブディフを落としても、敵地の中で孤立するだけだ。
王国軍は城を維持できない。
近づいている援軍を迎え撃つ余裕もない。
昨日、俺は明日中に降伏しろと脅した。
評議会は、それまでに返答すると約束した。
その期限を待てなくなったのは、こちらだった。
ルナは城壁を見ていた。
やがて、その視線を避難民へ移す。
「彼らは……」
言葉が止まった。
ノアが答える。
「連れてはいけません」
「では、ここに残ることは」
「無理だよ」
俺が口を挟んだ。
「食料がない。敵の援軍も来る。仮に残って敵を追い返せたとして、その後はどうするんだ」
ルナが俺を見る。
「王国軍がここに居座る方が、あいつらにとって迷惑だろ」
言い返されるかと思った。
ルナは何も言わなかった。
避難民の列では、ペトルが村の者たちを押しとどめていた。
イリナは子どもたちのそばにいた。
俺は残せる麦袋を回していた。
約束を守ったと言える量ではない。
約束を忘れていないと示せる程度だ。
ペトルは荷袋を見た。俺を見た。
それから、何も言わずに頭を下げた。
俺たちはハンブディフの返答を待たず、城壁へ背を向けた。
◇◇
サボエまでの道に、人の姿はなかった。
村は残っている。
家もある。
畑もある。
かまどには灰が残っていた。
だが、鍋も食料も家畜も消えている。
収穫期を迎えかけた黒麦は刈られ、まだ青い豆まで根ごと抜かれていた。
王国軍へ残すくらいなら、持てるだけ持って森へ逃げたのだろう。
いや、王国軍が持って行ったのかもしれない。
井戸の一つには糞が投げ込まれていた。
別の井戸には、腹を裂かれた犬が沈められていた。
街道は三度塞がれていた。
倒木。
岩。
横倒しにした荷車と、掘り返した土。
兵が取り除く間、行軍は止まる。
森の奥で枝が鳴った。
視線を向けても、人影は見えない。
姿を見せる気はないらしい。
ハンブディフの前へ集まった避難民とは別の人間だろう。
あの避難民たちは、少なくともルナから食料を受け取った。
城壁へ向かってルナが頭を下げる姿も見た。
この道沿いの住民にとって、俺たちはただの侵略軍だった。
井戸を潰す。
道を塞ぐ。
それだけで行軍に支障が出る。
ルナの隊ですら、この扱いだ。
略奪と狼藉を繰り返した本隊が、同じ道を敗れて戻ればどうなるか。
あまり考えたくなかった。
◇◇
現在、サボエの城壁には、ミストラティ側の旗が掲げられたままだ。
王国軍は城を攻めてはいない。
少数の部隊を城壁側へ残し、守備隊が打って出るのを抑えている。
主力は東を向いていた。
その向こうに、ミストラティとパールスの連合軍がいる。
敵は攻めてこない。
王国軍も動かない。
その間に、陣内では帰国の準備が進んでいる。
荷車は西向きに並べ直されていた。
壊滅した部隊の残兵が所属ごとに集められ、指揮官の残る近縁の軍勢へ仮に預けられている。
陣の奥へ進むほど、トラキス公と、その派閥に属する諸侯の旗が増えた。
隊長がいる。
伝令が行き先を知っている。
号令が出れば、まとまって動く。
王太子直属軍の旗の下には、それがない。
簡単に言えば、指揮系統が崩壊しているのだろう。
「随分、トラキス公派が幅を利かせてるな」
俺が言うと、ノアの表情が硬くなった。
「幅を利かせている、で済めば良いが」
「どういうこと?」
ノアは周囲を確かめ、声を落とした。
本隊がどう敗れたのか。
ハンブディフからの道中でも報告は届いていたが、俺が聞いていたのは断片的だった。
ミストラティ軍は、射撃戦の後に崩れたように退いた。
王国軍は好機と見て追撃を行った。
ミストラティ軍は反転し、突出した騎士を各個に包囲した。
救援の歩兵も前へ出た。
戦列は伸び、各隊の連絡が切れた。
そこへ、翌日到着するはずだったパールス軍が現れた。
予測より一日早く。
「あの巨体で、通常の軽騎兵より速く進むとは、物見も考えなかったらしい」
ノアの声には、物見を責める調子はなかった。
人間の常識で到着時刻を見積もった。
その常識が間違っていた。
「トラキス公の軍は?」
ノアは言葉を選んだ。
「少なくとも、他の軍の騎士が丘の向こうで包囲されている間、公爵の旗下は大きく動かなかった」
結果として、トラキス公派の軍勢は戦力を残した。
王国軍の戦列が崩れた後、温存した兵力で追撃を牽制し、敗残兵を収容した。
各隊をまとめながら、サボエまで後退した。
王太子の軍が壊れた。
トラキス公の軍は残った。
だからいま、陣内の再編を差配しているのも彼らだ。
「王太子殿下が総司令官であることに変わりはない」
ノアは言った。
「だが、命令を実行できる軍勢の多くが、トラキス公の旗下にある」
王太子は頭だ。
だが、手足の多くをトラキス公から借りている。
なるほど。
それで、どの旗も妙に大きく見えるわけだ。
◇◇
陣地の入口で、俺たちの到着を確認していた騎士が膝をついた。
「王女殿下。御身のご無事、これに勝る果報はございません」
ルナが微笑んで挨拶を返すと、騎士が続けた。
「各旗下の兵数と、負傷者の状況をお願いいたします」
儀礼もそこそこに実務の話。
これにはノアが答える。
「出発時、三千余。戦闘は行っていないが、行軍中の脱落者が数十。詳細は点呼後に提出する」
書記が羊皮紙へ記録する。
「別動隊は、到着をもって本隊の行軍序列へ編入されます。各諸侯、騎士団、傭兵団の編制は維持したまま……」
「待て」
ノアが遮った。
「誰の命令だ」
「王太子殿下の御命令です」
答えたのは、騎士ではなかった。
荷車の間から、一人の男が歩いてくる。
泥の跳ねた外套。
袖には乾いた血。
所々、傷の付いたプレートアーマー。
それでも、王宮で見た時と同じように背筋を伸ばし、敗軍の中を自分の庭でも歩くように進んでくる。
マリウス=グーリン伯爵。
以前、トラキス公の隣でルナを窘めていた男だ。
「王女殿下。ご無事で何よりでございます」
綺麗な礼だった。
「兄上は」
ルナがすぐに尋ねる。
「お怪我はございますが、ご自身で指揮を執っておられます」
ルナの握っていた手綱が、わずかに緩む。
「お会いできますか」
「もちろんです」
マリウスは微笑んだ。
「その前に、別動隊の編入を済ませていただきます」
ルナが兄に会いたがっていることなど、優先順位の外らしい。
王女を待たせることに、気後れした様子もない。
ノアが一歩出る。
「手続きは代行する。殿下を、先に王太子殿下のもとへ」
「承知しました」
マリウスはあっさり答えた。
「では、ラッチェンス卿はここへお残りください。王女殿下は私がご案内いたします」
「私が殿下に同行する」
「編入の責任者も必要です」
「ララ、頼んだ」
数秒の沈黙。
振られたララも、俺も、理解するのにそれだけの時間がかかった。
理解するのを脳が拒んだとも言える。
「は、はぁ?! 私が?!」
いや、別に何もおかしくはないのだ。
ララはこれでも、伯爵家の次期当主として教育を受けている――はずだ。
簡単な手続きくらいはできる――はずだ。
本人の反応は、その確信をかなり揺るがせた。
「出来るのか」
俺はララに近づくと小声で言った。
「……ああ、まあ読み書きは出来るさ。大丈夫」
しかし、なんでわざわざララに。
護衛をララに任せて、手続きはノアがやればいいのでは。
そんな疑問が顔に出ていたのか、ララが教えてくれる。
「ノアとマリウスの確執はなんとなく知ってるだろ? ルナ殿下をマリウスに預けて目を離したくないんだよ」
「え、あの男がルナに何かするって言うのか」
「まさか。でも、まあ、感情の問題だな」
ララは『やれやれ』とでも言うような態で、書記の方へと向かう。
本当に手続きをやるようだ。
「王女殿下の直率する私兵は、中央の行軍列へ。旗下の諸侯軍と傭兵団は、編制を維持したまま各列へ配置します」
マリウスが言うと、ノアの目がさらに厳しくなる。
「殿下の護衛は」
「基本的には、その直卒で。まあ、必要な軍勢は残しますよ」
「誰が必要を決める」
「私です」
即答だった。
「王太子殿下より、全軍再編の差配を任されておりますので」
誇らしい風でもなく。
大任に畏まる風でもなく。
自分が決めるのは当然だという態度。
ノアの口元が固くなる。
「公爵閣下の兵が多く残ったからか? 腰巾着のお前に随分と大きな権限を持たせたものだ」
ノアが言った。
マリウスは少し首を傾けた。
「伯爵位は、会戦以前より頂いておりますが」
「そういう話ではない」
「でしたら、誤解のない言葉をお使いください。皆、忙しいのですから」
わざとかと思うほど、いちいちノアの神経を逆撫でする。
だが、声を荒らげない。
礼も崩さない。
そのせいで、ノアの方だけが喧嘩を売っているように見える。
「王太子殿下がお待ちです」
マリウスはルナへ一礼し、そのまま歩き出した。
ついて来いということらしい。
◇◇
「昔から、ああなのか?」
マリウスの背中を見ながら、ノアへ尋ねる。
「傲慢さの話であれば、昔からだ」
答えが早かった。
「ルナ付きの騎士だったんだよな」
「元々、奴は次男だ。家督を継げぬ身ゆえ、ルナ殿下の元で立身を企てたのだろう」
騎士とは、国に雇われた職業軍人の名ではない。
王族や諸侯から称号を受け、その人物に仕える者だ。
貴族の次男三男が王族の騎士となり、そこで身を立てるのも珍しくない。
王族や貴族がその称号を与えれば、そいつは『ルナ王女の騎士』『トラキス公の騎士』となる。
「兄が亡くなり、続いて父も亡くなった。家督を継いだ途端、公爵のもとへ戻った」
「昔からトラキス公寄りの家なんだろ?」
「殿下のお人柄を敬愛しているように振る舞いながら、立場が変われば簡単に背を向けた」
「貴族らしい立ち回りじゃないか」
「変わり身が早いだけの蝙蝠だ」
ノアは吐き捨てた。
マリウスは少し前を歩いている。
聞こえていてもおかしくない。
しかし、振り返らなかった。
敗れた王家の軍を、トラキス公派が収容した。
そして、その公爵派閥の中で出世した元王女の騎士が、伯爵以上の顔をして軍を仕切っている。
なるほど。
絵に描いたような腰巾着だ。
◇◇
前方で、兵の声が上がった。
「待て! やめぬか!」
荷車の前に、一人の男が立ちはだかっている。
四十を少し過ぎたくらい。
外套の胸元にある紋章から、男爵だと分かった。
食料を積んだ荷駄から、兵たちが一人の負傷者を降ろそうとしているようだ。
穀物袋の陰へ隠されていたらしい。
腹へ巻かれた布は、ほとんど黒く染まっている。
意識はない。
今の王国軍に、助かる見込みの低い下級貴族を荷駄車で運んでやる余裕はない。
優先されるのは助かる見込みの高い下級貴族や騎士、それに死んだ上級貴族だ。
「彼は私の友人だ」
男爵は兵へ訴えた。
「私の配給を減らしても構わない。従者の分も要らない。私の馬も使っていい。だから、このまま連れていってくれ」
兵たちは困った顔をしている。
そこへマリウスが進み出た。
「食料荷駄へ負傷者を乗せることは禁じられています」
「これは……グーリン伯……」
男爵の顔が強張る。
「分かっております。しかし……」
「では、降ろしてください」
「ここで降ろせば死にます!」
男爵の声が裏返った。
マリウスは負傷者へ一度だけ目を向けた。
「負傷者の天幕へ戻せ」
兵士たちに指示を出す。
「グーリン伯」
男爵がマリウスの前へ回り込む。
「無理を承知で、お願い申し上げます。二十年近くも共に戦ってきた友なのです。私の馬も使っていい。歩きます。荷物もすべて捨てます。だから、せめて王国まで」
「男爵」
マリウスは静かに呼んだ。
「命令へ背き、食料荷駄へ負傷者を隠しておられた。相違ありませんね」
男爵は答えなかった。
否定もしない。
俺なら、この時点で斬っている。
全体の秩序の為には、ある程度の見せしめはあっていい。
「これ以上抗命するようであれば」
マリウスは剣の柄へ手を置いた。
声は変わらない。
「私も立場上、対処せねばなりませんが」
男爵の顔が歪んだ。
マリウスを見る。
剣を見る。
それから、担架へ移された友人を見た。
長い沈黙の後、俯いた。
「……分かりました」
従者が泣きながら道を空ける。
負傷者は、来た方向へ運ばれていった。
男爵は、その場に立ち尽くしている。
マリウスはもう彼を見ていなかった。
「荷駄を改めてください。ほかにも隠していないか、すべて確認を」
そう命じ、再び歩き出す。
男爵を拘束する様子はない。
「今の男爵も、トラキス公派か?」
ノアへ尋ねる。
「ああ、“王国の男爵”ではない。“トラキス公の男爵”だ」
「なるほど」
国王から見れば陪臣。
トラキス公にとっての直臣。
「それは斬りにくいな」
マリウスには、こちらの会話が聞こえているはずだ。
それでも振り返らない。
お上品な背中だった。
腹の立つことに。
◇◇
王太子の幕舎は、サボエの城壁と東の丘陵、その両方を見渡せる場所に置かれていた。
城壁側には、守備隊の出撃を抑える兵。
東側には、ミストラティとパールスの連合軍へ向けた戦列。
敵は攻めてこない。
王国軍が西へ荷車を並べていることも、ルナの別動隊が合流したことも、向こうから見えているはずだった。
「全軍はいつ動く」
ノアが尋ねる。
「明朝です」
マリウスが答えた。
「東の敵に動きは?」
「いまのところ、ありません」
「追撃しないとでも?」
「しないと思いますか?」
マリウスは何でもないことのように言った。
「いま陣を攻めるより、逃げる我々を追い討ったほうが楽でしょう」
幕舎の前で足を止める。
入口には王太子の近衛が立っていた。
その周囲には、トラキス公と派閥諸侯の旗が並んでいる。
マリウスが幕を上げた。
「王女殿下、ご到着です」
中では、額に包帯を巻いたレオトバイが地図の前に立っていた。
その隣で、トラキス公が待っていた。