勇者として召喚された社畜、王女による魔力供給がないと死ぬブラック環境に配属。『解析』『構築』能力を悪用して王国も正義も神も容赦なく破壊する。 作:筆負野ユウ
王太子レオトバイは、王国史上でも名高い暗君である。
厳密には、彼が王位に就いたことはない。
しかし、グレッブ王期の終盤には事実上の摂政として国政を担っていたため、この呼称も大きく誤ってはいないだろう。
敵の意図を読み違え、退却を敗走と誤認し、無謀な追撃によって王国軍を壊滅させた。
外交においてもミストラティの抵抗意思を見誤り、パールス部族連合の参戦を招いた。
後世に伝わる経歴は、暗君という評価によく適合する。
父王グレッブとの比較も、その印象を補強してきた。
『グレッブ王の御代、国は安んじ、東境に大乱なし。王太子が政を執るや、諸侯は争い、民は徴され、ついには東方に一軍を失う』
王国崩壊後に編纂された『末王朝年代記』には、そう記されている。
グレッブ王の治世が、おおむね平穏だったことは事実である。
大規模な内乱はなく、諸侯との関係も表面上は安定していた。
これに対し、レオトバイが国政を代行するようになってからは、軍費が増大し、諸侯間の対立が表面化し、東方への大規模な遠征が行われた。
そして敗れた。
温厚な父王が守ってきた王国を、好戦的な王太子が短期間で混乱させた。
そう理解することは容易である。
ただし、歴史上の人物があまりに分かりやすい場合、分かりやすく整えた者の存在を疑う必要がある。
グレッブ王の治世が平穏であったことは、王国に問題が存在しなかったことを意味しない。
王権と大諸侯の関係は曖昧なまま残され、軍の指揮系統も統一されていなかった。
東方では、ミストラティとの境界、同盟諸都市の帰属をめぐる対立が、決着しないまま先送りされていた。
それらを衝突させず、双方が受け入れられる範囲で棚上げする。
それがグレッブ王の統治能力であった。
同時に、後継者へ残された負債でもあった。
レオトバイは、父王の時代には存在しなかった問題を作ったのではない。
父王の時代には表面化しなかった問題へ、解決を与えようとした。
そして失敗した。
失敗の責任は彼にある。
だが、問題の起源まで彼一人へ帰すべきではない。
東方遠征についても同様である。
従来、王国はミストラティを侮り、容易に屈服すると考えて軍を進めたと説明されてきた。
しかし、当時の外交記録を見る限り、王国首脳部の認識はそれほど単純ではない。
ミストラティが王国との全面戦争を望んでいないことを、王国は把握していた。
この観測自体は正しかった。
ミストラティ側、評議会関連の記録にも、王国との戦争を避けるべきだという意見が、開戦直前まで繰り返し現れる。
長期戦になれば、国力と兵力に勝る王国が有利となる。
加えて当時、ミストラティは東方でパールスとの戦線を抱えていた。
二正面戦争は、ミストラティにとって極めて危険だった。
そして、問題となったサボエは直轄地ではない。
ミストラティと同盟関係にある一都市にすぎなかった。
王国は、ミストラティが二正面の戦争に踏み切るとは考えなかった。
まして、一同盟都市を守るため、経済的価値の高い直轄都市をパールスへ割譲してまで援軍を求める可能性は、想定すらされていなかった。
軍を進め、サボエを孤立させ、戦争の可能性を示す。
そうすることで、ミストラティに損得を再計算させる。
領土と税収を国力の基礎とする領域国家の政治常識に照らせば、決して根拠のない判断ではなかった。
問題は、王国とミストラティが、同じ基盤で損失を数えていなかったことにある。
ミストラティにとって、サボエは単なる一都市ではなかった。
同盟都市は兵を出し、食料を供出し、盟主の外交方針に従う。
その代わり、外敵に攻められた際には、ミストラティが救援する。
サボエを見捨てれば、ほかの同盟都市は当然に考える。
次に王国軍が現れた時、自分たちも見捨てられるのではないか。
それなら、兵や食料を差し出す意味があるのか。
王国と個別に講和した方が安全ではないか。
サボエを失うことで失われるものは、サボエ一都市ではない。
同盟全体の信用である。
ミストラティは、マリリポとサボエの富を比較したのではなかった。
マリリポ一地域の富と、サボエを見捨てた後にも同盟が存続するかを比較した。
その結果、マリリポをパールスへ割譲してでも、サボエを守ることを選んだ。
ミストラティにとっては、マリリポを失う方が安かったのである。
パールスの参戦も、不可解なものではない。
マリリポの獲得によって、パールスは豊かな土地と交易上の利益を得る。
同時に、王国の東方進出を阻止できる。
サボエが屈服し、ミストラティの同盟網が崩れれば、王国の影響力はさらに東へ伸びる。
それはパールスにとっても望ましい状況ではなかった。
参戦の理由を、友好や同情に求める必要はない。
得られる利益が、費用を上回ったのである。
王国は、サボエ一都市の価値を計算した。
ミストラティは、サボエを見捨てた後にも同盟が残るかを計算した。
パールスは、両国の対立によって得られる領土と安全保障を計算した。
この戦争に、判断する能力を欠いた当事者はいなかった。
三者は、それぞれの制度、利害、知り得た情報に基づいて判断した。
ただし、同じ問いに答えていたわけではない。
王国の誤りは、ミストラティが非合理的に行動すると考えたことではない。
ミストラティもまた、王国と同じ合理性に従うと考えたことにあった。
王国が提示した条件は、王国の政治常識に照らせば、決して過酷なものではなかった。
ミストラティが受け取ったのは、同盟を自ら解体せよという要求だった。
それが決して受け入れられない最後通牒であることを、王国首脳部は充分に理解していなかったのである。
では、最終的に軍事行動へ移したレオトバイは、愚かだったのか。
彼は、ミストラティの同盟構造を読み違えた。
サボエ救援が、都市の経済、軍事的価値ではなく国家の信用に関わることを見抜けなかった。
マリリポ割譲をめぐる交渉を察知できなかったことは、王国の情報収集能力の不足である。
その不足を補えないまま圧力を強めた責任は、国政を担う者として彼にある。
敵の退却を追撃した判断も、最終的にはレオトバイ自身が下した。
パールス軍の到着時期を見誤り、王国軍を危険な位置まで進ませたことも、免責されるべきではない。
彼は判断を誤った。
しかし、誤った判断と、根拠のない愚かな判断は同義ではない。
ミストラティが戦争を避けたがっているという観測は正しかった。
サボエよりマリリポを優先すると予測したことにも、王国の政治常識においては根拠があった。
パールス参戦には、豊かな直轄地の割譲という、通常は想定し難い代価が必要だった。
ケンタウルスの進軍速度も、それまでの人間の騎兵を基準とする予測を大きく外れていた。
レオトバイは、何も考えず軍を進めたのではない。
考えた上で、読み違えた。
後世の歴史は、父王グレッブの治世を最後の安定期と呼び、レオトバイによる国政代行を混乱の始まりと呼んだ。
この時系列そのものは正しい。
だが、前者が問題を解決していたことも、後者が問題のすべてを作り出したことも意味しない。
危機を先送りした統治者は、平和を守った者として記憶されることがある。
先送りされた危機に直面した統治者は、平和を壊した者として記憶されることがある。
グレッブは王国の平穏を維持した。
レオトバイは、その平穏の内側に残されていた問題へ手を入れた。
そして失敗した。
失敗した者が、後世に愚か者と呼ばれることは珍しくない。
何を知り、何を知らず、どの選択肢を捨てて判断したのかは、勝敗ほど明瞭には記録されないからである。
ここで述べたものも、私による一つの解釈にすぎない。
レオトバイは王国軍を敗北させた。
その事実は変わらない。
しかし、彼が王国を混乱させたのか。
それとも、王国が長く抱えていた混乱が、彼の時代に姿を現したのか。
現在残る資料だけから、断定することは難しい。
少なくとも、愚かな王太子が平穏な王国を気まぐれに戦争へ導いたという理解は、あまりに短絡的に思える。
歴史は結果を保存する。
しかし、結果に至るまでの事情まで、同じ精度で保存するとは限らない。
――ニコラオス=メレティウス『ビュザンティア王国興亡史』第九章「暗君レオトバイ再考」より