勇者として召喚された社畜、王女による魔力供給がないと死ぬブラック環境に配属。『解析』『構築』能力を悪用して王国も正義も神も容赦なく破壊する。 作:筆負野ユウ
「殿下の兵、謹んでお預かり致します」
俺たちの前でそう言ったのは、アッヅミノスという男だった。
少し前にルナの私兵隊長へ取り立てられたばかりらしい。
没落した男爵家の出身。
武功で名を上げたわけではない。
食料や装備の管理。
命令を末端まで行き渡らせ、勝手な行動を抑える能力。
そうした地味な実務を評価されたという。
ルナの私兵は百人ほど。
騎乗しているのは、アッヅミノスを含む数人の指揮役だけだった。
ルナ、ノア、ララ、俺は馬に乗っている。
歩兵に合わせれば、橋への到着が遅くなる。
この先には橋があり、予定より敵が迫っている現状では、早めにルナを渡らせておきたい。
だから、そこまでは私兵たちをアッヅミノスに任せて先行する。
「必ず追いついてください」
ルナが言った。
アッヅミノスは馬上で頭を下げた。
「必ず」
声は大きくなかった。
剣を掲げて兵を鼓舞することもない。
すでに百人をいくつかの列へ分け、それぞれの先頭へ短く指示を出している。
兵たちは黙って位置を変えた。
管理能力を評価されたという話は、本当らしい。
エリサも、その隊の中にいた。
奴隷に過ぎない彼女は、馬を与えられていない。
俺たちはアッヅミノスへ隊を任せ、先行した。
何度も聞こえる角笛を背に、街道を進む。
はるか後方で何が起きているのか、俺の位置からは見えない。
物見や伝令、それから後方から逃げ込んでくる兵の話をつなぎ合わせると、悲惨の一言だった。
最後尾。歩けない負傷者を載せた荷車。
二段目。自力でどうにか歩ける負傷兵。
三段目。指揮する者もなく、寄せ集められた雑多な連中。
四段目。指揮官はいるが、小規模な部隊を寄せ集めた混成軍。
はっきり言えば、全部捨て駒だ。
三段目までは、殿軍とすら呼べない。
敵と戦って時間を稼ぐのではない。
殺されることで時間を稼ぐ連中だ。
その三段目の途中へ、ケンタウルスの小部隊が横から食い込んだらしい。
連中は街道を追ってきたわけではない。
街道脇の原野を抜け、横腹へ回り込んだ。
そこで三段目は分断された。
そこから後ろの情報は、もうない。
おそらく全滅だろう。
近代軍でいう、何割損耗すれば戦闘不能だとかいう話ではない。
言葉どおりの全滅。
何人死んだかは分からない。
誰が死んだかも分からない。
知る必要もなかった。
後ろから追いついてくる兵を見れば、死ぬ順番がどこまで前へ進んだかは分かる。
後ろにいる者だけが戦う。
そいつらが消えれば、その前にいた者が最後尾になる。
そうやって、一段ずつ時間を買うはずだった。
だが、ケンタウルスは街道の上だけを走る生き物ではなかった。
原野でも速い。低木も、荒れた地面も、王国側が想定したほど足を鈍らせなかった。
連中は、決めてあった死ぬ順番を大幅に繰り上げた。
行儀の悪い連中だな。死なせる順番くらい守れよ。
しばらく進んだ街道の脇に、細い枝道があった。
道だと知らなければ、見落としていたかもしれない。
藪の一部が切り払われ、その奥へ人馬の踏み跡が消えている。
進んだ先には、川の上流にある浅瀬。
橋を使わずに渡河できる場所だ。
レオトバイもトラキス公も、この周辺の地形は調べている。
そして、こちらが調べられた道なら、ミストラティ側も当然知っている。
枝道の入口には、倒木や杭を使った簡単な障害が置かれていた。
その傍らには、二十人ほどの兵。
ここで敵を食い止めるつもりはない。
ケンタウルスが枝道へ入ったことを知らせる。
障害を取り除く間だけ、足を鈍らせる。
それだけの前哨だった。
兵がルナへ頭を下げる。
俺たちは止まらず、その脇を通り過ぎた。
◇◇
川が見えた。
やや蛇行しながら、ちょっとした谷状に大地を削っている。
それなりに水量があり、人や馬が好き勝手に渡河できるわけではない。
頑丈そうな石橋。
その両岸に、灰色の廃墟が広がっている。
斜面を覆う石積み。
途中で途切れた水路。
地面から突き出した柱。
屋根を失った大きな建物。
城壁はない。
まともに形を残す建物はほとんどない。
都市だったことだけは分かる。
もちろん、人が住める場所には見えなかった。
橋の東詰では、渡河を待つ兵が列を作っていた。
完全な秩序とは言いがたい。
それでも、まだ列は列だった。
ルナの旗を見て、橋を守る兵が道を開ける。
俺たちは流れに入るまで、しばらく待たされた。
「来る時も思ったけど、でかい街だよな」
俺が尋ねると、ルナが廃墟を見た。
「かつては」
「王国の?」
「いいえ。王国が建てられる前に滅びた国のものです」
ルナは、幼い頃に教えられた話を思い出すように続けた。
「二百年と少し昔、この地には別の国がありました。現在の王国領やビュザンティアを含む広大な版図を持つ国であったそうです。しかし、人々は偽りの神を信仰し、堕落していったと伝えられています」
「それで滅びた?」
「神は天使を遣わし、偽神を討たせました。けれど、追い詰められた偽神は最後の悪あがきとして、悪魔の軍勢を呼び出したのです」
「偽神に悪魔の軍勢、ね」
「数千とも数万とも言われます。数週間にわたって帝国を荒らしました。当時、帝都の中枢だったとされるこの辺りは壊滅し、帝国も滅びたそうです」
街の中心近くに、屋根のない大きな建物がある。
なんとなく、神殿かもしれないと思った。
「その後、荒れ果てた土地を国祖ビュザスがまとめ、王国をお建てになりました」
「偽神を壊したら、悪魔が何千体も出てきたわけか」
「はい」
「迷惑な死に方だな」
ルナは少し眉を寄せた。
本物の神も、殺したら悪あがきをするのだろうか。
生憎と俺は、神とやらに面会する予定がないのだが。
やがて道が開き、俺たちは橋を渡り、西岸へ抜けた。
西岸の橋下では、工兵たちが破壊の準備を進めていた。
アーチの下へ薪を積み上げる。
脂をかける。
大型の鞴で風を送り、石材を熱する。
充分に熱したところへ、川から汲んだ水を浴びせる。
急激な温度差で石へひびを入れ、脆くなった箇所を大槌で砕く。
高性能火薬のない世界らしい、気の長い方法だ。
俺たちは橋を渡ってすぐ、蛇行する川沿いの小さな丘へと通された。
そこに用意された仮の指揮所からは、先ほど渡った橋が側面から一望できた。
石橋は、この滅びた都市が栄えた時代の物らしい。
一部に新しい石材が混じっているようだが、基礎のアーチ部分は周囲の廃墟と同じ色をしていた。
工兵たちは忙しく動いている。
橋の下では、火が膨らんでは縮んでいた。
薪が爆ぜ、脂の臭いが風に混じる。
その準備が終わるまで、橋は使えなければならない。
橋の上では兵が途切れずに流れている。東から西へ。
生きている者が、まだ生きている側へ移っていく。
橋を渡りながら、橋を壊す準備をしている。
冷静に考えると、なかなか悪趣味な光景だった。
もっとも、ここで火を入れておかなければ、最後の兵が渡った後に橋を落とせない。
段取りとしては正しい。
問題は、敵がその段取りを待ってくれるかどうかだった。
最初は草の揺れだけだった。
次第に、原野に黒い影が見えだす。
低い丘の稜線に、人間の上半身のようなものが現れる。
その下に、厚い馬体。
ケンタウルス。
十騎。少し離れて、もう十騎。
さらに後ろから、別の影が丘へ上がってくる。
指揮所にいる全員の緊張感が高まるのが分かる。
「ノア」
「何だ」
「この状況で、橋は守れるか」
ノアはあらためて東岸を見た。
橋の東詰には、まだ渡れていない兵がいる。
その先には、隊列と呼ぶには壊れすぎた連中が続いている。
さらに向こう、丘の上にケンタウルス。
「敵がそこまで増えないようであれば、統制の取れている部隊を東岸へ出せば防げる」
そこで言葉が止まる。
「増えたら?」
「……橋の東岸で、事実上の会戦となる。そんなことをしている場合ではない。それに……」
「それに?」
「敵の数に関わらず、出した部隊は、橋を落とすまで東岸に留まることになる」
「だろうな」
言いたいことは分かる。
東岸へ部隊を出せば、橋は守れる。
少なくとも、今見えている程度の数なら、統制の取れた兵で押し返せる。
問題は、その部隊が東岸へ出ることだ。
橋を落とす時、そいつらが戻れるとは限らない。
つまり、比較的まともに動く部隊を、わざわざ向こう側へ置き去りにすることとなるかもしれない。
いや。橋を落とすまで、橋を守らなければならない。
そんな皮肉な構造上、そうなる可能性は高い。
今、東岸で渡河を待っている連中は、すでに半分壊れている。
指揮官がいるのかも怪しい。武器を持っているだけで、兵士の形をした難民に近い者もいる。
切り捨てるなら、そちらだ。
少なくとも、俺ならそう考える。
使えない部隊を渡河させるために、使える部隊を切り捨てるリスクは冒せない。
そんなのは浪費だ。そんな余裕はないはずだ。
だが、きっとルナはそう考えない。
彼女にとっては、最初から価値の低い味方を選んで捨てることと、最後まで助けようとした結果として救えなかったことは、まるで違う。
結果が同じでも、違う。
その違いが、たぶん彼女を支えている。
しばらく、議論は続いた。
東岸へ兵を出せば、橋は守れる。
だが、その兵を戻せるとは限らない。
出さなければ、東岸の兵は順番に削られる。
誰も、分かっていないわけではなかった。
分かっているから、同じ場所をぐるぐる回る。
ルナは、健全な部隊を死地へ送ることも、壊れかけた部隊を見捨てることも、どちらも命令にできずにいた。
俺から見れば、後者の方が安い。
たぶんルナには、その計算の仕方ができない。
「少し、考えさせてください」
ルナはそう言い残すと、簡易幕舎の中へ去った。
考えて妙案が出るわけでもないだろう。
それでも、感情的に行動されるよりは、ずっとマシだった。
◇◇◇
「殿下、失礼致します」
ノアが、幕舎の中のルナを呼んた。
「ケンタウルスが見える限りで四十騎に増えました。もし、部隊を出すと言うなら、今です」
黙っていればいいのに、最後の機会をルナに与える。
黙っていれば、後で面倒なことになると判断したか。
ルナは幕舎から出てくると橋を見た。
東岸で順番を待つ兵。
橋の上の兵。
橋の下で火を扱う工兵。
丘の上のケンタウルス。
全部を見ているようで、どれも見れていないのかもしれない。
「いま出せば、その部隊は」
「橋を落とす時、戻せない可能性があります」
ノアは曖昧にしなかった。
ルナはすぐには答えなかった。
その時、丘の上のケンタウルスたちが弓を引いた。
斉射。
工兵を守る兵が盾を上げる。
だが、矢はそこへ来なかった。
橋の東で、渡河を待っていた兵の集団へ落ちた。
誰かのうめき声。
周りの兵が振り返る。
二斉射目は来ない。
ケンタウルスたちは、個別に狙いを定めてばらばらと射る。
列から外れて横へ逃げようとした男の背中へ刺さった。
集団から離れ、後方へ散ろうとした兵が数人いた。
いつの間にか近くへ寄っていた新手の十騎に、次々と射られ斃れる。
悲鳴が上がる。
東岸の兵がざわついた。
「列を乱すな!」
誰かが怒鳴る。
その声よりも、次の叫びの方が大きかった。
「橋が落とされる前に渡れ! 前の奴は急げ!」
橋の下では火が燃えている。
脂の臭いがする。
工兵が何かを運んでいる。
大槌が見える。
あれは、今すぐ橋を落とすための火ではない。
最後に落とすための準備だ。
作業も今に始まったことではない。
だが、背中から矢を受けている兵に、そんな区別がつくはずもない。
そもそも、今から渡る橋の下で、そんな作業を行っているのは、気分の良いものでは無かっただろう。
橋が燃えている。
自分はまだ渡っていない。
後ろにはケンタウルスがいる。
それだけで充分だった。
「先に行かせろ!」
「押すな!」
「どけ!」
列が膨らんだ。
後ろの兵が前へ出ようとする。
前の兵は、まだ順番を守ろうとする。
横へ逃げようとした者が、盾にぶつかる。
誰かの鎧が誰かの外套に絡み、引っ張られた男がよろけた。
一人ひとりは、たぶんまだ何かを考えていた。
早く渡りたい。
押すな。
順番を守れ。
前が邪魔だ。
だが、集まった人間の塊には、もう思考がない。
誰かが転んだ。
橋の入口に近い場所だった。
倒れた兵の背中へ、別の兵の足が乗る。
踏んだ兵も、後ろから押されて膝をつく。
その上へさらに人が重なった。
悲鳴が上がった。
すぐに別の悲鳴に押し潰された。
橋へ人が押し込まれていく。
流れているというより、押し出された土砂に近い。
自分の意思で進んでいる者だけではない。
後ろから押されるから前へ動く。
前へ動けない者は、横へ押される。
横へ逃げられない者は、下へ沈む。
欄干に押しつけられた男が、口を開けていた。声は聞こえない。
身体が斜めになり、足が浮いた。
手が空を掻いた。
誰も掴まなかった。
男はそのまま川へ落ちた。
水音だけが、妙にはっきり聞こえた。
馬を引いていた兵がいた。
馬が人の圧に怯え、後ろ脚を振り上げる。
近くの兵の顔を蹴った。
蹴られた男が倒れる。
馬も足を滑らせる。
手綱を握っていた男が引きずられ、橋の入口がさらに詰まった。
「落ち着け! 押し寄せずに並べ!」
西岸から怒号が飛んだ。
事態を収集しようとした兵が橋へ入ろうとする。
だが、もう遅かった。
橋の上から、人間の塊がこちらへ押し寄せている。
「道を空けろ!」
空ける場所がない。
西へ逃げる兵と、東へ向かおうとする兵が正面からぶつかった。
東へ向かう兵の方が押し戻される。
一歩。もう一歩。
橋の遥か手前まで戻された。
――東岸へ統制の取れた部隊を出せば守れる。
もう、そういう話ではなくなった。
そもそも、東岸へ部隊を送れない。
橋はまだある。
だが、道ではない。
人間が詰まって塞がりかけたボトルネックだ。
東へ兵を送るための橋ではない。
西へ逃げてくる兵を非効率に吐き出すだけの穴になっている。
ルナは声を出せなかった。
ノアも黙っていた。
俺も、何も言わなかった。
解決方法はある。とても簡単だ。
橋の上に火球魔法でもぶち込んでやればいい。
橋を渡ってきた連中を、有力な部隊で押し包んで殺してしまえばいい。
ケンタウルスより怖いものを見せてやれば、奴らは散る。
十騎が、丘から駆けおりて矢を射る。
今度は、橋の下だった。工兵の近くへ落ちる。
石片が跳ねた。誰にも当たってはいない。
それでも、工兵が下がる。石橋を傘にするように、その陰に隠れる。
「作業に戻れ!」
怒鳴り声がした。
工兵は戻ろうとした。
その足元へ、さらに矢が落ちた。
男は止まった。
死んだわけではない。
それでも充分だった。
鞴の音が乱れる。風が弱まる。
ただの嫌がらせ。
その程度で、作業は簡単に乱れた。
東岸へ兵は送れない。
橋の上はパニック状態。
工兵の作業は妨害で遅れが出る。
そこまで来て、ようやく俺は橋そのものを見た。
古い石が噛み合って、弧を作っている場所。
どこを砕けば落ちるか。
それを考え始めた。
橋は古い。だが、そうそう老朽化するような代物でもないだろう。なんせ石橋だ。
火で熱して、水をかけて、ひびを入れて脆くして、大槌でアーチを崩す。
それが今、工兵たちがやろうとしている方法だ。
だが、俺がやるならどうだろう。
石が弧を描いて、互いの重さで噛み合っている。
そして、その力が、最も集まっている場所がある。
そういう構造に見えた。
確信はない。俺は土木屋ではない。
だが、石造りの館の壁を壊したことなら、ある。
粘着榴弾。
石に密着し、爆発の衝撃を表面で逃がさず、内側へ押し込む。
あれなら、ここからでも届く。
橋の下へ近づく必要はない。
隠しておきたいと言えば、隠しておきたい技だ。
しかし、すでにララには見せている。
敵に橋をくれてやってまで、隠しておきたいほどの秘密ではない。
たぶん、今すぐ落とせる。そう思った。
だが、言わなかった。
橋の上には、まだ兵がいる。
東岸にも、まだ兵がいる。
なにより、ルナの私兵もまだここへ来ていない。
落とせると分かった時点で、選択肢は増えた。
だが、選択肢は、出すタイミングを間違えれば邪魔になる。
俺は橋を見たまま、黙っていた。
「殿下!」
後ろから声がした。
振り返る。
兵の間を、一騎が抜けてくる。
馬も人も泥をかぶっていた。
それでも、乗っている男の姿勢は崩れていない。
アッヅミノスだった。
彼は馬を降りると、ルナの前で膝をついた。
「殿下よりお預かりした兵、全員、西岸へ到着いたしました」
ルナの顔が動いた。
「早かったですね。全員ですか」
「はい。一名の欠けもございません」
「……よかった」
ルナは小さく息を吐いた。
どうやら、橋の周囲がパニック状態になる前に渡り切れたようだ。
運が良い。
アッヅミノスは頭を下げたまま続ける。
「現在、街道脇にて隊列の再編が完了しております。ご命令があれば、すぐ行軍へ戻せます」
俺はもう一度、橋を見た。
橋の上では兵が押し合っている。
東岸では、ケンタウルスに追われた連中が押し寄せている。
俺は、たまたま指揮所へ報告に訪れていた工兵頭を呼んだ。
初老と言っていい年の男だった。
顔は煤で黒くなっている。
「橋を落とすなら、どこを壊せば早い?」
工兵頭は俺を見た。
すぐには答えなかった。
質問の意味を測りかねているようだ。
「今やっているように、アーチの足元を破壊するのが最も早いかと」
「要石を狙うのはどうだ?」
要石。アーチの頂点を担う、楔形の石。
全体の圧力が集中するパーツ。最も負荷を受けている部分。
「足場があれば、それが良いかもしれませんな」
工兵頭は、呆れを隠し切れなかった。
それができれば、最初からそうやっている、と。
ノアが俺を見た。
「セト、何か案があるのか」
「俺なら、橋をすぐに落とせると思う」
ララの目が細くなった。
その一言で分かったらしい。
ノアは少しだけ顔をしかめた。
「本当か」
「たぶん、だ」
俺はルナへ向いた。
「今すぐ橋を落とそう」
ルナは、俺を見た。
それから橋を見た。
「今すぐ、ですか」
「ケンタウルスはどんどん増えている。いつ、兵どもを蹴散らして橋に取り付かれるか分からない」
厳密には嘘に近い。多少の時間は、まだあるかもしれない。
だが、橋の東岸にいる連中は、どちらにせよ捨て駒だ。
橋の向こうで殺されて時間を作るか。橋のこちらで殺されて時間を作るか。
それだけの違いしかない。
ならば、さっさと橋を落として、俺たちは行軍を再開するべきだ。
「橋の上には、まだ人がいます」
「ああ」
「東岸にも」
「そうだな」
「落とせば、その者たちは王国へ戻れません」
「さっき、枝道を通ったろ。そこまで戻れば橋を迂回できる」
そんなことが可能なのかは知らない。
ルナは息を止めたように見えた。
「橋を壊すには、東岸へ渡り橋を守らなければならない。東岸へ行くためには、東岸へ行って混乱を収めなければならない」
俺は続けなかった。
これ以上は、言わなくても打つ手がないのは分かる。
橋を落とさなければ、西岸の兵も危ない。
ルナも危ない。
俺も危ない。
ブトアニナまで逃げる道が危ない。
だから落とすしかない。
そんなことは、たぶんルナにも分かっている。
もしかしたら、俺の嘘――に近いもの――を看破するかもしれない。
それならそれでいい。ぎりぎりまで待ってから橋を落とすだけだ。
それは問題ではない。
問題は、分かっていることを命令にできるかどうかだ。
橋の上から、声が聞こえた。叫び声だった。
言葉だったのか、ただの悲鳴だったのかは分からない。
けれど、ルナはそれを聞いた。
表情で反応していた。
「他に、方法は」
誰に向けた言葉なのか分からなかった。
ノアは答えなかった。
工兵頭も答えなかった。
俺も答えなかった。
他に方法があるなら、もう誰かが言っている。
ルナは橋を見つめていた。
兵が一人、押されて川へと転落した。
人の密度が下がる様子はない。
ルナの視線が東岸へ向く。
人の塊から外れた者が、魔法や弓で散発的に応戦しては狩られている。
塊の中にいる者は、何もできない。
ルナの唇が動いた。声は出なかった。
もう一度、息を吸う。
「……橋を落としてください」
俺は右手を上げた。
聞き返す必要はない。
要石を見る。距離を測る。
橋の上の人間は邪魔だ。だが、狙う場所はその頭上ではない。
アーチの側面。中央の楔石。そこだけを砕く。
魔力を組む。
古い砲弾の形を思い出す。
着弾で潰れ、密着し、遅れて爆ぜる。
爆発の衝撃を、対象に効率良く伝える。。
構築する。
撃つ。
砲弾は低い音を残して飛んだ。
橋の上の何人かが、何かに気づいて顔を上げる。
だが、遅い。
砲弾は橋の側面へ当たった。
要石に食いつく。
爆発。
派手な炎は広がらない。
ただ、要石の中を、マッハを遥かに超える速度で衝撃が走った。
要石の表面がわずかに弾ける。
石片が飛ぶ。
川へ落ちる。
橋が低く鳴った。
橋の上の兵たちが叫ぶ。
石と石が擦れる音。
しかし、橋は落ちない。
煙が晴れた。
要石にはひび割れ。
効果あり。
ならば、何発でも撃ち込むのみ。
もう一発。
要石へ。
爆発。
次の瞬間、橋の中央が折れる。
徐々に崩れるというより、橋全体が一斉に落下した。
石が落ちる。
兵が落ちる。
槍が落ちる。
盾が落ちる。
次々と水柱が上がった。
川が白く泡立つ。
人間の声は、崩落音に飲まれた。
東側から橋へ押し寄せていた兵たちも、後続に押されて次々と落ちる。
音が廃墟へ反響する。
屋根のない建物の中から、鳥が飛び立った。
しばらく、誰も動かなかった。
西岸の兵も。
ルナも。
俺も。
川の音だけが戻ってくる。
水面には、木片と盾が浮いていた。
人も浮いていた。
泳いでいるのか、流されているのかは分からない。
東岸には、まだ兵が残っている。
橋のあった場所を見ている者。
川へ飛び込む者。
武器を構える者。
走り出す者。
その背後で、ケンタウルスが弓を構えていた。
助けには行けない。
橋は落ちた。
落とした。
「行軍を再開する」
ノアの声がした。
誰かが復唱する。
「負傷者は後ろだ」
「隊列を作れ」
橋を落としても、終わりではない。
敵は別の渡河点を探す。
例の浅瀬へ向かうかもしれない。
他の迂回路もあるだろう。
俺は馬へ戻ろうとした。
街道脇には、ルナの兵が集められていた。
アッヅミノスが隊列を直している。
兵の顔には疲労が浮かぶ。
それでも、統制は崩れてはいない。
よく迅速に合流してきたものだと思った。
その横を通りながら、俺は名前を呼んだ。
「エリサ」
返事がなかった。
もう一度見る。
前列。
中列。
後列。
見慣れた銀髪が見当たらない。
「エリサ」
声が少し大きくなった。
やはり返事はない。
俺はアッヅミノスを見た。
「エリサは?」
アッヅミノスは、すぐにこちらを向いた。
表情は変わらない。
「枝道の前哨へ残しました」
言葉の意味が、即時には頭に入ってこなかった。
「何を言ってる」
「枝道の前哨へ残しました」
同じ言葉を、もう一度言った。
「何をさせた」
「敵を確認した場合、火球で合図するよう命じました。前哨の戦闘支援も」
「その後は」
「火球の合図は確認しておりません。離れすぎたか、敵がまだあの場所に――」
「違う。合図と戦闘支援の後はどうするように命じたか聞いている」
アッヅミノスはわずかに沈黙した。
「それ以上は命じておりません」
「合流しろとは」
「命じておりません」
体の奥が冷えた。
橋は落ちた。街道を西へ来ても、もう簡単には渡れない。
エリサが西岸へ来るなら、枝道の先の浅瀬を使うしかない。
そして、ケンタウルスもそこへ向かう。
「さっき」
俺は言った。
「全員渡ったと言ったな」
「はい」
「一名の欠けもないと」
「はい」
「エリサは」
「殿下よりお預かりした兵ではございません」
声は静かだった。
嘘ではない。
その言い方が、余計に腹立たしかった。
「俺の私物を勝手に使うな」
アッヅミノスは顔を伏せた。
「申し訳ございません」
「謝れば済むと思ってるのか」
「必要な措置であったと判断いたしました」
「必要?」
「枝道は、敵が浅瀬へ向かう場合の経路になり得ます。前哨からの合図がなければ、こちらは敵の接近を知るのが遅れます」
「お前の隊にも魔術師はいる」
「殿下からお預かりした兵を、私の独断で残すことはできませんでした」
ルナの兵は残せない。
俺の奴隷なら残せる。
「俺の許可を取れよ」
「セト様は、殿下とともに先行しておられました」
「馬はあるだろ。伝令でも使えよ」
「隊を止めれば、合流が遅れます」
ルナの兵の安全を高めるために、エリサは残された。
最も命の価値が低い、奴隷のエリサが選ばれた。
筋は通っている。
だから、殺したくなった。
腰の剣を抜き、アッヅミノスの喉元へ突き付ける。
「セト!」
駆け付けたノアが、血相を変えて俺を押し留める。
殺すつもりはない。
殺すつもりなら、こいつの頭部はすでに胴体から離れている。
だから、これは冷静な威嚇だ。そのはずだ。
ちょっと脅しておかなければ舐められる。
「アッヅミノス」
遅れて駆け付けたルナが声を掛ける。
アッヅミノスはその場で膝をついた。
「独断で命じたことに咎があるのならば、処罰を受けます」
ルナは何も言わなかった。
アッヅミノスは、ルナの兵を連れてきた。
全員。一名の欠けもなく。
命令されたことは果たしている。
そのために、命令の外にいた一人を使った。
俺は東を見た。川の向こう。
そのさらに向こう。
枝道の入口。
エリサは、あそこにいる。
もしくは、もういない。
さっきまで、俺は橋の向こうに残した兵を数字で見ていた。
何人残るか。何人死ぬか。どれだけ時間を買えるか。
いまは、その数が全部どうでもよくなっていた。
エリサがいない。
それだけで、計算の桁が変わった。
「ノア」
「何だ」
「浅瀬は上流だったな」
ノアの顔が変わった。
「戻るつもりか」
「拾いに行くだけだ」
「敵も向かう」
「だろうな」
「セト」
ルナの声だった。
「行ってはいけません」
「なんで」
「危険です」
「知ってる」
「橋の向こうには、多くの方がいます」
「知ってるよ」
俺は馬へ向かった。
「許可できません」
「許可が必要なのは、その許可が俺の意思より重い時だけだ」
「セト」
「俺の奴隷を取り戻しに行くだけだ」
鐙へ足をかける。
ノアが西を指した。
「街道を西へ進め。また枝道があるはずだ。そこへ入れば、浅瀬へ出られ、先ほど通り過ぎた枝道へ繋がっている」
「ノア!」
ルナが呼ぶ。
ノアはルナを見なかった。
「……セトは、止めても行きますよ」
「ノア、ありがとう」
初めて本心から、ノアに礼を言った気がする。
「言うだけ無駄かもしれんが、無理はするなよ」
「なるべく、したくないな」
「ケンタウルスが先に迂回して着いている可能性もある」
「知ってる」
馬に跨がる。
「待ってください、セト」
ルナが、馬の傍にまで詰め寄ってくる。
王女を馬上から見下ろす絵面は、あまり周囲に見られて都合の良いものではない。
「あなたは、東岸の兵たちを切り捨て、橋を落としました」
「切り捨てたのはお前だろ。俺は命令に従っただけだ」
正確には、そういう話だ。だから何だ。
「……っ! 確かにそうです。それでも、あなたの提案でした」
「ああ。正しい判断だったと思うよ」
「大勢の兵を切り捨てるべきと提案したあなたが、エリサ一人を救いに戻ると言うのですか」
「そうだな」
「彼らとエリサの違いはいったい何なのですか」
「エリサは俺の身内だ」
ルナも、それ以上は何も言わなかった。
王国軍は西へ動き始めていた。
全軍を逃がすために橋を落とした。
その直後に、一人を拾うために戻る。
いい判断ではない。だが、俺の判断だ。
アッヅミノスは、エリサの価値を私兵たちより下に置いた。
それを間違っていると言うつもりはない。
正直、当然だと思う。
俺は、名も知らぬ兵百万より、身内一人のほうが大事だ。
やはり、当然だと思っている。
馬首を西へ向け、馬腹に脚を添えた。