神様、ちょっと黙ってろ ~神は死んだ。聖女はまだ祈っている。~ 作:筆負野ユウ
当時の帝国側資料には、皇帝セトが『異なる世界より来た存在』であると記されている。
もちろん、これをそのまま史実と見る研究者は非常に少ない。
建国者を通常の人間ではなく、外部から到来したり、奇妙な出生経緯を持つ特別な存在として描くことは、王権の神聖化において珍しい手法ではないからだ。
卵から生まれた。
狼に育てられた。
母親が怪物の足跡を踏んだら妊娠した。
天界から降りて来た。
言い回しは違えど、支配者を人々の外側に置く発想そのものは、各地の建国神話に広く見られる。
しかし興味深いのは、セト側とは到底言えない者たちが残した資料にも、これと酷似した記述が見られることである。
『ルナ=アグディス=アストライア王女殿下が、召喚の儀によって異界のクロスを迎えた』
これは、聖音教団派修道院の年代記に記された一節である。
また、王国貴族の書簡にも次のような記述が残る。
『腹立たしいことに、異世界からの来訪者セトが、一代騎士に叙任された』
本来なら相容れないはずの立場から書かれた資料が、「異なる世界から来たセト」という一点において奇妙な一致を見せる。
同じ「異世界」という言葉が、正統性にも、異端性にも、英雄性にも、危険性にも使われたのである。
この一致をどう解釈するかについては、偽書説を含め、現在も議論が分かれている。
これらの記述は、本当にセトが異なる世界から来たと当時信じられていたことを示すのか。
あるいは、帝国側と王国側の記録が、いずれも王国宮廷で形成された同一の伝承に由来するにすぎないのか。
それとも、「異なる世界」とは政治的・宗教的な比喩であったのか。
単純に外国人であったとする説もある。
セトが残した直筆資料と断定できるものが見つかっていないことなども、その根拠として挙げられる。
しかし、外国人を「異なる世界より来た」と表現する同時代資料が他に確認されていないことから、この説は現在あまり有力視されていない。
なんにせよ、断定は避けるべきであろう。
また、奇妙なのは、セト本人の政治が、こうした神聖性を徹底して嫌った点である。
彼は血統を疑い、神意を疑い、伝統を疑った。
にもかかわらず、彼の帝国は、その皇帝を神話によって飾った。
それがセト本人の意思で行われたのかは、疑わしい。
ただ、人間、そして国家が抱える矛盾を思うとき、この事実はきわめて示唆的である。
人は、神話を疑う者さえ、神話の中に置きたがる。
――ヘロセン「セトの帝国」 第十二章「彼の出自を探る」より