「夢を現実に変えるの〜♪」
これは去年の秋ごろにリリースされた「夢想世界」という曲だ。イヤホンからキュートな歌声が響く。声の持ち主は、JUMPUPエンターテイメントに所属する小悪魔アイドルのツキナ。事務所内では1番の人気を誇り、一定のファンをつけている…その1人が僕、木田リョウタ。
「すみません」
体に少しの衝撃が走り声が聞こえた。リョウタは音楽の世界に沈みかけて現実が見えていなかったらしい。いつのまにか人とぶつかっていた。突然現実に戻されたリョウタは妙な気まずさを感じて足早に歩き去った。
彼は高校に通う現役の学生だった。成績は普通、友達は多くも少なくもない、目立った特技もない。そんな彼が他の誰にも負けないと言えること、それこそがツキナだった。彼女を推す気持ちでなら負けるはずがない。同級生にはツキナはおろか他のJUMPUPエンターテイメントのアイドルを推している生徒すらいない。そもそも特定のアイドルを推している生徒はそこまで多くはない。リョウタはそれになんとも言えない優越感を感じていた。まるでツキナが、自分だけのために歌ってくれているように感じるのだ。登校中も、休み時間も、下校中も、家でも、彼の生活には常にツキナの声があった。
「まもなく、3番ホームに電車が到着します」
アナウンスの冷淡な声が響いた。
(やべ)
リョウタはエスカレーターを駆け上り、ちょうど到着した列車に飛び込んだ。通勤通学の時間帯なので中は混んでいる。リョウタは指を吊り革に絡ませ、いつものようにスマホを取り出した。ツキナと繋がれる唯一の機器である。
ツキナの歌をバックグラウンドで再生しながら、特に当てもなくネットニュースを開く。ニュースは利用者の興味に合わせた内容が表示されるらしく、おかげで彼のニュースは今日もツキナまみれだった。
リョウタはそのスマホに映し出された姿をじっと見つめる。表示されているのは1日前に投稿されたツキナの画像だった。卵色のツインテール、黒い改造セーラー服のような新衣装、体の半分ほどを占めるめちゃくちゃ長い脚、やっぱり体のバランスが完全的に綺麗だ…そしてその目。キラキラと光る薄ピンク色の目。いたずらっ子のような純粋無垢さ、あるいは反射する朝露のような可愛らしさと元気さが滲み出ている。
ツキナは画面外のリョウタに向かって、無邪気に両手でピースを作って笑いかけている。思わず口角が緩んだ。添えられた文章には「ダンス練習終わった!期待しててね!」とある。
その時、ピコンッと音がして画面上部に通知が表示された。誰だツキナの邪魔をするのは…と思うリョウタ。ところが、それはツキナの公式ブログだった。
「あ…」
お知らせを目にしたリョウタは電車の中であることも忘れて声を漏らした。
『小悪魔ツキナ、ライブツアー開幕!』
(主要都市のライブハウス…待てキタァァ)
心の中で叫ぶリョウタ。この街にあるライブハウス『Listen』もその対象だった。リョウタは人ごみのなかで喜びを噛み締め、小さくガッツポーズをするのだった。
同時刻、JUMPUPエンターテイメントの練習ホール。社内には小規模ながら、アイドルに力を入れているJUMPUPらしい立派なホールがあるのだった。
「お疲れ様」
1人の男性がホールへ入ってきた。白い壁紙が貼られた空間には、まだ彼女の音源が残響している。そんな彼女はダンスレッスンを終えたところらしく、タオルで汗を拭きながらペタンとステージに腰を下ろしていた。
「…どこに座っているんだ。衣装に変な折り目がつくだろ」
男性マネージャーは声をかける。
「えぇ〜?本番前アイロンがけすれば大丈夫でしょ!」
天真爛漫そうな笑顔がきらりとこちらに向かって光った。それはまさにJUMPUPの希望、ツキナだった。黒い悪魔の翼のようなものがついたステージ衣装を纏っている。相変わらずその艶やかな髪も、キラキラと光る目も非の打ち所がない。
「ふざけんな、そのアイロンがけは誰がすると思ってんだよ」
マネージャーがズバッと突っ込むと、ツキナはぷくーっと頬を膨らませる。
「何だその不満げな顔は…」
マネージャーは水の入ったペットボトルをツキナの手に押し付けながらため息をついた。別に関係が悪いわけでは全くない。むしろマネージャーは彼女の保護者のように常に面倒を見てきた。自分の娘のように思ってきた。そんなツキナが脚光を浴びることが、彼の何よりの生き甲斐だった。マネージャーとはそういう仕事であり、それが彼、火宮蓮司なのだ。