次の日、ライブハウス『Listen』。開場30分前にも関わらず、大勢の人がすでに集まっていた。全員がなんとなく列のようになっており、そのすべての人の目的はもちろん「小悪魔アイドルツキナ」。リョウタと金井もその中にいた。
「結構人気あんじゃん」
黒いパーカーを着た金井が口を開いた。
「いや言い方…」
リョウタは辺りを見回した。トラックが2台、ライブハウスの裏に停まっているのが見える。
30分前でこの人数とは…すでに百人は超えていそうだ。リョウタは少し複雑だった。いつもクラスでは自分だけがツキナを好きだった。自分だけのツキナとさえ感じることもあった。それが、実際にライブに来てみると、こんなにツキナを好きな人がいるのか。自分だけのものを奪われてしまったような気持ちも少しありつつ、ツキナの人気を目で見て実感したようで妙に誇らしい気持ちもあった。
やがて列が少しずつ進み始めた。入場が始まったらしい。リョウタは落ち着きなく何度もツキナの公式ブログを開いては閉じてを繰り返している。この緊張はついにツキナに会えるというものなのか、ライブが成功して欲しいという気持ちからなのか、あるいは両方か…。
同刻、ツキナはすでにステージ裏にいた。昨日と全く同じ緊張の仕方をしている。ガッチガチに固まって売りのキュートな笑顔は消滅し、床にぺたんと体育座りしている。
「なんだってそんな小さくなってんだよ」
火宮が呆れ顔で見下ろす。
「怖いんだもん〜…!」
ツキナはめちゃくちゃに震える声で言った。これから歌うとは到底思えない弱々しい蚊の鳴くような声。
「まぁそりゃそうか…ただオーバーだろ。ここに集まってる人はみんなお前を貶しに来てるんじゃない。むしろ逆なんだよ。みんなお前が好きなんだぞ」
ツキナは僅かに顔を上げる。
「みんなお前を好いてる。誰も傷つけたりなんてしない。だからお前からもお返しをしてやれ」
火宮がまた頬をぐにぐにしようと手を伸ばしたのを両手でガードするツキナ。その顔はすでにアイドルのそれに戻っていた。
「うん!みんなの期待に応える!行ってきまーーーす!!」
「待て待て待てまだ公演開始時間じゃない!」
火宮がツキナを全身で押さえ込んだ。
「おお…こんな感じか」
ライブハウスに初めてきたらしい金井が言った。
「椅子とかないんだな」
「ない。でも手すりみたいなやつはあるよ」
人がかなりギチギチに詰め込まれたような空間は、青いライトで照らされているが薄暗い。大勢のファンが立ち並んでいるがかなり室温は涼しい。
「結構いい位置じゃん」
リョウタが口走った。2人はかなりステージが見やすい位置を取ることができていた。ステージ上は暗く良く見えないが、人影が何かスピーカーの調整でもしているのか蠢いているのがかろうじて見える。
「あと1分…」
ファンたちがまるで波のように動いている。その様子をツキナは密かにステージから顔を覗かせて見ていた。
(こんなにたくさん…!)
ツキナは興奮を覚えた。これだけ大勢のファンが自分の歌で盛り上がったり、ノったりしてくれるのだ。
後ろからスタッフの手が伸びて、ツキナは奥へ引き戻された。
「まもなくオープニングムービーが始まります。タイミングを合わせて行ってください」
「はぁーい」
ツキナはスタンバイ位置へ向かって階段を降りて行った。
その直後、会場の青いライトが音もなく消灯した。観客たちはざわめき、大雨のような拍手が巻き起こった。そして、それに被せるかのようにステージ上のスクリーンに黄色の小悪魔のキャラクターが表示された。
「キタァァ」
リョウタがテンションが上がってぴょんと跳ねた。隣の金井が苦笑いしている。そうしている間にも、スクリーンには「3」の文字が現れた。
(…もうすぐ…!)
ツキナは衣装に目線を落とし、頬のあたりのマイクを調整した。
スクリーンの文字が「2」に変わった。観客がざわめく。
ツキナは深く息を吸い込み、長く吐いた。
スクリーンの文字はついに「1」になった。緊張感のある静寂が訪れた。そして…
文字が「0」になった瞬間、ツキナはステージの下からぴょんと勢いよく飛び出した。観客が一斉に声を上げ、拍手の雨が響き渡った。
「どうも!!小悪魔アイドルツキナです!!」
ツキナは先ほどまでの緊張が嘘のように高らかに宣言した。