冒険者を夢見る少年がゴブリンから一人の神官の少女を助けるのだが、奇跡も使えないし妙に世間知らずで、どうにも訳ありの様子。果たして少年は無事少女を王都まで送り届けることができるのだろうか。

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ゴブリンスレイヤーTRPGで使った冒険者の前日譚として書きました。設定を細かく決めてないと、使い込んでるうちに変な背景が生えてくる事って有りますよね。予想外の膨らみ方をしたので、取り敢えず書いてみる事にしました。


お前がお姫様なら俺は王様になる

 

 

 冒険者を志す男子ならば、一度は怪物に囚われた姫を助け出したいと考えた事があるだろう。

 

 竜や魔神に攫われた姫を颯爽と助け出し、感謝され英雄として讃えられ、最後には助け出した姫と結ばれるのだ。そして、そんな誰かに話すだけで恥ずかしくなってしまうような夢を諦められなかった愚か者だけが、きっと冒険者になるのだろう。自分もそんな愚か者の一人であり、いつかきっと──そう考えて故郷を離れたのだ。

 

 だが、自分が助けたのは姫では無く──神官の女の子だった。

 

 周囲に散らばるゴブリンの死体。

 その真ん中で、魔法が何かで眠らされているのか、微かな寝息を立てる神官の女の子を眺める。汚れてはいるが乱暴をされた様子はない。しかし、逃げられないようにするためか、足が折られている。これでは起こしても歩くことさえままならないだろう。

 

 ──はてさて、これからどうしたものか。

 

 そうして視線を向けた遥か先には、かつて死の迷宮と呼ばれたダンジョンが佇んでいた。

 

 

 ◆

 

 

 冒険者になって一旗上げる。

 怪物を倒し、財宝を手に入れ、美女に讃えられる。この牧童の少年は、そんなありふれた夢を抱えて王都へ向かっていた。羊を誘導して狼を追い払うための投石杖を握りしめて、いざ英雄にならんと踏み出したのだ。

 

 「王都まではまだ距離があるな……」

 

 少年が居るのは、かつて死の迷宮と呼ばれた場所の近く。

 ここから暫くすれば王都に辿り着ける。そうすれば自分の冒険譚が始まるのだと考えると胸が弾み、足取りも軽やかになっていく。

 

 「ん? 何だあれ?」

 

 そんな時、地平線の先から何かの集団がやってくるのが見えた。

 最初は兵隊かと考えた。自分の来た道の途中には死の迷宮があり、そこへ調査にでも向かうのかと考えたのだ。だが、牧童としての優れた視力が、その集団が兵士では無い事を見抜いた。

 

 「ゴブリン…だと?」

 

 そう、ゴブリン。

 ゴブリンの一団が狼に乗って移動しているのだ。

  

 「ちっ、取り敢えず隠れとくか」

 

 その緑色の姿に少年は苛立ちを覚えるが、あの数に一人で立ち向かうのは無謀であると考え、隠れてやり過ごそうと考えた。

 幸いな事に周囲は大小様々な岩が突き出ており、隠れる場所には困らない。様子を伺って、後でギルドにでも報告すれば良いだろう。そう考えて身を潜めていた少年は、ゴブリンの一団がハッキリと見えるまで近づいた事で、ゴブリンが連れている存在に気がついた。

 

 「──ッ!?」

 

 人が居た。

 気を失っているのかぐったりとした様子で、ゴブリンに運ばれている。ゴブリンが殺して居ないという事は、間違いなく女だ。奴らが男を生かしておくはずが無いという事を、少年は良く知っている。なにせ、自分の父親がそうだったのだから。

 

 「………ゴブリンに攫われたのか。運のない奴だ」

 

 見過ごす事が賢い選択だ。

 あの数のゴブリンに挑んでも、自分が殺される可能性の方が高いのだ。だから、ここはやり過ごして、王都へ急いで向かいこの事をギルドに報告するべきだ。そうすれば彼女も自分も助かる。……助かる筈だ。

 

 「王都には冒険者だっていっぱいいるだろうし、きっと直ぐに助け出されるだろ……」

 

 それで──その助けはいつ来る?

 

 明日か、明後日か、それとも一週間後か。

 自分が休まずに走ってギルドへ知らせて、それから依頼として受理されて、冒険者が受けて、ゴブリンを殺して彼女が助け出されるのはいつになる。それまで彼女が生きている保証は無いし、生きて居たとしてもゴブリンの嬲りものにされる事は間違いない。なにせ、奴らは悪意しか持ち得ない怪物なのだから。

 

 「だからって俺に何ができるよ。まだ冒険者にすらなって無いんだぞ……」

 

 そうだ、自分は弱い。

 だから、彼女を助ける事は出来ない。

 勿論、自分が勇者のように強ければ彼女を助けたとも。

 でも、弱いんだから何も出来ない。

 

 「──ああ、クソッ! 違うだろ!?」

 

 弱いから何も出来ません?

 違うだろうと叫びそうになる。弱いから何もしなかった奴が、力を持ったからといって何か出来る筈がない。選択肢は常に二つ、やるか、やらないかだ。出来る出来ない、成否なんてものは結局のところ二の次だと憧れの冒険者も言って居たでは無いか。その言葉は師からの受け売りらしいので、真にその冒険者の言葉という訳では無いが、少年がその言葉に胸を打たれた事だけは事実なのだ。

 

 「やるしか無いか!? やるしか無いなッ! やってやるよチクショウめッ!!」

 

 分の悪い賭けだ。

 だが、賽子は振らなければ出目を出さない。そして、その出目は神様にだって分からないのだから、きっと振る価値は有るのだろう。何よりも、前日譚で女の子を見捨てんなんてカッコ悪すぎる。

 

 「助けてやろうじゃねぇの! これが俺の偉大なる冒険の前日譚だ!」

 

 ──まあ、一つ文句が有るとすれば、命懸けで助ける相手がお姫様では無さそうな点だろうか。

 

 少年は投石杖に石を番えて、ゴブリンへ向けて投げつけた。

 

 

 ◆

 

 

 微睡から意識が浮上する。

 少女が最初に感じたのは揺れと温もりと、知らない匂いだった。

 

 ──はて、何故揺れているのだろうか。

 

 確か、自分は冒険者になるために城を抜け出したのだと。

 そして兵士になりすまして、自分の背丈に近い神官の服を盗んで、馬車に乗って王都から離れた場所で冒険者として登録しようして。

 

 それから、それから……。

 

 ──そう、確か自分はゴブリンに捕まって。

 

 「お、ようやく起き……」

 

 少女を背負って居た少年は、うめき声から少女が目覚めた事を感じ取った。少年は目覚めた彼女に気の利いた挨拶を考えて居たのだが、そのキザなセリフを吐く事は無かった。何故なら。

 

 「う、あ─────ッ!」

 

 少女は意識が覚醒すると同時に、自分の状況を思い出し、金切り声をあげてのけ反ったからだ。

 それは殆ど反射的な行動だった。叫んで、もがいて、触れるものを拒絶した。少女の認識では、馬車から落ちてゴブリンに囲まれて痛めつけらる記憶が最後の記憶で、今はその続きだと認識している。髪を引っ張られ、顔を殴られ、嗤いながら足を叩き折られた瞬間の続きなのだ。

 

 「イヤッ! 嫌ッ! やだぁッ!」

 

 「うわっ!? 暴れんなよ!?」

 

 突然の行動に少年も面食らう。

 甘いシチュエーションを妄想して居た少年からすると、助けて背負って居た相手が叫びながら暴れるのは想定外だった。

 

 「ちょちょちょっ、おい! 落ち着け、落ち着けってば!?」

 

 「離してっ! 離しなさいよッ! この無礼者ッ!!」

 

 少年が叫ぶが、完全にパニックになっている彼女には届かない。

 腕を振り回し、殴りつけ、とにかく離れようとする。少年は必死で落ち着かせようとするが、おんぶした状態でのけ反って暴れられてはどうしようもない。

 

 「お兄様──」

 

 「うぐっ……やべ──」

 

 一瞬の浮遊感の後、体勢を崩した二人は地面に叩きつけられたのであった。

 

 「──いってぇッ!?」

 

 倒れ込んだ少年は、少女に対して何をするんだと怒鳴りたくなる。

 助けてやったというのに、殴られた叩かれ、挙句地面に転がって泥だらけにされれば文句の一つも言いたくなるは当然だ。

 

 「何すんだテメェ……!」 

 

 しかし……。

 

 「う……ぐずっ。なんなのよ……もう……!」

 

 「えぇ……」

 

 這いつくばって怯えながら泣いている姿を見ると、文句を言ってやろうという気も削がれてしまった。

 

 ──そうだ、コイツはゴブリンに攫われたんだもんな。

 

 ゴブリンに襲われて、攫われたのだ。

 ゴブリンは最弱の怪物故に侮られるが、それでも怪物という脅威であることには変わりない。顔には殴られた痕もあったし、何よりも足が折られている。ゴブリンに囲まれて痛めつけられて、きっと痛くて怖かっただろうし、そう考えれば錯乱するのも無理は無いだろうと納得した。

 

 「えっと……」

 

 なんとかして落ち着かせてあげたい。

 しかし、牧童の少年に傷ついた女の子を慰める経験なんて持ち合わせては居ない。泣きながら屈辱と羞恥心に震える少女にどうすれば良いか分からず、取り敢えず妹を泣き止ませる時と同じ事を実践してみる。

 

 「なあ、おい」

 

 「──はぇ?」

 

 しゃがみ込んで目線を合わせる。

 少女は今初めて少年の存在に気がついたのか、驚いたように目を見開いた。目の前の相手が誰か分からず混乱する少女に、少年は懐から取り出したものを手渡す。

 

 「ほら、干し肉やるから落ち着け」

 

 「……?…………??」

 

 干し肉。

 肉を塩漬けした硬くてしょっぱい保存食。泣いている女の子に手渡すにしては無骨というか、呆れられても仕方が無い代物だ。しかし、これは少年からすると未知の状況に対して精一杯考えた末の行動なのだから、責めるのも酷というものだろう。

 

 「……えっと、ありがとう?」

 

 少女の方も突然未知の物体を渡されて、思考がマイナスからゼロに上書きされて居た。

 状況は全く飲み込めないが、一先ず受け取って感謝を述べる。少なくとも、目の前の少年が自分を気遣ってくれている事だけは分かったからだ。

 

 

 

 モキュモキュと干し肉を齧る少女。

 背負った彼女の様子から、やはり食事は人を落ち着かせるのだと再確認する少年であった。あの後、少年は錯乱して泣き喚いた少女を落ち着かせ、再び背負って移動している。少年はゴブリンから少女を助け出したが、ゴブリンを全滅させたわけでは無い。呪文使いの上位個体が存外しぶとく、投石が片目を抉ったのに絶命せず逃げ切られてしまっていた。アレが増援を呼んで来る可能性を考えると、その場から少しでも離れるべきだと考えたのだ。

 

 そうして近場の王都へ向かおうとしたのだが、そこで問題が発生した。

 

 「お、王都は駄目よ! 別の都市に行きましょう!」

 

 少女が王都へ向かう事を嫌がったのだ。

 ここから一番近い安全地帯は間違いなく王都だ。だというのに、それを嫌がる理由が少年には分からなかった。

 

 ──もしかしてコイツ、お尋ね者じゃあるまいな。

 

 そう考えてしまうのも当然だ。

 しかし、ただのお尋ね者というには違う気もした。なんというか、恐れている、というよりは後ろめたいと感じている風に思える。その姿に、妹が自分が大切にして居た物を壊してしまい、なんとか誤魔化そうとして焦っている姿を連想した。

 

 「お前……別の都市って言ったて徒歩じゃ無理だぞ」

 

 「途中で馬車を拾うとか……」

 

 「それまでお前を担いで探し回るなんて御免だな。馬車探しなら、奇跡で自分の足を治してから勝手にやってくれ」

 

 「奇跡は……授かって、ない……」

 

 それは絞り出すような声だった。

 まるで、何か認めたく無いものを直視した様だった。神官だからと言って、全員が神から奇跡を授けられる訳では無いことは少年も知っている。もしかすると、自分は相手の触れられたく無い場所を突いてしまったのかと反省した。

 

 「むぅ……お礼ならするけど?」

 

 少女の懐には持ち出した宝石が残っている。

 売れば一財産になるそれを見せて頼んでみたのだが……。

 

 「命には変えられません!」

 

 しかし、キッパリと断られてしまった。

 冒険者は危険に挑む仕事だが、それは死ぬ事を前提に動くという訳では無い筈だと思っている。勇敢と蛮勇を履き違える奴は、高位の冒険者になんて成れないだろう。少なくとも、少年の知る冒険者は病的なまでに徹底した男だった。彼に助けられて、自分もあんな風にカッコいい冒険者になりたいと思った。だから大粒の宝石にも、背中に感じる柔らかい感触にも……決して惑わされないのだ。

 

 「俺も王都に行く予定だからな、王都の地母神の神殿までは連れてってやる。そこからは好きにすれば良い」

 

 「それじゃ、連れ戻されちゃう……」

 

 何やら小声でブツブツと言っているが関係無い。

 自分は自分が勝手に助けたいと思い行動したのだ。相手の都合など知らずに手を出したのだから、余計なおせっかいと言われるのだって覚悟して居た筈だと少年は自分に言い聞かせる。

 

 「あ、そういえば……貴方どうやって私を助けたの?」

 

 少年の背中で揺られて居た少女はそう質問した。

 彼は確か冒険者志望だと言って居た。ならば、自分とそう変わらない筈だろう。自分が一方的に痛めつけられたゴブリンを彼がどうやって倒したのか興味が湧いたのだ。或いは、同年代の冒険者志望への対抗心があったのかも知れない。伝え聞いた冒険譚を思い出し、目の前の少年がどうやって自分を助けたのか想像する。剣は持って居なかったし、杖を持って居たから魔術師なのだろうか。だとしたら、神秘の力でゴブリン達を薙ぎ払ったのかも知れない。

 

 「どうって、今お前が尻乗せてる投石杖で石投げまくったんだよ」

 

 「え、それだけ?」

 

 地味。

 滅茶苦茶地味で、正直がっかりした。投石なんて子供でも出来る。いや、もちろん固い石でも当たりどころが悪ければ死ぬ事は彼女も分かっている。だが、それでもカッコよく武器を振るう騎士や、絶大な影響を齎す魔法に比べると地味に感じるのも仕方が無い。

 

 「あいにくと、俺は剣も魔法も使えないもんでね。最初に呪文使いみたいな奴狙って、それからとにかく近づかれるまで石投げまくったんだ」

 

 牧童である少年は、羊の誘導や狼の対策として投石杖の扱いには慣れている。

 それに、前に自分を助けてくれた冒険者が投擲を多用する姿に憧れ、それからは一層熱心に練習に励んできたのだ。その結果として、ただのゴブリンなら投石杖で遠距離から逃げながら石を投げているだけで、大体殺せる程になっている。もっとも、上位種となると流石に殺しきれず逃してしまったのだが。

 

 「それで殆どの殺したんだけど、呪文使いみたいな奴、目ん玉ぶち抜いたのに生きてやがった。死んだふりに気が付かなくて逃げられたんだよ」

 

 「アイツに一発かましてやったの!? 良くやったわ、後で褒美をとらせてあげる!」

 

 「おお? そりゃどうも?」

 

 少女は自分を痛めつけたゴブリンが死んだ事に大喜びだ。

 さらに、その首魁と思しき相手が目玉を潰され、情けなく逃げ出したとくれば鬱憤も晴れるというものだろう。

 

 「それにしても投石かぁ、考えても無かったわね。ねぇ、どうして投石をしようと思ったの?」

 

 「羊飼いだからな、狼を追い払うために投石を練習するのは牧童の嗜みだぜ。それと──俺を助けてくれた冒険者が投擲の上手い人でさ……まあ、憧れたんだよ」

 

 「ふーん、私も練習してみようかしら」

 

 「いいと思うけど、やるなら俺にぶつけないでくれよ?」

 

 「しないわよ! ………たぶん」

 

 

 そうして歩きながら話していると──次第に日が暮れてきた。

 

 王都まではまだまだ距離がある。少年一人ならもっと早く着いて居ただろうが、人一人を背負いながら歩くのだから遅くもなる。むしろ、このペースで歩いてこられた少年の体力が脅威的だった。だが、それでも人間である以上は疲労も溜まるのは当然のことで、少年の体力は既に限界に近かった。

 

 このまま少女を背負って夜通し歩き続ける事は出来ない。

 どこかで休憩をする必要がある。

 

 そこで慣れた手つきで野宿の準備をして居たのだが、その中で……。

 

 ──やっぱりコイツ冒険者じゃないな。

 

 少年はそう確信していた。

 野宿の仕方も知らないし、焚き火の起こし方も知らないとくればもはや確定だ。仮にも鋼鉄等級の冒険者の筈なのに、焚き火を起こす所を興味深げに眺める様は、まるで家を飛び出した世間知らずのお嬢様としか思えない。そして何よりも……。

 

 ──手が綺麗すぎるんだよ。

 

 助けた時から気になっては居たが、少女の手は汚れて居ない。

 生活感が無いと言ってもいい。日々鍛錬をしている戦士の手では無く、神官や農民のように農作業で手が厚くなっても居ないし、魔術師のように日がな一日中本を捲ったり薬品を扱って掠れても居ない。こんな綺麗な手をした冒険者は居ないだろう。そして、そんな綺麗な手と比べると、自分の手が酷く薄汚れて見えるのだから不思議なものだ。

 

 「うーん、美味しい!」

 

 「ただの雑炊なんだが」

 

 少年がそんな事を考えながら作った料理を、少女は美味しそうに食べていた。

 何種類かの豆類と穀物を混ぜて、干し肉を削って煮込んだだけの簡単な料理でしか無い。そんなに喜ばれるものでも無いと思うが、まあ、嬉しそうな様子を見ると満更でも無いと思ってしまう少年だった。この少女は怪しくて変な奴だが、熱々の雑炊をハフハフと冷ましながら美味しそうに食べる様を見ていると、少なくとも悪い奴では無いのだろうと思わされる。

 

 「ねぇ、貴方はどうして冒険者になろうと思ったの?」

 

 飯を食っていると、少女は突然そんな事を聞いてきた。

 

 「うーん、改めて聞かれると言葉にしずらいな。まあ……冒険者に憧れたからかな」

 

 偉大な冒険者になって、千年先も語り継がれるような伝説になりたい。

 彼が冒険者を志したのは、そんなありきたりな理由でしか無い。

 

 「愉快な仲間と旅をして、未知の遺跡に挑んで怪物を倒したり、莫大な財宝を手に入れたりしたい。美味しいものだって腹一杯食べたいし、世界の果てだって見に行きたいし──」

 

 話しているうちにどんどん熱が入っていく。

 あれもしたいこれもしたい。山奥で羊の世話をしているだけでは、決して出来ない体験をしたいから少年は冒険者を志したのだ。

 

 「──後はやっぱり、怪物に囚われたお姫様を助けたりしてみたい!」

 

 「──ふーん。やっぱり、男の子はそういうの憧れるんだ」

 

 少女はなんとも複雑そうな表情をしている。

 笑いそうとも違う。かと言って呆れている訳でもない。強いていうなら、バツが悪そうと言うのが一番近いだろう。

 

 「おいおい、そういう女の子だって白馬の王子様に憧れるんじゃないのか」

 

 少なくとも妹はそうだった。

 少年は妹のままごとに何度も付き合わされ、王子様役で羊に乗った事を思い出す。少し恥ずかしいが、きっと悪くわない思い出だ。

 

 「そうね、白馬の王子様に憧れないと言えば嘘になるかしら。でも……お姫様には憧れないかも」

 

 「ふーん、そんなもんか」

 

 お姫様なら良い暮らしができるのだから憧れそうなものだと思うが、既に良い暮らしをしている者からすれば、むしろしがらみが多い分貧乏くじに感じるのかもしれない。或いは、この少女もそんな暮らしに嫌気がさして飛び出しのかもしれないと夢想する。

 

 

 「それに、実際は王子様なんて助けに来ないわよ。だって、私を助けに来たのは白馬の王子様じゃ無くて、羊飼いだったんだもん」

 

 「確かに現実はそう上手くは行かないよなぁ。俺も助けたのがお姫様じゃ無くて、乳臭い神官でガッカリしたしな〜〜」

 

 「なっ……乳臭い!? い、良いのかしらそんなこと言って。もしも私がこっそり城から抜け出したお姫様だったら、不敬罪で捕まるかもしれないわよ?」

 

 少女は初めてされる類いの軽口に顔を赤くしてたじろいだ。

 しかし、そのあけすけな言葉に負けじと、頭を回して精一杯の冗談を返してみる。そう、あくまで冗談としてだ。どうせ信じられないとしても、自分の本当の立場を言う訳にはいかないのだから。けれど、同時に思ってしまう。

 

 ──もしも、自分が本当のお姫様だって知ったら。

 

 果たして彼は、さっきまでと同じように自分に対して気軽に接して来るのだろうか。

 もしも今回の件が無事に終わって、もしも彼が本当の事を知ったら、きっと慌てふためくのだろう。無礼な態度をとっていた事を必死で謝る彼の姿を想像すると愉快でさえあった。だが、してやったりと思う反面、心の何処かでは不思議と寂しくもあった。

 

 「……お前が、お姫様……? はッ、そりゃいいな。早速夢が一つ叶ったよ!」

 

 「むぅ……」

 

 しかし、それは少女の想定していた答えとは違った。

 その反応に対して──もっと悩めよ! と思わずには居られない。だが、もしかすると、彼にとっては自分が何処の誰かなど然程重要ではないのかも知れない。そう思うと、姫という立場では無く、自分自身を尊重してくれているということになる。そう思い至った少女は、何処か嬉しそうだった。

 

 「しかし、そうなると新しく目標が要るな」

 

 そんな少女の気持ちも知らず、少年はそんな事を考えて居た。

 彼にとって、先ほどの少女の発言が冗談か否かなど然程重要では無い。大切なのは、新しい夢を見つける事だ。少年にとって夢とは、先へ進むための原動力にして導きの星なのだから、有ればあるほどいいモノなのだ。そうして考えていると、一つ思いつくものがあった。

 

 「──そうだ。お前がお姫様なら、俺は王様になる!」

 

 「はぁ?」

 

 「だって、そうしたらお前と対等だから不敬罪は関係無いだろ」

 

 「だからって、王様になるなんて……」

 

 出来るわけがない。

 思わず口をついてそう出そうになる。というか、王様はとても大変な仕事なのだ。少女はそれを良く知っている……知っているつもりではある。何より、学のない牧童が王様に成れるはずがないし、成っても国は回せないだろう。問題点を挙げればキリがないが、少女がそれを言う前に少年の一言でそんな事を言う気も失せてしまった。

 

 「そんで王様になって、城から抜け出すようなおてんばお姫様に会いに行ってやるさ」

 

 ──ずるい。

 

 そう言って見つめられると、何も言い返せなく成ってしまうでは無いか。

 

 「…………そう。それなら、期待しないで待ってようかしら」

 

 それから二人は焚き火を囲んで様々な事を話し合った。

 笑ったし、困惑したし、怒ったりもした。二人ともそんな時間が楽しくて、もっと続けば良いと思っていたが、気が付けば鍋の中は空になって居た。食時間済んだのならば次の行動に移る必要がある。こうして、楽しい時間はあっという間に過ぎるという事を、二人は改めて実感したのであった。

 

 

 「さて、飯も食い終わった事だし、お前にも一つ働いて貰おうか」

 

 「え? 私に………もっ、もしかして……!」

 

 まさか、そういう事を頼まれるのだろうかと少女は考える。

 確かに彼には助けてもらったし、危うくゴブリンの慰みものにされる所だった事を考えると無碍にもできないけれど、それでもやはり躊躇わずにはいられない。だが、現在自分はこの状況に何か貢献できている訳ではなく、完全な足手纏いだという事は自覚しているので強く出られない。しかし、出来る事なら英雄譚のようなシチュエーションでしたかったなどと考えては悶々とする。だが、そんな少女をよそに少年は冷静だった。

 

 「徹夜で見張を頼むぜ。俺は明日に備えてしっかり寝ないとだからな」

 

 「あ、うん。そうね、そうよね……」

 

 そう言って少年は投石杖を渡して来た。

 これを持って見張って居れば、うたた寝したりした時に杖が倒れて反射で起きるからだという。背負われているだけで、焚き火も食事の支度も見ていることしか出来なかった少女からすると、何かを任せてくれたという事が嬉しくてやる気が満ちて来た。それはそれとして、少女は勘違いして居た事が恥ずかしくて耳まで熱くなるのを感じていた。

 

 「何か見えたらその杖で俺を叩いて起こしてくれ。ゴブリンの可能性もあるから、気づかれないようなるべく静かに頼むぞ」

 

 「ええ、任せてちょうだい!」

 

 そう言って、任された杖を強く握りしめた。

 

 

 ◆

 

 

 二つの月が照らす下で、少女は焚き火を眺めていた。

 火の管理もだんだんと慣れて来たし、この分なら夜明けまでは問題なく日を維持できるだろう。ふと、隣を見ると少年が穏やかに寝息を立てている。途中で火が消えそうになって騒がしくしてしまったが、全く起きる様子がなかった辺り、相当疲れているのだろう。

 

 ──ずっと私を背負って居たのだから当然だ。

 

 死の迷宮の近くで助けられてから、少年はずっと少女を背負って歩き続けた。

 人間一人を背負って歩く事が辛いことくらいは少女にも分かる。少年は少女に対して心配をかけないようにするため、この程度なんでもないという顔をしていたが、横になった瞬間に眠った姿を見れば疎い少女でも相当疲れていたのだと察してしまう。そしてそ、の原因が自分だということも。

 

 ──本当に何にも無いんだ、私って。

 

 城の外に出てそれがよく分かった。

 剣も魔法も使えない。格闘技術を修めている訳でもなければ、奇跡だって授かっていない。それこそ、石ころを狙い通りに投げる事だって満足に出来ないだろう。多くの知識を持っている訳でもなければ、交渉術などに秀でている訳でも無く、医術の心得が有る訳でも無い。火だって起こせないし、料理も出来ない。

 

 そして、今は歩くことさえ出来ない。

 

  「…………ッ」

 

 足に響く鈍い痛みで、ゴブリンに襲われた時の事を思い出す。

 馬車から落ちた自分を囲み、楽しそうに痛めつけてくる緑色の怪物達の醜悪な笑顔を。そして、自分の足を叩き折った時の嗤い声が、今でも少女の頭の中に響き渡る。少年が助けてくれなければ、今頃自分はゴブリンの巣穴に連れ込まれ、あの悪意を受け続ける事になっていたかと思うと震えて来る。

 

 「……うん、痛く無い」

 

 しかし、そっと折られた足を触れば、そこには添木がしてある。

 背負われている間は気が付かなかったが、彼が焚き火のために使えそうな木の枝を集めて来るからと、背中から下された時に気がついたのだ。こんな相手を慮るような事をゴブリンがするはずが無い。だとすれば、これは自分が目覚めるまでに少年が施してくれた応急処置だ。だから、触れると安心する。

 

 ふと暗闇を覗けば、そこにゴブリンが潜んでいるのでは無いかと考えてしまいまい恐ろしく感じる。

 何より、この先の見えない暗闇に囲まれていると、自分が酷く小さな存在のように思えて憂鬱になるのだ。出来る事なら、今すぐにでも少年を起こして夜明けまで守っていて欲しいと思わずにはいられない。

 

 恐らくだが──少年は拒否しない。

 

 頼めば隣で夜明けまで守って、励ましてくれるだろう。

 だけど、それを選ぶことだけは絶対に出来ない。夜の見張は、何も出来ない自分に彼が任せてくれたことなのだから、これだけは必ずやり通さなければならない。自分にはその程度のことしか出来無いのならば、その程度はやらなければならないだろう。それはちっぽけな、けれど彼女にとっては大事な意地なのだ。

 

 ──年は変わらないのに。

 

 背負われている時に同い年と聞いて驚いたものだ。

 なんでもテキパキとこなしてしまう様は、とても大人びて見えた。それに対して自分には、城から持ち出した宝石を報酬として渡す事しか出来ない。そして、ゴブリンが追って来るかも知れない状況では、宝石なんてその辺の石ころ程度の価値しかない事も理解している。理解させられた。

 

 ──無事に帰れたら沢山褒美をあげよう。

 

 彼の努力に報いれるだけの事をしてあげようと、少女は固く誓ったのだった。

 

 「うん? ……何か動いた?」

 

 そんな事を考えていると、月光に照らされた地平線に何か動くものが見えた気がした。

 最初は野生動物の類かと思ったが、次第に数が増えて来た辺りでどうもおかしいと違和感を感じる。

 

 「狼の群れ? いや、違う……あれは……」

 

 狼にしてはシルエットがおかしい。

 まるで、狼の背中に子供が乗っているかのような。そう考えが至った時点で、少女は背筋に氷柱を突き込まれたかのような恐怖が走った。なにせ、少女はそのシルエットに覚えがあったのだから。

 

 「ゴ、ゴブリン……!」

 

 間違い無い、アレはゴブリンだ。

 少女は襲われた時のことを思い出して体が硬直しそうになるが、直ぐに少年の存在を思い出し、縋るような気持ちで杖で叩いた。

 

 「起きて……! 起きなさいよ……ッ!」

 

 少年からは、何か違和感を感じたら遠慮なく叩いて起こせと言われている。

 なので、少女は震える手で預けられていた投石杖を握りしめ、寝ている少年をベシベシと叩く。そうすると、低い呻き声を上げながら少年が起き上がってくる。

 

 「うぐぅ……どうした?」

 

 少年が起き上がると、目の前には顔を青ざめさせながら震える少女の姿があった。

 それを認識した時点で、揺蕩っていた少年の意識は一気に覚醒する。

 

 「ゴ、ゴブリン! ゴブリンが居たの。ほ、ほら、あそこ……ッ!」

 

 「──チッ。分かった!」

 

 少女から投石杖を返してもらい、指差している方向を確認する。

 まだ距離はあるが、そこに居たのは間違い無くゴブリンだった。十を超える数のゴブリンの一団が、焚き火の明かりを目印にこちらへ迫って来ている。しかし、幸いな事に投石杖の有効射程範囲からはまだまだ距離がある。更に自分達は小高い丘の上に陣取ったお陰で、周囲が見渡しやすくよく見えるし、向こうからはこちらの様子がよく見えないはずだ。

 

 自分達は有利な状況にあるのだと、少年は自分に言い聞かせる。

 

 「よし、まだ距離があるな」

 

 少年は振り返ると、震えながら、縋るような瞳でこちらを見てくる少女と目が合った。

 

 「──大丈夫だ。この程度問題にもなんねーよ」

 

 かつて自分を助けた冒険者の真似をして、格好付けて笑って見せる。

 あの時の冒険者の──この程度問題にもならん、という言葉に強い安心感を覚えたから、それを真似してみたのだ。あの冒険者に比べれば安い言葉に聞こえるだろうが、震える少女が少しでも安心してくれればそれで良いと思ったのだ。

 

 「今の内に準備するから、うつ伏せになってくれ」

 

 「え!? うつ伏せ……! わ、分かったわ!」

 

 少女からすると、汚い地面にうつ伏せになるなど嫌だった。

 だが、ゴブリンへの恐怖と、少年への信頼感から思い切って地面に伏せた。地面にうつ伏せになった少女の上に、少年は自分の荷物を広げて載せていく。これでゴブリンの矢が飛んで来ても多少なら大丈夫だろう。それから少年は周囲の石を集めて、取りやすいように小さく纏めて置いておく。次第にゴブリンがこちらへ近づいて来る。もう直ぐ投石杖の射程に入るだろう。

 

 あの数のゴブリンに群がられれば抵抗できない。

 

 「近寄られる前に全員ブチ殺してやる……!」

 

 ならば──相手が接近する前に遠距離から殺し切る他無い。

 

 「シャアッ! 釣瓶打ちダァ!」

 

 小さな丘の上で──少年とゴブリンとの泥試合が始まった。

 

 

 

 迫り来るゴブリンに対して、少年はひたすらに石を投擲する。

 狙いよりも速さを優先して石を投射し、とにかく近寄らせない事を意識する。動くゴブリンの頭を正確に狙って当てる事は出来ないのだから、とにかく体のどこかに当てればいい。ゴブリンは子供程度の力しかない怪物であり、殺すのに強力な魔法など必要は無い。投石杖で石を投げ付ければ、それだけで十分に殺せるのだ。

 

 丘の上から石を投擲しまくってくる少年に対して、ゴブリン達は苦戦を強いられていた。

 

 まともに当たれば死ぬ威力の石が、自分達より高所から連続で投擲されるのだから攻め難いのだ。

 相手の攻撃はしやすいのに、ゴブリン達の攻撃は当てにくい。あの人間はなんて卑怯なやつなんだと悪態をつく。しかも、最初に──()()()()が狙撃され、次はゴブリンライダーが狼から撃ち落とされたのだから罵倒の勢いも強くなる。普段から偉そうにしていたくせに、全く役に立たない奴らだと悪態をつきながら、仲間がやられた事を怒る口実にして吠え立てる。同胞が死んでも、間抜けな足手纏いが居なくなったと喜ぶ程に仲間意識など欠片も無い癖に、仲間が殺された報復だと恨むのだから救いようが無い。

 

 だが、それでも自分達の方が数は多いのだから必ず勝てると考えるのがゴブリンだ。

  

 そして、勝利の暁にはあの人間に思い知らせてやると嗤うのである。

 手足を叩き折り、同胞を殺した分痛めつけて、最後には命乞いさせてから殺してやる。なにより、奴の持っている石を投げつける杖は自分が使う事が最も相応しいのだ。捕まえたらあの杖で石を投げつけて遊ぶ的にしてやると、既に脳内で勝った後のことばかり考えて居た。

 

 

 ゴブリン達はそう考えて──最後の一匹の頭が柘榴の如く弾け飛んだ。

 

 

 脳みそを溢しながら、クルクルと無様な舞踏を披露してから倒れ伏す。

 結局、ゴブリン達はその下卑た欲望を満たすことも出来ず、少年に近づく前に殲滅された。今回の戦闘は少年が最初に狙撃で──()()()()を倒せた事が大きかった。あの個体が生きていれば、《聖壁》で投石を完全に封じられていた可能性が高い。しかし、ゴブリンは自分達が待ち伏せする際にはあれこれと考えるが、逆に自分達が待ち伏せされるとは考えない。必ずうまく行くと考えて行動するため、攻守逆とはいえ少年に二度目の先手を許してしまったのだ。

 

 一方的な勝利に見えるかもしれないが、実際は少年も必死だった。

 

 もしも近付かれれば、数に任せて殺されるという緊張と恐怖に呑まれそうだった。何故なら、今回は守る対象が居るため、逃げて距離を取りながら投石をするわけにはいかない。不退転という状況に何度も手足が震え出しそうになった。だが、そんな中でも奮起出来たのは、やはりあの少女が居たからこそだ。自分だけで無く、誰かの命を預かっているという状況が少年の集中力を限界まで引き出したのだ。

 

 「……ふぅーーー」

 

 それは、魂まで吐き出すのでは無いかと思わせる深い呼吸だった。

 

 「お、終わったの?」

 

 モゾモゾと荷物の隙間から顔を出してきた少女が尋ねると、少年は肩で呼吸をしながら返答する。

 

 「一応は、だけどな」

 

 まだ生き残りが居ないか確認しなければならないので、終わりというわけでは無いが、一区切りはついたと考えて良いだろう。後は確実に死んだと判断出来ない死体の喉を、杖の石突で潰して回れば良いだけだ。死んだフリをしている可能性もあるから、また逃げられないために面倒でもしっかりやっておかねばならないのだ。

 

 「やるじゃない! 貴方はきっと凄い冒険者になるわね!」

 

 「ハハッ、当たり前だろ。俺はいつか王になる男なんだからな」

 

 「もう、まだ言ってるの?」

 

 そんな軽口を叩く少年に少女は安堵し──しょうがないな、とでも言うように微笑んだ。

 

 二人の雰囲気は明るい。

 後は死体を確認して回るだけでさほどの危険はなく、少女も少年の雰囲気から山場は去った事を感じ取っていたからだ。もう少しすれば空も白んで来るだろうし、それまでに準備を整えて王都へ向けて出発すれば、夕方ごろには着くはずだろう。しかし、それはこの小さな冒険が終わるということでもある。二人ともこの奇妙な同行者との冒険の終わりを感じ、達成感と安心、そして僅かな寂しさを感じていた。

 

 そんな二人から離れた場所で──這いずる影があった。

 

 それこそ、この小鬼の首魁である、小鬼神官(ゴブリンプリースト)だ。

 

 このゴブリンは少女を襲って死の迷宮へ攫おうとし、少年に奇襲で目玉を潰された個体である。そして、このゴブリンプリーストは先ほど少年の奇襲を受けてずっと倒れ伏していたのだ。脳みそを溢しながらも絶命しない、恐るべき生命力である。

 

 「G……」

 

 ゴブリンプリーストは落とした呪物へ向かって必死で這いずる。

 コイツの脳内は混沌の神への祈りでは無く、尽くしてやったのだから報いられるべきだという、神の奇跡への強請りで埋め尽くされていた。そして、そんな邪悪な意思に呼応するように、呪物は邪悪なる奇跡の対価を求める。

 

 「GOBGROB!!?」

 

 「生き残りかッ! オラァ! 死ねぇ!!」

 

 その動きに気が付いた少年の投石が、ゴブリンプリーストの頭蓋を正確に捉え──完全に粉砕した。

 

 「よし、今度こそ死んだな───はぁ!?」

 

 「な、何アレ……?」

 

 しかし──残った死体が突然膨張する。

 

 それはまるで、春に蕾が花開くように見えた。

 肉の蕾は急激に膨らんでいき、中から質量を無視した巨大な何かが這い出てくる。その様はまるで、悍ましい何者かが肉という門を通ってこちらの世界に侵入しようとしているように見えるだろう。否、実際にそうなのだ。今ここに現れようとしているのは、異界の存在である恐るべき怪物なのだから。

 

 「お、おいおいおい……!」

 

 「なっ、ゴブリンって体の中に何か飼ってるの!?」

 

 「んな訳あるかよ!?」

 

 ぐちゃりと、それは繭を突き破るように現れた。

 

 それは巨大だった。

 それは幾つもの足を持つ蟲だった。

 それは薄寒い笑顔を浮かべる人面だった。

 

 

 少年少女の前に現れたそれは──人の頭を持つ巨大な蜘蛛だった。

 

 

 「KIKI……」

 

 巨大な人面蜘蛛は二匹の獲物を八つの瞳で捉えると、気色の悪いほどカン高い笑い声を響かせた。

 それは聞く者の正気を削り、本能的な恐怖を呼び起こさせる嬌声を上げる。この異形の蜘蛛こそは、闇夜を駆ける恐るべき狩人にして、恐怖を喰らう捕食者である。その脅威度はゴブリンなどとは比較にもならない。

 

 「K、キ、キャハハハハッ!」

 

 「「────」」

 

 二人は声も出なかった。

 ただ、突如として現れ、根源的な恐怖を呼び起こす異界の怪物である魔神(デーモン)に震えるしか無い。

 

 「ひっ───」

 

 少女の方は異形の蜘蛛相手に完全に恐怖に呑まれていた。

 身動きすることさえ恐ろしく、叫び声を上げることさえ出来ない。自分の股がじんわりと温かくなっていることにさえ気が付けず、ただ暗闇を怖がる子供のように震えていた。しかし、少女は完全に恐怖に呑まれて諦めた訳ではない。その理由は少年が居たからだ。この状況でも、彼ならばこれまでのように何とかしてしまうのではないかと思っていた。

 

 ──それでも、なんとかなるわよね?

 

 きっと、彼なら何とかしてくれると。

 

 盲信、否、最早そう考える事でしか正気を保てないのだ。

 彼の方を見ると、目が合った彼はまるで大丈夫だと言うように笑って見せた。その笑顔を見て、少女はきっと大丈夫なのだと安心する。だからきっと──彼が震えているように見えたのは気のせいだと、必死で自分に言い聞かせながら。

 

 

 そんな少女の期待に応えるように、少年は異形の蜘蛛へ立ち向かった。

 

 

 「う、うう……ッ! 来いよ! テメェなんざ怖かねぇ!」

 

 少年は、投げて走って逃げて投げるを繰り返す。

 石を投げつけて自分にヘイトを向けさせ、走って距離を取り、狙いをつけて投石で弱点と思しき箇所を狙撃する。二つの月が見下ろす中で、それをひたすらに繰り返した。

 

 「? ……?? ……!」

 

 その中で、少年は異形の蜘蛛という怪物を理解し始める。

 

 異形の蜘蛛は確かに恐るべき怪物だ。

 暗闇に溶け込み、見るものを恐怖で鈍らせ、初撃にて致命傷を与えてくる襲撃者である。この怪物を前にして恐怖を感じればたちまち毒牙の餌食となってしまうだろう。だが……。

 

 「はっ! なんだよお前──足ははそんなに早くない(移動力は低い)し、硬い訳でもない(装甲値も低い)

 

 それは逆に、勇気を振り絞れば子供でも立ち向かうこともできるという事だ。

 

 「びびって損したぜ! 何だよテメェ、ただバカデカくて気持ち悪いだけの蜘蛛じゃねぇか!」

 

 少年の投石が異形の蜘蛛の人面に致命的一撃(クリティカル)を与え、その醜悪な顔面の半分が陥没する。

 

 最早勝負は決した。

 

 それは、戦いを見ていた少女からしてもそう見えた。

 異形の蜘蛛は体の至る所が投石で砕かれて足の半数は無くなっているし、対する少年は消耗こそしているが無傷の状況だ。ゴブリンとは比べ物にならない生命力で生きてはいるが、次に少年が投石を当てれば十分に仕留められるだろう。

 

 「よし、このまま──」

 

 そうして少年が距離を取ろうとした時、少年の体が地面に倒れ込んだ。

 

 「は?」

 

 「え?」

 

 少年が転けたのは、移動しようとして脚を掴まれたからだ。

 一体誰がそんな事をしたのか、それは……一匹のゴブリンだった。

 

 「GOBR……!」

 

 先ほどの戦闘で死んで居なかったゴブリンが、死んだフリをして少年の脚を掴んで転倒させたのだ。

 

 「チッ! 誰だよテメェはッ!?」

 

 少年が即座にゴブリンを殴り殺してトドメを刺す。

 既に投石で死にかけたったゴブリンは、少年の拳で首がもがれて呆気なく死亡した。

 

 しかし、その一手が致命的だった。

 

 「──キャハ! キャハハハハッ!!」

 

 「しまっ──」

 

 異形の蜘蛛が金切り声をあげ、その毒牙で少年に喰らい付いた。

 

 

 

 

 ──痛い、というよりは熱いという感覚が強かった。

 

 初めての経験だが、あ、これは不味いなという事だけはよく分かる。

 それ程までに致命的だと本能が理解してしまったのだ。

 

 ──どこで間違えたかなぁ。

 

 この一連の流れで、少年は明確に失敗はしていない。

 常に異形の蜘蛛との間合いを保ちつつ、急所を狙った投石で確実にダメージ与えていた戦法は効果的であり、あのままならば異形の蜘蛛は間違いなく死んでいた。だから強いて言うならば──運が悪かったのだろう。突如魔神(デーモン)が現れた事でゴブリンの死を確認して回る間もなく、異形の蜘蛛を相手にしながら周囲へと気を配ると言うのは少年には手に余る。せめてもう一人動ける人員が居れば話は違ったかもしれないが、この場に居るのは要介護対象のみ。それ故に、少年が死にかけのゴブリンによる足止めを食らってしまうのは仕方がない事だったのだ。

 

 ──そうだ、アイツは……。

 

 あの少女は無事だろうか。

 死んでいないゴブリンがいた以上、自分が異形の蜘蛛の相手にかかりっきりになっている間に襲われていた可能性もある。もしや選択を誤ったのかと逡巡する。そうして流れる景色の中に、少年の瞳は一人の少女の姿を捉えた。

 

 「──! ──!? ────!」

 

 ──無事なようだが、随分とまぁ酷い顔だ。

 

 こちらを見て何かを叫んでいるようだが、全く分からない。

 少年は、もしもここで自分が死ねば、残された彼女はどうなるのかと考えた。当然ろくな事にはならないだろうと確信できる。この蜘蛛に食われて死ぬか、生き残りのゴブリンに嬲られて死ぬか、どちらか一つ。

 

 自分が死ねば彼女も死ぬ。

 そう考えた時、同時にそれを否定する考えが浮かんだ。

 

 ──いや、それは違う。

 

 そうだ、自分が死ぬから彼女が死ぬのでは無い。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 別に自分と彼女は命が繋がっている訳では無い。

 ならばそう、敵を全員殺せば、少なくともこの場で彼女が死ぬ要因は存在しなくなる。

 

 ──どうせ死ぬなら、道連れにしてやる!

 

 「──ガァァァァ……ッ!!」

 

 少年は異形の蜘蛛の攻撃を防ごうとしてへし折られた投石杖を構え、その鋭利に尖った部分を蜘蛛の眼球へ突き刺した。

 

 「キ───────ッ!!!!」

 

 完全に仕留めたと油断していた獲物からの手痛い反撃に驚愕する。

 悲鳴にならない絶叫を上がる異形の蜘蛛は、少年を振り解こうと暴れ回る。そして、痛みに人面を歪ませた事で、少年から牙が抜けてしまった。もしもだが、ここで異形の蜘蛛が少年を離さなければ、違う結末が待っていた事だろう。

 

 「お、おお、おおおお……ッ!!」

 

 少年は蔦被りに習った武道家としての技術の全てを込め、空中で体を捻る。

 

 「オラァ──!!」

 

 そして、全力の回し蹴りを──()()()()()()()()()()()()()()()

 

 「ギュッ───」

 

 少年によって突き刺された杖が、異形の蜘蛛の脳を突き破る。

 眼球に突き刺され、少年が放った渾身の回し蹴りを受けた投石杖は、その力を余す事なく怪物の頭蓋を貫通して見せたのである。

 

 「へへっ……ありがとな、親父──」

 

 少年が思い出したのは、父親と一緒に羊のための柵を作った時の事。

 柵を建てるために先ずは杭を地面に突き立てるのだが、その際に先ずは地面に軽く杭を刺してから、次に槌で深くまで叩き込むのだ。手で刺しただけでは父でも深くまでは刺せない。だから、槌で叩いて深くまで突き刺す必要がある。少年はその事を思い出し、今回、自分の足を槌として怪物の頭に投石杖を突き刺したのだ。

 

 その場の思い付きだったが、効果は十分だったようで脳を破壊された異形の蜘蛛は完全に絶命する。

 

 「俺の勝ちだ、蜘蛛やろう……!」

 

 この戦いは少年の勝利だ。

 棺桶の釘の如く死に突き進んだ事で生を掴み取って見せた。

 

 しかし、まだ冒険は終わっては居ない。

 まだ怪物を倒しただけなのだから、帰るまでが冒険だ。

 

 「だ、大丈夫なの!? 肩、血が凄い事に……!」

 

 戻ってきた少年を見て、少女はその姿に驚愕する。

 少年の姿はとても痛ましい有り様だった。全身が擦り傷まみれだが、一番酷い肩には穴が空き、向こう側が見えてしまっている。そこから流れ出す血で外套が赤黒く変色しており、自慢の投石杖も半ばからへし折れてただの棒切れになってしまっていた。

 

 「ああ、思ったよりも痛く無いから大丈夫。滅茶苦茶血が出てるからヤバそうに見えるだけだから」

 

 「ほ、本当に……? 顔色真っ青に見えるんだけど?」

 

 「光のあたり加減の問題だから。本当もほん……うぷッ」

 

 「え?」

 

 「うヴォぇ──オロロロロ」

 

 「きゃーーーーッ!!?」

 

 突然蹲って吐瀉物を吐き出した少年に驚愕する。

 しかし、最初こそ驚いたものの、心配が勝った少女は何かしてあげようとするが何をすればいいのか分からない。少し迷って、目の前で辛そうにえずく少年の背中をささってあげる。いつだったか、泣いている自分の背中を兄がさすってくれた事を思い出し、その真似をしてみたのだ。

 

 「ねえ、誤魔化さないでちゃんと答えて。本当に大丈夫なの?」

 

 「──うぇぇ。正直言うと……よく分からん」

 

 「よく分からないって貴方……!」

 

 「ハァハァ……いや、マジで分からん。だってこんな怪我した事ないし。この気持ち悪さが怪我のせいなのか……ハァ、ハァ……あの蜘蛛が毒でも持ってたのかも判別つかねぇんだよ」

 

 「そんな──」

 

 少年の言葉からはいつもの快活さが全く無い。 

 こんな時に奇跡を授かっていれば、彼を治療してあげる事も出来ただろうし、奇跡でなくとも医術の心得が有れば対処のしようもあったかもしれない。少女に出来るのは、少年の指示通りに応急処置を手伝う事だけだ。それでも居ないよりはマシなのだが、今の少女には何を言っても自己嫌悪に繋がってしまうだろう。

 

 「すまんな。このザマじゃもうお前を背負ってやれそうに無い……」

 

 「は……? なんで貴方が謝るのよ……?」

 

 訳が分からない。

 何故目の前の少年が謝っているのか、少女には全く理解出来なかった。

 

 「王都まで連れてくって約束しただろ。まあ、こっちから勝手に押し付けたようなんだが……」

 

 「そんなの気にして無いわよ! なんとか治療して、誰かが通りかかるのを待てばいいのよ」

 

 もう夜明けだ。

 ここは大きな道の近くなのだから、王都も近い以上人が通りかかる事もあるだろう。自分が王都を出た時と同じ程度のサイズの荷馬車が通れば自分達二人でも十分乗れるし、運賃だって宝石があるのだから断られることは無いはず。だから、安静にして待っているべきだと主張する少女に、少年は自分達が来た方角を指さして告げる。

 

 「それは無理だ……アレをよく見てみろ」

 

 「何が………え、は──」

 

 少年が指差した先、そこに小さな何かがチラホラと現れ始める。

 それがなんなのかを理解した時、少女は血の気が引く感覚を味わった。

 

 「嘘……ゴブリン? なんで……!?」

 

 「分からん。だが、数が多い。万全の状態でも無理な数だ」

 

 まだ遠くでよく見えないが、その数は十や二十では収まらないだろう。

 そんな数が街道沿いにこちらへ移動しているのだ。

 

 「最近街道沿いでゴブリンが良く出没しているとは聞いてたが、ここまで繁殖してやがるとは……」

 

 恐らくは死の迷宮跡地を拠点とし、旅人や行商人を襲って勢力を増やしていたのだろうと推測する。

 あの数を相手にして戦うことは出来ない。何とかして状況を打破出来ないかと少年が考えて居ると、少女が意を決したように向き直る。

 

 「ねえ、まだ走れる?」

 

 「え? あ、ああ。走るだけなら出来ると思うが」

 

 どうしたのかと不思議そうにする少年に、少女は決意を宿した瞳で告げる。

 

 「──貴方一人で逃げなさい」

 

 「はぁ?」

 

 今度は少年が困惑させられる番だった。

 

 「私という重しが無ければ、貴方だけならゴブリンから逃げ切れるかもしれない。このまま二人とも捕まるより、足が無事な貴方だけでも逃げるべきだわ。それに……私は女だから、貴方と違って直ぐに殺されたりはしない筈よ」

 

 ──だから、上手くいけば二人とも生き残れる。

 

 「────」

 

 詰まるところ、自分を囮にして逃げろと言って居るのだ、この少女は。

 成る程、確かに合理的な案ではある。二人まとめてゴブリンに捕まれば、少年は殺されて少女も凌辱されるだろう。ならば、走れる少年だけでも逃げてこの事をギルドに知らせるべきだ。ゴブリンとはいえ、これだけの数が居るならばギルドも多くの冒険者を送り込むだろうし、それまでに少女が殺される事は無いだろう。

 

 「あ、そうだ。これ、ここまで運んでくれたお礼。貴方の頑張りには不足かも知れないけど……」

 

 そう言って申し訳なさそうに笑いながら、少女は何かが詰まった袋を渡してくる。

 中を覗き込むと、大粒の宝石がぎっしりと詰まっていた。成る程、少なくとも冒険者に扮した盗人の線は消えた。一山いくらの冒険者未満の牧童に、少ないかも知れないなどと言ってこんな高価な報酬を渡す奴はいない。居るとすれば、それはとんでもない世間知らずのお嬢様くらいのものだろう。

 

 「そうか──分かった」

 

 「うん、良かった──」

 

 「だが断る!」

 

 そう言って少年は袋の中身をばら撒いた。

 

 「は──はぁ!? 何やってるよ貴方!?」

 

 「ゴブリン共には良い目眩しだ」

 

 大粒の宝石が周囲に飛び散り、朝日に照らされて光り輝く。

 小粒の宝石なら気付かず放置するかも知れないが、これだけ大きな宝石ならば奴らも気が付いて欲しがる筈だ。価値などわからんくせに、価値がありそうな物を欲しがるのがゴブリンだ。

 

 「お前の案は気に入ら無いから、俺の案で行く事にした」

 

 「な、何勝手な事言ってるのよ! 二人とも死なないんだからそれで良いでしょ!?」

 

 「断る。俺が勝手に助けたんだから、お前の意思なんて関係無く最後まで好きにやらせてもらう」

 

 そうだ、少年は最初からそうだった。

 ゴブリンに攫われた少女を勝手に助けて、勝手に王都まで連れていくことにしてここまで背負って来た。ならば、最後まで自分の勝手にやらせてもらうと宣ったのだ。

 

 「だからって……」

 

 「お前の意見は聞いてない、いいから──」

 

 「……だからって……は? なんて?」

 

 困惑する少女を他所に、少年は真顔で淡々と告げる。

 

 「いいか──」

 

 その説明を聞いた少女は思わず問うた。

 

 「それ、本気なの?」

 

 「当たり前だ。俺はいつだって本気だぜ」

 

 

 ◆

 

 

 ゴブリン達は上機嫌で哀れな獲物を追いかけていた。

 

 少し前、このゴブリン達は

 片目を潰されておめおめと逃げ帰って来たいけ好かない神官に呼び出され、死の迷宮からえっちらおっちらと行軍して来た彼らは我慢の限界だった。だが、追いついてみれば神官に連れられて先行した連中は全員死んでいた。そして、何よりも注意を引かれたのは、巨大な蜘蛛の死体だ。ゴブリンの中には、何故こんなものが有るのかと興味を惹かれて大蜘蛛の死体に近づこうとする奴も居たが、その時一匹のゴブリンが地面に落ちて居る物に気が付いた。

 

 拾い上げてみると、それは宝石だった。

 それもかなり高価そうな大粒が幾つも散らばって居る。それに気が付いたゴブリン達は大蜘蛛の死体から興味を無くし、宝石を目掛けて我先にと群がり奪い合いを始める。この宝石は自分にこそ相応しいと、その輝きに目を眩ませたのだ。

 

 「GOBGO……? GGOOB!」

 

 しかし、宝石の数は有限だ。

 そして、そうなれば必ずあぶれる個体も出て来てしまう。そんな個体が何か無いかと周囲を見回して居ると──丘の下に人影を発見した。

 

 「ハッ、ハッ、ハッ──」

 

 その人影は、()()()()()()()()()()

 神官は服装からして女だろう。周囲に女の匂いが残って居ることからも間違いない。しかも、左肩の辺りが赤く変色しているため、怪我をしているのだろう。

 

 「ハッ、ハッ……!」

 

 ゴブリン達に気が付いた神官は、焦った様子で──死の迷宮の方角へ走り出す。

 その姿を見てゴブリンは雄叫びを上げて周囲に知らせる。

 

 ──獲物が居た。

 ──只人の女で、怪我をして弱って居る。

 

 それを聞いたゴブリン達は狂喜乱舞して駆け出した。

 所詮は人間、しかも怪我をして弱って居るならば自分達が負けるはずはないのだと考えながら。男は痛めつけ、目の前で背負って居る女を犯してやる。ちっぽけな脳みそがそんな下卑た思考に埋め尽くされ、自分が一番に美味しい思いをするために、我先にとゴブリン達は一匹残らず駆け出した。

 

 ──今はあの間抜けな神官も居なくなり、自分達は好きに行動出来るようになった。

 

 そんな喜ばしい状況で、ちょうど良い獲物が居たのならば、それに飛び付かずには居られないのがゴブリンだ。

 

 「ハッ、ハッ、ハッ──!」

 

 しかし、神官の足が想像以上に速く、中々に追い付けない。

 怪我を居るのにあんな速度で走り続けられるわけがない。必ず限界が来る。しかも、追いかければ追いかけるほど、女の匂いがしっかりと感じられるからだ。間違い無い、あの神官の女は恐怖で失禁している。全く情けない奴だと考えると面白くて、血と女の匂いに興奮したゴブリン達はただひたすらに追いかけた。

 

 「ハァ、ハァ……ぐあッ!?」

 

 神官は健脚で走り続けたが、ゴブリンの放った矢が足にが命中して倒れ込む。

 ゴブリン達が何度も放った矢が、ようやく一つ命中したのだ。ゴブリン達は大喜びで神官に近寄っていく。その恐怖に歪んだ顔を見るのが楽しみで堪らないのだ。

 

 「GGBGBR!」

 

 怯えた様子で後ずさる神官に舌舐めずりしながら、ゴブリン達は群がってその服を剥ぎ取った。神官服が無惨に引き裂かれ、その下の柔肌を──。

 

 「GOGBBG!?」

 

 「GGGB!!?」

 

 

 柔肌は無かった。

 神官服の下から出て来たのは、引き締まった胸筋だった。

 

 「G…………???」

 

 ゴブリン達は困惑した。

 これはまな板などというレベルでは無い。間違いなくコイツは雄だと確信させられる体をしている。しかし、だからこそ分からない。

 

 何故、女の匂いがしたのか。

 何故、女の格好をしているのか。

 何故、何故、何故。

 

 そんなゴブリン達に向けて、少年は挑発するように口を開く。

 

 「知ってるか間抜け共。女装ってのはな、男にしか出来ない最も男らしい行為らしいぜ?」

 

 

 

 

 ──ゴブリン達が訪れる前に遡る。

 

 『だからって……』

 

 『お前の意見は聞いてない、いいから──脱げ』

 

 『……だからって……は? なんて?』

 

 困惑する少女を他所に、少年は真顔で淡々と告げる。

 少女は意味が分からず戸惑うが、少なくとも少年は真剣な表情で見つめてくる。その視線には情欲の類は感じられず、ゴブリンに汚される前に──などという発想では無いのだろう事だけは察せられた。

 

 

 『いいか──俺がお前に変装して囮になるから、お前はあの蜘蛛の腹の中に入ってやり過ごせ』

 

 

 それが少年の考えた作戦だった。

 

 

 考え直すよう叫ぶ少女を無視して、少年はナイフを持って異形の蜘蛛に近寄ると──その腹を掻っ捌いた。

 内部からは青色の液体が噴き出てくるが、構わずに棒を突っ込んで内容物を引っ張り出す。やがて中に空洞ができると、そこに解体して広げた背嚢や油紙を敷き詰め、更に食料品なども詰め込んでいく。

 

 そうして少女と服を交換してから、蜘蛛の腹の中に少女を押し込んだ。

 

 『絶対に声を出すんじゃ無いぞ。……そんな顔すんなよ、俺は大丈夫だから──』

 

 そう言いながら、少年は笑顔で囮になったのだ。

 少年が自分を囮にする手段を選んだ理由は幾つかある。少女が自分を囮にしようとした事への対抗心もあったし、女の子を置いて逃げる事を後ろめたいと考えた事も大きい。だが、一番の理由は、気になる子の前で見栄を張りたかったからだ。そんなつまらない理由だが、少年にとっては命を賭けても良い理由だったのである。

 

 だから少年は走った。

 只人は他の種族に比べて、最も長距離を移動する事に長けている。どんな絶望を前にしても、生きている限り決して足を止めないのが只人の強さだ。それが例え底無しの奈落だったとしても、覚悟を決めたならなば落ちるように駆け抜けるのだ。

 

 

 

 

 「お目当ての可愛子ちゃんなら、今頃王都に辿り着いてるだろうよ。──残念だったなぁ間抜け共ッ!」

 

 勿論嘘である。

 しかし、ゴブリン達からすればこう考える事だろう。

 

 ──まんまと嵌められた、と。

 

 そう理解した次の瞬間、侮辱された事だけは理解したゴブリン達は少年を集団で痛めつけ始めた。

 騙されて、侮辱された事が許せなかったのだ。直ぐには殺さない。出来る限り痛めつけてやらなければ、この鬱憤は晴らさないとでも言わんばかりだ。ゴブリン達は手始めに棍棒で血反吐を吐くまで全身を叩きつけ始めた。

 

 ゴブリン達の凶暴性は留まる所を知らず、拷問とも呼べない暴力は少年の体を壊していく。

 やがて、少年は自分が痛みさえも感じなくなっている事に気が付いた。痛みは生きているという証でも有る。ならば、今の自分は限りなく死に近づいているのだと理解した。あらゆる存在はいつか滅びる。自分のいつかは、今だったという事だと納得もしていた。しかし、それでも。

 

 ──ああ、怖いなぁ。

 

 死ぬのは怖かった。

 少女の前では常に余裕な態度を取って居たが、いざ死を目前にすると恐ろしい。それでも、こうなる事を覚悟で走り出したのだ。あの時の少年は正しい選択肢が分からず、歩き出す事が出来なかった。一歩でも進めば、地面が崩れてしまうのでは無いかと錯覚するほど恐怖して足が竦んで居たのだ。だからこそ、少女に逃げろと言われた時は自分が恥ずかしく感じた。歩けない少女の方が、自分などよりも余程に逞しく人生の道を歩んでいると気付かされたのだから。だからこそ、少年は走ったのである。怖くても歩くしか無いという、当たり前の答えを抱えて。

 

 ──まだ、やりたい事も一杯あったんだけど。

 

 勿論、思い残しも沢山ある。

 英雄になりたかった、伝説になりたかった、王者になりたかった──冒険者になりたかった。しかし、そんな物語には辿り着けない事を後悔しつつも、彼は自分で選んだ選択を受け入れていた。未来の栄達より、目の前の意地を優先したのだから当然だ。目先の事しか考えられない愚者にはお似合いの末路だろう。

 

 ゴブリンが毒のナイフを振り翳す。

 反応が無くなった玩具に飽きた個体が殺す事にしたのだ。

 

 その瞬間──少年の霞んだ瞳が銀色の煌めきを映し出す。

 

 「一つ」

 

 少年を刺そうとしていたゴブリンが頭から剣を生やした瞬間、そんな聞き覚えのある声が上の方から聞こえた気がした。

 しかし、その声が聞こえるはずはない。汚れた鎧と鉄兜を被った寡黙な彼は、王都近郊で活動している冒険者では無いのだから。

 

 「ゴブリン共は──皆殺しだ」

 

 だが、辺境にその名を轟かせる最優の名前は──ゴブリンスレイヤー。

 ならば、ゴブリンが居る場所に彼が居る事に、一体何の不思議があろうか。

 

 突然投擲された剣で仲間が死んだゴブリンが何事かと騒ぐと同時、凄まじい地響きが大地を震撼させた。

 現在、少年とゴブリンが居る場所の側には崖があり、音と振動はそこから伝わって来る。何事かとゴブリン達が崖の上を見上げると──大量の丸太が転がり落ちて来ていた。

 

 「GGBRBBG──!!!?」

 

 丸太の津波から逃げようと我先に走り出すゴブリン達。

 その場に置き去りにされた少年はこのままでは真っ先に死ぬ。だが、次の瞬間少年の下に大きな穴が出現し、その中へゆっくりと降下していく。そうして、轟音を響かせながら少年の上を通り過ぎて行った丸太の波は、逃げるゴブリン達を纏めてすり潰して行くのであった。

 

 ──何が起こった? 

 

 朦朧とした意識の中でそんな疑問を感じる少年の上から、何やら話し声が聞こえてくる。

 

 「上手く行ったようじゃな。全く、ひやひやさせられたわい」

 

 「崖から丸太を落とすなんて……鈍臭いドワーフがしくじってたら人質ごと潰れてたわよ」

 

 複数の話し声が聞こえる。

 聞き覚えの無い声だと思っていると、何かが体に巻き付いて引き上げられる。

 

 「酷い、早く治療しないと……!」

 

 「大量に血を失い、全身の骨が折られている。このままでは命に関わりますな」

 

 明らかに輪郭が違う者達が集まって行動している。

 つまりは冒険者の類だろう。ならばと少年は力を振り絞り、掠れながらも声を発っそうと試みる。

 

 「街道……そば、に……じ……蜘蛛。は、ら……の中に……」

 

 少年は必死で伝えようとする。

 ここから王都へ向かう街道の途中に丘があり、そこにある人面蜘蛛の腹の中に隠れている少女を助けてあげて欲しいと。自分でも言葉を発せているのかも分からない様な瀕死の状態で、それでも何とか伝えようと指を指す。

 

 「問題無い。既に保護している」

 

 そんな淡々とした言葉が聞こえた次の瞬間。

 誰かが駆け寄って来て少年の伸ばした手を握りしめる。

 

 「──大丈夫よ! 私ならここに居るから!」

 

 その声が聞こえた少年の意識は、底の無い暗闇へ沈んで行った。

 

 

 ◆

 

 

 水の中に居る。

 だが、全く息苦しいとは感じない。むしろとても穏やかで、あらゆる苦悩から解放されたとさえ思える心地良さだ。母親の中に居る胎児も、或いはこんな気持ちだったのだろうか。そんな、在るべき場所に帰って来たかのような安心感に満たされる。

 

 もっと深く沈めば、やがて何もかもが消えて無くなるのだろうか。

 

 ───

 

 そんな時、ふと何かが聞こえた気がした。

 どうしてかその声が気になって、この安らかな場所から、少年は一歩前へ踏み出した。

 

 「───ぁ」

 

 そして瞼を開くと、目の前に美女が居た。

 

 「………は?」

 

 最初に目に入って来たのその美女だった。

 司祭服に目隠しをしているが、それでも隠しきれない美貌と肉感的な四肢から目が離せない。さらに、鼻腔をくすぐる甘い香りに血行が加速するのを自覚する。何故こんな美女が自分を見下ろして居るのか分からず、少年は目を白黒させた。

 

 「え、何これ。天国? 俺死んだの?」

 

 「いいえ、貴方はまだ生きていますよ」

 

 「は、はぁ……」

 

 どうやらまだ死んで居ないようだと安堵する。

 あの状況から生き残れるとは、自分の運もまだまだ捨てたものではないらしいと。

 

 「どこか、痛むところはありますか?」

 

 そう言われて自分の体を確認すると、異形の蜘蛛に噛まれた肩の穴や、ゴブリンに砕かれた全身の骨が何とも無い事に気が付いた。内臓だって破裂していただろうに、傷が残って居る程度で全く痛く無い。自分の居た村にも神官が居たので奇跡で傷を治す所を見た事はあるが、果たしてこれほどのことが出来ただろうかと疑問に思わずには居られない。

 

 「いえ……特には無いですね。むしろ前より元気なくらいで」

 

 「それは良かった」

 

 「──あっ! あの! アイツはどうなりましたか!?」

 

 少年が思い出したのは、自分が拾ったあの少女の事だった。

 異形の蜘蛛の腹の中に隠れさせてから、無事に保護されたのだろうか。もしされていないのなら、直ぐにでも迎えに行かなくてはならないと起き上がる。

 

 「金髪の只人の女の子で、両足を怪我してて、デケェ蜘蛛の腹の中に隠れてて──」

 

 「彼女なら大丈夫です。冒険者の方が保護して下さいましたから」

 

 「よ、良かったぁ…………」

 

 気が抜けてベッドにへたり込む。

 少女の無事を知って、自分はやり遂げたのだと実感が湧いて来たのだろう。そして、やはり自分が最後に見たあの光景は夢では無かったと確信する。どうやら、自分はまたあの冒険者に命を救われたらしい。

 

 「ふぅ……ん?」

 

 落ち着いた少年が周囲をあらためて確認すると、とても広く清潔な内装をした部屋に居る事に気が付いた。

 部屋は質素だが質の良さそうな調度品が並べられており、自分が腰をかけて居るのは白く透き通って柔らかく、シミひとつないベッドである。慣れ親しんだ山小屋とはかけ離れた雰囲気に、戸惑いや驚きよりも焦りが募る。

 

 「あの〜所で、その……治療費とかって……」

 

 奇跡は高位のもの程要求されるお布施も多くなる。

 瀕死の状態から命を繋ぐ程となれば、一体どれ程の額が必要になるのかと考えてしまい、少年は気が気でなかった。少年の所持金は然程多く無い。父親が死んで、残っていた資産は殆ど妹のために使った為、大した額を持ってくることも出来ず高額なお布施は支払えない。というか、少女を蜘蛛の腹の中に詰めるときに一緒に財布も詰めて置いたのだから、今は完全な無一文である。少年は目の前が真っ暗になりそうだった。

 

 「ふふ、大丈夫ですよ。既に支払って貰っていますから」

 

 「???」

 

 「それでは、貴方が起きたことを知らせて来ますね。本当は色々とお話を聞きたいのですが、早くしないと怒られてしまいますから」

 

 意味が分からず困惑する少年を背に、彼女は部屋から出て行ってしまう。

 

 「何なんだ、この状況……」

 

 見知らぬ高そうな部屋に置き去りにされ呆然とする。

 

 「あ、上半身まっぱじゃん。なんか着るもんねぇのか?」

 

 そんな事を考えて居ると、廊下の方からドタドタという足音が聞こえて来た。

 誰かが走って居るのだろうか。なんともまあ元気そうな音だと思って居ると、足音は目の前の扉の前で止まる。

 

 そして──ダァンッ! と勢いよく開かれた扉の先には、一人の少女が居た。

 

 「ハァハァ……ッ」

 

 息を切らして現れた少女に、少年は見覚えがあった。

 服装こそ変わって居るが、間違いなく自分が背負っていたあの金髪の少女で間違い無い。少女は少年と目が合うと、暫く無言で見つめてくる。良く分からないが、気まずいので一先ず挨拶しておこうと声をかける。

 

 「えっと、久しぶり?」

 

 「よ──」

 

 「ん?」

 

 「──良かったぁ……ッ!」

 

 それは泣きそうなほどの笑顔だった。

 一命を取り留めたのは少年のはずなのに、まるで助かったのは自分の方だとでもいうように喜んで居た。

 

 

 少年は不思議そうにして居たが、少女からすれば本当に死んでしまうのでは無いかとずっと心配だったのだ。

 

 

 少年が囮となってゴブリンを引きつけてから暫くして、少女が隠れているところにとある冒険者一党が訪れた。

 その一党こそ、少女の救出とゴブリン退治の依頼を受けてやって来たゴブリンスレイヤー達だ。少女は人が来た事に気が付いて蜘蛛の腹から這い出し、彼らに少年を助けてほしいと頼み込んだ。彼らが受けた依頼の主目的は少女の救出だが、ゴブリンスレイヤーは少女の頼みを聞き入れ、少年を救出に向かったのである。

 

 そうして少年を救出したのだが、少年は瀕死の重症を負って居た。

 女神官と蜥蜴僧侶の奇跡を受けて居たにも関わらず、王都に着いた時点で生死の境を彷徨っており、このままでは確実に死ぬ。それは誰の目から見ても明らかであった。しかし、そんな彼の命を繋ぎ止めたのは、剣の乙女による《蘇生》の奇跡の力だった。処女との同衾を必要とする高位の奇跡であり、本来ならば高位の冒険者でも無ければ神殿も許可しないが、少女の身分が一介の平民に対してその高位の奇跡を使用させるという無理を押し倒させた。結果として、少年はかろうじて生きながらえることが出来たのである。

 

 「その、ごめんなさい。貴方にはたくさん迷惑をかけたわ」

 

 これまでの事、自分が家出したことも含めて説明した彼女はそう言って頭を下げた。

 

 「俺が勝手にしたことだから謝られる筋合いはねぇよ」

 

 「……あっそう! ならこっちも勝手に感謝するわ!」

 

 「へいへい、どういたしまして」

 

 「まったくもう……私にそんな口を効くのは貴方くらいなものよ……」

 

 やれやれと、呆れたようにそう呟く。

 巫山戯た態度で接してくる少年に調子を崩される少女だったが、こういう気安いやり取りも悪くないと思っていた。何というか、まるで普通の女の子にでもなったかのような気分になるのだ。自分にも友人はいるが、それでも兄である王が与えてくれた存在である。故に、どこか一線を引いて接しているのを感じず取らずにはいられない。

 

 ──だというのに、この男ときたら。

 

 自分に対して欠片の敬意もない。

 そこに苛立ちも感じるが、しかし、同時に自分を特別扱いして来ない態度がとても嬉しかったのだと理解した。何故なら、彼の態度は他の何者でもない、剥き身の自分に向けられたモノという事になるからだ。つまり、少女からすれば少年は、初めて出来た同年代の対等な相手という事になるのだろう。

 

 ──まあ、悪くは無いわね。

 

 少女が少年の隣に座って話しながら、そんな風に思っていた時のこと。

 

 「──それでね、私が装備を盗んだ冒険者の人が……え!?」

 

 話している最中に少年の顔を見て、少女は驚愕した。

 

 「え!? な、何で──()()()()()()!?」

 

 何故か少年が涙を流していたのだ。

 しかも、本人も少女に指摘されて初めて気が付いたのか、自分の顔に触れて驚いている。

 

 「どうしたの……!? もしかして、まだどこか痛むの……?」

 

 だとすれば大変だ。

 少女は直ぐにでも対処してもらおうと神官を呼びに行こうとする。しかし、そんな彼女を少年は制止する。

 

 「いや、痛いとかじゃ無いから大丈夫だ」

 

 「で、でも泣いてるじゃ無い」

 

 「なんか、急に死ぬ所だったって実感が湧いて来てさ。情けないけど……今更怖くなって来たみたいだ……」

 

 少女と話している中で冒険が終わった事を理解し、同時に異形の蜘蛛に肩を穿たれ、ゴブリン達から必死に逃げて死ぬ直前まで嬲られた事に、今更ながら実感が追いついて来たのだ。

 

 「ごめん、直ぐに落ち着くだろうから気にしないでくれ」

 

 「……………」

 

 すると、隣に座っていた少女が立ち上がる。

 少年はもしかして、彼女は泣き止むまで席を外してくれるのつもりなのかと考えた。気を利かせてくれた事に感謝しつつ、情けないところを見せてしまった恥ずかしさから俯いてしまう。しかし、立ち上がった少女が立ち去らない事に違和感を感じていると──突如何かに包まれた。

 

 「?……??……???」

 

 それは暖かくて、柔らかくて、いい匂いがして……脈打っていた。

 後頭部に回されているのが腕だと分かった時、少年は今、自分が何をされているのか理解した。

 

 ──抱きしめられている?

 

 「ど、どう? 落ち着いて来た?」

 

 少女はぎこちなく抱擁しながらそんな事を聞いてくる。

 若干声が上擦っているあたり恥ずかしいのだろう。

 

 「どうって……いや、悪くは無いけど……」

 

 落ち着かせようとしてくれたのは分かる。

 だが、それにしてもこの体勢は如何なものだろうかと思わずにはいられない。ご立派な胸に包まれているというのは、年頃の男子である少年からすれば別の意味で落ち着かない。

 

 「……ごめん」

 

 女の子に心配されて、あまつさえ子供をあやすように介抱されるなど恥ずかしさと申し訳なさで一杯になる。

 

 「謝る必要なんて無いわよ。私がやりたいから勝手にしてるだけだもの」

 

 「むぅ……」

 

 してやったりとでも言うように自慢げな少女に対して、少年は先ほどの自分の言葉が返って来た事に一本取られた気分だ。

 

 ──ずるい、そんな事を言われたら抵抗出来ないだろうに。

 

 「うっ、ぐぅ……っ」

 

 段々と堪えきれなくなったのか、少年は嗚咽をこぼし始める。

 そんな少年の頭を撫でながら、慈しみに溢れた表情で見下ろしていた。

 

 「本当に、貴方は良く頑張ったわ」

 

 心からの感謝を込めて少年の涙を受け止める。

 しかし、そうして少年を抱きしめていると、なんとも形容し難い感情が湧き上がってくる事を感じる。

 

 ──あんなにかっこ良くて頼れたのに。

 ──今では自分の胸で泣いている。

 

 そう思うだけで口角が自然と上がってくる。

 心臓は早鐘を打つし、呼吸も自然と早くなっていく。この感情は一体なんなのだろうかと煩悶とするが、今の彼女はその答えを出すための情報を持ち得ない。

 

 ──とっても可愛い。

 

 なんて事を考えながら、少年が泣き止むまで抱擁し続けた。

 その姿は側から見れば聖女の様に見えたかもしれません。

 

 

 やがて泣き止んだ少年は、赤くなった目元を擦りながら恥ずかしそうに感謝を述べる。

 

 「ありがとな……」

 

 「フフ、どういたしまして」

 

 「お前……! 人の恥ずかしいところを見て随分とご機嫌そうじゃねぇかよ……!」

 

 両手を組んでニヤニヤと笑う少女に少年はキレそうだった。

 

 「えーそうかしら? でもいいじゃ無い、これでおあいこなんだから」

 

 「おあいこ?」

 

 首を傾げる少年に、少女は表情を一変させて膨れっ面になる。

 

 「貴方だって私の恥ずかしいところを見たでしょう……! だからこれで、お・あ・い・こ・よ!」

 

 「…………」

 

 正直、少年からするとどれのことだか分からない。

 地面に蹲り兄を呼びながら泣いていた事か、それとも道中でトイレを手伝ってやった事か、異形の蜘蛛を見て失禁していた事か、それとも──。とにかく色々と心当たりはあるが、それを本人に確認しようものならどんな怪物よりも手強い存在へと変貌する事だろうと思いとどまる少年であった。

 

 「そう、だから……二人だけの秘密にしましょう?」

 

 「へいへい、分かりましたよ」

 

 苦虫を噛み潰した様な少年を見ながら、少女は二人だけの秘密という言葉をじっくりと噛み締めていた。

 

 

 ◆

 

 その後、少年の元へ少女の兄だという人物がやって来た。

 なんでも貧乏貴族の三男坊だそうで、冒険者をやっていると言っていた。彼からは妹を助けてくれた事への感謝を述べられたが、少年としては勝手に首を突っ込んだのに神殿で治療を受けさせてくれて、あまつさえその費用も持ってくれたのだから自分が感謝したいくらいだった。だが、妹を助けてくれた相手に対して、当然の事をしたまだだと言われると納得する他ない。少年は自分の価値観が絶対だと思っているわけでもないのだから。

 

 「さて、妹を助けてくれた事への礼をしたいのだが……何か望むものはあるか?」

 

 貧乏貴族の三男坊かつ、高位の冒険者の力が及ぶ範囲なら何でも言ってみろと告げる。

 本当なら妹を助けてくれた事に王として褒美を与えてあげたい所だが、今回の件は内密に終わらせる事になっている。王妹が兵士の装備を使って城を抜け出し、神官の装備を盗んだ挙句、ゴブリンに捕まりましたなどという不名誉な事態は表沙汰には出来ない。もちろん、この少年が立ち向かわなければ、今頃妹は悲惨な末路を辿っていただろう事は理解している。だからこそ、出来る限りその勇気と行動に報いてやりたいと考え、冒険者としての身分で叶えられる範囲のことなら何でもしてやるつもりなのだ。

 

 ──さて、どんな頼みをされるのか。

 

 金か、女か、強力な武具か。

 或いは竜退治でも頼まれるか。とりあえず、出来る出来ないは置いておいて、どんな巫山戯た強欲な願いでも聞くだけ聞いてやろうと考えていた。

 

 しかし、少年の頼みは彼の予想とは違っていた。

 

 

 「それなら、今度会った時に俺が困ってたら──先輩冒険者として助けて下さい」

 

 「………それだけで良いのか?」

 

 「ええ。気にかけてくれる先輩が居るなんて心強いでしょ!」

 

 「……く、くくッ──そうか、良いだろう! その願い確かに聞き届けた!」

 

 確かに、これはどんな願いよりも強欲かもしれない。

 そんな事を考えながら、彼は上機嫌で去って行った。あの少年が今後栄達するのか、それとも道半ばで倒れ伏すのかは分からない。だが、きっと、彼は最後まで歩き続けるのだろうという確信があったのだ。

 

 

 少年は準備を整えて神殿の門を潜る。

 

 「天気は晴天、体調は良好、やる気十分!」

 

 目指すは冒険者ギルド。先ずは装備を整えて、仲間を集めて冒険へ臨もう。これから先どうなるのかは『運命』と『宿命』次第で、神様にだって見通せない。一歩先は奈落かもしれないが、それでも進まなければ何も始まらないのだ。

 

 「──さあ、冒険の始まりだ」

 

 目指すは英雄、伝説、そして王者!

 遠い夢を目指して、少年は目の前の一歩を踏み出した。

 

 

 ◆

 

 

 昔々、或いは未来のお話し。

 一人の牧童は冒険者となりました。

 戦士と魔法使いを連れて幾多の冒険へ挑んだのです。

 忘れ去られた遺跡、地下に眠る古代の都市、海底に沈む神殿、天空の城、闇に沈んだ古の王国を踏破しました。

 人喰い鬼を倒し、大目玉を倒し、竜を倒し、死の魔術師を倒し、魔神王さえも倒し、世界を救った英雄となったのです。

 そして、闇に沈んだ古の王国を蘇らせ、その国の王様と成って伝説に名を残したのでした。

 

 そんな彼は、隣の国のお姫様を妻に貰いました。

 二人がどうやって出逢ったのかは伝わっていませんが、とても仲が良かった事だけは確かです。

 そんな二人は、いつまでも幸せに暮らしましたとさ。

 

 ──おしまい。

 




この少年、自分は投擲手君と呼んでいたんですが、来歴や邂逅を細かく決めてなかったんですよね。それでGMが今度王都のシナリオやるから、邂逅の先輩を導入役に使って良いか聞いて来たので、OKしてその場で相手を決めようとダイス振ったらまさかの金剛石の騎士!? それでノリに乗ったGMが話膨らませてこんな感じのバックストーリーが出来上がってしまいました。しかもシナリオまで作って来たのは嬉しかったですけど、異形の蜘蛛出して来た時はキレそうになりましたね。アイツ怪物レベル7やぞ!? 色々と有利な判定は貰えたから良いですけど。とまあ、そんな感じで出来上がったストーリーを短編にしてみました。GMの趣味で王妹が母性本能拗らせたヨワラーになったりと予想外な方向に行きましたが、中々に楽しかったです。

 ちなみに、投擲手君はこの後二刀流脳筋お嬢様と、交易神に仕えるギャンカス脳汁魔術師を仲間にして苦労して、ヨワラーのお姫様に絡まれ続ける事になりました。

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