てなわけで心機一転の投稿です。随時改善していくので、楽しんでいただけたら幸いです。
プロローグ:流れ着いたもの
けたたましいサイレンの音が狭い室内に響き渡る。
天井付近に取り付けられたスピーカーから流れた不気味な音色は、広さ十平米ほどの詰め所の中で反響して脳を厭味たらしく揺さぶった。十平米と言っても数人分の机やロッカーが置かれているため、実際に動ける範囲は限られている。
だというのに、音というのは厄介なもので、人間が到底真似できない挙動を見せる。おかげで居眠り一つ出来やしない。
「ふぁ~ぁ。んだよ。人が折角気持ちよく寝てたってのに」
不平を隠すことなく零しながらオニールは口元を拭いつつスピーカーの方へ顔を上げる。提げられた番号札は四番、正門に置かれた警報装置が鳴ったようだ。
大方誤作動でも起こしたのだろう。今時ここへ来る人間はいない。正門が最後に開かれたのだって、オニールが生まれるずっと前のことなのだから。
とはいえ鳴ってしまったものは仕方ない。確かめに行かなければ後々もっと面倒なことになる。
「整備班め、あとで文句言ってやる」
オニールは恨み節を呟きながらコートを羽織り外へ。暗闇に街灯の光が点々とする町並みは酷く静かで、霞がかった空気感が別世界を彷彿とさせる。
時刻は深夜。靄も町が山の中腹にあるからこそ起こる日常的なもの。考えるまでもなく、この風景はごく当然のものだ。
なのに、冷や汗がじっとりと背筋を伝う。
(まさか……緊張してんのか?)
今日は久々の夜勤、結婚してからは初めてかもしれない。独り身の時はあれほど長く共に在った孤独も妻が来てからはご無沙汰となっていた。そのせいで耐性が無くなっているようだ。
……我ながら軟弱なものだ。勢いを増して脈打つ心臓に自嘲気味に笑い、正門へと歩を進める。ブーツの底が岩肌を突くたびに、カツン、カツンと音が鳴る。
まるで誰かが傍にいるかのように。
(落ち着けっての。どうせ数時間後には家に帰れんだ。他の班のサボりを確かめるぐらい造作もねぇだろ)
弱った心を叱咤しても緊張は解けない。むしろ心の中の声が自分のものとは思えなくなってくる。他人が、耳元で語り掛けてきているような錯覚だ。
「……くそ、早めに戻ろう」
半ば駆けるようにオニールは歩く。
やがて正門へたどり着き、真っ先に監視用の小窓に手をかけた。鉄製の門には反対側が見られるよう小窓が設けられているのだが、こちらも使われなくなって久しいためか錆のせいで上手く動かない。
一分ほど格闘してようやく開き、オニールはその先を覗き込む。
だが、あるのは黒い霧と青鈍色の岩肌のみ。人間なんて影も形も無い。
「やっぱりな。落石かなんかで動きやがったな」
こりゃ夜が明けたら整備班は大変だろうな。などと考えていたオニールの目が、一点に釘付けとなる。
そして、
「———うわぁぁぁっ⁉」
悲鳴を上げて地面に尻もちをつくオニール。彼が見たのは、扉にもたれかかるように倒れていた一人の子供だった。
だがその姿は異様そのもの。全身を赤に染めた小さな体は骨と皮しかなく、だらんと垂れ下がった四肢からは生気の欠片も感じない。
なのにただ一つ、浅葱色の双眸だけは、恐れを覚えるほどの活力を宿してオニールを見返していた。
(まさか今のガキが鳴らしたのか?)
見るからに満身創痍、とてもじゃないが鳴らせるとは思えない。
だが、それなら誰が? 偶然鳴らしたにしては都合が良すぎるが、他に人間はいなかった。
あまりの衝撃に息を整えるのもやっとなオニールだったが、すぐに表情を正して立ち上がる。
……状況は分からないが、子供が瀕死なのは確かだ。未だ震えの収まらない身体に鞭打って通信装置へ飛びつき、回線を繋ぐ。
砂嵐の後、小型スピーカーから呑気な声が聞こえて来た。
「はいこちら警備隊本部。ただいま絶賛キノコジャーキーでパーティー中ですがどうぞ?」
「俺だ、オニールだ」
「おうオニール。一人が寂しくて掛けて来たのか?」
「違う。救護班を呼んでくれ。子供が正門前で倒れてる」
「子供? んだよお前、もうノルメアとこさえたのか———」
「ふざけてる場合じゃねぇんだよ」
湧き上がる焦燥と苛立ちを抑えながらオニールは言った。相手も切迫した状況だと理解したのか、声音から浮ついた感情が消え失せる。
「何人だ」
「一人だ。近くには誰もいない」
「分かった。すぐに救護班に連絡する」
その後手短に子供の容態を説明して通信を終えた。
本部に何人かいたのは幸いだった。これまで目立ったトラブルなど無かったのだ、最悪オニールのように眠りこけていたって不思議じゃない。
救護班が来るまで数分は掛かる。
「今助けてやる」
オニールは袖を捲り、開門のレバーを引いた。メンテナンスこそ行ってはいたが頻度は多くない。おかげで錆が目立ち動作もぎこちなく、鉄門は重い音を響かせるだけで一向に開かない。
それでも人一人通れるほどの隙間が空いた瞬間、オニールは身を滑らせて外へ出た。
「もう大丈夫だ。時間をかけてすまなかったな」
子供を抱き寄せて笑いかけるも、まるで彫像のように表情が変わらない。
歳は二歳ほどか。赤いのは血だが怪我をしているわけではなく、覆っているのも服とは呼べない薄汚れたボロ切れ一枚のみ。
ただ、触れた部分からかすかな熱を感じる。息もしている。
……この子はまだ生きている。
「大丈夫だ。大丈夫だからな」
子供に……あるいは自分自身に言い聞かせるように呟きながら、素早く門の周辺を見回る。
(やっぱり誰もいねぇ。一体どうやって……)
不意に嫌な想像が脳裏を過った。
(まさか、口減らしか?)
子供が増えすぎたか、それとも物資が足りなかったか。理由は何にせよ、親が子を捨てることは起こり得る。
……この子もそうなのか?
「な、なあ、両親はどこにいるんだ?」
「……」
「……両親は……いるのか?」
子供は首を縦にも横にも振らない。じっとオニールを見上げるだけ。
初めは不気味に見えていたその瞳も、状況を整理するごとに悲しげなものに見えてくる。まだ物心だって付いていないだろうに、この子供は我慢していた。
……これでこの子が死んだら、俺は自分を許せない。久々の夜勤だから、久々の独りだから。そんなものは言い訳だ。大の大人が怖気づいていた暗闇を、この子は小さな体で必死に耐えていたんだ。
「ごめんな。来るのが遅れて」
歯を食いしばってオニールは堪えた。なのに悔いや自責は涙となって下へと落ちていく。
その軌跡を、子供は拭った。
「っ⁉」
目を見張るオニールの目元を子供は何度も拭う。
———泣かないで。
表情は何も変わらないのに、そう告げているように思えた。
「……悪ぃ。俺が泣いてちゃ駄目だよな」
自分で目元を拭い、オニールは子供をひっしと抱きしめる。
(やっぱり、温かい)
生命の鼓動が、小さな体を通して流れ込んでくる。
……この温もりを、喪いたくない。
「なぁ、行く当てが無いなら家に来ないか?」
オニールは子供を見下ろしながら言った。
「大して広くはねぇが、ちゃんとお前の部屋も用意してやれる。ノルメアだって受け入れてくれるはずだ」
たとえ難色を示したとしても、必ず説得してみせる。それがオニールの義務であり、望みだから。
子供はしばらくオニールの顔を見つめた後、ほんのわずかに頷いた。
「ふふっ、そうか。よろしくな———イース」
それはノルメアと決めた、いずれ出来るかもしれない我が子の名。
そして、新たに迎えた愛しい我が子の名。
そんな子供に大きな転機が訪れたのは、それから十二年後の事だった。