目が眩むほどの陽光もその身を休める夜半の刻。ユエルとイースはキャンプ地に決めた廃墟のなかで遅めの夕食を摂っていた。
同行初日で稼げた距離はことのほか長かったが、それでも一人で旅をするよりずっと時間が掛かってしまった。なのに遅くなった原因さんは焚火を挟んだ反対側に座り、道中で狩ったウサギの丸焼きを美味しそうに食べている。最初は怪訝な顔をしていたくせに。
イースにとっては初めての長旅だっただろうに、ウサギ肉にかぶりつく姿はむしろ活力に溢れている。
「美味しいですか?」
「めっちゃ美味ぇ!」
イースは頬にべったりと脂をつけながら輝かしい笑顔を見せた。年齢は十四歳だそうだが、あどけない笑顔を浮かべる姿はずっと子供らしい。閉鎖空間で生きてきた弊害か、元からの性格か、どちらにせよ今後の旅が不安になってくる。
今日一日で分かったことだが、彼の好奇心は想定をやや超えていた。誰だって未知のものに興味を抱くものだが、少なくとも彼のように危機感のない愚行を取る者はそういない。魔物に対する警戒心だけで生き残れるほど世界は甘くないというのに。
頬の油を拭ってやりながら、ユエルは小さくため息を吐いた。
「本当に美味しいのですか? ただ肉を焼いて塩を振っただけですよ」
「塩⁉ それが美味さの秘訣か!」
「は? まあ多少はマシな味になりますが」
「やっぱりな! でもこのウサギ肉って奴も美味いな。何個でも食えちまいそうだぜ」
「は?」
話が噛み合わない。百歩譲ってウサギの存在を知らないのはあり得るとして、塩すら知らない? よほどの僻地でも無ければ暮らしに密接しているはずだ。
そこでふとユエルは思い出した。昨日聞いた彼の故郷の話を。
外部との接触が消えてから何世代と時代を跨いだそうだ。小規模な居住地が生き残るためには、物資を満遍なくそろえるより少数に特化した方が有効だ。その戦略の中で塩のような調味料も除外したのだろう。
「アルレイではどんな料理が出ていたのですか?」
「んん? シダシムシの卵のライスとキノコのステーキとキノコスープと———」
「ちょっと待ってください」
さすがに予想外。
シダシムシとは寒い地域に生息する虫で、成虫が出す糸は強靭で生糸として重宝されている。汎用性の高い製糸業を確保するのは納得だが、卵まで食材として用いるなど聞いたことも無い。ましてや主菜やスープがキノコ尽くしだなんて……。
「どうりで何を食べさせても驚くわけです。不満は無かったのですか?」
「あったに決まってんだろ。そりゃ美味かったけどさ、毎日毎日同じ味だし飽き飽きすんだよ。ま、今日からそんな心配は要らねぇかもしんねぇけどな」
そう笑顔で肉を頬張るイースに何とも言えない感情が胸中に広がる。もっと見たい……もっとさせたい……息苦しいのに不愉快ではない奇妙な感覚だ。
そっと握りつぶすように胸を押さえながらユエルは最後の一口を喉奥へ流し込んだ。
「残りは食べて構いませんよ」
「サンキュ。明日の朝は缶詰か?」
「ええ。そちらはご存じなのですね」
「有事ん時の非常食っつってキノコジャーキーの缶詰があんだよ。食ったことあるか? 味はしねぇくせに臭いは酷いし、なんかザラザラした紙の束を食ってる感じがするしで最悪なんだぜ。こっちの缶詰の方が何倍もいいや」
「それはまあ、そうでしょうね」
むしろ最初に缶詰を出した際に拒絶反応を示さなかっただけ幸運か。
イースは顔をキラキラさせながら問うた。
「なあなあ、缶詰ってどこで手に入れんだ? やっぱその辺の廃墟をガサ入れすんのか?」
「いいえ。一般的な廃墟は二千年以上前のものですから、食料の確保は基本的に行いません。キャラバンとの取引で手に入れるか、あるいは廃居住地から見つけ出すか———」
何の気なしに説明した直後、ユエルは自らの浅慮を呪った。
「すみません。適した話題ではありませんね」
「なんでだよ。こっちが聞いたんだぞ。それとも、俺のせいで非常食が無くなったから悔やんでんのか?」
「い、いえ、そうではなく」
拍子抜けな反応だ。イースの表情は強がりでもなんでもなく、本当に気にしていないみたいだ。むしろユエルの方が納得いかない。
微妙な心境が表に出ていたのか、イースはユエルの顔をじっと見つめると、ふっと口元を緩めた。
「心配すんな。まだ全部が全部分かってるわけじゃねぇけどさ、世の中どうしようもないことぐらいあるってのは分かってる。今更過去を振り返って騒いだりしねぇよ」
どこか達観した顔で答えるイースに、ユエルは思わず目を見張った。
あどけなく頼りないお子様だと思っていたのに、今は辛い現実を受け止め、それでも前へと進もうとする立派な少年に見える。
「……ふっ、失礼しました」
「お前さ、笑うならもっと大声で笑おうぜ。その方が楽しいぜ」
「その一言が無ければ見直すところでしたよ」
「んだと! そこは素直に見直せよ!」
笑って、怒って。かと思えば大人びた表情をして。
季節の移り変わりよりもずっと賑やかな感情表現に、ユエルは自分でも気づかずに笑みを浮かべていた。
「それにしても、まさか食材が虫の卵とキノコだけとは……他にもあなたの居住地のことを教えていただけませんか?」
「教えるっつっても……他と大して変わんねぇんじゃねぇか?」
「そんなことはありません。そもそも陽の光さえも遮断する障壁の存在さえ珍しいのですから」
「そうなのか? んじゃ俺が覚えてる限りで良いなら教えてやるよ」
得意げな口調でイースは自らの故郷を滔々と語りだした。感情の乗った物語調の語り口は吟遊詩人を思わせ、表現豊かな一言一言がその場の空気を鮮明に想像させる。
イースの語りは深夜遅くまで進んだ。お互いすぐに眠るほどの疲労が無かったせいか、あるいは遠く離れた地に思いを馳せるのに忙しかったから。
ただその間もずっと、ユエルの胸は酷く痛んだ。決して不愉快ではなく、けれど堪えるのが苦しいほどに。
それがなんという感情なのか。焚火を消したその後も、分かることは無かった。