荒んだ世界を僕らは生きる   作:華月 珠音

14 / 17
第十三話

 原型など残っていない。半ば液状化した肉塊が、開いた弾みで地面に倒れこむ。べちゃりと音を立てて小さな破片が散らばり、黒い軌跡は破片の衝突と共に周囲へ散乱、そのまま体液溜まりを作り出す。内部で淀んでいた空気がおぞましい異臭を伴って解放され、あまりの臭いに眼球がちかちかと刺すような痛みを訴える。

 だがイースは目を逸らせない。自我を形成するあらゆる要素が「目を逸らせ」と訴えかけるにも関わらず。

 ふと肉塊の中から白い球体が現れた。一つ二つと表面に現れ、やがて肉塊を埋め尽くした。

 虫だ。白い球体は全て腐肉を貪る虫の頭だ。

 

 不意に腕が痒くなり指先で皮膚を掻いた。なのに痒みは収まる様子を見せず全体へと広がっていき、両手を使って体中を掻き毟る。容赦ない指先に抉られた皮膚はこそげ落ち、その下の肉が表出しガリガリと削れ、中心部を通る骨がむき出しとなってなお痒みは止まらず、痛みばかりが増していく。

 その時、掻いていた指先が崩れた。見ると爪の先端から腐敗が侵食していき、やがて肘を通過し胴体へと到達し、首から頭部へと昇っていく。イースは指先が崩れるのも厭わずに掻き続けた。

 

 進行した腐敗が足の制御を奪い、イースの体が体液溜まりの中へ落ちる。衝撃で頭蓋骨が砕けて破片が肉を突き破り、隙間から腐った体液がどくどくと流れ出す。気付けばイースの眼球は白い虫の苗床となっており、網膜のすぐ傍を幾匹も蠢いているのが見えた。

 頭上から鳥肌の立つ音が聞こえてくる。ブーンと耳障りな音はイースの皮膚の上に止まると、強靭な顎を突き立てて肉を貪り始めた。

 何千、何万、何億もの顎がイースの腐肉を食み、血管を千切り、骨を砕いていく。もはや痛みという感覚は消え去り、生温かい不快感だけが鮮明に感じ取れた。

 

 なにが出来るわけでもない。なにかが成せるわけでもない。

 陽の光さえも届かない暗闇の中、イースは孤独に腐っていった……。

 

 

「イースさん!」

 

 

 その声が聞こえた瞬間、イースの視界は暗闇に落ちた。

 

 ……違う。暗いのはこの空間だ。鮮明に見えていたはずの周囲の景色は暗がりに呑まれ、唯一胸元から伸びる人工の光が彼方の壁際を照らしている。

 混乱するイースをよそに声の主はイースを抱きかかえた。甘い香りに落ち着く声、ほんのり高い体温が、その人物の正体を物語っていた。

 

「……ユエル?」

「大丈夫ですよ。大丈夫ですから」

 

 イースを力強く抱きしめながらユエルは出口へとひた走る。

 それからどうなったのかは覚えていない。眩い光の中に出たと思ったら固い地面に下ろされ、すぐに正面から抱擁された。背を撫でる手は剣だこだらけでごつごつしていて、その手つきもぎこちないもの。

 しかしそれが、何よりも心強かった。

 

 どれくらい経っただろう。

 

「……もう大丈夫」

 

 イースは大きな体をそっと押し返して言った。

 

「本当ですか? あまり無理はしないでください」

「大丈夫だって。ほんとに平気……少し良くなったよ」

「そうですか……良かった……」

 

 安堵のため息を零すユエル。額の冷や汗や荒い息が、動揺の程度を示している。

 

「ごめん。心配かけて」

「良いのです。事前に忠告をしなかった私にも責任はあります」

 

 お互いに呼吸を整え、改めて顔を見合わせる。

 どちらも聞きたいことはあった。ただあまりの衝撃に言葉に出来ず、先に相手が口を開くのを待っていた。

 オニールのような会話上手ならスムーズに話せたのだろうか、なんて現実逃避染みた考えが脳裏を過る。

 

「……なにがあったかをお聞きしてもよろしいですか?」

 

 先に口を開いたユエルに頷き、イースは先ほどの出来事を説明した。

 未だ整理は付いていない。まるで悪夢の中を彷徨っていたかのような感覚で、正気を取り戻した現在は漠然とした衝撃のみが残っていた。

 

「……なるほど」

 

 話を聞き終えたユエルは空を仰いだ。

 

「以前仰っていたことが、今なら信じられます」

「なんの話だ?」

「像力量が三倍ある、という話です。あの時は自身を強く見せるための嘘だと思っていましたが、どうやら本当のことだったのですね」

 

 首を傾げて先を促すと、ユエルは言葉を選ぶように慎重に続ける。

 

「像力は外部からの刺激に強く反応し、性質を変化させます。いわゆる『感応』という現象です。人間の場合は感応した像力が精神に作用することもあるので———」

「普通より像力があるばっかりに、人の死体を見て余計に反応しちまったってことか」

 

 続きを繋いだイースは苦虫を噛みつぶしたような顔を浮かべた。

 今までなんとも無かったのは閉鎖空間で刺激が少なかったから。だとすれば今後は同じような状況に陥るかもしれない。

 長所だと思っていた特徴に牙を剥かれ、イースは舌打ちを響かせる。

 

「くそっ、初めて自分が嫌いになりそうだ」

「仕方がありません。まさか私も『腐蝕』の死体があったとは思いもしませんでした」

「ふしょく?」

「瘴気が生命にとって毒となるのはご存じですね? 腐蝕は瘴気を大量に取り込んだ者に発症する病のようなものです。生きたまま全身が腐っていき、やがてあのように命を落とします」

 

 あの亡骸はもしかしたら、冷蔵庫に隠れて魔物をやり過ごしたものの、瘴気に汚染されて罹患したのかもしれない。暗く、狭く、孤独で、きっと筆舌に尽くしがたい苦痛を感じていたはずだ。

 像力のせいか、瞼の裏を黒い亡骸が過った途端、全身の皮膚に痛みが走った。

 

「……最悪だ」

 

 なんだか異様に疲れてしまった。

 イースは顔を上げた。

 

「悪ぃ、探索は一人でやってくれ。少し休みたい」

「謝らないでください。それに今日の探索はここまでにしましょう」

「良いのか? 物資を見つけないとだろ?」

「そこまで困窮してはいません。荷物を取ってくるので、少々お待ちください」

 

 ようやくそこで彼女が手ぶらなことに気付いた。きっと物音を聞いて慌てて駆けつけてくれたのだろう。

 

「分かった。待ってるよ」

 

 申し訳なさに俯きながらイースは言った。

 離れていく足音が聞こえなくなったのを見計らって、一人深々と呟く。

 

「はぁ……だせぇ、俺」

 

 屋上で啖呵を切った時はこんな目に遭うとは思ってもみなかった。所詮は箱庭で暮らしていただけの箱入り息子、厳しい世界を生きる実力なんて最初(はな)から持ち合わせていなかったのだ。

 これではお荷物扱いされても仕方ない。

 

「やっぱり、一人じゃ生きられねぇのかな」

 

 弱気な心の思うがままに感情を口にするイース。

 破裂音が聞こえたのはちょうどその時だった。

 

 パァンッ!

 

「な、なんだ⁉」

 

 慌てて音のした方角へ顔を向けると、続けざまに二回の破裂音が青空に木霊した。

 ユエルが使っていた閃光手榴弾(フラッシュバン)に似ている。つまり……、

 

「誰かいるのか?」

 

 武器を使う状況ということは魔物に襲われているのかもしれない。

 

「助けねぇと」

 

 立ち上がったイースは、しかし後ろ髪を引かれるように振り返る。

 「お待ちください」とユエルには言われた。きっと戻ってくるのにそこまでの時間は掛からないだろう。

 だが、誰かが魔物に襲われているのなら一刻の猶予も無い。ここで見捨てて嫌な気分になるぐらいなら怒られた方がマシだ。

 それに人助けが理由であれば、彼女もそこまで怒るまい。

 

「散々厄介になったんだ。少しは役に立たねぇと」

 

 襲われているのがキャラバンであれば御の字、無関係でもこちらの手伝いはしてくれるかもしれない。

 淡い希望を胸に、イースは音のする方角へ駆け出した。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。