イースの採寸は荷車の壁を越えた少し先の空き地で行われることになった。
「ここなら誰にも見られねぇだろう」
巻き尺を手にそう言いながら、モルソアは手慣れた手つきでイースの体格を測っていく。
不意に、親しげな口調でモルソアが口を開いた。
「で、なんで喧嘩なんかしてんだ?」
「なんのことだよ」
「とぼけなくていい。二人のやり取りを見てりゃ誰だって気付く。どうにもうちの奴が迷惑かけちまったみてぇだが———」
「そんなんじゃねぇっつの。ただ……あいつの言ってたことが気に食わねぇだけだ」
ユエルはいつだって正しい。出発初日に受けた注意然り、彼女の言葉には必ず理由や根拠があり、反論できる余地は残っていない。
(だからなんだってんだ。俺のしたことが間違いだって言いてぇのかよ)
自分には難局を打破する力がある。もちろん十体は下らないフラグマーの群れと遭遇したのは誤算だったが、きっとユエルが来なくたって生還していた。むしろ彼女が悠長に前へ出てきたせいで計画が崩れたのだから、怒るべきはイースの方だ。
……なのにあいつはなんて言った? 「見捨てろ」だと?
別にイース自身、義憤や慈愛の心があって助けたわけではない。人助けにより得られる称賛と形ある報酬のため。相手がどちらも持っていれば万々歳だし、称賛のみ貰えたとしても不満はない。
だが、誰かの命を顧みずにいられるほど軽薄な人間でもない。
「俺は間違ったことしてねぇ。文句言うぐらいなら自分でなんとかしろってんだよ」
「ははぁ……おおよそ見当は付いた」
腕を測り終えたモルソアがしたり顔で言った。
「もしやあんた、ユエルさんの言いつけを破って駆けつけてくれたんだな?」
「は⁉ なんで分かった?」
「職業柄、人を見る目は培っておいて損はない。誰がどんな品を欲しがってるかを予測出来れば、商売も上手く回るからな」
モルソアはウィンクをしてみせた。
イースはそっと自分の頬を撫でてみるが、それで感情が読み取れるはずもない。
「商人ってすげぇんだな」
「仕事で必要な技術ってのは自然と培われるもんさ。それで、その様子からして正解って感じだが、どうだ?」
「正解正解、大セーカイ。お前も文句あっか?」
「事情を知らんとなんとも言えん。話してすっきりするようなら話してみてくれ」
彼にはどこか緊張をほぐす雰囲気がある。イースは逡巡を挟み、とぼとぼと今日の出来事を語った。商店で起こった凄惨な出来事も、その後のシモンとの邂逅、合流したユエルに叱責されたことも。感情が入り混じった半ば支離滅裂な説明にも、モルソアは口を挟むことなく聴き手に徹した。
やがてイースが口を閉じると、モルソアは悩ましげに片眉を曲げた。
「まあ、ユエルさんの意見が正しいとは思うな」
「あ?」
ユエルに賛同してイースの行いを否定。つまりは敵か。
と、突飛な論理で目を据わらせるイースに、モルソアは両手を上げて否定の仕草。
「待てって。別にお前が悪いとは言ってない。俺らからすりゃシモンを助けてくれた命の恩人なわけだし、危険を顧みずに駆けつけてくれて感謝は尽きないさ。あくまで一般論として、窮地に陥った人間がいるから危険を顧みずに飛び込む、ってのが好ましくないってだけさ」
「下らねぇな」
「あんたからすりゃそうだろうな。でも、その下らない認識があるおかげで生きてる人間も少なからずいるのさ。ユエルさんなんか筆頭だろう。傭兵稼業は常に死と隣り合わせ、経験則で語るのも無理はないさ」
「ふんっ、それで生きてて楽しいのかよ」
命は大事だ。それはここ数日で多くの死地を経験したイースにも痛いほど染み付いている。だからって自分を抑え込むほど生を渇望しているわけでもない。
いや、そんな生は『生きている』とは言えない。
「俺はそんなんで我慢するような生き方はごめんだぜ」
「クックックッ、青いな。お前は」
「ガキっぽいってか?」
「そうじゃない……ってわけでもないが、若々しくて眩しいってことだよ」
モルソアはしみじみと言った。採寸の手を止めることはないものの、どこか浮かされたような口調で。
「なんで俺がキャラバンなんかやってると思う?」
「え? そりゃ———」
「ちなみに言っとくが、稼ぎは大して上々とは言えないぞ。そりゃ収入はかなりあるが、大半が道中の護衛やら物資の補給やらで飛んでいく。行商してるわけだからあんまり大きな荷物は持ち運べないし、距離が遠けりゃその分荷車の損傷も激しくなる。正直なところ、どこか大きめの居住地で暮らしてた方が安全だし金も稼げるのさ」
「じゃあなんで?」
「……夢だったんだ。行商の旅をすることが」
そう口にしたモルソアの瞳は輝いていた。見た目こそ三十代後半の、貫禄が付き始めた時期であろうが、その瞳は赫々と若者のような光を放っていた。
「俺が暮らしてた居住地は大規模ってほどじゃなかったが、比較的流通の多い賑やかな場所だった。市場へ行けば異国の品々が所狭しと屋台に出ていたし、酒場に行けばたくさんの行商人や傭兵が冒険譚を話してくれた。俺は商人の家の生まれでな、そうしたキャラバンたちとの交流も多かったんだ」
「それで憧れるようになったのか」
「ああ。腕っぷしに自信が無かった俺が唯一出来る旅の仕方だったし、見たことのない品を自分の手で広めたいっていう思いもあった」
「腕に自信が無い、ね」
思わずイースは笑みをこぼしていた。モルソアの体格では冗談にしか聞こえない。
本人も言われた経験があるのか肩をすくめて。
「昔の俺はそりゃ細かったぞ。なにせ居住地ではそこそこ大きな商人の家だったから、荷物の運搬や品出しはもちろん店員がやってたし、一日の移動だって今の百分の一にも満たないぐらいさ。使う筋肉と言ったら、精々脳みそぐらいだった」
「はいはい。で、キャラバンになりたくて鍛え始めたのか?」
冗談めかしたイースの問いかけに、モルソアは苦笑しながら答えた。
「いいや。最初にやったのは親への直談判だった。結果は散々だった。両親は計算や物覚えが得意な兄に後を継がせて、俺にはその補助をさせようとしててな。行商人になるって話したときには、なじられたし、殴られたよ。お前は無理だ、言うことを聞け、ってな」
「そいつは……」
信じられなかった。イースだってオニールやノルメアに叩かれた事はある。だがそれは他人を傷つけたときや悪いことをしたときなど、人の道を踏み外すような行いをしたときだけだ。子供の夢を蔑ろにするためではない。
唖然とするイースにモルソアは笑みを深めた。
「二人の言い分も尤もさ。行商なんて命がいくつあっても足りない危険な仕事だ。ましてやキャラバンとして人々を率いるなんて並大抵の力じゃ出来ないから、そういう意味もあったんじゃないかって今は思う」
「だからって、していいことと悪いことぐらいあんだろ」
「……あんたは優しいな」
無意識だったのだろう。モルソアは首周りを測るために上げていた手でイースの頭を軽く撫でた。
慌てて手を引っ込め、ばつが悪そうに頬を掻きながら呟く。
「すまん。少し眩しくてな」
「別にいいさ。それより、そんな親をどうやって説得したんだよ」
「やり方は単純さ。それから俺は必死に商いについて勉強した。両親が仕事中はそのやり方を見て学んで、夜は計算や物の価値の勉強をした。意外なことに兄が手助けしてくれてな。十年ぐらい時間をかけて、大口の取引を成功させたんだ。そして親を納得させて、晴れて行商の道に行けるようになったってわけだ」
モルソアの口調は明るく重みを感じない。けれどその裏には血の滲むような努力と挫折が重なっているはずだ。イースはそんなモルソアに畏敬の念を抱いていた。
「すごい奴だな、お前」
「止せよ。必要なことをしたまでさ。現に今、その経験のお陰でキャラバンのリーダーとして暮らしていけてる。けど、時々思うんだ。あのまま居住地で暮らしていれば、安定した人生を送れたんじゃないかって」
モルソアの瞳から輝きが消えた。虚空を捉えたような昏い眼差しにイースも口を噤む。
「八人。俺が正式にキャラバンを率いてからいなくなった仲間だ。自分の夢を追うために脱退した奴もいるが、大半は魔物に襲われたり事故に遭ったりで亡くなっちまった。新たに加わる奴も同じくらいいるが、誰かが加わるたびに頭の中を過るんだ。こいつもまた、死んじまうのかなって」
「……」
「俺自身も死にかけたのは一度や二度じゃない。居住地で暮らしてりゃ経験するはずがないことばかりさ。あの時夢を追いかけた自分を悔やんだことも、もう数えきれない」
イースの胸にも深い澱が落ちる。息苦しく不愉快で、けれど吐き出すことなど出来ない冷たい澱。
メストルホールに追われ……腐蝕の犠牲者を見て……。アルレイで平穏な日々を送っていた時には思いもよらない悪夢を見て来たイースには、彼の感情が他人事には思えなかった。
「一時の熱に身を委ねるのはいつだって心地良い。だがそれは自分の人生に無責任になるってことだ。尻拭いをするのは将来の自分かもしれないし、近くにいた誰かかもしれない。どんな理由があろうと、『命』ってのは一方通行だ。だからこそ慎重にならなきゃならん。冷酷に思える選択をしてもな」
モルソアはそう締めくくった。いつの間にか採寸は終わっていたようで、イースの周りをまわりながら何かを呟いている。
あの時シモンを助けると決めた時も、自分は熱に浮かされていたのだろうか。違うと否定したくてもそれだけの根拠はない。むしろ突けば突くほどボロが出る状態。結局のところ、ユエルの言っていたことが全面的に正しいことが、イースには分かっていたのだ。
だが……それでも……どうしても……。
「納得できねぇ」
理性はユエルの言葉の賛同している。恐らく生きるために必要不可欠な本能も彼女の言葉が正しいと認めている。
しかし、イースの胸の奥深くで魂が叫ぶ。自らの命のために自らを抑え込むなど本末転倒だと。
命は思いを満たしてこそ存在意義がある。たとえその果てに死を迎えようとも、自分可愛さに嘘は吐きたくない。
「俺は、お前の選択を間違いだとは思えねぇ。熱に浮かされてたって、それがお前が望んだ生き方だってことだろ。だから俺は間違いだとは思えねぇし、俺がしたことも間違ってたとは思わねぇ」
「……やっぱり青いな」
眩しげに目を細めたモルソアは何かを言いたげにしながらも、イースの肩をポンと叩くだけに留まった。
「服は明日にでも渡そう。それまでに良いのをいくつか見繕っておく」
「分かった」
一先ず今日すべきことは終了し、イースはモルソアを先導に広場の方へ戻った。
ユエルはというと近くの荷車にてキャラバンメンバーの女性が見せる商品を吟味していた。戻ってきたイースを見ると軽くお辞儀をして、再び目線を商品へ。
自分が無視する分には一向にかまわないが、無視をされるとちょっとムカつく。
「ユエルさんも案外頑固なんだな。想像してたのとはだいぶ違う」
「どんなの想像してたんだ? 戦場に咲き誇る一輪の花か?」
「随分詩的だな。そうじゃなくて、あの人は貧しい人から金銭を取るような真似はしないし、困っている人を見たらすぐに駆けつけて手助けするって噂だから、てっきり冷たい人なのかと思ってな」
「普通逆じゃねぇか? 温かい人だと思うんだが」
「人助けに精を出す奴はどこか冷たいもんさ。どこかしら欠けてるってのが俺の経験則なんだが、どうやらあの人には当てはまらなかったらしいな」
苦笑しながら背中を押してくるモルソア。
イースはそんな彼の行いに怪訝な顔をしつつも、仕方なくユエルの元へと戻る。
「ただいま」
「おかえりなさい。困らせるようなことはしていませんか?」
「してねぇよ。ガキ扱いすんな」
「先の行いはガキそのものでしたが」
「あん?」
売り言葉に買い言葉。今にも口喧嘩が始まりそうな空気感に、応対していた女性が固まる。
しかし、ここで言い合いをするほど幼くはない。
小さく舌打ちをしてイースは目線を外し、地面に並べられている箱を見下ろす。
「んだこれ」
「旅にうってつけの品ですよ! 万能ナイフに水筒、雨具や寝具などにも使える油紙なんかも揃っています!」
「おぉぉっ!」
女性のセールストークにイースも大興奮。早速見慣れない形のナイフを手に取ってみる。
速攻でユエルにはたき落とされた。
「痛ぇな! なにすんだよ」
「あなたには不要です。それよりこちらを」
文句を挟む隙すらなく差し出されたのは注射器だ。中には黄色の液体が入っている。
「んだそれ。毒か?」
「……ハート、瘴気による影響を和らげる抑制剤です」
ほんのかすかに青筋を浮かばせながらも、ユエルはすぐに冷淡な口調で答えた。
「本来は魔物と戦った直後に打つべきなのですが、ちょうど切らしていまして。ここで手に入れられたのは僥倖でした」
ユエルは注射器を構えると、反対側の手を差し出してきた。
促されるままに片腕を差し出すと、慣れた手つきで袖を捲り腕の中ほどへ針を刺しこむ。
ツンと細い痛みの後に液体が流れ込む感覚が訪れるも時間はわずか、すぐに異物感は無くなり、注射痕が残るだけとなった。
「手慣れてんな」
「母が医師だったので、仕事中の手元を見ているうちに自然と学びました」
「へぇ」
思えば彼女の過去について聞いたことが無かった。
イースばかり話してズルい。なんて思いも浮かんではくるが、胸中を占めたのは申し訳ない気持ちの方だった。
(俺、こいつのことを何にも聞いてやれてねぇんだな)
一方的にイースが語るばかりで相手のことを慮ったことは無かった。幾分か冷えた頭が次第にその事実を咀嚼し始め、途端に自分が悪者のように思えてくる。
罪悪感をかき消すようにイースは手を差し出した。
「お前の分も打ってやるよ」
「結構です。私には必要ないので」
「は?」
言っている意味が分からず聞き返すイース。けれども反応は無し。
……折角人が歩み寄ろうと考えを巡らせたのに。冷たい態度にへそを曲げ、イースは商品へと意識を傾けた。
「……やっぱ買って」
「買いません」
「ケチ!」