その日の夜は、イースにとって初めての連続だった。
焚火を囲むように座るキャラバンメンバーおよそ十三名。各期の訓練生ほどの人数だが、装いも年齢もバラバラで、けれど同じ志を持って集まっているのが想像できた。
何より供された食事はアルレイの物ともユエルが出す物とも違う。保存と運搬に長けたキャラバンだからこそ出来る極上の食事だ。
「うんめぇ! なにこれ⁉」
一言で言えばホカホカ。未だ湯気の衰えない金色の宝玉、ぱっくり割れた断面からはやや粘り気のある肉質部が露わとなっており、口に含むごとに猛烈な熱気と言いようのない旨みが口いっぱいに広がる。
「ほらほら、これなんかどう?」
「んだこれ……うんめぇ!」
次いで手渡された乳白色の塊は火にあぶられたことでとろみを増し、かぶりつくと猛烈な塩味とともに濃厚なまろやかさが舌の上で踊る。
「これはこうすると美味しいんだよ」
「んだと? こんなんで旨くなるわけ———うんめぇ!」
なんと差し出されたそれが今度は赤いペーストが塗られたパンに乗せられた。口に入れるとサクッとした食感とともに先ほどの味が口内で荒れ狂うが、さっぱりした酸味が加わったことでより旨みが引き締まった気がする。
とどのつまり、現在イースは人生初めての『旨みの暴力』に翻弄され、目を爛々と輝かせながらもっもっと口を動かしていた。
そんな姿を横目に、ユエルはばつが悪そうに俯く。
「申し訳ありません」
「良いんだよ。どのみちジャガイモもチーズも今日明日に消化しようと思ってたし、他の奴も楽しそうだしな」
見れば感嘆どころか驚嘆の域に達したイースへ、シモンを筆頭にせっせと次なる喜びを手渡すメンバーがいた。
いくら珍品気品を扱うキャラバンだろうと、旅を続けていると感動も次第に薄れてしまう。そんな中でこの反応、ましてや普段自分達が食べるものとさして変わらない内容に歓喜するイースは、眩しく珍しく映っていた。
現に今も手渡したばかりの即席チーズトーストを平らげたばかりの口へ酢漬けのキュウリを突っ込んでいた。
「すっぺぇぇぇ! でもうんめぇぇぇぇ!」
「だろだろ? これが美味いんだよ。そら、お次はこれだ」
「ちょっと待て。酸っぱい物のあとは甘い物だろ? 坊や、今度はこっちなんてどうだい?」
「うんめぇぇぇぇぇぇぇぇ!」
「……さすがに自重してほしいのですが」
もはや至近距離で零された苦言さえも届かない。
半ば射殺すような眼差しを向けられていることなどつゆ知らず、イースが次に受け取ったのは白い球体が先端に刺さった棒だった。
「んだこれ」
食べようと口元へ近づけた途端、猛烈な甘みが香りとなって鼻腔を刺激した。
むせ返るようなそれに思わず頬を緩めるイースに、シモンが同様の棒を手に答える。
「マシュマロだよ。知らないの?」
「生憎、あいつはこの手の
シモンはイースの返答に目を輝かせた。
「なら今日はラッキーだったね。これはこうやって食べるのがベストなのさ」
そう言いながらマシュマロとやらを火にかざすシモン。スポンジ状の白い球体は火に炙られた途端に黒く焦げ付いていくが、同時に甘い香りがより強くなっていき食欲をそそる。
見様見真似でかざすこと数十秒、程よく焼き上がったマシュマロを口へと運ぶ。
瞬間、イースが感じたのは圧倒的な甘みだった。果物のような新鮮な甘みでも、穀物の香ばしい甘みでもない。純粋無垢な甘さの奔流が喉奥へと流れ込み、途端に幸せが脳幹を袋叩きにする。
もはや感想さえも口に出せない。ほぼ概念と言って差し支えない味覚の一種を前に、イースは目を閉じたままゆっくりと咀嚼する。
「どう?」
「……たまんねぇ」
「だと思った! んじゃおかわりね」
空いた手に更に串を握らせるシモンに小さく礼を述べ、イースはすぐさまユエルへと差し向ける。
「お前も食えよ。すんげぇ美味ぇぞ」
「遠慮します。甘味が強すぎて食べられたものではないので」
「んだよその言い方。そんなんだからいっつも仏頂面なんだよ」
「余計なお世話です」
ユエルはプイとそっぽを向いた。
隣ではモルソアが大笑い。
「はっはっは! よっぽど気に入ったみたいだな。まだあるからどんどん食え!」
「おう! いただきっ!」
その夜は特に喧しく夕食の時間は過ぎていった。
やがて夜も更け、メンバーが荷車の中で眠りについたころ。
燃え殻のみとなった焚火の傍にて、イースは地面にゴロンと大の字となった。夕食をごちそうになった上に一部の商品を譲り受けたため、ユエルともども護衛を買って出たのだ。
「はぁ、美味かった。やっぱ外の飯は美味いな」
「でしょうね。比較対象がキノコと虫の卵では」
「違いねぇ。あれはあれで美味かったんだけどな」
もっぱら主食は卵を炊いたライス、そのほかは食材から調味料含めてキノコ尽くしという形だったが、どうやら種類自体は多かったようで多彩な味が楽しめた。
記憶は美化されると聞くが、不思議と今は故郷の料理が食べたいと思えてくる。飽き飽きしたとばかり思っていたのに。
しばらく夜空をぼうっと眺めていたイースは、徐に顔を隣へと向けた。
地面に座って虚空を見つめるユエルの方へと。
だが……何も切り出せなかった。どう切り出せば良いのか分からなかった。幾分頭が冷えたからって謝罪を口にするほど罪悪感を抱いているわけでもないが、だからって馬鹿正直に「謝る気はない」と告げたところで余計話がこじれるだけだ。
イースが口をもごもごさせていると、不意にユエルが口を開いた。
「今日は申し訳ありませんでした」
目を見開くイースに謝罪は続く。
「あなたの行いは確かに人道に則った素晴らしい行為でした。おかげで人一人の命が救われ、大勢の幸せも守れた。今日あなたが楽しめた夕食の時間はあなた自身が守った平和です。苦言を挟むなどもってのほかでした」
「……なんだよ。急に謝りやがって」
イースは体を起こしてユエルを睨む。
不服だったのは事実だ。文句を言いたかったのも認める。それでも……ユエルが謝るのは間違っている。
「テメェにとってはあれが最善の選択だったってことだろ。だからキレてたんじゃねぇのか? 思ってもねぇことで謝んじゃねぇよ」
「本心ですよ。あなたの行いを責めるのは間違っていたのですから」
「でもお前は間違いだって思ってなかったんだろ? だったら謝んじゃねぇよ」
むしろ彼女が思っても無い謝罪をすることで、より自分が惨めな気持ちになる。結局は同じ土俵で言い争っているのではなく、イース一人が駄々をこねているだけではないかと。
(ふざけんな。俺だって曲げられねぇことぐらいあんだよ)
ゆえに、勝手に曲げることも許さない。
そう告げるイースに、ユエルは困ったように眉間にしわを寄せた。
「やはりあなたはお子様ですね」
「ガキ扱いすんじゃねぇって言ってんだろ」
「妥当な扱いはしていますよ。あなたの場合はそれがお子様なだけで」
「言ってくれんじゃねぇか」
口を荒げるイースに困り顔のユエル。未だ距離感はあるものの、互いに向ける怒りは和らいでいた。
自分にも相手にも思惑がある。そう改めて実感したから。
再びゴロンと寝転がったイースは、片手でユエルの背中をガシガシ掻く。
「なあ、夜の見張りっていつまでやんだ?」
「明けるまでですよ。不寝番とはそういうものです」
「夜通しかよ。俺眠いんだけど」
「でしたら車の中へ行ってはどうです? 地面で寝るより楽ですよ」
「ヤダ。お前と一緒にやる」
まるで駄々っ子のような言い草にユエルは苦笑。目元に掛かった前髪を掻き分けながら、
「仕方がありませんね。耐えられなくなったらちゃんと仰ってくださいね」
「ふぁ~っ、へいへい」
欠伸を堂々としながら、イースは眠気に負けつつある目を懸命に見開く。
とはいえ普段は寝る時間で、しかも今日はよく動いたというのもあって疲労はマックスだ。横になったのが失敗だったようで余計に眠くなってしまい、なんだか視界もぼやけて来た。
現に今も月が二つ見えるのだから、ここはユエルの言葉に甘えるべきかもしれない。
でもヤダ。ユエルと一緒にいたいし、彼女に負けたくもない。イースは両頬をパチンと叩いて根性を入れなおす。
「クッソ、起きろ俺の頭ぁ! 月は一つしかねぇだろうが」
二度三度と叩いても一向に月の数は減らない。
むしろどんどん大きくなっていくような……。
「月が……二つ……?」
ふとイースの視界がクリアになった。まるで冷水を浴びせられたかのような急激な変化に脳が追い付けず、痺れたような鈍い頭痛に見舞われる。
次いで全身を襲った悪寒。それが隣から発せられているのに気付いた瞬間、冷たい声が掛けられた。
「イースさんは荷車へ行って皆さんを起こしてきてください」
「急になんだよ。一体どうして———」
二の句は続かなかった。
抱きかかえるように腕を伸ばしたユエルに攫われて地面を二転三転する。
咄嗟のことに反応出来なかったイースは目をしばたたかせるも、先ほどまで座っていた地点に何かが落ちて来たのが分かった。
大地を揺らす重い地響き。もうもうと立ち込める土煙に咳き込みながらも、イースは煙の奥に佇む影を見据える。
やがて煙が晴れた時。
「こいつはっ⁉」
上位種と思しき巨大な魔物が、歯をむき出しにして二人を睨んでいた。