荒んだ世界を僕らは生きる   作:華月 珠音

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第一話:平凡だった日常

 仄暗い通路に響く足音にイースは重い瞼を持ち上げた。

 防壁は退屈な場所だ。町を囲む石レンガの壁には無機質な街灯の白い光以外なにも無く、絵に描いたような殺風景で知られている。好んで訪れる物好きなどそうそういない。ましてや足音は散策をしているようではなく、一直線にこちらへ向かってきているみたいだ。

 

「あいつ、暇人か?」

 

 サボりを怒るような男ではないが、だらしないところを見られたらなんて言われるか分からない。

 向かっている人物に当たりを付けたところで、イースは胸壁に乗せていた肘を離して直立姿勢に。

 今年で十四になった細身の少年はその身体を紺を基調とした警備隊の制服に包み、背に諸刃の長剣を背負っていた。やや癖毛な濡れ羽色の髪はせめてもの抵抗にと短く切られ、その下で手当たり次第に周囲を威嚇する浅葱色の瞳を際立たせている。背丈こそ特別大きなわけではないが、その佇まいは力強く若々しい。

 

 半分眠っていた思考を叩き起こし、表情も眠気を取り払って多少は真剣みを出してみる。だらけた口元を強引に拭ってしまえば真面目に勤務する一般隊員の完成だ。

 気付かれることは無い。完璧な偽装に口元を綻ばせていると、薄闇の中から足音の主が姿を現した。

 

「よぉ、警備は順調か?」

「見りゃ分かんだろ。万事順調で~す」

「そりゃよかった。寝ぐせが付くぐらいたっぷり眠れたみたいだしな」

「うっそ⁉」

「嘘だ」

 

 綺麗に手のひらの上で転がされた。

 頭を押さえた状態でイースは意地の悪い男を睨みつけるも、当人はどこ吹く風。ケラケラと笑いながら隣の胸壁に腰を下ろした。

 筋肉質な巨体に精悍な顔つき、身を包む制服を着崩した姿は近寄りがたい雰囲気を醸し出しており、胸元で煌めく金色のバッジがより周囲と一線を画す存在感を発揮している。

 

「チッ、お前こそこんなとこで油売ってて良いのかよ。教官だろ」

「もう仕事は終わったんだよ。今の俺は教官じゃねぇ、お前がだ~い好きな父ちゃんだぞぉ~!」

「うっせぇ!」

 

 わしゃわしゃ髪を撫でて来た巨体を思いっきり押し返してイースは叫んだ。

 男の名はオニール。訓練生の教鞭をとる教官であり、イースの父親でもある。イースが訓練生だった頃は担任を務めており、子供がいるおかげか教官内でも親しまれやすい部類にいる。訓練生との距離感は近いのだが、息子を前にするとより一層はっちゃけてくる。

 かなりしつこい……。

 

「お前もそろそろ交代の時間だろ? たまには親子水入らず、のんびり帰ろうじゃねぇか」

「ヤダ。今すぐ帰っていいなら十分ぐらい大目に見てやるけど」

「お前が言うのかそれ……」

 

 オニールは呆れたように肩をすくめた。

 

「せめて仕事時間ぐらいはきちんと守れ。お前ら一人一人のお陰で平和は保たれてるんだからな」

「……ほんとかよ」

 

 皮肉めいた微笑を浮かべながらイースは胸壁の更に奥へと手を伸ばした。ところが、壁から出た部位はたちまち黒い霧に呑まれて見えなくなってしまった。

 障壁。防壁の更に外側からドーム状に町を覆う黒い霧はそう呼ばれており、魔物の侵入を阻む役割を担っている。警備隊の主な役割は防壁の警備だが、障壁が壁を作っているため外の景色を見ることなど出来ず、ましてや魔物の接近を察知することなど不可能。加えて外の世界には()()()()などと呼ばれる巨大な光源が浮かんでいるそうだが、完璧に遮断しているせいで光が入ってくることはなく、町は万年薄暗い。

 

 警備隊員の役目は町を守ること。そのために防壁の警備が必要なのは分かっているが、実際は障壁が仕事をしているところを観察するだけの暇な仕事でしかない。身が入るはずなど無かった。

 

「せめて魔物が入ってくるってんならやる気が湧くんだけどなぁ……折角の訓練だってこれじゃ意味ねぇぜ」

「そう言うな。本当に入ってきたら大変だろ」

「……まあそうだけど」

 

 魔物の姿は教本の挿絵でしか見たことはない。

 曰く……人智を超えた異形である。

 曰く……瘴気から際限なく生まれる災厄である。

 曰く……人類が対抗しうる存在ではない。

 どこまでが本当かは定かではないが、事実として人類は魔物との生存競争に敗れ、各地に居住地を建てて隠れ住む羽目になっている。イースが暮らすこの町もその一つだ。障壁のお陰で実感は無いが、一歩外を出れば人の住めない不毛の大地が広がっているという。

 平和を享受している時点でわがままなんて言えない。

 

(だからって、我慢しろってのも無理な話だぜ)

 

 退屈なものは退屈だ。色褪せた日々を死ぬまで過ごすなんて考えただけでも背筋が凍る。なにかしたい、自由になりたい、そんな思いを押し殺してまで長生きはしたくない。

 ———この町ではいくら望もうと、贅沢以外のなにものでもないが。

 

 ゴーン……ゴーン……

 

「ん、終わったな。今日もお疲れさん」

「おう。そっちもな」

 

 スピーカーから流れる終業の報せに、イースは返事もそこそこに防壁を下りて隊員との引継ぎを済ませる。その間もオニールは後ろでじっとしており、交代にやってきた隊員が若干ぎこちない動きをしていた。

 全てを済ませて振り返ると清々しい満面の笑みが。

 

「よしっ、今日は手でも繋いで仲良く帰るか!」

「繋ぐわけねぇだろ。黙って歩け」

「へいへい。ったく、素直じゃねぇな」

 

 どこら辺に微笑ましさを感じたのか笑みを深めるオニールに怪訝な顔を見せつけ、イースは足早に帰路に就いた。

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