荒んだ世界を僕らは生きる   作:華月 珠音

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第十九話

 真ん丸な、まるで満月のように爛々と輝く二つの眼。楕円形の頭部にはそれ以外の部位が存在せず、絵具で塗りたくったかのような漆黒の表皮で覆われている。その黒い皮膚は頭部のみならず全身を覆い尽くし、さながら人影を実体化させたかのよう。

 見上げるほどの巨体に猿を思わせる前傾姿勢の二足歩行。太い拳から繰り出されるその威力は、地面に大穴を生み出した初撃から容易く想像できた。

 

 イースが立ち上がったのと同時に魔物が動く。地面を擦るように拳を振りぬき、驚きに身を固める標的へ一撃を加えようと迫る。

 その一撃はかばうように前へ出たユエルの剣が受け止めた。しかし衝撃を殺すまでには至らず、背後に立っていたイース諸共吹き飛ばされる。

 

「ぐっ……ユエルっ!」

 

 イースが地面を二転三転している間にユエルは体勢を立て直しており、漆黒の巨体に剣を向けながら告げる。

 

「私は大丈夫です。イースさんは早く皆さんを」

「わ、分かった」

 

 睨み合いを続けるユエルに背を向けて、イースはモルソア達が眠る荷車へと駆け込む。

 初手の一撃、更に自分たちを吹き飛ばした攻撃と、外では戦闘音がけたたましくなっている。

 にも関わらず、荷車の中ではメンバー全員が眠りこけていた。誰一人として身を捩るようなこともなく、その寝顔は不気味なほどに安らかだ。

 

「おい! お前ぇら起きろ! 魔物が来てんぞ!」

 

 大声で呼びかけるも反応はなし。

 どう考えてもおかしい。外では今まさに戦いが繰り広げられ、その衝撃は荷車の中にいたって明確に伝わってくるほどなのに。

 焦ったイースはモルソアの下へ駆け寄ると、その頬を何度も叩いた。

 

「起きろっつってんだよ! 死ぬぞ!」

「……」

「夢を追いかけて行商人になったんじゃねぇのかよ! さっさと起きて逃げる準備しろよ!」

 

 再三の呼びかけ。すでに叩きまくったことで頬は赤く腫れたころ。

 

「……うっ……うぅぅんっ」

 

 かすかな呻き声をあげて、モルソアは目を開いた。

 未だ寝ぼけ眼なそれにイースは怒鳴る。

 

「早く逃げるぞ! 魔物が襲ってきた」

「ま、魔物が? なんで……」

 

 魔物除けの香は焚いてあるし、シートで目隠しもしてある。魔物に見つかることはまずなかったはずだ。

 しかし寝起きで靄が掛かったような意識の中、モルソアは確かに魔物の鳴き声を聞いた。

 すぐに表情を正し、胸ポケットからホイッスルを出して吹く。

 

 ピーーーーッ

 

 甲高い呼び笛に、周囲で寝ていた者たちが一人また一人と起き上がる。先のモルソア同様に混乱する者ばかりだったが、次第に大きくなっていく轟音が意識を正していく。

 

「ありがとなイース。助かった」

「感謝は後にしろ。今はユエルが相手してっけど……」

 

 フラグマーなんか目じゃない存在感と、不意打ちを許してしまうほどの神出鬼没さ。

 恐らく相手は上位種、メストルホールと同じレベルの化け物だ。

 

(いくらユエルが強いからって、このままじゃ死んじまう)

 

 本音を言えば今すぐにでも加勢に行きたい。だがイース一人が加わったところで焼石に水。

 キャラバンの避難を優先し、時機を見てユエルの逃走を助ける。それが今出来る最善の選択だ。

 

 メンバーたちもまたこの状況に慣れているようで、テキパキと逃走準備を進めた。ブルーマの手綱を取り、荷車を移動用に整え、リーダーの号令でいつでも出発できそうなぐらいに。

 イースは荷車の外へ出てユエルの方を見た。

 ゆらゆら揺れる質量を持った影は、見た目に違わず攻撃方法も多彩だ。黒い鉤爪を錐のように伸ばして刺突、分厚い剣状にして横薙ぎ、かと思えば大きな鈍器に形を変えて上から叩きつける。

 一方でユエルの動きは単調だ。守りに徹してばかりで攻めに転じる様子はない。

 

「ユエルっ! 今行く!」

 

 すでにモルソア達は大丈夫。そう結論付けて助太刀しようとした、その体は、背後から太い腕により引き留められた。

 

「止せ! お前じゃ無理だ!」

 

 腹に腕を回して引き留めたモルソアがユエルへ叫ぶ。

 

「車の後についてこい! 夜明けまで待機してる!」

「了解しました」

 

 冷淡な声音を崩さずユエルは返事。

 モルソアは納得するように頷いて、イースを引っ張って荷車の中へ。

 

「ふざけんな、離せよ! ユエルを置いていけるか!」

「お前も落ち着け。あの人なら大丈夫だ。きっと戻ってくる」

「でも———」

「よしっ、出せ。全速力で行くぞ」

 

 窓越しに御者台のメンバーへ命じるモルソア。呼応するように手綱のしなる音がして、荷車はゆっくりと動き出す。

 徐々に遠ざかっていくユエルの姿。イースはただ、夜闇に溶け行く彼女に叫ぶしかなかった。

 

「ユエル! ユエルッ!」

 

 その声が聞こえたのか、はたまた偶然か。

 群青色の透き通るような瞳と交わった時、口元がかすかに動いた。

 

———大丈夫———

 

 ほのかな笑みと共に告げられた言葉が伝わるより早く。

 ユエルの姿は暗闇に溶けて消えてしまった。

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