「———んで、そろそろ手掛かりくらい教えろよ」
屋敷の玄関先で朝日を浴びながらイースは言った。
ユエルの家での一夜は実に心地よかった。久しぶりにベッドで眠れた上に、ユエルが豪華な夕食を作ってくれて、故郷アルレイにひと時戻ったような気分だ。
おかげで気分は上々。軽くストレッチをしながら、ユエルの返事を待つ。
「ついて来れば分かります」
「んなドッキリじゃねぇんだから。それとも、今更怖気づくとでも思ってんのか?」
たとえ危険が待ち受けていようと引き返すつもりはない。
「ま話したくなきゃいいんだけどよ、ここまで来たんだしちゃっちゃと済ませちまおうぜ」
「ええ……そうしましょうか」
「どした? テンション低いな」
彼女が物静かなのはいつものことだが、今日は特に口数が少ない。
小言の一つでも飛んでくると思っていただけにイースは面食らう。しかしユエルは頭を振って、
「なんでもありません。あなたこそ興奮するのは構いませんが、十分に注意してくださいね」
「分かってるっつの」
聞いたら聞いたで冷や水をぶっかけられたような気分になる。
ただ、元気が無い姿が嫌に引っかかる。イースはじっとユエルを見つめて言った。
「なんかあったら言えよ」
ユエルは無言で頷いた。
その後は装備の確認を挟んでいよいよ出発、ユエルを先導に二人はサヴァルの大通りを進む。
ユエルが言うには、昨日入った門は交易用の門だったらしく、入ってすぐの建物は全部キャラバン用の宿屋や貸店舗だったそうだ。モルソアのような人種が大勢集まる場所なんて楽しいに決まってる。
「良いなぁ。こんなに見どころがあんだから、退屈なんかしねぇよなぁ」
「アルレイは退屈だったのですか?」
「当たり前だろ。全然広くねぇしキャラバンなんか来やしねぇ。外の景色なんか見たことも無かったんだぜ。ここに暮らしたかったなぁ」
なんて話をすると、ユエルは少し嬉しそうにした。決して言葉には出さないのに、彼女の思いが手に取るように分かる。
……それだけ故郷への思い入れが強いのだろう。冷静な群青の瞳が揺れ動くたびに、イースまで胸がツンと痛む。
そうして歩いているうちにユエルの足が止まった。
正面には見上げるほどの建物が立っている。長方形の箱をいくつも積み上げたような奇妙な外観で、のっぺりした白壁が周囲から浮いている。
ただこういう外観の建物には見覚えがある。
「病院か、ここ」
イースの問いかけにユエルは頷く。
アルレイでも病院や避難所といった重要な施設は、分かりやすいよう周囲から浮く見た目にしている。
まさか遠く離れた地でも同じとは思いもよらなかった。
「例の物はこん中にあんのか?」
「はい。場所も把握しています」
「さすが地元民。つか、お前の母親が勤めてたのって」
「ここです。私も何度かお邪魔したことがあります」
であればイースが出る幕もない。配置は変わらず、二人は病院の中へ踏み入る。
割れたガラス扉を抜けた先には広々とした空間があった。イースの家なんて二つ三つはすっぽり入りそうな広さで、大量の窓のお陰で視界も確保できている。
床に散らばった椅子の残骸に注意しながら裏手へ進み、階段へ。入口と違って窓が一切なく、淀んだ暗闇が占拠している。
「窓ぐらい付けとけよ、息苦しいな」
買ってもらったばかりの
見失わないようユエルの服を摘まみながら上ること三分ほど。
「六階……ここか」
「ついたのか?」
「はい。瘴気濃度も問題なさそうです」
黄色の光る道具を仕舞いながらユエルは先行。
六階は白い壁に白い扉が等間隔で続く無機質な場所だった。ここでも窓が無いため光は
「あ~陽の光が恋しい」
「もうすぐです」
部屋のネームプレートを確認しながらユエルは進む。プレートには『研究室』か『倉庫』の二種類しか刻まれておらず、半開きになった扉を覗くと見たことも無い機械が並んでいた。
やがてユエルの足が止まった。『倉庫4』と掛けられた扉の前で。
「……」
「ここか? 目印もなんもねぇな」
「……」
「お前がいなきゃ誰が分かるんだって感じだぜ……って、どした?」
急に俯いたユエルは、ゆっくりとイースの方へ振り返って、
「あなたはここで待っていてください」
「は? 今更除け者かよ」
「そうではありません。本来ならこのフロアは魔物の巣になっていてもおかしくないのです。万が一潜んでいた魔物に不意を突かれては困るでしょう? なのであなたには見張りをお任せします」
「う~ん……」
折角一緒に来たのに、依頼品を見つける瞬間を独り占めされるとは……。
とはいえこれは彼女の仕事だ。言い分も真っ当だし、そもそも暗い部屋で探し物なんて気が滅入る。
「じゃとっとと見つけてくれよ。俺ぁ暇に弱いんだからな」
「はいはい。すぐに済ませますよ」
そう言って、ユエルはいつの間にか持っていた鍵を穴に差し、半回転させる。
小気味よい音を立てて鍵が開くと、ユエルは中に入って扉を閉ざしてしまった。
……暗闇に独りぼっち。改めて自分の状態を意識すると、つま先から怖気が這い上がってくる。
別にイースは幽霊を信じているわけではない。本当に信じてはいないし、いたとしても生者には見えないのだからいないも同然だ。つまり認知できなければいないのだ。
幽霊なんていない。いないったらいない。
「怖くない怖くない怖くない……」
ふと訓練生だった頃に友人が話していた噂を思い出した。夜遅くに病院を彷徨う青白い人影のことを。
一説にはそれは大昔に死んだ者のなれの果てであり、なんと治療中に息絶えたとのこと。それから自身を殺した病院に憑りつき、患者やそこで働く者を自分と同じ世界———あの世へ連れて行ってしまうという……。
「うっ……おしっこしたい……」
ついでに外に出て誰か……生きている人に触れたい。
そもそも時間が掛かり過ぎだ。暗がりとはいえ大した広さでもないだろうに、一向に出てくる気配はない。
(やっぱり手伝うか?)
痺れを切らして入ろうかと考えた、その時だった。
ガシャーン!
「無い……無い、無い、無い、無い……!」
「ひっ⁉ お化け⁉」
突然の声に心臓がドクンと大きく跳ねる。
胸を押さえて沈めつつ耳を澄ませると、声は中から聞こえて来た。
ユエルの声だ。ただ、いつもの声じゃない。
「ユエル? ど、どうした?」
声を掛けても返事はない。
「あ、開けるぞ?」
返事も待たずイースは扉を開けた。
そこには……半狂乱になって箱をかき回すユエルがいた。
「無い無い無い無い無い! なんで、なんで無いの?」
「ユエル? おいユエル!」
「嫌嫌っ、嫌っ! お願いあってよ!」
「落ち着けって、おい!」
慌てて後ろから押さえつけるも、信じられない力で周囲の箱の山を崩していく。バリンバリンとガラスが割れ、床には得体の知れない液体が広がる。
刹那、手の甲に鋭い痛みが走る。ガラス片で切ったのかもしれない。
だがイースに気にする余裕は無かった。
「深呼吸しろ! まずは落ち着けよ!」
暴れまわる彼女を抑えながら必死に呼びかけるイース。
声が届いたのか、次第に荒い呼吸が収まっていく。
「大丈夫か?」
「……はい。なんとか」
言葉を交わせる程度には落ち着いたようだが、冷や汗の浮かんだ顔は信じられないほどに暗い。
「どうしたんだよ。物はあったのか?」
ユエルは返事をする代わりに、指で一つの箱を差す。黒く塗料が塗られた金属製の箱だ。
見かけより重いそれを引き寄せて、イースは中を見る。
しかし、中にはなにも無かった。
「どこにも無いのです……」
酷く弱り切った声でユエルは言った。力ない眼差しが辺りに散らばった同様の箱を差す。
どれも空箱だ。
「あれが……あれが無ければ———」
「待てよ。ただの依頼だろ? んじゃなかったで済むんじゃねぇか?」
依頼主だって十年以上も経った今無事に残っているとは思わないだろう。最悪キレたって無い物は無いのだから我慢してもらうしかない。
……いや、問題はそこじゃない。
「なあ、なんでそんなに必死なんだよ」
イースはユエルを見つめた。人が変わったように弱った姿は、数分前までの彼女とは大違いだ。
「依頼されただけだろ? それとも……まだ何か隠してんのか?」
「……」
「お前が人に話さない
「……」
「答えろよ。おい!」
全身の血が沸騰したように熱い。ここに来てまだだんまりを決め込むユエルに、イースは腸が煮えくり返りそうだった。
……それとも、仲間だと思っていたのは自分だけか? 商店の廃墟で慰めてくれた時も、上位種の下から帰ってきた彼女を迎えたときも、ずっとユエルは深い溝を作っていたのか?
(俺の思いは……なんだったんだよ)
目尻に浮かぶ涙を強引に拭い、イースはユエルに迫る。
答えて欲しい。同じ仲間なのなら、正直に言ってほしい。
そんな思いを、ユエルは頭を振って拒んだ。
「すみません。今はまだ言えません」
「……なんでか、聞いても良いか?」
「……勇気が出ないのです。口に出す勇気が」
ユエルがうっすらと涙の浮かぶ目でイースを見つめる。己の無力を嘆く苦しい眼差しに、文句など言えるはずがない。
「……分かったよ。だったら何も聞かねぇよ」
「イースさん……」
「ただし、見つけたときには洗いざらい吐いてもらうからな」
イースは宣言した。逃がしはしない。そう突きつけながら。
「ですが、ここに無い以上はもうどうしようも———」
「少しは頭を働かせろよ。どうせ探してんのは薬関係なんだろ?」
倉庫には鍵がかかっていて、ユエルが持っていた。恐らく依頼人が渡したものだろう。となれば誰かが侵入して盗んだとは考えづらい。
十中八九、居住地が現役だったころに持ち出されたのだ。
わざわざ運び込む先など高が知れている。
「この辺に避難用の通路か何かあるんじゃねぇか? 大事な薬ならそこに貯蔵されてるかもしれねぇ」
「避難用の……通路……」
「心当たりはあるか?」
しばし逡巡を挟んで、ユエルは力強く頷く。
「あります。有事の際に使う避難経路が」
「じゃそこへ行くぞ。こうなりゃ手当たり次第に調べるぞ」
イースは立ち上がり、ユエルに手を差し伸べる。
その手を受け取って、ユエルは俯きながら言った。
「申し訳ありません。迷惑をかけてしまい」
「そういう時は『ごめん』じゃねぇんだよ。なんて言うか分かんだろ」
「……ふふっ、そうですね」
ようやく、端正な顔に光が差し込んだ。
「ありがとうございます。イースさん」
「それでいい。さあとっととかくれんぼを済ませるぞ」