荒んだ世界を僕らは生きる   作:華月 珠音

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第二十七話

「——————やってくれたなァァァァァァァァァッ‼‼」

 

 その雄叫びが聞こえたとき、イェルベクトは耳を疑った。

 縄張りを侵した敵は、今しがた完全に死んだ。あの状態で生きていられるはずがない。そう思っていた。

 なのにその声は、確かに殺したはずの敵の声だ。

 ……このとき、もしイェルベクトに目があれば、きっと皿のように丸くなっていただろう。

 

 ———振り向いたイェルベクト。その先には、イースが立っていた。

 

「ッたくよォ、随分と調子よくやッてくれたじゃァねェかァ、アァ?」

 

 歪に吊り上げられた口角に焦点の定まっていない浅葱色の双眸。歯の隙間からは血と唾液が滴り落ち、舌がだらりと垂れさがっている。

 およそ正気からかけ離れた容貌。本来なら死んでいるはずの重傷をおってなお、まるで無傷かのように平然と動いている。

 

「なァに呆けた面ァしてンだァ? テメェらだって似たよーなモンだろーがよォ」

 

 万全の———否、より常軌を逸した変貌を遂げたイースはレイラを握りしめた。瞬間、像力を過剰に流し込まれたことで刀身(ブレイド)にひびが入り、青い結晶が粉々に砕け散る。

 イースが持つ像力は、死の淵に立ったことで一つの方向へと突き進んだ。

 生への渇望。それも生物としての生き死にではなく、自らを活かすことを目的とした欲求にして感情。

 格式張った論理などない剥き出しの想いに感応した像力が肉体の補助を行い、生物が持ち合わせるリミッターを解除したのだ。

 

 イースが決めた生き方。それは自らを主軸とした徹底的な利己主義。マイナスを潰し続けるある種の快楽主義。

 ルールは至って単純だ。仲間がピンチなら助ける、他人の不幸は気に食わないから幸せにする。

 ———気に入らない奴はブッ潰す。

 

「さァて、第二ラウンドだ。簡単にバテんじゃねェぞ」

 

 ケタケタと笑いながら、イースは駆け出した。

 迎え撃つイェルベクトの巨大な拳。人間など容易に引き千切れる怪物の膂力の乗った重量級の攻撃を。

 イースは、受け止めた。

 

「キヒッ、軽ェなァ?」

 

 像力盾を起動し嘲笑うイース。柄を握る右手、その指先は引き金を引いていた。

 二つの能力の同時発動。本来であれば像力の過剰消費により死を招く危険行為を、イースはなんの躊躇いもなく行っていたのだ。

 強固な像力の壁に爆発による衝撃を重ねたことで強引に拳を弾き返し、たたらを踏む巨体へと更に突進。一方でイェルベクトも吹き飛ばされたのは六本ある腕のうち一つのみ、下腕を振り上げることで隙をカバーしに掛かる。

 無駄だった。右下腕による爪撃を最小限の動きだけで躱し、頭上から振り下ろされた左中腕を先の要領で弾き返す。ピキリとレイラから異音が鳴るも、正気を失った持ち主には届かず、次の瞬間には放たれた瓦礫をぶった切る。

 

 すでにイースは目と鼻の先。しかしイェルベクトの皮膚は鉄壁の如く強固だ。突破されるはずがない、平時ならその程度の思考に巡りついたことだろう。

 だが、今目の前にいるのは死に体でありながら生命の躍動に踊るバケモノ。単なる事実程度では抗うことの出来ない根源的な恐怖がイェルベクトの全身を占めた。

 ……避けなければ死ぬ、と。

 それが、追撃の手を緩めた。

 

「おッと?」

 

 突如身をくねらせたイェルベクトにイースは手を止める。本来であれば攻撃を叩きこめるチャンスなのに、人間より遥か格上であるはずの上位種は逃げるように距離を取った。

 その事実が、イースの口角を更に吊り上げる。

 

(そうか。そうだよなァ。所詮はテメェらも生物に違いねェ)

 

 新世界で生きて来た分かったことがある。いくら魔物が生命体として歪な外見をしていようと、人類を滅亡寸前まで追い込んだ大敵であろうと、今を必死に生きる生き物でしかない。

 集団で狩りを行い、守る巣があり、命の危機になれば生存本能が働く。

 固い皮膚を持っていようが関係ない。

 

「なあ引きこもり、知ッてるかァ? どんな生き物でも、叩かれると死んじまうンだぜ」

 

 イースが数分前まで瀕死だったように。

 だから———。

 

「だから———死ぬまでテメェを叩き潰すッ‼」

 

 もはや理性などありはしない。発狂したように笑いながらイースは走り出した。

 側面から迫る巨大な鉤爪を真正面から弾き返し、反動を推進力へと変えて更に速度を上げる。

 逃亡は無意味。そう理解したイェルベクトが左右の上腕を振り上げ一気に叩きつけるも、砂埃が舞い上がるのみで標的には不発。それどころか、地面にめり込んだ左腕を伝って胴体へと接近しだした。

 払い落とそうと中腕で薙ぐも跳び箱の要領で跳び越えて直進。更に足場となっている腕をがむしゃらに振り回すも曲芸師のような動きで絡みつく。

 むしろ、イースは笑っていた。

 

「キヒャヒャヒャッ! いいねェ、ブランコ代わりになるァ」

 

 腕を軸に中空で二転三転しながら攻撃をかわし続けるも、肘へと到達したイースを待っていたのは進路を塞ぐように迫る右上腕の手のひらだった。

 本気で潰しに来た凶手に反撃は間に合わずイースは捉えられ、壁へと叩きつけられた。壁面に長い罅をいくつも生んだ威力、生きていられるはずがない。

 そんな希望も、もはや悪夢の先兵と化した声により砕け散る。

 

「随分ド派手な握手だなァ。ンなに仲良くしてェのかァ?」

 

 イェルベクトの手の中で、イースは引き金を引いた。

 直後、貫通していた刀身(ブレイド)が爆ぜ散り、手を爆ぜ散らせた。

 

「そいつァ俺の返事だ。分かりやすいだろ」

 

 レイラを振って血を払いイースは言った。同時に確信も持てた。

 先の一撃はまぐれだ。たまたま剣を突き出していたおかげで、奴の膂力と合わさって刃が皮膚を貫いただけ。再現性は低いだろう。

 だが、像力破を内側で爆発させれば手傷を与えられる。

 

 目まぐるしく巡る思考と感情の波に、イースは頭を押さえて呻いた。

 

(アァ、コレだよコレ……)

 

 初めて感じる待ちわびた感覚。

 誰がなんと言おうとイースは今を活(・)き(・)て(・)い(・)る(・)。全身全霊でこの世界を堪能している。

 ユエルを救う。イェルベクトを討伐する。どちらも成すべき目標でしかない。

 この瞬間を、この過程を存分に楽しむ。いつ死ぬか分からない緊張感がそう教えてくれた。

 

「これだけは、テメェに感謝してやらなくもねェなァ。俺に生き方ってのを教えてくれてよォ」

 

 そう話しかける先で、イェルベクトは治癒を終わらせており、逃走する気も見せなくなった。

 奴も心を決めたのだ。イースを倒すことを。

 

「さァ、さァさァさァッ! 今わの際の大舞台、魂(はら)の底から楽しもうぜッッ‼」

 

 言葉に出来ない興奮に身を委ねてイースは叫ぶ。

 そこへ投じられた巨大な瓦礫をレイラでぶった切りつつ反転、背後にあった残骸を像力破で飛ばしつつ高らかと跳躍。

 逃げ場のない中空に身を落とした標的へイェルベクトは左上腕を振り下ろす。その寸前でパラパラと着地音が聞こえるも無視。

 すでにその手札は見ている。聴覚を利用した攪乱に二度騙されるほど愚かではない。

 

「———ッて思ってンなら、テメェは愚かモンだぜ」

 

 打ち据えた拳が固い地面を穿ったほぼ同時に、その声は聞こえて来た。

 イースが跳んだのは側方、瓦礫が飛び散った先だ。

 瓦礫の一部を皮膚にめり込ませながらもイェルベクトの攻撃を回避して、イースは腕へレイラを叩きつけて発破。

 ほとんど不意打ちだった一撃に呻くイェルベクトを中心に捉えて疾走。何とかイースの進撃を食い止めようと四本の腕が迫りくるも悉く避けていき、一息に懐へと潜り込む。

 

「オラッ!」

 

 両手で構えたレイラを固い腹へぶつけて発破。傷こそつかなかったものの、衝撃にイェルベクトは腹を曲げてわずかに怯む。

 その隙を逃さず更に発破、続けて発破、駄目押しに発破。三連続の爆発を受けて皮膚がミキッと嫌な音を立てた。

 青白い煙が晴れた時、イェルベクトの皮膚にはわずかな亀裂が走っていた。

 

「やっぱりなァ、叩けゃァ死ぬじゃねェか」

 

 背後を狙った掌底を腹を蹴って高く飛び上がって避け、中空で像力破を起動、爆発を推進力に側面へと大きく回り込む。

 負けじと身をくねらせ体勢を変えたイェルベクトは、甲殻を広げて強烈な光を放つ。

 

 瘴気に適応したヒカリゴケと共生関係にあるイェルベクトは、口内で暮らすコケに瘴気を与えることで閃光手榴弾(フラッシュバン)に迫る光量を攻撃に用いることが出来た。本来であれば発動した本人さえ無事では済まないが、イェルベクトは盲目のためリスクなしに発動できる。

 一方でイースは視覚を頼りに空間を把握する。故に目を眩ませられれば行動不能に陥る……はずだった。

 

「ざぁ~んねん、耳が聞こえンのはテメェだけじゃねェンだよ」

 

 目を閉じたイースはそう笑いながらイェルベクトの下へ直進する。

 像力がもたらした変化は痛覚の麻痺だけではない。対イェルベクトに完全特化した五感の強化と身体能力の向上、イースの『相手を殺す』という意志に感応したことで、イース自身が兵器と化していた。

 今の彼の脳内を占める思いは一つ。

 

「アァァッ! 楽しいなァ!」

 

 全身を血に染めながら狂った笑い声を上げるイース。空間を染め上げる白い光をさながらスポットライトのように浴びながら、瓦礫を踏みつけ高らかに飛び上がる。

 負けじとイェルベクトも六本の腕を振り上げる。

 その瞬間、自身の真下に重い音が響いた。

 すかさず六本の腕は足元を打ち据える。

 ところが、返ってきたのは固い地面の感触のみ。

 

「最後の最後まで、引ッかかりやがッたなァ?」

 

 自身が投げた石を踏みつけ更に跳躍していたイースは、イェルベクトの口内へレイラを突っ込み像力破を発動する。

 何度も何度も、鼓膜が破れそうになってもなお止めない。

 そして……、

 

「じゃあなッ‼」

 

 ひと際大きな爆発が起き、イェルベクトの上半身が爆ぜ散った。

 もう、回復はしなかった。首の中心にあったデイルが破壊されたことでイェルベクトは絶命、重い音と共に地面に倒れ伏した。

 

「———ッはぁ、はぁ、はぁ」

 

 標的が死んだことで感応も止まり、イースは荒い息を吐きながら地面に蹲る。

 苦しい。ひたすらに苦しい。脳みそが捻じれるような痛みと眩暈が一挙に来て、蹲る余力すらなく横になる。

 

「く、くそっ、こんなところで……」

 

 ……死ねるわけない。

 

「負けてられっかよ……まだ……褒めてもらってねぇぞ……!」

 

 イースは這いつくばりながら特効薬の下へと向かう。

 感応が過ぎたとしても、胸に宿る思いは変わらない。

 

「絶対に、生きて帰ってやるっ!」

 

 歯を食いしばりながら叫ぶイース。

 その手が、冷たい箱にぶつかった。

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