居住地アルレイ。
岩山が連なる山脈の中腹に建てられた小規模居住地だ。円を描くように建つ防壁の内側は三層構造となっており、外周から工場・住居・重要な施設と纏められ、至る所に設置された街灯が薄闇にぼんやりと町の輪郭を浮かび上がらせている。
町が建立されたのはおよそ五百年ほど前。当時は周囲の居住地と交流があったそうだが、魔物の襲撃を受けて次々と崩壊していき、最終的には障壁に守られたアルレイだけが残った。資源も町の中で完結できるものに限定され、建材は石レンガと金属、食料は他の資源との兼ね合いでシダシムシの卵と多種多様なキノコが選ばれた。
画一的な様式の家々を通り過ぎて、イースは自分の家に到着した。石レンガの壁にトタン屋根と、外観よりも効率を重視した構造は何の感慨も浮かんでこず、ましてや絵本に登場する色彩豊かな木造建築とは無縁だ。
「ただいま」
疲労を吐き出すように言いながら我が家の玄関を開けると、外出の準備がバッチリの母親と目が合った。
クリッとした栗色の瞳はやや垂れ目で人懐っこく、三つ編みにした髪は後ろに流していて、笑顔が絶えないからか頬には笑窪が出来ている。
母親———ノルメアはイースを見るや否や笑顔を浮かべた。
「おかえり~。ちょうど良かった。今日は久しぶりに三人でご飯を食べましょ」
「急だな……」
ただ彼女の気持ちも分かる。アルレイでの食事は時間内に食堂で摂るのが決まりで、一回の猶予も四時間ほどとかなりある。ここ最近はタイミングが合わずバラバラで食事をすることが多かったので「今日こそは」と張り切っていたのだろうが……。
「悪ぃが今日も無理そうだ。オニールが仕事で遅れるってさ」
「嘘っ⁉ 今日は早く帰るって言ってたのに……」
がっくり、と擬音が付きそうなほどに肩を落とすノルメア。
落胆する姿が居た堪れなくなり、イースは舌打ちをした。
「ほっとこうぜ。どうせあいつも食えねぇって分かってるだろうし、先に二人で食っちまお———」
「駄目よイース」
ノルメアの厳しい眼差しで失言に気付いたものの、すでに出た言葉は飲み込めない。
「オニールもあなたも大事な家族だもの。邪険にはしないわ。あと一時間ぐらいは待って、帰ってこなかったらにしましょ」
「……分かったよ。ごめん」
「ん、よろしい。お腹空いた?」
「別に。部屋に戻ってるよ」
気まずくなって会話を断ち切り、逃げるように自室へ駆け込む。
明かりをつけて壁際に背負っていた剣を置き、真っ先にベッドに飛び込んだ。フカフカのクッションに身を委ねて少しの間うつ伏せになり、やがて体を回して天井を仰ぎ見る。
「はぁ、気持ち悪ぃ」
無意識に苦々しく零していた。
家族と顔を合わせるたびに、自分の中で彼らの比重が大きくなっていくが、同時に「外へ出たい」という渇望も日に日に勢いを増していく。
アルレイを出るのは簡単だ。見つからないようにして正門跡から抜け出せば良い。
……けれど、家族を置いて出ていくなどイースには出来なかった。共に過ごした時間は一時の気の迷いや鬱憤なんかで壊せるほど安いものではない。ましてやそれが家族であれば猶の事。
外へ出たいという欲求と、家族を大事にしたいという想い。イースが単純な生き物であれば、身を引き裂くような葛藤をせずに済んだだろう。
今はただ、ただただ、生きているこの瞬間が苦しかった。
「疲れてんのかな」
どうせ彼が帰ってくるのに一時間以上は掛かる。仮眠をとっても間に合うはずだ。
イースはクッションに身を委ねて目を閉じた。点けたばかりの照明が次第に意識の外へと押し出されていき、睡魔が変わって心身を支配していく。
———警報が鳴ったのはその時だった。
<緊急事態発生。魔物の侵入を確認。市民は避難所へ避難を始めてください……>
「は?」
壁にかけたスピーカーから聞こえてきたにわかには信じがたい報せ。
聞き間違いかと耳を澄ませるも、警報は一字一句違わず同じ台詞を繰り返す。
「誤報……じゃねぇよな」
警報の管理は徹底されている。些細な行き違いで発動するようなものじゃない。
混乱する思考を一先ず放って長剣を手に部屋を飛び出す。降りた先では放送を聞いたノルメアが荷物を纏めて立っていた。
イースの姿を見ると息をのんで抱き着く。いつの間にか追い越していた小さな体は恐怖に震えていた。
「行くのね?」
「ああ。警備隊員だしな」
「そう。……気を付けて。絶対に、オニールと二人で帰ってくるのよ」
「約束する。まだ夕飯も食えてねぇしな」
最後に頬にキスをして、イースは防壁へと駆け出した。