「はぁーあ、何度来ても息苦しいとこだぜ」
地下の最奥に足を踏み入れると同時にイースは呟いた。故郷であるアルレイを離れて早一か月、伸びて来た濡れ羽色の髪は邪魔にならない程度に切り揃えられ、浅葱色の瞳も修羅場を潜り抜けたことで煌々と活力が漲っている。日焼けしてきた体はより逞しさを増し、顔つきもより精悍なものに。両親が見たらきっと驚くだろう。
ただし、その体には未だ大怪我の痕が痛々しく残っている。主を倒したことで無人となった元避難通路兼倉庫だが、依然として瘴気濃度は高く長時間の活動は難しい。早々に切り上げたほうが無難だろう。
「まあいいや、とっとと終わらせるぞ」
イースは隣に立つ長身の女へ声を掛けた。
ユエル・エクスコート。イースの命の恩人であり、共に旅する仲間だ。後ろで一房に束ねた艶やかなダークブロンドの髪に、深く吸い込まれそうな群青の瞳は意志の強さと冷静さを宿し、スラリと通った鼻筋や潤んだ唇が顔という舞台で黄金比を形作っている。その肢体も艶めかしく、筋肉質だが女性らしい膨らみを十二分に兼ね備えた体は誰もが羨む至高の宝玉。何よりイースが見上げるほどの高身長が浮世離れを加速させ、一見すると高名な芸術家が創った最高傑作かのよう。
尤も本人は基本的に無表情で不愛想。自身の美貌をひけらかすような真似は無く、文字通り高嶺の花という表現がぴったりな人物だ。
そんなユエルは、イースの合図に怪訝な顔をする。
「もちろんそのつもりですが、本当に良いのですか? 私としてはあまり望ましくないのですが」
「だから平気だっつってんだろ。ちょっと前まで全身腐ってた奴が
「随分な物言いですね。あなたこそ自身の体を検めましたか? 骨は突き出し、内臓の一部がまろび出て。むしろよく生き延びましたよ」
両者ともに、一時は起き上がれないほど体を壊した身だ。一方は上位種との闘いで瀕死に、もう一方は生来の病で瀕死に。
お互いにそれが分かっているからこそ、言い合いするだけで追い返すような真似はしないのだが。
「俺は慣れてっから良いんだよ。つーかお前ぇ、動けるようになったの一昨日からだろ。俺より遅かったんだから大人しくしろっつの」
「たかだが一日程度の差で先達振らないでください。時間換算では一日ですらないでしょうに」
「細けぇこと気にしてんじゃねぇよ。ったく、ちょっとでも調子が悪くなったら言えよ。我慢すんじゃねぇぞ」
「はいはい。あなたの方こそ無理は禁物ですよ」
これ以上の口論は無意味。双方は会話を断ち切り、荒れ果てた空間内を一通り見回す。
今からおおよそ二週間ほど前、ここでイースは上位種の魔物『イェルベクト』と死闘を繰り広げた。かつて世界中を掌握していた人類との競争に勝ち、人類を絶滅寸前にまで追い込んだ魔物。中でも上位種は強大な力を持ち、人間———ましてや単独で敵う相手ではない。
だがイースは勝利した。自身の体質と
訪れた目的は一つ。ユエルの病を緩和する特効薬を持ち帰るためだ。
イースは手を動かす傍ら、同じく探しているユエルをちらりと見る。本人は気丈に振る舞っているのだろうが、まだ動きにはぎこちなさがある。
彼女が生来持っている病は腐蝕、瘴気を過剰に取り込むことで発症する不治の病だ。発症すると全身の肉が腐っていき、苦しみの中で命を落とすことになる。
本当ならユエルも命を落としていたところだが、医師であり研究者でもあった彼女の母が特効薬を生み出したことで一命を取り留めた。それが無ければユエルもイースもこの世にいないのだから、イースにとっても恩人だ。
(
ユエル、ユエルの母、そして旅路を支えてくれたキャラバンの面々。数々の出会いによってイースは今を生きている。今すぐ返せと言われると困ってしまうぐらいだ。
思い出してはニヤケていると、瓦礫の隙間に目的の箱が見えた。
「おっ、あったぞ」
ユエルを呼んで箱を開ける。一人で開けたときは満身創痍だったため満足に持ち出せなかったが、改めて見るとかなりの量が入っている。
……ついでにイースの血も。
「やはり汚れが酷いですね」
「そう言うなよ。これでも頑張って持ってきたんだぜ?」
とはいえ反論しようにも、イースも同意見のため強く言えない。箱の中には金属製のケースが詰っているのだが、覆い隠すように茶褐色の汚れがこびりついている。不幸中の幸いなのは、特効薬自体に掛かってはいないだろうことぐらいか。
「ま、努力の証って奴だ。褒めてくれたって良いんだぜ」
申し訳なさを誤魔化すようにイースは言った。しかし、ユエルは箱の中を見つめたまま動かない。
不思議に思っていると、徐に左手を上げて、
パシンッ!
「うぉっ⁉ なんだよ急に……」
「……すみません。少し、自分が許せなくて」
唐突に自らの頬を叩いたユエルは、絞り出すような声でそう言った。
「あなたを巻き込むべきではなかった。ここまで酷い怪我を負わせて、血を流させて。私などのために……」
「ユエル……」
「本当に酷い……本当だったら、この血は私が流していた……流すだけで済んでいたのに……」
「……」
涙声で悔恨を口にするユエル。かすかに震える背中が見ていられず、イースはそっと背中を撫でる。
「やめろよな。ありゃ俺がやりたくてやったんだ。お前が思い悩む必要なんかねぇよ」
「ですが———」
「はいはい終了終了。それ以上は侮辱になるぞ、侮辱。良いのか? 命の恩人を馬鹿にして?」
「そのつもりは……いえ、そうですね。これ以上は失礼ですね」
目元を拭ってユエルは顔を上げた。憂いに淀んでいた群青の瞳も、涙を通して澄み渡っている。
「あなたには感謝しかありません。本当にありがとう」
「お、お、おう。だろ? すごいだろ?」
「ええ。あなたのお陰です」
「へへん!」
褒められたことで気分は有頂天。イースは勝手に持ち上がる口角をそのままに、喜び勇んで薬を回収した。