一夜が明けた午前八時、イースはユエルの寝室で朝食を摂っていた。
体力の回復も順調、おまけに旅をしていた日々に乾きのような懐かしさを覚え始めたため、予定通り今日出発と相成った。安全な住居でのんびり過ごすのも悪くないが、やはりイースには放浪生活が性に合っているみたいだ。
なので準備はとうに万端、現在進行形でせっせと荷造りを進めているユエルを眺めているところだ。
「薬は全部持ってくのか?」
軍用レーションのミートボールをもっちょもっちょ食べながらイースは問うた。彼女の母が残した特効薬は、保管に長持ほどの箱を使っていただけに持ち運ぶにはかなりの量だ。
数本を持ち歩き、無くなってきた辺りで取りに帰る。といった風に出来るだろうに、ユエルは首を縦に振る。
「大変じゃねぇか? 結構あんだろ」
「中身だけを持ち歩けば嵩張りませんので。それに……あなたに伝えるのは心苦しいのですが……」
やけに言いよどみつつユエルは答えた。
「この量では足りなくなりそうです」
「……マジ?」
「はい。あくまで目算ではありますが」
そう言いながらも確信していそうな口振りだ。
特効薬が尽きれば、いずれ症状が悪化した際に何も出来なくなる。ユエルにとって代えがたい命綱のはずだが、本人に緊迫感が無いせいか不安は無かった。
あるいは、二人で立ち向かえばどうにかなると思っているからだろうか。
「宛てはあんのか?」
「無いことはありませんが、ほぼ博打のようなものです」
「へぇ、具体的には?」
「製薬に詳しい協力者を見つけ出すのです。寿命が来るまでの分が確保できれば良いのですから」
「んな都合よく行くか? お袋が頑張って作ったもんなんだろ?」
見ている限り製法書を残していたようには思えない。世界でただ一人のために作られた専用の薬なのだから、工程は複雑なはずだ。
ユエルも同意見なのか肩をすくめた。
「なので博打なのです。まあ時間はたっぷりありますから、のんびり探していきますよ」
「悠長だな」
「言ったでしょう? 時間はたっぷりあるのです。あなたのお陰で」
静謐な群青の眼差しに感謝と慈愛を乗せられ、イースは小っ恥ずかしくなって目を逸らす。自分のため、お礼のため、とやってはいたものの、いざ感謝されるとやっぱりくすぐったくて仕方ない。
「ま、俺も時間だけはあるしな。付き合ってやるよ」
実のところ、イースにユエルと離れ離れになるという考えは欠片も無いのだが、素直に認めるのはなんか癪だ。
……相手の方はお見通しらしく、眼差しが生温かいものに変わってしまったが。
「なんだよ」
「なんでもありません。さて、準備は済んだので、食べ終わり次第出発しますよ」
「おう。ちょっと待ってろ。ケーキ食べっから」
「そんなに食べては苦しくなってしまいますよ」
「平気平気。俺の胃袋は底なしだぜ」
などと余裕ぶっこいた結果、起き上がれないほど苦しくなってしまい出発が遅れたのは言うまでもない。
ひと悶着の末、ちょうど太陽が真上まで昇ってきた時間帯、二人は屋敷の玄関先にいた。
目指すは、キャラバン達の間でも特に有名な大規模居住地『タトール』。人類滅亡後の世界では最も発展した場所とされており、タトールならユエルの特効薬を作れる人間もいるかもしれない。
「忘れ物はありませんか? もう帰ってはこれませんよ」
「全部持ったよ。お前ぇこそハンカチとか持ったか?」
「はい。あなたが持つべき分もありますよ」
「……えへっ」
「やれやれ」
ユエルは苦笑しながらコンパスと地図を取り出す。
タトールは現在地のサヴァルから北東の方角だ。間にはいくつもの森や崖やらあるらしい。地図を見てもさっぱりなイースに、ユエルが教えてくれた。
つまり、これから今まで以上に胸躍る冒険が待ち受けているわけだ。迷宮のように茂った森、断崖絶壁の山脈、もしかしたら一面砂だらけの大地も見られるかもしれない。
考えただけでゾクゾクする。
「さて、行きますか」
「おう! あ、でもその前に」
イースは振り返り、屋敷を見上げる。
二週間という長い時間をここで過ごした。怪我が治るまではユエルと部屋でのんびり過ごし、元気が出たら離れた場所にある公園でお昼ご飯。人生の中で見るなら短いだろうが、イースにとっては一瞬一瞬がかけがえのない時間だった。
これまで助けてくれた恩人達と同じく、この家もイースを温かく迎え入れてくれたのだ。
「今までありがとな。元気でな」
全体を軽く見回して、イースは深く頭を下げた。
その姿を、ユエルは驚きと納得の目で見ていた。
家といえど本質は道具、使われるからこそ作られ残っているに過ぎない。なのに彼は平然と、まるで同じ生ある者のように扱っている。
すでに彼が背負う長剣にはレイラという名が与えられている。物に対しても敬意を払うのが彼の性分なのだろう。
(不思議ですね……以前なら理解しかねていましたが)
今なら、それが優しさによるものだと分かる。
彼と一緒にいて性格まで影響を受けたのかもしれない。そう思うと可笑しくなって、ユエルは吹き出してしまった。
当然、イースにはユエルの考えなど分かるはずもなく、突然笑い出すという奇行に怪訝な目で対応。
「どした。俺変なことしたか?」
「いいえ。なんでもありません」
澄ました顔をしているが、口元を隠す手が震えている。
「まあいいや。んじゃやるべきことも済んだし、行くか!」
「ええ。行きましょう」
いつも通りユエルを先導にして、イースの旅が始まった。
ここ数日、元気が有り余っていたイースはサヴァルの探索をしていた。上位種が巣にしていただけあって、遥かに格下の通常種は滅多に姿を見せず、広々とした敷地はリハビリにぴったりだったのだ。それに故郷とは正反対の街並みが刺激的でつい没頭してしまい、何度日暮れに間に合わずユエルに怒られた事か。
こうして大通りを歩いているだけでも楽しい。大事な仲間が元気を取り戻したのだから猶の事。
「なあ、あの店って元々おもちゃ屋だったのか? 積み木みてぇなのがあったけど」
「いえ、あそこは雑貨屋でした。ただ勤めていた方にはお子さんがいたそうなので、きっとお子さんの物なのでしょう」
「ガキの
「ご存命であればとうにあなたと同じ年ごろでしょう。あなたが喜ぶのであれば持って行っても良いのでは?」
「う~ん。要らねぇや」
「ふふっ」
なんて会話をしていると、あっという間に正門に到着。
ユエルが像力兵器でぶっ壊した門を踏み越えて外へ出ると、気分もまた一新される。
思わずイースは両の拳を高々と突き上げガッツポーズ。
「また冒険の日々が始まるぜ! テンション上がってきたぁぁっ!」
「昂るのは結構ですが、油断していると怪我しますよ……」
呆れた口調が途切れ、イースは振り返る。
そこには険しい表情で壁面を見るユエルの姿が。
視線を辿り、サヴァルをぐるりと囲む城壁に目を移したイースは、すぐさまレイラに手を伸ばす。
「……フラグマーか」
ちょうど日陰となる位置に身を隠していた通常種の魔物、フラグマー。腹部が肥大化した前傾姿勢の人間を思わせる外見だが、およそ頭部と呼べる部位が無く、あるのは首の先端に鎮座する横に開く大きな口のみ。細長い四肢は先端に鋭利な鉤爪を有し、尾てい骨から伸びる骨張った尻尾の先端もまた錐のように鋭い針となっている。
魔物は日没後に活発化する。逆に陽が出ているうちは動きが鈍くなりそうなものだが、外の世界に出てからは何度か日中に遭遇している。
「魔物なんだから日陰に引きこもってりゃいいのに」
「だから動かないのでしょう。こちらを視認している様子もありません。ここは静かに立ち去りましょう」
警戒しつつも武器を抜くことはなく、ユエルはゆっくりと後退りだす。
だが、イースには出来ない。ユエルの故郷であり、イースからしても唯一無二の場所だ。
魔物に荒らす権利はない。
「おいテメェら! 一歩でも中に入ってみろ。その両足ぶった切ってやっからな!」
「イースさん⁉」
驚きの声が後ろで上がるが気にしない。レイラを引き抜き、目障りな闖入者へと向かっていく。
フラグマーも気付いたようで、イース目掛けて駆け出した。
(愚直な突進。相変わらず雑魚は雑魚だぜ)
以前のイースなら少しぐらい動揺しただろうが、すでに三度の上位種と邂逅し、うち一体は一人で討伐したのだ。烏合が相手では緊迫感の
「肩慣らしにはちょうどいい。気持ちよく勝たせてもらうからなっ!」
不敵な笑みを浮かべて、レイラの引き金を引く。
だが、愛剣からの反応は無かった。