外ではすでに大勢の住民が中心区域への避難を始めていた。前線に出ない訓練生が彼らの誘導を行っているものの、その表情は一様に硬く歪んでいる。
彼らの気持ちは痛いほど共感できた。最後に魔物の襲撃があってから百年、当時を知る者はほとんどおらず、ましてや警備隊員は誰もが初めての経験だ。
人の波に逆らいながら持ち場へ急ぐイースもまた、緊張で喉に焼け付く痛みを味わっていた。
(障壁はどうしたんだ? なんで今になって機能しなくなった?)
障壁はアルレイ防衛の要。点検には細心の注意を払われている。仮に機能不全の陥ったのなら予兆があったはずだ。整備係はおろか警備していた者まで見逃すとは思えない。
「チッ、考えてても埒が明かねぇ。まずはバケモンどもをぶっ飛ばさねぇと!」
不幸中の幸いだったのは終業時間後だったことか。工業地区はすでにエネルギー系統以外の工場は停止しており、僅かに残っていた夜勤組もとっくに避難している。もぬけの殻となった工場が立ち並ぶさまは酷く不気味で、湿り気のある静寂が背筋をぞくぞくさせる。
不意に静寂が破られた。耳障りな金属音によって。
「おでましか……」
浅葱色の双眸が睨みつける先、カリカリと石を削る歪な音を立てながら、その怪物は姿を現した。
腹部が異様に膨れ上がった人間の腐乱死体のような外見。しかし脚は膝関節が逆の方向へと折れ曲がり、顔面には目や鼻といったパーツが無く、縦に裂けた口が中央に陣取るばかり。両手は刃物と呼ぶべき湾曲した鉤爪が三本伸び、尾てい骨から伸びる骨だけの尾の先端には鋭い針が一本、標的へと向けられている。
あらゆる生命とも合致しない醜悪な容姿、まるで他の生物を殺すことに特化したかのような不気味な存在。
かつての人類を死の淵へと追いやったその災厄が、魔物だ。
「へぇ、テメェが一番乗りってか」
魔物が人語を介すかは不明だが、イースの言葉に薄汚れたいくつもの歯を見せて歪な鳴き声を発して見せた。
奴らはその危険度から二種類に分けられている。この魔物———フラグマーは通常種と呼ばれる平均的な魔物に分類されていて、突出した能力が無いながらも群れで行動することが多いため侮れない種族だ。
(他の奴が見えねぇな。さっさと片付けちまおう)
イースは背中の長剣を抜き放った。全長およそ百センチの諸刃の直剣で、短い十字の鍔の中心に青い結晶が、その下の縁頭には引き金が付いている。
訓練生時代から共にあった相棒。その重みに確かな心強さを覚え、イースはほくそ笑んだ。
「さぁて、最初の勝ち星は派手にキメるとしようか!」
戦いの火蓋は、フラグマーの先制によって切って落とされた。
錆びの浮いた巨大な鉤爪がイースの首を刎ねようと迫る。視界の下端から向かってくる凶刃を上体を反らしながら回避、通り過ぎていく刃の側面を足の裏で蹴り上げながら一回転し、大きく空いた胴体へ一閃を叩きこむ。
刃先が肉塊を抉る。ぬちゃりと嫌な音とともに伝わる不愉快な感触に顔をしかめながら追撃の尻尾を躱して接近。汚らしい横っ面をぶん殴る。
「ハッ! 随分と柔いな。鎧でも着込んだ方が良かったんじゃないか?」
興奮に口元を綻ばせながら逆手に構えた長剣を振り上げ断頭。宙に浮いた頭部を蹴って遠くへ放り、残った胴体を真っ二つに両断する。
魔物には一般的な生物が持つ臓器は存在しない。
代わりにたった一つ、魔物を魔物たらしめている部位がある。
「見っけ」
断面から覗くどす黒い球体。やや楕円を描くその表面は網目模様となっていて、不規則な突起が全体を覆っている。
デイル。奴らにとっての心臓であり、これを破壊しない限り再生し続ける。
……デイルを破壊さえすれば、魔物は死亡する。
「運の悪ぃ奴らだ。大事なもんがこんな簡単に奪われちまうなんてよ!」
イースはデイル目掛けて剣を突き刺した。肉を抉った時とは違う乾いた感触と共にデイルは破裂。たちまちフラグマーは動きを止めて倒れ、黒い霧となって消えてしまった。
「これが瘴気か。初めて見たな」
魔物は瘴気から生まれ、デイルはその維持に使われる、と教本には書いてあった。逆に生命には毒となるらしく、デイルを破壊したからといって安心できるわけではない。ある意味奴らの悪足掻きなわけだが、死体の片付けをせずに済むのはむしろありがたい。
「手土産も無しか。マナーのなってねぇ奴らだぜ」
ぶつくさ零しながらイースは長剣を仕舞う。
———より先に、素早く振り下ろして奇襲を弾く。
「ま、だよな」
体を反転させつつ距離を取るイース。見つめる先にはフラグマーが———二体。
「さすがに能力を縛ってちゃ厳しいか」
新たな襲撃者は敵意全開でイースを捉えており、易々と命を差し出してくれそうにない。
「ってわけだ。出番だぜ、レイラ」
そう呟くとともにイースは柄頭の安全装置を解除する。瞬間、鋼鉄の剣身に青白い光が宿り、無機質な空間を煌々と照らした。
『
汎用長剣型像力兵器。イースの愛剣———レイラもまた、そんな科学技術の結晶だ。
「来いよ太っちょ。ダイエットに付き合ってやる」
指先での挑発にフラグマーは突進で返答。姿勢を低くした状態での突撃を横に跳んで避けるも、見越したかのように尻尾の針がイースの顔面へと突き出される。
頭を横にずらして避けつつ切り上げで尻尾を切断。しかし仲間の隙をカバーするように、もう一体のフラグマーが側面から鉤爪を振り下ろす。
すでに体はレイラを振りぬいた状態で止まっている。強引に動いたところで先制に動いたフラグマーが反撃する方が早いだろう。
命中は免れない。その思惑は……半透明の壁によって妨げられた。
汎用長剣型には二種類の能力が備わっている。
強引に受け止めた一撃を逆に押しのけ、イースは飛び退ったもう一体のフラグマーへ切りかかる。身軽な動きで振り下ろしを躱されるも、刃先を地面に激突させ反発力で鋭い切り上げを放ち片腕を切り飛ばす。
後頭部に刺すような気配を感じて首を傾け回避、頬を掠めた針の根元を握り体を反転し伸びきった尾を叩き切る。二度も尻尾を斬り落とされたフラグマーは怒りの咆哮を上げるも背を向け、文字通り手負いの一体の顔面へ深々と剣身を突き刺す。
「歓迎の一発、取っておきな!」
高らかに宣言しながら引き金を引く。直後、フラグマーの体内から青い光があふれ出し、デイル諸共肉体を破裂した。
像力兵器は使用者の像力を使う。故に過剰な負荷がかからないようリミッターが設けられており、能力使用には
汎用長剣型の
だが、レイラは違う。
「あとはテメェだ」
振り向くと同時に像力盾を展開し尾による刺突を防ぎ、横から迫る鉤爪を手首から切り落とす。ならばと言わんばかりに反対側で振り上げられた鉤爪を像力盾で強引に弾き返し、膨れ上がった腹部へレイラを突き刺し発破。
イースが保有する像力は常人のおよそ三倍。そのため本来必要な
下半身が消し飛んだフラグマーはべちゃりと地面に落ちてなお歯を剥き出して威嚇する。動物なら死ぬ程度の怪我でも平気どころか再生できるのだから、旧文明が滅んだ理由にも納得が行く。
だが、アルレイまでも滅ぼされるわけにはいかない。
「悪ぃが
イースは死に体のフラグマーをレイラを振り下ろした。
絶命を確認してようやく、自分が緊張していたことに気付いた。いくら訓練を積んでいようと実戦とは別。改めてそれを実感する。
「ははっ、ま、悪くない感覚だな」
イースはレイラを仕舞って防壁へと駆け出す。
初の実戦で圧勝。それも複数の魔物を相手取った結果にイースは浮かれていた。悪名高い魔物も大したことない、どんな相手だろうと余裕で追い返せると。
その驕りは、防壁にて広がる地獄絵図によって儚く散った。
「……なんだよ、これ」
おびただしい量の血が鈍色の地面を染め上げるそのうえで、隊員たちは必死に魔物の襲撃を凌ごうとしていた。力及ばず倒れた隊員の体を躊躇なく踏みつけながらフラグマーは続々と防壁を乗り越えて侵入し、懸命に長剣を振るう者たちをその凶刃で切り裂いていく。
それは日常から逸脱した狂気の世界。濃密に香る血の臭いに、視界の至る所で映る亡骸に、腹の奥から嫌な何かがこみ上げてくる。
(嘘だ……こんなの現実じゃない……)
五感が伝える全ての情報を遮断すべく、心は勝手にも体をその場で蹲らせる。耳を塞ぎ、目を閉じ、鼻を隠し、全てが夢の中だと言い聞かせる。
それを破ったのは、聞き馴染んだ男の声だった。
「イースッ! ボケッとすんな!」
防壁の通路にて、一人大勢の魔物と対峙するオニール。彼もまた複数の敵に囲まれながらも善戦していた。しかし一体が倒れるごとに二体三体と増えていく様はまさしく焼け石に水。
「今行く!」
レイラを引き抜いて防壁を上り、通路上にいるフラグマーを崖下へ叩き落とす。
続けざまに後ろの一体の口を串刺しにして盾代わりに構え、後続の二体の攻撃を防ぎつつ他方の個体を突き落としに掛かる。
仲間が盾にされているのにフラグマーの攻撃は衰えることを知らない。むしろ勢いは増すばかりだ。
「お仲間なんざ眼中にないんだな」
どこまでも生物と違う魔物どもに吐き捨てて、イースは盾にしていたフラグマーのデイルを破壊しつつ周囲の魔物を像力破で蹴散らす。
「大丈夫か?」
「なんとかな」
オニールの問いかけに突進してきたフラグマーを崖下へ受け流しつつイースは応じる。
「なんで急に入ってきやがった? 障壁は万全だっただろ」
「さあな。強固な壁っつったって障壁は年代物だ。急に壊れることだってあり得る」
口ではそう言いながらもオニールの表情は晴れない。
それでも強引に頭を振って、
「とにかく今はこいつらを追い返すのが先だ。お前も手当たり次第にぶちのめせ!」
「了解!」
イースは首肯しながら近くのフラグマーを倒す。
そのまま通路上を駆け抜けつつ通り抜けざまに魔物どもを落としていく。通路という比較的狭い場所だからか魔物の動きは制限されており、数が増えれば増えるほど身動きが取れていない。
問題は際限なく湧いてくる援軍だ。無から生じているかのような湧き具合に防衛側の疲労ばかりが蓄積していく。
「チッ、無駄に多いな」
額の汗を拭う暇さえ無く目に付くフラグマーを斬り伏せるイース。
その視界の端に、胸を裂かれて倒れる隊員が入った。
考える余裕なんて無い。すかさずイースはその隊員の下へ駆けつけ、とどめの一撃を刺そうと腕を振り上げたフラグマーの胸部を叩き切る。
「イース……」
「話はあとだ。さっさと後ろに退いて手当てして来い!」
「わ、分かった。ありがとう」
隊員を引き下がらせつつ続々と侵入してくるフラグマーを片端から切り捨てる。
だが、着実に疲労は溜まっていき、気付けば視界が霞み始めた。
故に、普段なら避けられる攻撃さえも体が動かなかった。
「がっ⁉」
背中に生じた激しい痛み。焼き鏝を押し当てられたような酷い熱に、イースは小さな悲鳴を上げる。
「くっそ……! ふざけんじゃねぇ!」
反撃とばかりに横へ振りぬくも、刃先が相手を切り裂くより早く腕に深々と鉤爪が突き刺さる。
落としたレイラを左手で掴んで強引にデイルを壊し、ぐったりとした体を持ち上げて鉤爪を抜く。その間も別のフラグマーが狙いをすましていて、朦朧とする意識の中で正面から鋭利な針が突き出される。
鉛のように重くなった体を動かして回避するも、正面には数えきれないほどのフラグマーが狙いをイースへと向けていた。
「弱ってるとでも思ってんのか? 甘ぇんだよクソが!」
血反吐を吐きながらがむしゃらにレイラを振り回して目に付く肉塊をひたすら切り刻む。
しかし滾る闘志に反して出血は増していき、指先の感覚が無くなっていく。自分が立っているのか転がっているのかさえ判断できず、目尻に涙を浮かべながらも抗い続けた。
そんなイースの背中に硬いナニカがぶつかった。それが崩れかかった胸壁だと気付いた時には、全てが手遅れだった。
「うぐっ……!」
正面から体当たりを受け、背中に押し当てられていた胸壁ががらがらと音を立てて崩れ落ちる。
あっと思った時には、ふわりとした浮遊感に見舞われていた。内臓全てが動き回るような感覚に吐き気を覚え、肺がしぼんだかのように息が出来ない。
次いで頭頂部からつま先へと駆け抜ける冷風。眼下に崩れた胸壁が見える。
「イースッ!」
瓦礫の隙間からオニールの顔が出て来た。周囲で隊員たちが攻防を振り広げる中、必死の形相で腕を伸ばしている。
思考の片隅で、自分が落ちているのだと察した。
「オ……ニール……」
感覚の失せた手を伸ばすも、直後に全身を衝撃が打ち据え視界は暗転。
間際に見えたのは色味の失せた世界と、絶望に歪むオニールの顔だけだった。