「綾小路くん、今日は久しぶりにチェスをしましょう」
坂柳がそう言ってチェス盤の置かれたテーブルに座る。
「そういえば、あんた達2人ってチェス部だったわね」
「一応、椎名もな」
「真澄さんが居る前でやったことがありませんでしたね」
坂柳と最後にチェスをやったのが約1カ月前。Sシステムの全容が明かされた日だ。
その時はまだ神室は合流していなかったな。
「神室はチェスのルールを知っているのか?」
「知らない。興味もない」
「真澄さんにもきちんと教えてあげますよ。何たって4人目のチェス部の部員ですからね」
「は? 聞いてないんだけど。それに私はもう美術部に所属してるし」
「幽霊部員じゃないですか。それに、綾小路くんも椎名さんも茶道部に所属して掛け持ちしています。問題ないですね」
ふふと微笑みながら、呆れ顔の神室を横目にチェスの駒を動かす。
「チェス部自体、きちんと活動してる部じゃないから大丈夫だ」
椎名だってチェスを指した回数は5回もない。いつものように本を読んでいる。身内向けの自由な部活だ。
オレも駒を動かす。
「ところで綾小路くん、CクラスとDクラスのトラブルはどうなっているんですか?」
「どうしてオレに聞く? オレよりは椎名の方が詳しそうだろう」
「Cクラスですけど、私も詳しく知りませんよ? ポイントが止められて困ってるぐらいです」
AクラスとBクラスにはポイントが支給されたが、騒動の中心にあるCクラスとDクラスはまだポイントが支給されていない。「ポイントがないと本が買えません」と椎名が嘆く。
「Dクラスが事件の目撃者を募ってる。周りと同じでオレもその程度のことしか知らない」
先日、Dクラスの爽やかイケメンーー平田洋介と櫛田含む数人がAクラスに訪れ、事件の詳細と須藤が濡れ衣を着せられていることを話した。もしも事件を目撃している者がいたら教えて欲しいと。
「仮にDクラスの話が本当だったとしも、Cクラスの方が怪我してるみたいだし証拠がない以上は無実を証明するのは厳しいんじゃない? 事件の起こった特別棟に行ってみたけど、監視カメラなんてなかったしね」
しっかりと坂柳に使われ現場に足を運んでいた神室。「蒸し暑くて最悪だった」とのこと。お疲れ様である。
「目撃者がいれば解決するわけでもありませんが、活路は開けるでしょう」
「Bクラスの一之瀬たちが協力してるって話もあるけど、今のところは成果はなさそうよ」
BクラスがDクラスに協力か。
BクラスとCクラスのポイント差は殆どないし、Cクラスの偽証を証明出来ればクラスポイントに影響を与えられるかもしれない。他にもDクラスに貸しを作れるなど、色々なメリットがありそうだな。
「というか、神室が知ってるってことはお前も知ってるはずだろ坂柳。オレよりも今の現状を詳しく理解しているぞ」
「堀北さん経由で面白い情報があればと思ったんです」
「今頃は須藤の無罪を証明する為に躍起になっているじゃないか? ま、気になるなら本人に直接聞いてみれば良いさ」
「なら諦めましょう。堀北さんが図書室に来るのは、恐らく審議が終わった後になるでしょうから。ね、綾小路くん?」
坂柳が見透かしたような目でオレを見て微笑む。
別に表情には出していないんだが、ひょっとしてエスパーか?
「……あんた達2人とも、よく喋りながらチェスが指せるわね。しかも速いし、なんかレベル高そうだし。もしかして適当に指してんの?」
「そんなわけないだろ……」
呆れながらもチェスの駒を動かす。そろそろ中盤戦が終わりそうだ。ややオレが劣勢である。
「てか椎名はどうなの? もしもCクラスの方が偽証だったら、Dクラスの処罰がCクラスに行くわけでしょ? まだ目撃者は見つかっていないとはいえ、もし見つかったら困ることになるんじゃない?」
「Cクラスとしては困ることにはなるかもしれませんが、だからといって嘘が通用してしまった時の方が問題になると思います。それに、私から何かを言うつもりはありませんが、嘘だとしたら正直に申告して欲しいですね」
「学校に報告してるからもう無理じゃない? 実は嘘でしたなんて今更言えないでしょ」
「ですがまだ審議は行われていません。ペナルティはあるでしょうが傷は浅く済むはずです」
椎名はそう言いながらオレに目を向け、それに釣られる形で神室もオレを見た。
オレは何も言っていないんだが。椎名が相手とはいえ、そんな目で見られても何も答えないぞ。鋼の意志である。
「これでチェックメイトですね」
あーー。
土曜日。
いつものメンバーでケヤキモールの映画館に訪れる。
以前、椎名がおすすめに貸してくれた本。それがどうやら映画化したということで、一緒に観に行こうという話になったのだ。
大きなスクリーンで、文字に起こされた物語が映像として出力されていく。迫力のある俳優の演技。臨場感を感じさせる音楽。物語に合った舞台背景や衣装のデザイン。
尺の都合上、カットされている部分は多々あったが映画は十分に満足のいくものだった。
このまま解散するのも味気ないので、どこかに寄らないかという話になりケヤキモールを歩いていると、ふと休憩スペースの自販機に視線が向いた。
誰もいない休憩スペース。しかし、今一瞬だけ見覚えのある少女の姿が見えた気がした。
見間違えかとも思ったが、オレは気になったので3人に一言かけてから移動する。
「……山村? こんな所で何をしているんだ?」
「っ!?」
奥まったところに設置された自販機。死角となっていたその側面に、クラスメイトの少女がペットボトルを片手に立っていた。
山村美紀。
クラスではいつも一人でいる女子生徒だ。中間テストの勉強会にも参加している姿はなかった。
山村は目を見開き、驚きのあまりペットボトルを落としてしまう。
幸いにも蓋がついていたので中身が零れることはなかった。オレはペットボトルを拾い上げ山村に差し出すが、彼女は動揺し過ぎて受け取ろうとはしない。
「すまない。驚かせるつもりはなかったんだ」
「い、いい、いいえ。私の方こそごめんなさい」
山村は早口でそう言いながら、ひったくるようにオレの手からペットボトルを掴み取る。
その対応にちょっとショックを受けるオレ。
「それで山村はこんな所で何をしているんだ? 休憩するにしても目の前にベンチがあるだろ?」
「そ、そそ、それはっ」
山村の視線が左右に揺れる。あわあわとしながら次に発せられる言葉が続かない。
「あー……、困らせるつもりはなかったんだ。邪魔して悪かった。また来週な、山村」
ただの興味本位の質問であり、山村に迷惑をかけたいわけじゃない。
この場を離れ3人と合流しようとしたオレだが、少し遅かったらしい。様子を見に神室がすぐ近くまで来ており、その後ろには椎名と坂柳もいる。
「ちょっと何しーーえっと、あんたは…………」
そして神室も自販機の間にいる山村の存在に気付く。
神室。お前もきちんと山村と同じクラスなんだが、もしかして名前が出てこないのか?
「山村美紀さんですよ、真澄さん」
「こんにちわ、山村さん」
「あわ、あわわわわわっ」
背中は壁で横は自販機。逃げ場なし。奇しくもオレ達4人に包囲されてしまった山村。
完全にパニックになっており、可哀そうなほどに目を丸くし震えている。
「綾小路、あんた何したの?」
「何もしてない」
何もしていないが、オレのせいっぽいな。すまない山村。ワザとじゃないんだ。
「改めて邪魔して悪かったな」
オレは「行こう」と視線で3人に促す。
山村に大して関心のない神室は素直に従い、坂柳も興味深そうに山村を見た後に来た道を振り返る。ただ、椎名だけが立ち止まったまま口を開いた。
「山村さんも、良かったら私たちと一緒に行きませんか?」
「え!?」
山村が驚愕に満ちた声を出し、神室と坂柳が同時に足を止めた。
全員にとって予想外の提案をした椎名に視線が集まる。
「ど、どどどど、どうしてですか!?」
「私が山村さんと一緒に過ごしてみたいと思ったからです。あ、自己紹介がまだでしたね。私の名前は椎名ひよりです」
「わ、わた、私は、ご、ごごごめんなさいっ!」
どうやら山村の持つ許容範囲が限界を迎えたようだ。彼女は赤くなった顔を伏せ、自販機の隙間から飛び出してくる。そしてそのままオレと椎名、神室と坂柳の横を通り過ぎてこの場から去っていく。
「振られてしまいましたね」
小さくなっていく山村の背中を見ながら、椎名は残念そうに呟く。
「正直驚いた。椎名が山村を誘うなんて。どうしてだ?」
椎名が天使(もしくはそれの生まれ変わり)であることは知っているが、初対面の相手にグイグイいくレベルの積極性は持っていない(本が絡んでいたら別だが)。
いきなり山村を遊びに誘うなんていう、陽キャみたいなことを椎名がするとは思ってもいなかった。
「深い理由はないんですよ。何となくですが、山村さんが少し私と似ていると思ったから声を掛けけたんです」
山村も椎名と同じく天使かそれに準ずる存在だった?
「椎名よりもオレとの方が似てそうだが……」
山村のことを詳しく知っているわけじゃないが、オレと同じでコミュニケーションを取るのが苦手そうだ。物静かなところも勝手にだが親近感を覚える。
「ふふ、だからかもしれませんね」
「そ、そうか」
照れるオレを見て椎名はくすりと微笑み歩き出す。
天使ぃ。いや、今のは小悪魔っぽいか? まぁどっちにしろ最高だな!
……。
山村美紀か。
◆ ◆ ◆
<side:堀北鈴音>
週が明け、CクラスとDクラスの審議の日が遂にやってきた。
私は須藤くんを連れ職員室に向かって移動する。
「須藤くん。向こうが何を言ってこようが絶対に反応しちゃダメよ。あなたが挑発に乗って怒る度に心象が悪くなって不利になるわ」
「分かってる。俺のせいでこれ以上は堀北やクラスの皆に迷惑をかけるつもりはねえ。何を言われたって耐え切って見せるぜ」
須藤くんはそう言いながら力強く頷く。
綾小路くんと3人で話した時だけでなく、須藤くんはクラスメイト達の前でも非があったことを認め、頭を下げて謝罪して見せた。私がそうしろと言ったことではあるが、それを行ったのはしっかりと須藤くんの意思であり、きちんとした誠意があった。
その姿にはクラスメイト達も驚き、平田くんや軽井沢さん、櫛田さんを始めてとした多くの生徒が彼を信じ、協力する姿勢を見せてくれた。
彼らの協力は実を結ばなかったが、それでもバラバラだったDクラスが僅かにでも結束したことには意味があっただろう。
何よりも須藤くんが成長し始めたことが一番の成果だ。
後は私が彼らの想いに報い、そして私自身の為に結果を出すだけだ。
そう意気込みながら職員室に向かったが、茶柱先生からは生徒会室で話し合いが行われるらしい。
生徒会……。
思わず一瞬だけ足が止まってしまったが、今更怖気づくわけにはいかない。
茶柱先生と一緒になって生徒会室に向かって歩いていく。
職員室から1階から2階のフロアに上がったところで、私のことを見ている生徒に気付いた。
椎名さん、坂柳さん、神室さんの3人だ。
お互いに知らない間柄じゃない。顔を合わせてしまった以上は無視をすることも出来ず、軽く頭を下げて会釈する。
彼女らも私に会釈を返した。
そのまま横を通り過ぎた時に、背中から坂柳さんの声が聞こえてきた。
「どんな結果に導くのか楽しみにしていますね」
生徒会室の扉の前まで辿り着き、茶柱先生がノックをしてから中に入っていく。私も最後に小さく深呼吸をしてから、須藤くんと共に部屋に入る。
生徒会室の中には長机が置かれており、ぐるりと長方形を作っていた。
Cクラスの3人の生徒は既に着席しており、担任である坂上先生も同席していた。
そして部屋の奥に座っている、兄さん……。
兄さんは私の方には目もくれず、机に置かれてある書類にだけ目を通している。
当然だ。
優秀な兄さんとは違い、私は明らかに能力不足。
Aクラスに配属された兄さんとは正反対で私は最底辺のDクラス。
兄さんが無能な私と関わり合うことを嫌うのは至極当然のこと。
正直に言うと、兄さんが怖い。兄さんに失望した目を向けられてしまうだけで体が竦んでしまう。
だからこそ、思わず私の口から小さな笑みが零れた。
茶柱先生と須藤くんが顔を向けてくるが「何でもありません」と冷静さを取り繕いながら誤魔化す。
本当にムカつく。
だからあんな発言をして私を煽ってきた。
分かっている。
私が能力不足なのは百も承知。
それでも兄さんに少しでも認めて貰う為に、私も須藤くんと同様に成長し続ける。
そしていずれ
萎縮なんてしている暇はない。結果を出す。