◆ ◆ ◆
<side:堀北鈴音>
「すみません、少し遅れました」
「予定時刻にはなっていません、気になさらず」
再審議の時間の7分前。先に席に着いていた須藤くんの隣に座る。
まだ室内には生徒会書記の橘さんしかおらず、先生たちも兄さんの姿もない。
「やべぇ、緊張してきた。堀北はどうだ?」
「別に普通よ」
嘘。
気分は高揚していた。
でも最後の最後に詰めを誤らないように、冷静さを保つよう努めている。
程なくして、兄さんが生徒会室に入って来る。
私を視線に納めるが、声を掛けてくることは当然してこない。
兄さんを見るとやはり動揺し、緊張し、眩暈のような症状が襲ってくる。
それでも、大丈夫。
私だって成長している。
次にやってきたのは、Cクラスの担任の坂上先生、そして茶柱先生だった。
茶柱先生は私の顔を見て、軽く目を丸くし、ほんの僅かにだが笑みを作った。
最後に、遅れてやってきたCクラスの生徒たち。
急いでいたのか全員汗だくだ。
「これより昨日に引き続き審議の方を執り行いたいと思います。着席してください」
橘さんがCクラスの生徒に座るように促した。
ところが、3人は一歩も動くことなく、坂上先生の前で立ちすくんでいる。
「あの、坂上先生。……この話し合い、無かったことにしていただけませんか?」
教え子からの思わぬ言葉に坂上先生は驚き、兄さんも鋭い視線をCクラスの生徒たちに向けた。
「それは和解したい、あるいはしたということか?」
3人はほぼ同時に首を左右に振り、和解を否定する。
「今回の件、どちらが悪いとか、そう言うことではなかったと気付いたんです。この訴えそのものが間違っていたと気付きました。だから僕たちは訴えを取り下げます」
なぜ突然そんなことを言い出すのか。
坂上先生がCクラスの生徒たちに問いかけるが、彼らは訴えを取り下げる考えを頑なに変えない。
その態度に坂上先生が私や須藤くんに疑いの目を向けてくるが、彼らが今ここで真実を話すことはない。やがて教え子たちが理解できないと、坂上先生は説得を諦めた。
「訴えを取り下げると言うならそれを受理しよう。確かに話し合いの最中において、審議を取り消すことになるケースは稀だが起こりうることだ」
生徒会長である兄さんは、この事態にも冷静にことを進めようとしている。
このまま訴えそのものがなくなれば、勝者も敗者も存在しない。須藤くんが停学になることもない。
だけどーー。
「いいえ。Cクラスの勝手な言い分を認めるつもりはありません。ここまで大勢に迷惑を掛けておきながら、訴えを勝手に取り下げるなんて今更許されない」
「は?」
Cクラスの生徒たちが口を大きく開け呆然とする。
訳が分からないと、そんな表情をしながら私に目を向けている。
生徒会室にいる全員の強い視線を感じながら、私はハッキリと宣言した。
「私は言いましたよね?
私はポケットから『切り札』を取り出し、チェックメイトをかけた。
◆
それは週明けの月曜日。
審議の始まる一日前のこと。
私は綾小路くんの部屋に呼び出されていた。
先週も思ったけど、見事なまでに何もない部屋ね。数冊の本とクッション以外、殆ど初期の状態と変わらないんじゃないかしら。
「それで、用件は何かしら?」
「明日のことだ。本当ならオレは直接関わるつもりはなかったんだが、Dクラスから目撃者が出たんだろ? デジタルカメラで写真としての証拠もある。だから今回の件に直接絡ませてもらおうと思ってな」
「……それも櫛田さんから聞いたのね?」
綾小路くんは隠すことなく頷く。
ついでに昨日の日曜日、櫛田さんと佐倉さんと一緒にショッピングモールでカメラの修理に立ち会ったことも教えてくれた。一応、私も佐倉さんから話は聞いていたけども。
前も疑問に思ったけど、いつから綾小路くんと櫛田さんは接点を持ち、友達になったのかしら。
私は櫛田さんの行動を全て把握しているわけじゃない。それは分かっているが、綾小路くんは常に椎名さんか坂柳さん、神室さんの誰かと一緒にいる。その中に櫛田さんが混ざって会話に参加している光景があまり想像出来ないのだ。
お互いに「友達だ」と言えるぐらいの、何か大きな切っ掛けでもあったのだろうか?
「それで写真は持ってきてくれたか?」
「え、えぇ。佐倉さんが渡してくれた物よ」
日付の入った状態でプリントアウトされた写真を綾小路くんに渡す。
グラビアアイドル『雫』としての姿で、特別棟の中を自撮りしている佐倉さんの写真。綾小路くんは佐倉さんの正体を知っているのか、特に驚くこともなく一枚の写真だけ抜き取る。
それは石崎くんが後ろから須藤くんの肩を掴んでいる写真だ。佐倉さんが現場にいた証拠でもある。
「綾小路くんなら分かってるだろうけど、須藤くんの無実を証明する証拠にはならないわ。証人としても、同じクラスということでどうしても信用が下がってしまう」
「ならDクラスじゃなくて、もしAクラスからの証人だったとしたら?」
「もちろんそれも考えたけれども、やはり100%の信用は得られないわ」
「だろうな」
綾小路くんもあっさりと認める。
「証拠にはならないが、これでAクラスも関われる道具になれる」
「どういうこと?」
「今回の事件。須藤の冤罪に対するペナルティーのレートを引き上げ、抑止を強めるってことだ」
綾小路くんはそう言って、キッチンに向かいお茶の用意を始めた。
櫛田さんと違い、2人だけの状態でベッドに座るのには当然抵抗がある。私はカーペットもないフローリングに腰を下ろした。
ふとクッションが目に入ったので、何となしに手に取って膝の上に置いてみると、丁度いいサイズだった。足が少し暖かくなる。
それを見た綾小路くんが一瞬だけ動きを止めた気がしたが、そのままお茶をテーブルの上に置いた。
「鈴音。お前は明日、偽の監視カメラでCクラスの訴えを取り下げるつもりでいるだろ?」
「ええ、カメラは既に準備している。同じクラスの外村くんにも協力を取り付けているわ。嘘には嘘で決着をつけるつもりよ」
これは以前の中間テスト終了時の、綾小路くんとの話から考えていたこと。
冤罪事件を仕掛けられたらどう対処すればいいのか。実際に現場である特別棟に足を運んでみたが、予想通り監視カメラはなかった。
自作自演とはいえ、Cクラスの生徒には怪我という物証がある。この時点で決定的な証拠を持った目撃者でもいない限り、完全に無罪を勝ち取ることは出来ない。良くて痛み分けだ。
相手は監視カメラがないからこそ仕組んだ意図的な事件。だが、実はその現場に監視カメラがあったとしたら? 嘘で相手を動揺させ、訴えを取り下げさせる。事件も全て何もなかったことにする。それが私の考えた策。
綾小路くんが仕組んだ相手ならば、それすらも読まれて対処されるだろうけど、今回は相手が違う。
もちろん絶対に成功する保証はないし、失敗する可能性だって十分にある。それでも今の私が導き出せた精一杯の作戦だ。
綾小路くんは私の作戦を聞いて賛同してくれたけども。
「何か問題でもあるのかしら?」
「問題はないが、作戦の成功率を上げる為に手を加えさせてくれ」
綾小路くんはそう言って、証人として参加予定の佐倉さんをAクラスの山村美紀さんに変更
「放課後に佐倉とも話してきちんと伝えてある。事後報告で悪いな」
「……まあ、別にいいのだけど」
証人としては、やはり同じクラスである佐倉さんでは弱いし。
綾小路くんの言うAクラスをが関わる為には必要ではあるらしいし。
「今回の事件。オレ達は須藤が暴力を振るっていないという真実を知っているし、当然Cクラスだって認めないだけで自分達が嘘をついていることも自覚している。その状況で、他クラスから目撃者が出たらどう思う? それが決定的な証拠には繋がらなくても、不安と焦りには繋がるはずだ。もしかしたらまた新たな証人が現れるかもしれないし、決定的な証拠を持っているかもしれないとな。どんなに気丈に振る舞おうが、審議の結果が出るまでは不安とストレスを抱えることになる。つまり、長引けば長引くほど、鈴音の作戦の成功確率は上がっていくはずだ」
「それは分かるけど…………。まさか、審議を延長させろってこと?」
「そのまさかだ。明日の審議で決着をつけるな。作戦を仕掛けるのは2日後にしろ」
「簡単に言うけど、そんなことが出来ると思うの?」
「お前も分かっていると思うが、明日の審議は平行線のままで進む。どちらも絶対に相手側の主張を認めないからだ」
それは当然そうでしょうね。
だからこその偽カメラ作戦で、相手の訴えを取り下げる必要があるのだから。
「そして、こちらが折れない限りは相手側が絶対に妥協案を提案してくる。お前が準備している証言やAクラスからの証人により、自分達の信用が下がっている状態で、流石に自分達の要求が全て通るとは考えないだろう」
「……私がその妥協案を受け入れなければ」
「話は平行線のまま。埒が明かないと、特例として1日ぐらいは延期してくれるだろうな」
まるで未来でも見えているような口ぶりで綾小路くんは言う。
だけど不思議と説得力があった。
そして、綾小路くんは私に『切り札』の存在を伝える。
それは私では導き出せなかったモノ。
「あ、あなたはいつからそれを……。いえ、どうして最初から教えてくれなかったの?」
八つ当たりなのは百も承知しているが、私は思わず拗ねるように綾小路くん睨み付けてしまう。
「鈴音が頑張って考えた作戦だったからな。水を差すのもどうかと思って」
「……結局は水を差してるじゃない」
「……だな。悪かった」
あまり悪かったと思っていなさそうな顔で(いつも無表情だけど)綾小路くんは言う。
「Bクラスの一之瀬と協力しているらしいが、オレが言った
「佐倉さんを?」
「ああ、明日のことで佐倉が勇気を出す機会を一つを奪ってしまうことになるからな。須藤の件では名乗り出ることが出来なくて後ろめたさを覚えていたみたいだし、佐倉自身の為にもクラスの役に立つことをさせてやって欲しい」
「……そうね。分かったわ」
Aクラスの生徒であるにも関わらず、Dクラスの佐倉さんを気遣う綾小路くん。
優しさを感じさせながらも、同時に容赦のない作戦も思いつく。
同学年の中なら私は優秀な方だと思っているが、彼を見ていると自分の実力不足を感じてしまう。
ねぇ、綾小路くん。
あなたは一体……ーー。
「まあ、兎にも角にも明日だな。作戦の方は大丈夫だが、それを実行するのは人だからな。トチったら今の話し合いも全て無駄でおじゃんだ」
「……どういう意味?」
「言葉通りの意味だ。クラスでは友達がいないというお前が、本番では上手く喋れるかどうかは流石にオレでも分からないからな。緊張して萎縮する可能性だって十分にある。一応言っておくが、そうなってもオレは助けないからな。くれぐれも、頼むから、オレが行くより前にヘマして終わらせないように」
「綾小路くんが私をバカにしていることだけはとても良く分かったわ」
私は立ち上がり右手で手刀を作り上げる。
綾小路くんが「暴力反対」と呟いた気もするが、きっとそれは気のせいだろう。
とはいえ、本当にヘマをしてしまいそうになったので、少しは手加減してあげた方が良かったのかもしれない(だからといって謝るつもりはないが)。
◆
「これが何なのか分かりますか?」
私はポケットから取り出した、ソレを皆に見せるように持ち上げた。
兄さんが眼鏡を一度だけ持ち上げ、静かに答える。
「ボイスレコーダーだ」
「はい、その通りです。にぃ……生徒会長が一日の猶予をくださったおかげで、私たちは決定的な証拠を入手することが出来ました」
私は青ざめるCクラスの生徒たちを見ながら、ボイスレコーダーの操作した。
ボイスレコーダーから再生される音声。
それはBクラスの一之瀬さんの声と神崎くんの声。そして、今目の前にいる石崎くん、小宮くん、近藤くんのCクラス3人の声。
一之瀬さんが偽の監視カメラの存在を、Cクラスの3人に伝える場面。
そこから始まる、あるはずのない特別棟にある監視カメラを巡ってのやり取り。
『ば、な、何でカメラなんか!? 嘘だろ!? だって、他の廊下にはカメラなんてなかったよな!? ここだけ設置されているなんておかしいな話だろうが。なあ!』
『俺たちをハメようったてそうはいかないぜ。アレはお前らが取り付けたんだ!』
『知らないの? 廊下にも例外的に取り付けらえているカメラは数か所あるんだよ? この特別棟には理科室があって劇物とされる薬品関係は沢山置いてある。カメラが設置されているのは当然ってこと』
音声越しでも、彼らCクラスの動揺が伝わって来る。
私の目の前にいる彼らは言わずもがな。
『後ろを見て見たら? カメラ、一台だけじゃないよ?』
『そ、そんな馬鹿な……。俺たちはあの時確認した……はず……』
『ここは3階だけど、チェックしたのはホントに3階だった? 他の階だった可能性は? 事実ここにカメラが仕掛けられてるんだよ?』
『そ、んな……。じゃあ……あの時も……』
『それに君たち、自分自身でボロを出してるって分かってる? 監視カメラがあるかなんて普通の人は気にしなし確認しないよ? それを口にしてるってことは、即ち自分たちが犯人だって安易に認めているようなものだから』
一之瀬さんの言葉が、ボイスレコーダー越しで生徒会室にいるCクラスにフィニッシュブローを叩き込んだ。坂上先生もまた、目を見開き固まっている。
『あの手の監視カメラじゃ音声までは記録できてないだろうけど、今回の事件には関係ないよね。
だってDクラスの須藤くんは君たちを殴ってないんだから』
『あ、ああっ、そんな……』
『ま、待てよ。やっぱり納得いかねえ。もし監視カメラに映像が残ってるんだとしたら、Dクラスの連中は何もしなくても無実を証明出来るってことじゃねえか』
『私たちはBクラスだからDクラスが何を考えているかは分からない。でももしかしたら、君たちが自白するのを待っているのかもしれない。だってそうしないと、君たちは退学でしょ? さすがにそれは可哀そうだって思ったのかもね』
『なーー!?』
『3人がかりで相手に殴られたと、そう嘘をついたと露呈されれば当然そうなるだろう。まさか、考えもしてなかったのか?』
『もしかしたら、Dクラスだけじゃなくて学校側も待ってるんじゃないかな? 君たちが本当のことを話してくれるのを』
『既に生徒会は真実を知っている可能性だって考えられる。だから猶予をお前達に与えて、最後にどんな行動を起こすのか見ているのかもしれないな』
もちろん、そんな事実はない。
いくら兄さんでも、昨日の時点でCクラスの話が真っ赤な嘘だとは断定することは出来なかったはずだ。
『ちゃ、茶番劇って……』
『え?』
『き、昨日のAクラスのアイツが、くだらない茶番劇だって……! や、やっぱりバレてんじゃねえのか!?』
綾小路くんが兄さんに向けて発した言葉。
兄さんはそれに「はい」も「いいえ」も言わずハッキリとは答えていない。それ故に、冷静さを失っている彼らは勝手に深読みして自らを追い込んでいく。
『そんな……こんな、聞いてねえよ……! もうおしまいだ!』
小宮くんの絶望に満ちた声。
この発言もまた、自白に等しい。
『な、なあ、石崎。今からでも遅くない、嘘だって言いに行こうぜ! 俺たちからいけば、Dクラスも、学校側も許してくれるかもしれねえ!』
『クソが、ふざけんな……。今更嘘を認めたってどうせ処罰されるに決まってんだろ! それなら嘘を貫き通してやる。あの監視カメラが本物だって証拠はどこにもないんだからな!』
やぶれかぶれな発言だったが、それがCクラスにとっての唯一の活路だった。このボイスレコーダーがなければの話だけども。
『わーお。退学する覚悟があるんだね、石崎くん』
『本物だったらどうすんだよ、石崎! 俺、た、退学なんて絶対に嫌だぜ……!』
『結論を出すのは早いぞ。まだCクラスが救われる唯一の方法がある』
『そ、そんな方法があるのか……?』
神崎くんの言葉に、近藤くんが弱々しく救いを求めるような声を出す。
『あるよ。今回の事件について、訴えそのものを取り下げたいことを学校側に伝えること。事件そのものがなくなれば、学校側も無理にカメラの映像は持ち出さない。誰も君たちを裁く者はいなくなる。そうでしょ?』
どうしてBクラスが提案するのかなど、冷静に考えればおかしな点はいくつもある。
しかし、特別棟の蒸し暑い環境によって思考力と集中力を低下させられた状態で、更には退学という危機にパニックになっている彼らに、冷静的な判断を下せるわけがない。
甘い蜜の塗られた細い糸に、心の折れている小宮くんと近藤くんが我先にと飛びつく。
『石崎、訴えを取り下げよう!』
『頼む、退学なんて嫌だ!』
『はあ、はあ……、一本、電話をさせてくれ……!』
『龍園くん? それは止めといた方がいいんじゃないかな? 伝えたら絶対に、この案に賛成はしないよ?』
『龍園なら、玉砕覚悟でお前達に嘘をつけと命じるはずだ。要は捨て駒だな』
『まあ、君たち3人が退学したいなら止めないけど……』
一之瀬さんがワザとらしく「あーあ」と声を漏らし、それに同調するように神崎くんが呆れるように溜息を吐く。
『ふざけんなよ、石ーー』
ブツリと、ここでボイスレコーダーの音声が途切れる。
ちゃんと私が
最後には石崎くんがどういう選択をしたのかは言うまでもないだろう。
ただ、これから辿る結果に大きな変化はないけども。
「ぁ、ああ、ああああああ!!」
小宮くんと近藤くんは絶叫を上げながら膝から崩れ落ちる。
石崎くんは顔面を蒼白にしながら、絞り出すように口を開いた。
「だ、騙した、のか……?」
「騙した? おかしなことを言うのね。嘘をつき、騙そうとしてきたのは、あなた達よ」
「ぅ、うあぁ…………」
そして石崎くんも気力を失い崩れ落ちた。
その光景を、坂上先生は鎮痛な面持ちで見ている。
決着はついた。
そしてここから、大事な『後処理』が始まる。