ようこそAクラスの教室へ   作:yadooo

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42話:櫛田桔梗①

「なんか久しぶりだね、綾小路くん」

 

「そうだな」

 

 部屋にやって来た桔梗。

 クルージング旅行から戻って来てから彼女は、一度もオレの部屋に訪れることはなかった。かれこれ10日以上は経っているはずだ。

 

「何か飲むか?」

 

「いらない」

 

 桔梗はオレの横を通り過ぎベッドの上に座る。

 

「待って」

 

 椅子に座ろうとするオレを呼び止め、桔梗はベッドの横を手で叩く。隣に座れという意味のようだ。

 大人しく従って隣に座るが、桔梗はなかなか口を開かない。

 ただじっと、仄暗い瞳でオレを見つめてくる。オレも静かに桔梗の言葉を待った。

 それから数十秒程して、桔梗は感情のない平坦な声で口を開く。

 

「綾小路くんに頼みたいことがあるの」

 

「ああ、何だ?」

 

 

「堀北を退学にしてよ」

 

 

「…………」

 

 

 桔梗が鈴音のことが大嫌いなのは、桔梗と初めて友達となった日から知っている。暴言だって吐いているし、それに関しては今更驚きはない。ただ、退学させたいレベルでの嫌悪を抱いていたとは把握出来ていなかった。

 

「理由を聞いても良いか?」

 

「嫌」

 

「嫌って……流石に理由もなしに鈴音を退学させることは出来ないぞ。知っていると思うがオレは生徒会に所属して生徒会長には世話になっている。その妹を退学させるリスクと、その後の気まずさを考えて欲しい」

 

「……断るってこと?」

 

「それ以前の問題だってことだ」

 

 嫌いという『事実』だけは知っていたし、敢えて今まで聞こうとしなかった。それでも、こうなってしまった以上は聞き出さなければならない。

 

「どうしてそこまで鈴音のことが嫌いなんだ? 鈴音に何をされた? その嫌悪の理由()を教えてくれ」

 

「堀北だから嫌い。堀北の全てが無理。それだけじゃ理由にならない?」

 

 特に理由なんてない。生理的に無理というのも確かにきちんとした理由かもしれないが。

 

「本当にそれだけか? それ以外にも理由はあるだろ」

 

「……どうしてそう思うの?」

 

「分かるだろ。どうして鈴音だけ『例外』なんだ?」

 

 櫛田桔梗は優しくて皆から好かれる人気者だ。しかし、その裏では好き嫌いの感情がちゃんとあり、愚痴を吐き出す人間臭さをきちんと持っている。それでも、()ではしっかりと嫌いな相手にでも笑顔で接することの出来る、凄い人間だ。

 嫌いで相手を退学させたいというなら、それは池や山内ではダメなのか? どうして鈴音だけをハッキリと、退学させたいレベルで嫌悪しているのだろうか。しかも、まだ入学してから半年も経っていない現段階から。

 

「もしかして、鈴音と過去に何かあったのか?」

 

「………………」

 

「中学時代か?」

 

「っ」

 

 思い返せば、中学時代を聞いた時も口ごもっていたな。

 

「流石というべきなのかな。その通りだよ。私は堀北と同じ中学出身」

 

「中学時代に何があった?」

 

「それは話せないかなぁ。それを知っちゃったら、綾小路くんまで退学にさせないといけなくなっちゃうから」

 

 変わらず平坦な声で桔梗は言う。彼女の瞳から感情を窺い知ることが出来ない。

 

「友達であってもか?」

 

「うん、友達であっても」

 

 迷いなく桔梗は答える。

 その『過去』を知ること自体が、桔梗にとっての『禁忌』だと、明言してみせた。

 

 カリギュラ効果を知らないのか?

 オレ相手にそれは()()だぞ。

 

「桔梗のことだ。オレがどう答えるかは予想が付いているだろ?」

 

「断る気だね」

 

「きちんとした理由を話してくれないんだ。桔梗だってオレが二つ返事で了承するなんて最初から思っていないだろ?」

 

「……そうだね。綾小路くん、堀北のことを気に入っているみたいだから」

 

 桔梗はそう言って立ち上がりオレから離れる。そして、部屋の照明スイッチを落とした。

 暗闇に包まれる室内。

 衣擦れする音が聞こえ始め、パサリと乾いた音が鳴った。

 

 暗順応で視界が広がり始めると、そこには下着姿になった桔梗の姿がある。

 オレの目が暗闇に慣れたように、桔梗も見えるようになったのだろう。迷いない足取りで再びオレの隣に座り、そして顔を近付けた。

 暗いながらもお互いの表情がしっかりと確認できる距離。 

 

「堀北を退学にしてくれるなら、私のことを好きにして良いよ」

 

 冷たくて細い手がオレの手を掴む。

 桔梗の瞳の色は相変わらず仄暗く、情緒の欠片もない雰囲気だ。手を出せば最後、沼のようにどこまでも沈んで行きそうだ。

 

「……オレが情欲に流されるように見えるか?」

 

「見えないよ。だって綾小路くん、私が部屋に来ても素振りすら見せてこないから」

 

「なら、こんなことをしてもオレの答えは変わらないぞ」

 

「それでも、私が乱暴されそうになったって部屋から飛び出せば、きっと大変なことになるね」

 

「それは……そうだな。是非とも止めてくれると助かる」

 

「綾小路くんの返答次第かな」

 

 内心で溜息を吐く。

 まさか夏休み最終日に友達から脅迫されるとは、流石のオレでも予想出来ない。

 

「どうしても鈴音を退学させないとダメか? 例えば、お前をAクラスに移籍させ、物理的に距離を引き剥がしたらどうだ?」

 

「それは……魅力的な提案だね。だけど、ダメ。堀北の退学は決定事項だよ」

 

 桔梗の過去を知っている限り、やはり退学以外は認められないか。

 

「なあ、桔梗。お前が頑なになって鈴音の退学に拘れば拘る程、オレはその『過去』が気になってくる。櫛田桔梗という人間を、もっと知りたくなるんだ」

 

「…………言ったよね? そうしたら綾小路くんも私の『敵』になる。退学させるって」

 

「だからこそ知りたくなるって、たった今言ったぞ。それに、今のままじゃお互いの主張が一致することはない」

 

 鈴音を退学させたい桔梗と、鈴音を退学させたくないオレ。

 過去を知られたくない桔梗と、過去を知りたいオレ。

 どちらかがアクションを引き起こさない限り、話は平行線のまま。

 だからオレは桔梗に動かれるより前に、彼女が掴んでいる手を引っ張り、ベッドの上に倒す。桔梗の僅かな動揺を感じ取りながら、オレは下着姿の彼女に覆い被さるような形を取った。

 

「……その気になった……というわけじゃなさそうだね。私を逃げられなくする為?」

 

「その通りだ。桔梗が話してくれるまで、例え朝になろうと動くつもりはない」

 

「私が大声で叫んだら? 誰か部屋に入ってくるかもしれないよ?」

 

「そうなったら困るが、それは桔梗もだろ? 理由はどうあれ男の部屋に上がり込んでいるわけだからな」

 

 不利なのは間違いなくオレだが、今はまだ未遂だからな。いきなり退学にはならないだろう、多分。

 

「そうかもね……」

 

 桔梗を見下ろす。

 オレの意志は示した。次は桔梗がどう出るかだが、我慢比べなど不毛なだけ。『先』に進めるべきだ。

 話せとーー視線で語り掛ける。

 

「……へぇ、そんな眼が出来るんだ? いや、それが綾小路くんの『素』なのかな?」

 

 桔梗は手を伸ばしオレの頬に触れる。その手は僅かにだが震えていた。

 生憎と目の前に鏡がない為、オレは自分自身の顔を確認することは出来ない。しかし、息を静かに呑む桔梗の様子から、あまり愉快な『眼』をしていないのは確かなようだ。

 

「……本当に知りたいの? 知ったら、完全に後戻りできないよ?」

 

「教えてくれ。櫛田桔梗という少女のことを」

 

「…………分かった」

 

 桔梗は諦めたように溜息を吐く。

 

「私は人よりも承認欲求がずっと強くあるの。勉強でも運動でも、手先の器用さでも歌唱力でも何でも良い。1番になって、他の人よりも沢山目立ちたい、褒められたくて仕方がないの。それが叶った瞬間に自分の価値の高さを実感する。生きてるって最高だって感じる。けど私は私の限界を知っているし、世の中の広さも分かっているつもり。どれだけ頑張っても勉強やスポーツで1番にはなれない。2番や3番じゃ欲求を満たすことが出来ないの」

 

 承認欲求がどうであれ、誰かに褒められたくて頑張るという動機は何もおかしくはない。しかし、それも度を越せば自分を蝕む毒となる。それに、桔梗の言った通り『1番』を取るには努力だけじゃどうにもならないこともある。身を以て何度も実感しているのだろう。才能というのは理不尽だという現実を。自分は決して天才ではないと。

 では、そんな天才ではない桔梗が、『1番』を目指せるものは?

 

「人気者……優しさか?」

 

 桔梗は嗤った。

 

「誰よりも優しく、誰よりも親身になって、私は人気者になれた。男の子にも女の子にも好かれた。頼りにされて、信頼されることの快感を覚えた」

 

 口で言うほど簡単ではないだろう。優しくしようと思って誰にでも優しく出来るわけがない。ストレスが溜まって当然だ。

 今はオレの部屋でストレスを吐き出したりしているが、なら昔は? 心と体が大きく変わり、多感となる中学時代は?

 

「私の心を支えてくれたのはブログだった。誰にも言えない内に秘めたストレスを全部吐き出せるのは、そこしかなかった。匿名でありのままの事実を書き綴った。日頃のストレスを全部そこに吐き出して、溜飲を下げていた。……だけどある日、私が書いていたブログをクラスメイトが偶然見つけてしまった。幾ら登場人物の名前を伏せても、書いてある内容が事実だから気付かれても無理なかった。クラスメイト全員の無数の悪口を見つけられちゃったんだから、嫌われちゃうのも仕方ないけどさ」

 

「クラスメイトが全員敵になったのか」

 

「翌日にはクラスメイト全員にブログの内容が拡散しててさ、全員が私を責め立てた。今まで散々私に助けられてきたのに、全部手のひら返しして。身勝手だよね」

 

 クラスメイトが何人居たかは知らないが、1対数十人。本来なら絶対に勝てない戦いであり、櫛田がクラスから弾き出される姿しか見えてこない。

 

「どうやってその状況を乗り越えた?」

 

「『真実』だよ。ただ『真実』を振りかざして、クラスメイト全員の秘密をぶちまけただけ。誰々が誰々を嫌いだよとか。ずっと気持ち悪いと思っているみたいだよ、とか。ブログにも書いていない、ありとあらゆる真っ黒な『真実』をね」

 

 『暴力』でも『嘘』でもない。オレには取ることの出来ない手段。『信頼』を積み重ねることでしか得られない武器だ。殺傷力は低いように思えるが、積み重なった信頼の分だけ威力を増し、それと引き換えに得ることの出来る強力な諸刃の剣。

 

「そしたら私に向かってきた刃の殆どが、憎い相手に向けられるようになった。男子は殴り合いを始め、女子も髪を引っ張ったり張り倒したりで、教室の中はもう大騒ぎ。あの時は本当に凄かったなぁ」

 

 桔梗は嘲るような笑みを浮かべる。しかし、その嘲りは自分自身に対しても向けられているようにも思えた。

 

「クラスの人間関係の内情を全部暴露されたんだから、そのクラスはもう機能しなくなってね。私も当然学校に責められたけど、やったのは匿名でブログに悪口を書いただけ。それにクラスメイトに真実を話しただけだから学校も処分には困ったみたいだね」

 

 淡々と語るが、言葉ひとつひとつに言い表せない重みを感じた。

 

「……私は失敗した。だから今度は成功させる。そう決意したのに、私のことを知っている奴がいた……」

 

 それが鈴音で、だからこそ退学させたいのか。

 身勝手な理由だが、だからこそ逆に、その『過去』が桔梗にとってはいかに重要だということが分かる。そして本性を偽り『優しい人』であり続けていることも。

 

「オレが言うまでもないだろうが、それは茨の道だぞ。……どうすることも出来ないのか?」

 

()()が、私の生きがいだよ。皆から尊敬され、注目されることが何よりも好き。私にだけ打ち明けてくれる秘密を知った時に、想像を超えた何かが自分に押し寄せてくる」

 

 他人が自分の胸の内にだけ抱える不安や苦しみ、恥じらいや希望。それを知ること。

 既に、禁断の果実を味わった。

 今更どうすることも出来ない。不可能だと、桔梗は表情が雄弁に物語る。

 

「これで私の過去は終わり。つまらないでしょ? だけど私にとってはそれが全て」

 

 桔梗の目がスッと細くなる。過去を話し終えたことで、オレは明確に彼女の『敵』となった。

 鈴音と同じく退学の標的になったのだ。

 

 …………ん?

 

 ……これは世間一般で言う『絶交』というやつなのだろうか?

 

 ………………。

 

「もういいでしょ、さっさと退……何なの、その顔は?」

 

「あー……、一つ確認なんだが、オレは桔梗と『友達』のままでいても別に良いんだよな?」

 

「…………は?」

 

「『敵』だけど『友達』という関係もあるよなって」

 

「…………バカじゃないの? いや、バカだよ大バカ。出会った時もそうだけど綾小路くんは本当に意味分かんない。バカ過ぎてクソバカだよ」

 

 バカって言い過ぎだろ。

 

「ちょっと落ち着け、桔梗」

 

「ッ、落ち着いてますけど? あと友達じゃなくなったんだから名前で呼ばないで」

 

「だからそれを断らせてもらう」

 

「はぁ!? 退学にさせるわよ!?」

 

 どんな脅し文句だ。いや、冗談じゃないのは分かっているが。

 

「桔梗。お前がどう言おうが、オレは改めて思った。オレは桔梗と『友達』のままでいたいと」

 

「っ!?」

 

「誰よりも褒められたい。人気者になりたい。信頼を得て尊敬されたいという強い欲求。打算ありきの優しさで善人でないくせに、己の欲望の為に()()()()お前が……激しい苦痛に苛まれながらも、それでも折れずに突き進められる、桔梗のその極端なまでの人間臭いところが、オレにはとても羨ましく、そして好ましく思っている」

 

「なに、それ……本気で、言っているの……?」

 

 オレは答えず、目で伝える。

 沢山の人間と関わり、沢山の人間の心に触れ、信頼を得てきた桔梗なら分かるはずだ。

 嫌味でも侮辱でも何でもない。本心からの言葉であることを。

 

「本当に……本当に何なの? やっぱり綾小路くんはおかしいよ。変だよ。変人過ぎて意味分かんない……っ!」

 

 桔梗は喉を震わせながら、拳をオレの胸に打ち付ける。大して力の入っていない拳。痛みなどなく、ただ温かいモノが拳から伝わって来るのを感じる。

 オレは覆い被さるのを止め、桔梗の隣でゴロンとベッドに寝転がる。そのまま、天井を見ながら口を開く。

 

「オレが変なのはもう諦めてくれ。先天的か後天的かは分からないが、『普通』じゃない環境で育って来たからな。どうしたって『普通』じゃなくなる」

 

「……どういう意味?」

 

「そのままの意味だ。オレは小学校、中学校に一度も通ったことがない。生まれて初めて学校に通い、学校生活を送り始めたのは高育(ここ)が初めてなんだ」

 

「…………冗談、じゃないのよね?」

 

「マジのマジだ。だから『友達』が出来たのも、この学校に来て初めてのことなんだ」

 

「…………綾小路くんは、何者なの?」

 

「それはオレにも分からないな」

 

 遥か昔から存在する普遍的なテーマ。ハッキリとした答えを持っている者など極少数だろう。

 

「どうしていきなり、そんな『普通』じゃないことを話したの? 何が狙い?」

 

「桔梗が『過去』を打ち明けてくれたからな。オレも『友達』として、誰にも言ったことのない『秘密』を教えただけだ」

 

「ッ」

 

 教えられないことや隠すことは多々あるが、それでもオレが秘密の一つを打ち明けたことが何を意味するか、桔梗なら良く分かるはずだ。

 

「過去の出来事でお前がどれほど傷ついたのか。皆から拒絶されて嫌われる辛さも、その時に味わった絶望感もオレには分からない」   

 

 櫛田桔梗は承認欲求の怪物だ。

 常人なら心が壊れてしまうような苦痛に耐え続けながらも、己の『欲』を満たす為に茨の道を進み続けている。端的に異常者とも言えるだろう。だけど、それが彼女の全てではない。

 櫛田桔梗は異常者ではあるが、喜怒哀楽を持った普通の人間でもある。

 承認欲求が満たされれば喜び、ストレスが溜まれば怒る。楽しいことがあれば笑うし、心を傷つけられれば哀しむ少女だ。

 

「だけど知っていてくれ。ありのままの、桔梗の本性の方が心地が良いと感じる者が、此処にいるということを」

 

 普通の()()を持つ少女だからこそ『孤独』を良しとはしていない。

 普通の人のように、きっと心の奥底にはあるはずなのだ。

 本当の自分を受け入れて(共有して)欲しい、共感して欲しいという願いが。

 

「っ…………」

 

 桔梗が体を起こす。そして無言でクッション(サンドバッグ)を手に取り、うつ伏せになって再びベッドの上に倒れ込んだ。そのまま、桔梗は顔をクッションに埋めて息を潜めた。

 

 

 静寂の中から、ほんの微かに聞こえてくる、涙の声。

 

 

 オレは音を立てないようにベッドから離れ、戸棚を開けてココアを手に取る。

 




◇綾小路清隆
・何だかんだで鈴音よりも一緒に居る時間が長く、桔梗に対して『友達』としての情は持っている。初めて友達と『絶交』しそうになり「それは嫌だなぁ」と素直に思った。


◇櫛田桔梗
・落ちた
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