ようこそAクラスの教室へ   作:yadooo

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6話:ぬくもり

 放課後。

 図書室のいつもの場所で、チェス盤を挟んで坂柳と向かい合う。

 

「やっと……やっとこの日がやって来ました。先ほどまでの授業など、何一つ頭に入っていません」

 

「そのようだな」

 

 隠すつもりもなく、坂柳の全身から溢れ出るピリピリとした雰囲気。攻撃的であり殺気すら含めたそれを、クラスメイトは何事かとたじろいでいたぐらいだ。

 

「持ち時間はどうする?」

 

「いつも通り、45分のインクリント(加算時間)は30秒にしましょう」

 

 オレは白と黒のポーンを左右の手に隠し持つ。坂柳はワンテンポだけ時間を置いて、オレの右手を選ぶ。

 

「黒……、先行は私からですね」

 

これで準備は整う。

自然に顔を見合わせて、告げる。

 

 

「坂柳ーーーー全力で挑んで来い」

 

 

「ええ、ええ! もちろんです!」 

 

 

 坂柳は獰猛な笑みを浮かべながら、黒のポーンを動かした。

 

 

 坂柳とは何度もチェスをやってきた。

 坂柳が強いことはとっくに分かり切っていたことだが、それでもまだオレは彼女を過小評価していたのかもしれない。彼女のいう全力を侮っていたのかもしれない。

 気迫と共に放たれる1手1手に重圧が圧し掛かる。これまでプロの講師とされる大勢の人間と打ったが、その誰よりも彼女は強い。一手でもミスをすれば、その瞬間に喰い破られるようなイメージすら感じ取れる。

 

 中盤戦を過ぎ後半戦に突入しても、お互いにミスはなく互角。ミスはおろか付け入る隙さえ許されることのない緊張感。

 

 いつもならお互いに軽口を叩いたりもしているが、今はどちらもその余裕はない。

 全神経をチェス盤の上に集中させている。

 

 

 お互いに長考する時間が増え、目に見えて減っていく持ち時間。数十分から数分に。7分、3分、1分、そして秒へと突入する。

 

 インクリント(加算時間)は30秒。

 一瞬にも感じられる時間の中で、勝利への道筋を掴み取らなければならない。

 

 頭を駆け巡る熱が、更に温度を増していく。

 このまま脳が焼き切れてしまうんじゃないかと、そう感じてしまうほどの熱量。

 それでも決して思考を止めることはない。限界の、さらにその先を目指していく。

 

 

 刹那ーーオレの視界に映りこむ極細の光の軌跡。

 熱を帯び、光に照らされたその軌跡を描くように手を伸ばす。

 

 

 クイーンサクリファイス。

 最強の駒とされるクイーンを犠牲にした、究極とも呼ばれる奥の手。

 

「ーーーー」

 

 坂柳の動揺を、確かに感じ取った。

 1手、2手と、駒を置こうとする彼女の手が震えだす。

 

 3手、4手ーー、そして6手目で、坂柳は手を止めた。

 

 ふぅーっと息を吐き、ピンと張り詰めていた空気が弛緩していく。

 

 坂柳は顔を上げ、オレの目を見ながらゆっくりと破願した。

 

「参りました」

 

「ああ、オレの勝ーーっ!?」

 

 言い切る前に、ぐらりと、坂柳の身体が横に揺れる。

 オレは慌てて椅子から立ち上がり、そのまま倒れそうになる坂柳の身体を抱き込むように支えた。その際に数個のチェスの駒が床に落ち、乾いた音を響かせる。

 

「大丈夫か、坂柳?」

 

「ありがとう、ございます。一時的なものですし、大丈夫ですよ」

 

 額に汗を滲ませながら坂柳は答える。

 

「……でも少しだけ、このままでいさせてください」

 

 傾いたままの小さな身体。

 オレの胸元に頭を預けながら坂柳は呟く。衣類越しなのに、彼女の持つ熱がハッキリと伝わってくる。

 

「熱いな」「熱いですね」

 

 お互いの言葉が重なり、坂柳がくすりと笑う。

 

「全てを出し切りました。過去一番の実力を発揮できたと断言出来ます。それでも、残念ですね。勝利には届きませんでした」

 

 言葉とは裏腹に、その表情は晴れやかで満足しているように見える。

 

「夢のような一時でした」

 

 坂柳はオレを見上げる。

 

 

「私はこの時間を、生涯忘れることはないでしょう」

 

 

 そう言って手を握りながら穏やかに微笑んだ。

 

 

 床に転がった駒を拾い上げ、感想戦を始める。

 終盤戦から、あの手この手と「たられば」の話をし、読み筋を共有し合っている内に、すっかりと日が暮れていた。

 

 

「……そういえば、椎名さんは?」

 

「今更だな。先に帰ってると連絡されてあるぞ」

 

 オレも気付いたのは勝負が終わった後からだけど。

 チェット時間帯から、恐らく勝負が終わったのを見届けてから、直ぐに帰宅したのだろう。

 

「そうですか。……後で椎名さんにもお礼を言っておきましょう」

 

 2人で図書室を後にする。

 茶道部が一緒のこともあり、椎名と2人だけというのはある。

 しかし、坂柳と2人だけでこうして帰るというのは初めてのことかもしれない。

 

「すみません、歩くのが遅くて」

 

「それも今更だな。オレも椎名も、気にしたことはない」

 

 登校も、昼休みも、放課後も一緒なのだ。

 坂柳の歩く速度にはすっかりと慣れ切っている。

 

「それに、こうして一緒にいる時間が長くなるのはありがたいからな」

 

「まったく、あなたという人は……」

 

 夕陽に照らされながら、柔らなく微笑む。

 そこから数分だけ無言のまま歩いてから、坂柳はゆっくりと口を開いた。

 

 

「Sシステムの全容を聞いて思いました。もし私と綾小路くんが別々のクラスだったらどうなっていただろうかと。お互いにクラスを率いて勝負し合う可能性があったのかと。ですが私たちは同じクラスであり、手を取り合う仲間です」

 

「……残念に思っているのか?」

 

 坂柳は少しだけ困ったように苦笑いを浮かべた。

 

「私と綾小路くんがクラスを率いれば、Aクラスでの卒業は約束されます。いくら他クラスが徒党を組もうが敗北は決して起こりえない。答えの分かり切ったテストを解くようなものです。それは退屈極まりないと、()()()()()()()()()……」

 

 そう言って右手を差し伸べてくる坂柳。

 握手かと思い握り返すと、左手でオレの手を包んできた。

 温かい手だ。

 

「ですが、あなたと別々のクラスだったのならば、こうして一緒にいられる時間はなかったですよね?」

 

「恐らく、そうだろうな」

 

 椎名とは違い、坂柳と接点を持ち友達になれたのは同じクラスだったからだ。

 別々のクラスだったならば、入学して一カ月経った今でもお互いに面識がなかったに違いない。

 

 

「人は触れ合うことで温もりを知ることが出来る。それはとても大切なもの。人肌のぬくもりも、けっして悪いものではありませんよ」

 

 

「……そうだな。オレも、()()()()()()()

 

 

 オレの右手に包んでいる坂柳の手に、左手を優しく重ねる。

 坂柳は目を見開いてから、愛おしそうに笑みを浮かべた。

 

「ーーさあ、帰りましょう」

 

 坂柳はゆっくりと、どこか名残惜しそうにオレの手を放し歩き出す。

 

 

 

 オレは、この学校に来るまで坂柳のことなど知らなかった。

 しかし坂柳の方は、オレと出会う前からオレのことを知っていたのだろう。

 別に証拠があるわけではないが、彼女がオレに向ける瞳が、オレに対する態度(信頼)が、それを如実に証明している。彼女自身、それを隠すつもりもないように思う。

 

 

「綾小路くん、学校生活は楽しいですか?」

 

「ああ、毎日が楽しいと思えてる。坂柳は?」

 

「私も、悪くはないと思ってますよ」

 

 

 一体いつ、どうして知っているのかなど、気にならないと言えば嘘になる。

 けれども、今それを追求するのは『野暮』というモノなのだろう。

 

 

 オレにとって坂柳有栖は大切な友達なのだと、その事実だけ分かっていれば十分だ。

 

 





入学してから一カ月。各キャラの印象。


◇綾小路 → 椎名
・入学初日から出来た初めての友達。『普通』の男子高校生を演じられる相手であり、同時に『素』の状態であっても不思議と波長が合う存在。一緒の時間を共有しているだけでも楽しいと感じている。そして割と本気で天使の生まれ変わりだと思っている。

◇綾小路 → 坂柳
・入学初日から出来た2人目の友達であり同じクラスの隣人。チェスでの勝負など、坂柳の前では実力を隠すことをせず、最も『素』の状態を見せられる相手。ホワイトルームの刺客という可能性もほんの僅かだけ疑ってもいるが、それでも椎名同様に得難い友人だと思っている。


□椎名 → 綾小路
・入学初日から出来た大切なお友達。共に同じ空間で本を読み共有しているだけで充実感を得られる。一緒にいるだけで嬉しく思い、また落ち着ける相手。入学初日に勇気を出して綾小路くんに声を掛けることが出来て良かったと、過去の自分を誇りに思っている。

□椎名 → 坂柳
・綾小路繋がりから出来た2人目のお友達。体のハンデを抱えていながらも、それをおくびにも出さない強い人。同じ女性としてその強さに憧れも抱いている。おすすめした本をちゃんと読んできてくれるので、読書仲間としても好ましく思っている。


〇坂柳 → 綾小路
・いずれ再会を望んでいた運命の相手。同じクラスである為、クラス間での勝負が出来ないことは残念に思っているが、友達として一緒の時間を長く共有出来る今も悪くはないと思っている。事情を知ってるが故に、普通の学校生活を楽しんでいる綾小路を見て内心でほっこりしている。「偽りの天才を葬る役目は私にこそ相応しい」という名言を言う機会はきっと来ない。

〇坂柳 → 椎名
・綾小路繋がりから流れで出来た友人。思っていたよりも知性が高く、会話していても苦に感じることはない。自分とは違う、彼女の持つのんびりと穏やかな性格も、友人として好ましく思っている。それはそうと、綾小路から強いアプローチを掛けられていることに対しては、普通に妬ましく思っている。
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