初瀬が鎮守府に戻ってきたのは、うだるような暑さに目も眩む午後の最中だった。
確か二正面作戦の軍議もあったはずなのだが、随分と帰りが早い気がする。
駆逐艦の子達に囲まれながら、下げた紙袋から次から次へとお土産を手渡している。
「お、君ちょうどいいところに…」
こちらに気付いた初瀬が、にへらと笑いながら歩いてくる。
流石に大本営に出向いただけあって、午前中と比べて随分とマシな格好をしていた。
それでも足元はサンダル履きなままなので、ある意味安心してしまう。
「そんな怖い顔しなくたってちゃんと…おい龍田ぁ、車庫入れは無理すんなよ?」
見れば車の運転席には、引きつった表情の龍田がハンドルを握っていた。
滝のような汗をかいているのは、どうやら暑いからというわけではなさそうだ。
それを証明するかのように、黒塗りのセダンには似合わない若葉マークが貼られている。
運転初心者に公用車を運転させるなど、一体どういう神経をしているのだろう。
「ほら、龍田の奴も可愛いとこあるでしょ?」
そう言いながら、紙袋の中身をごそごそと漁ってる。
「はいこれ…間宮印の蒸しプリン」
可愛らしく包装された瓶を、半ば無理矢理手渡してくる。
ふと見ると、今日も初瀬は手袋をしたままだ。
そういえば着任からこちら、初瀬が手袋を外しているところを見たことが無い。
「ん? もしかしてプリン嫌いだった?」
そう言って引っこめようとするそれを慌てて受け取る。
にやにやと口端を吊り上げながら、どこか楽しげだ。
「ああ、やっぱり甘い物が好きってのは…女の子なんだねぇ」
甘党に性別は関係ないと思う。
どこか苛立ちながらも受け取ってしまったのは、随分とここの空気に毒されてしまっているからか。
何か嫌味の一つでもと思った時には、既に初瀬は背中を向けて歩き出していた。
甘やかされているのか、それとも馬鹿にされているのか分からない。
「みょこたん、ただいまぁ~…プリンあるから皆集めてちょうだい…うん、そう」
出迎えに現れた妙高に、何やら伝えている。
そして持っていた大きな紙袋を手渡して…何か紙切れも渡している。
まさかとは思うが、あの大量のお土産を公費で落としたのでは…いや、まさか。
「ほらぁ、君も早くおいでよ」
振り返ると、だらしなく伸ばした手で手招きをしている。
「君の大好きなお勉強の時間だ、早くしないとプリンがぬるくなっちゃうよ」
今度は脱いだ軍帽を団扇代わりに、そして胸元のボタンを外しながら建物の中に入って行ってしまった。
お勉強の時間…つまりは大本営で行われた作戦会議の内容をお披露目するのだ。
予想よりも随分早く帰ってきたが、どうやらしっかりと仕事はしてきたようである。
食堂に辿り着いた時には、既に鎮守府のメンバーの大半が集まっていた。
というのも、ミーティングがまさか食堂で行われるとは思っていなかったからである。
会議室で待つこと十数分…誰一人現れない事に疑問を持たなければ、危ないところだった。
なんというか、ミーティングというものはもっとこう厳粛な空気であるべきだ。
大きなプロジェクターや、せめてホワイトボードなどが置いてあるようなイメージがある。
ところがどうだ…この食堂の雰囲気と言えばそれらからは遠くかけ離れたものである。
プロジェクターもホワイトボードも、それらに類似するようなものは一切見当たらない。
テキストの代わりに目の前にあるのは、初瀬が買ってきた間宮印の蒸しプリンだけである。
「はいはーい、じゃあ皆プリンは行き渡ったかな?」
ぺたりぺたりとサンダル履きの足音がすると、食堂の入り口から初瀬が現れた。
上はランニングに、下は膝まで捲り上げたいつものスタイルに戻っていた。
「全員ある? あ、みょこたん俺のは…? あ、そう…ま、いっか」
いつ言い出そうか迷っていたが、完全に言い出す機会を見失ってしまった。
今目の前に置かれているプリンは、妙高達が手分けしてそれぞれに配ってくれたものだ。
つまり、先ほど初瀬が渡してくれたものとは別のものである。
このミーティングが終わったら、ちゃんと返しておくべきかもしれない。
「じゃあねー、はじめるからねー、食べながら適当に聞いといて」
気の抜けた声と共に、ミーティングが始まった。
「今日は大淀ちゃんが仕事をサボったので、仕方なく僕が説明するよぉ」
すかさず隣にいた大淀から、初瀬が容赦ない罵声を浴びせられている。
声を荒げるでもなく、的確に相手の痛いところを針で刺していくような物言いだ。
見る見るうちに苦虫を噛み潰したような顔になる初瀬の様子に、そこかしこから笑い声が聞こえる。
「えー…と、じゃあ遂に発動されるALMI作戦ね…大淀ちゃんこれ何の略だっけ?」
故意か天然か図りかねるが、初瀬は提督よりも向いている仕事があるように思える。
「そうそう、アリューシャンとミッドウェーね、知ってた」
近々発動される、超大規模な二正面の深海凄艦殲滅作戦である。
各方面で戦力が充実してきた今こそ、敵の主力を徹底的に叩くべきだという声が大きくなってきたのだ。
「とりあえずアリューシャン方面は囮で、ミッドウェー方面で出てきた敵をどかーん…って感じかな」
あまりにも大雑把な説明に、開いた口が塞がらない。
言っている事は分かるが、もっとこう色々と説明すべき事があるだろうに。
「んで、まずAL作戦には…大役だけどなっちーが指揮を執ることになった」
突然の指名に、那智の表情が一瞬強張る。
食堂内も俄かにざわつき、妙高と足柄、羽黒がまるで自分の事のように喜んでいる。
「まあ、そんなに気負わなくていいさ…うちからお子様空母と酔いどれ空母も一緒に参加するしね」
誰がお子様かと抗議する声と、しらふのくせに随分と上機嫌そうな豪快な笑い声が聞こえた。
それにしても、階級にしても鎮守府の規模にしても…随分な大抜擢である。
「んー…君か、気になるかい? あまり気分のいい話じゃないけど」
質問の声に、初瀬はめんどくさそうに耳をほじりながら答える。
「さっきも言った通りだけど、これは囮なんだよ…本命はミッドウェー…分かる?」
つまりは、厄介仕事を押し付けられたという事でもある。
大淀が横から補足してくれたが、AL作戦は非常に荷が重い作戦であるそうだ。
北方の海域制圧が主目的だが、あくまで陽動であるために失敗は許されない。
もし途中で撤退するようなことがあれば、陽動の意味を成さなくなってしまうのだ。
付け加えて、本命であるMI作戦に大半の戦力を割いているためにギリギリの編成しか許されない。
「ま、面倒事は誰かに押し付けて自分たちは美味しいとこ貰いたいって事だね」
どこか納得がいかない話だ。
「どう? なっちー、やれる?」
迷うことなく、那智は任せておけと即答した。
「うん、他の鎮守府からもしっかりと派遣されるから頑張って…えっと誰だっけ?」
大淀がすらすらと参加する艦娘の名前を述べていく。
先程手にしていた資料を読み流しただけで、既に大半は頭の中に入っているようだ。
「あー…北上っちと大井っちのお姉ちゃんと妹ね、あとは高雄さんに摩耶ちゃん…おっぱい大きいよねぇ」
意外な事に、初瀬は他の鎮守府の艦娘達もしっかりと記憶しているようだ。
覚え方に多少の難はある気がするが、それでも自分の管轄外の艦娘まで知っているとは驚いた。
「うちからはあと暁、響ちゃん、雷ちゃんと電ちゃんも参加ね」
暁だけちゃん付けでないのは、本人が非常に嫌がるかららしい。
名前を呼ばれた本人たちよりも反応したのは天龍である。
「あーあー、聞こえなーい…天龍、そろそろ過保護すぎるのはどうだろうなぁ」
それでも天龍は食い下がろうとする。
まだ練度が足りないだとか、実戦経験が足りないだとか、必死に抗議している。
「決まったものは仕方がないよ…それとも、なっちーや手塩にかけた部下が信頼できない?」
痛いところを突かれたのか、天龍はどかりと椅子に腰掛けて黙り込んだ。
明らかにふてくされているそれを第六駆逐隊の面々がなだめているのが、なんとも微笑ましい。
それを見ていた那智が、死んでも守って見せると天龍に約束をしている。
「…それは許さん」
ぼそりと初瀬の口から、鉛のように重たく感じる言葉がこぼれた。
「駄目だよぉ、適当でいいの適当で…危なくなったらすぐ戻っといで」
異質に感じた雰囲気も一瞬の事で、初瀬の口調はすぐに元に戻っている。
「責任なんていくらでも取りようがあるんだからさ、首でもナニでも好き放題斬ればいいさ」
さらりと駆逐艦や軽巡洋艦の目の前で下品な洒落を絡める。
すかさず横から大淀にどつかれ、初瀬の足元に龍田の投げた槍が突き刺さる。
なるほど、日頃からこの様子ならば訓練場で見せたあの反射神経も頷ける。
「おお怖い…じゃあ、気を取り直して次はMI作戦に参加する子ね…えっと」
初瀬が言うよりも早く、大淀が次々と名前を読み上げていく。
呼ばれたのは妙高と羽黒…それと千歳と千代田の四名。
AL作戦よりも随分と少なく、MI作戦の規模から比べてれば少なすぎるほどだ。
明らかに意図的な何かを感じずにはいられない。
「え? ああ仕方ないねぇ、今朝がた派手にやっちゃったし」
最後に大井と北上の名が呼ばれたが、当の二人の姿はここにはない。
今日の午前中に起きてしまった演習中の事故のせいで入渠中である。
聞けば既に資源が尽きかけてしまっているせいで、予定よりも大幅に遅れているそうだ。
「色々うるさかったけど、大淀ちゃんが代わりに出撃するって話で纏まったよ」
先程の那智の時よりも、さらに食堂内がざわめく。
一番驚いているのは、突然名前を呼ばれた当の大淀である。
あの様子から察するに、手元の資料には記されていなかったのだろう。
初瀬に食って掛かる大淀の声は半ば裏返っており、こんなに取り乱した姿を見るのは初めてかもしれない。
「いいじゃん、どうせ僕ぁ謹慎処分で前線に出られないんだし…」
今度は完全に裏返ってしまった大淀の絶叫が食堂に響き渡った。
初瀬が言うには、実弾混入事件の責任を取らされたのだとか。
わなわなと震えている大淀の視線の先では、龍田がそれをにっこりと頷いて肯定していた。
「別にどんぱちやれって言ってるわけじゃないよ…それに大淀ちゃん僕より将棋強いでしょ?」
しばらく顔を真っ赤にしたり、青くなったり白くなったりと忙しそうな大淀。
やがて全てを観念したかのように、へなへなとその場に座り込んでしまった。
ご愁傷様…と言いたいところだが、実際のところ羨ましくもあった。
形はどうあれ、戦いに赴くことができるのである。
名前を呼ばれなかったということは、つまり戦力外通告というわけだ。
色々とサプライズを織り込んだミーティングは終わり、続いて恒例の意見箱開封に移る。
一週間に一度ほど、こうして艦娘達の要望を集めて意見交換をするのだ。
「んー、まずは…提督の着た物と一緒に洗濯しないでほしい…か、きついねこれ」
年頃の女の子にはありがちな、そして鎮守府にはなんとも不似合いな意見である。
「この字は瑞鶴だなぁ…遠征から帰ってきたら考えてやろう」
考えてやろうと言いながら用紙を丸めて放り投げるあたり、多分本当に考えるだけだろう。
ちなみに翔鶴と瑞鶴は、超長距離の遠征任務を遂行中だ。
帰ってくるのは恐らく、ALMI作戦が終わる頃ぐらいだろうか。
戦力としてはこの鎮守府でも上位に食い込むほどの実力だが、何せ空母は壁が厚い。
MI作戦に参加する一航戦と二航戦からなる機動部隊は、ずっと不動の地位を保ち続けているのだ。
そんな猛者を押し退けて作戦に参加できる可能性は皆無に等しい。
土俵にすら上がることを許されないあの二人の境遇には、どこか共感してしまう部分がある。
「えー次はー…北上さんと相部屋に…はい、却下」
もはや誰が書いたのか聞くまでもない。
「次はどれどれ…酒保の品揃えをもっと充実かあ、いいねぇこれ」
隼鷹がすかさず、もっと酒を増やしてくれと声をあげている。
わいわいとした空気の中、様々な意見が交換されていく。
最終的に今回は、花壇を作って欲しいという意見が取り入れられたようだ。
なんとも可愛らしい内容に発案者は容易に想像できる…第六駆逐隊の誰かだろう。
悲しきは、植えられる事になった植物の大半が家庭菜園そのものである事か。
それぞれが各自の部屋に戻り、すっかり静かになった食堂で早瀬がプリンを食べている。
「…ぬるいなぁ、これ」
そんな事をぼやきながら、早瀬が一枚の紙切れを取り出した。
「これ書いたの…君だろ?」
そこには見覚えのありすぎる筆跡でこう書かれてた。
たった一文だけ、戦いたいと。