「Ex」スイッチの効果時間は短い。
パパガイに聞かされていたタイムリミットを思い出したルルはその細く絞り上げていたランスの拘束を解くべく、グリップのスイッチを「1」へと戻した。
だが、彼女は気を抜いたわけではなかった。
絞り上げていたパラソルが止め紐を解かれ、その裾をふわりと広げるようにマテンロウは初期の戦闘体形へと戻る。
風翔龍の持つ、まるで金属めいた鱗がふんだんに使われた槍のボディはあくまで鋭く、そしてしなやかだ。
マテンロウに仕込まれている無茶なカラクリを発動させる為に、まさしく常軌を逸した柔軟にして強靭なその古龍の素材が不可欠だった。
その殺傷力は今のルルリアの一撃からもわかる。
だが、しかし。
いや、だからこそか。
槍が貫いた棘竜の皮膚の硬さは、マテンロウの刃がソレを削り取って行く音から理解できた。
ヤツはまだ、本気になってない、と。
ごくり、と咽を降りていった唾液が妙に固い。
マテンロウはとても良い槍だと思う。
でも、柄を握る手が震えているのはなぜだろう。
ストレガグローブの中で手のひらがじっとり汗ばんでいる。
ルルリアは自分が震えていることに気づきたくなかった。
さっき、自分の意思とは全く関係なく『竜化』した自分。
さっきまで感じていたどこか緩さを感じる空気などもう、どこにも見当たらない。
その『恐怖』と言っても間違っていない感情の波が遠くに壁のようにそそり立ってその不気味な存在を誇示している。
ルルリアの不安の元凶はもちろん眼前の相手。
エスピナス…そんなに頻繁に依頼があるわけではないが、もちろん初めて出会う相手ではない。
マテンロウのカラクリを一足飛びに披露することで傷を負わせたが、それが致命傷には程遠いのはルルリア自身が一番感じ取っていた。
棘竜はルルの勢いづいた一撃で幾分下がっていた。
だが、その太い両の脚に萎えた様子は一分も無く、翼や尾もへたれず気張ったままうなだれてはいないし、それに頭部の傷口から吹き出る血流が若干、量を増しているのが気に入らない。
こめかみ辺りをヒクヒクさせ、棘竜は頭を低くしてゆく。
喉奥から地響きのような振動音が響き、いま受けた傷がご不満の様だ。
棘竜から少しずつ漏れ始めているその怒気は周辺の空気にまでエスピナスの持つ猛毒成分を染み込ませているように見えてしまい、ルルの頬を一筋の冷や汗がつたう。
後ろに意識を飛ばしてみると、馬鹿兄貴と馬鹿ダーリンが変なノリの言い合いをしている。
いつもいつも『気を抜くな!』とうるさい二人が完全に場をナメているじゃんか。
気づけよ、感じれ!このエスピナス…絶対におかしいって!
ルルリアの焦燥に気づくことなく、ヴァリオンとシンバは互いの放った台詞をなじり合い胸ぐらをつかみ合っている。
彼らはベテランハンターとして狩猟の流れを感じることに長けていた。
だが、それでもやはり、感覚というものはどうしても緊張と緩和を繰り返す。
ヴァンは先ほど棘竜の尾でしたたかに打たれた事を忘れ。
シンバはルルが禍々しい血を発動させたことを見過ごしていた。
経験を積んだ二人を一方的に責めることは出来ない。
なぜならば、相手はエスピナス。
今まで幾度も刃を向けてきた相手だし、狩猟方法や弱点もよく知っている。
多少のイレギュラーな行動は存在しても自分たちハンター側の最終的な勝利は決まっている様なものなのだ。
しかし、その些細ながら確信のこもった勘違いの故に彼らは風が変わった事に気づいていなかった。
膨れ上がった気配を感じ、ルルはじかれたように右腕の盾を身体の全面に構えた。
刹那。
その肉厚の鋼がひしゃげるかと見まごうほどの圧力の衝撃が盾に叩きつけられる。
地表スレスレまで屈めたその首ったまを伸びあげ、エスピナスは爆発と言って過言ではない声量で咆哮を上げた。
それは樹海の樹々の葉を揺らし、木ノ葉を響きざわめかせる波を作り上げて周囲を震い上がらせ、大地に積もり堆肥となった土塊を地面ごとめくり弾き飛ばし、永い年月をかけて大木の根が押しのけ地上に顔をだしている硬い岩石の表面に細かなヒビを走らせる。
轟音と共に吐き出されたエスピナスのポイズンブレスが一発、二発とルルリアの盾に直撃する。
着弾の度、ルルの小柄な体はその勢いで後方へと押しやられて行く。
三発目がヒットすると同時に彼女は体勢を崩し、そのブレスの威力に腕の筋肉が耐え切れずシールドを手放してしまった。
ルル自身にブレスの直撃ダメージこそ無かったものの、後方へはじけ飛んだ盾が地面にめり込んだ威力からすると彼女の右腕は使い物にならない状態かもしれない。
左腕はマテンロウをきっちりと構え直しつつ、しかしルルの右腕は対照的に緊張感を失ってだらりと下がってしまっていた。
突発的で瞬発的、だがそれこそエスピナスの本分とも言える激怒。
棘竜の体中の毒腺は煌々と輝きを増しながら活性化し、その禍々しくも綺麗な赤紫色の棘や角は溢れ出る毒液でぬらぬらと光っている。
ヒトでいうなれば白目の部分が黒いエスピナス。
瞳の部分をふちどる蛍光色のイエローリングがハンター達を捉える。
その黒目に黄色の輪という配色は薄暗い樹海の中でも異様な生気を感じさせ、それを直視したモノに遠慮ない殺気を気取らせていた。
「ルルは盾拾ってこい。シンバ、足止め頼めるか」
「止まるかねぇ、アレ」
持ち上げていた鎌首を水平より下に戻してゆく棘竜を見てヴァンがうなる。
金冠並みにデカいピナさんの突進だ、そりゃシンバの盾で止まるような相手じゃないのは百も承知。
だけど自分もディズも受けに回る訳にはいかないんだし、コイツに命張ってもらうしかないじゃないか。
「ひでぇなアンタ」
「すまんな、死んでくれ弟よ」
『ソレ笑えねぇよ!』とシンバが叫んだのを切欠にエスピナスが自分たちに向けて突進してくる。
巨躯ゆえに歩幅も広く、目方も重い。
地震の様にゆれる地面の響きは思ったよりも早く彼らの眼前に迫り、ナイトシールドを強固に保持して持てる力全てを防御にまわしたシンバをあっけなく吹っ飛ばした。
金属音が響き、棘竜の鼻先に伸びた一番角がその盾ごとシンバの身体を浮かせて遥向こうの大木に彼を叩きつけた。
したたかに背を強打したシンバはアバラや肩に響くイヤな痛みを覚え、なくなりそうな意識の中でルルリアがエスピナスの背に飛び乗ったシーンをコマ送りで見ることしか出来ずにいた。
ヴァンが横っ飛びで突進を避けられたのはシンバの功績だった。
彼が棘竜の突進を一瞬止めてくれたのは事実、ヴァンは体勢を立て直し勇敢なガンランサーが『とりあえず』無事である事を感じ取るとエスピナスに向き直るのだった。
アレが回復するまで、今度は自分が男気を見せなければならない。
ガード武器では無いハンマーだが、なぁに。
「横っ顔引っぱたきゃ、どうにかなんだろ」
べろりと唇を舐め、ヴァリオンが腕の筋肉を緊張させる。
一度見せてもらった突進速度を思い出し、そして今の棘竜との距離を冷静に測って彼はカウンターの準備を始めた。
その強烈な突破力の慣性に流されそうな巨体を留めるため、エスピナスはそこらの大樹と同じような太さの脚を踏ん張り、えげつない程鋭さの足爪を地面に突き立て地面に溝を刻む。
膝のバネをたわませ、勢いをつけて戦槌を構える人間を踏みつぶそうとさらに狙いを付ける。
大ぶりの翼膜を広げたり傾けたりしながら器用にバランスをとる棘竜はこの『ただの突進』を必殺技として昇華していた。
毒やブレスは牽制、あくまでも角や棘そして爪や尻尾の素早さを伴った破壊力こそがエスピナスという飛竜のシンプルな真骨頂であった。