それは、ルルリアの沸点を下げるに十分の出来事だった。
「…ゆ、るさな、い」
「あん?」
地震が起きる前触れのように低く小さく震えたルルリアの喉笛。
風牙の着ける鋼鉄製のガントレットの掌がそのゆらぎを感じた瞬間、ルルリアは爆ぜた。
ルルの身体から一気に吹き出したチカラは大地をえぐる推力となり彼女の身体を高く跳ね上げる。
思わず手を離した風牙が舌打ちを繰り返し、体勢を立て直す間にルルは舞い戻り地面を強く蹴飛ばし風牙の眼前まで迫っていた。
咆哮を上げる口元からは鋭牙が伸び、ストレガの腕甲を弾き飛ばした筋肉が盛り上がる腕にも長棘が現れる。
刃と化した左手に光る爪が風牙を捉え、振り抜くと同時にルルリアの体に鮮血の飛沫がかかった。
彼女のその瞳は狂おしいほどの金色で、ルルは自らの理性を食い散らかす龍にその身を委ねていた。
精神が赤黒く染まり、景色が色を失ってゆく。
目の前にあるのは破壊する相手。
いや。
壊さないといけないモノばかりだ。
『すべてを壊せ』
『すべてを壊せ』
『すべてを壊せ』
『すべてを壊せ』
『すべてを壊せ』
『すべてを壊せ』
ルルリアの脳内を駆け巡るのはただその一言ばかり。
龍の精神に代わって鎖を巻かれたルルリア本人の意識がいつも聞くのはこの一言ばかり。
自分が怖かった。
これが、自分の願望なのではないかと思う、自分が怖かった。
そんな本心や正体を知られるのが、とても怖かった。
だけど、違った。
『わたし』は望んでいない。
『このチカラをくれたヤツ』が破壊を望んでいる。
いまならそれがわかる。
でもそれだけじゃない。
『コイツ』は自分になにを、させようとしてるのだろう…。
まどろみに似たような安穏とした意識の中で、ルルリア自身は気づき始める。
『すべてを壊せ』という強い意思の後に少し空白があることを。
そして先程の風牙の言葉。
『フロンティア』
その新天地を意味する言葉がいたく自分を掻き乱す。
身体は気が触れたように吠え続け、風牙を攻め立てる。
だがルルリアの精神はこれまでになかったほど深く冷静に考え始めていた。
まだ棘竜だった荊琴が弾き飛ばしたマテンロウの盾を拾い、風牙がルルリアの猛攻を防いでいる。
どんな鋼を使っているのか『龍化』したルルの攻撃に変形しながらも耐える盾に身を隠しながら風牙はルルの暴力を受けるのが精一杯だった。
確かに彼が隻腕であるのが大きい理由だろうが、それを差し引いても龍化したルルリアの威力は半端ではなかった。
自分や荊琴が授かったチカラとは全く発端を異としているのは明白で、それこそ彼が追い求めたものであり、そしてあのルギナゼラスが欲したチカラ。
だが、このルルリアのまるで制御出来ない嵐のようなチカラは誰の手にも余るだろう。
ルギナゼラスは御する術を持ち合わせているに違いないのだろう。
ただでさえ仲間内でも得体の知れない能力を持った人だ。
だからこそチカラを持った皆をまとめあげ、フロンティアプロジェクトと自ら銘打った企画を推し進めてこれたわけだが。
いかんせん腕が痺れてきた。
ルルリアが暴走したのを契機にヴァリオンが荊琴を振り払い攻勢に入ろうとしたが、あえなく荊琴に踏み潰されていた。
だが、ヴァンがいつ『愚者』を召喚するともわからない。
この状況は自分ひとりで切り抜ける必要がある。
滅多矢鱈に攻撃してくるルルリアのそれぞれを感覚で受け切りながら、しかしジリジリと押されてゆく風牙。
手も足も出ない風牙に対し、ルルリアが握り合わせた両手を振り上げ、盾ごと粉砕しようとした瞬間、彼女の動きが止まる。
既に盾の形を保っていない塊の端から状況を確認した風牙は、ルルリアの背に刺さる数本の矢が見えた。
そして驚く風牙の前でルルリアの『龍化』が突然解除される。
まさしく解除、と表現するしかない有様でルルリアは元の人間態に戻りその場に倒れ伏した。
盾だった鉄塊を下ろし、矢の出処を探した風牙。
そしてエリアの入口に佇む二人の人影を認めるのだった。
◆
『壊せ、そして……なお、して…くれ』
金色の殺意から引き剥がされてゆく意識の中、ルルリアの感覚はそんな小さなささやきを捉えた。
受身も取れず倒れた彼女に、べちゃりとぬとついた泥がルルの口元にまとわりつく。
それは口、いや顔だけではなくルルリアの身体を覆うように塗りたくられ彼女の素肌を汚していた。
まったくもって不本意ながら、どうやら自分は本格的に『龍化』したあとはものの見事にオールヌードになるらしい。
まるで精神をカットされるように無意識になるから恥ずかしいとかそういうのは感じなかったけど、ふんわりやんわり、そこはかとなく、なんとなく、なんとはなしにデイジーから状況を教えられた時ぁそらもう落ち込んださ。
別にあたしは露出好きでもなんでも無いっつーの。
誰かの陰謀としか思えねぇっつーの、誰だよそいつ、死ねよ。
はい、それは作者のキボーです。
インボーではありません。
ああ、でも、このぬかるみのニュルニュル加減、ちょっと嫌いじゃない…。
わずかに身じろぎした彼女の素肌を泥の中に混じっていた砂利の荒さが刺激する。
ルルリアはうつぶせに倒れ込んだ自分を拒否するように腕立て伏せの要領で上半身を起き上がらせた。
射掛けられた矢じりにどんな薬が塗布してあったのか、ルルの身体にはビリビリとした痺れが残っていて半身を起こすのがやっとではあったが、ルルリアは意識を失ってはいなかった。
「くっそ、今日は麻痺ってばっかだ…」
誰にというわけではなく文句をこぼすも、目線を上げればその先には対照的に見下ろす視線の風牙。
「…ちっくしょ」
カラダがいう事をきかない。
彼女は背中に刺さった矢の痛みもさることながら、必殺であるはずの特技が通用しなかったことが、この状況を覆すどころかぶっ壊すことができると思った『龍化』がほぼ無意味だった事の方がショックだった。
だがこの状況で混乱しているのは風牙のほうであった。
まさか、自分たちのほかに乱入者が、しかもルギナゼラスその人が赴いてくるとは思ってもみなかったからだ。
弓を構えたもう一人の後ろで、ルギナゼラスがフードを取りこちらに向けてニヤリと唇を曲げる。
「どうしたレィラぁ。助けてやった私に一言あってもよいのではないか?」
「…どうも、ありがとうございま、す」
訝しげに言葉を発する風牙の前に立ち、しかしルギナゼラスは彼ではなく足元の銀髪に声をかけた。
「ふん、中途半端な覚醒状態だな。初めからわたしが手を下せば造作なかったか。おい、立て」
ルギナゼラスの履く鈍色に光る鉄靴が、いまだ伏したままのルルリアの後頭部をこづく。
「…ってぇな…誰だよあんた…」
ルルリアは自らを奮い立て、顔をあげた。
そこに現れた新キャラは声を聞いても気配を感じても味方ではないのは明白で、ならば彼女はソイツの命令など聞く義理もつもりも微塵も無い。
そしてさらにルルリアはルギナゼラスをちらりと目に入れただけでこの長身の男は相いれないことを感じ取った。
ルギナゼラスもルルリアの反抗的な目線を受けてか、その細い眉をぴくりと釣り上げルルをにらみながら風牙に言い放った。
「報告以上に生意気な小娘だな。レィラよ、こいつの両腕を断て」
先ほどからのやたら上からな物言いは風牙や荊琴より立場が上なのはわかるが、正体が敵であった二人をどうしても憎みきれないにも関わらずなんだろう、きっとこの細身長身のこいつも二人と同類のはずなのに感じるこの嫌悪感はひどすぎる。
四肢に残る痺れを無理やり振り払いルルは立つ。