「あ……ふぅ」
昼寝しすぎたネコのように伸びをしてルルリアは気の抜けたあくびをする。
緊張感の無いその仕草にヴァンは苦笑いし、機嫌を尋ねた。
ぶん、と一度頭を振り彼女は「問題ないよぅ」としょぼしょぼとした眠そうな眼をこすっている。
そうこうしているうちに、気球はぐんぐんと高度を下げていく。
彼らの周りの温度はもう既に暖かいというレヴェルを超越し、肺の中に取り入れるのが億劫になるほどの熱と湿度に満ちていた。
厳しい肌の山々が連なり、人が立ち入ることを拒む火山。
そこかしこから高温の蒸気が噴き出し、もうもうとした濃い霧が地面を隠していたが、上空からも真っ赤に焼けた溶岩の流れは煌々と輝き、その乱暴な熱気を放っているのが見える。
灼熱のマグマが激しい空気の対流を促し、気球は一度ぐらり、と揺れる。
操舵ネコが必死に体勢を立て直し、ギルドバルーンはどうにか墜落するのを踏みとどまる。
危なっかしくふらつくデッキでシンバが「冗談じゃないぜ……」と手摺に捕まり下を見やる。
ごんごんと湧き出る溶岩がひとつ、ぼこりと大きな泡を吹き出すのが見えた。
その本格的に活動する火口を避け、その吹き上げる噴煙に咽ながら一行はギルドが係留柵を設置しているカルデラ湖の上空に辿り着いた。
縄を持ったアイルーが手摺からひょいと飛び出し、まだちょっと高度がある気球から湖面に飛び込む。
数秒後、ぱしゃん、とささやかな水音が聞こえ、次いでデッキに積み上げてある係留ロープが勢いよくしゅるしゅると送り出されてゆく。
澄んだ湖に張り出した桟橋に備え付けられたウィンチをがりがりと回し、先ほどのネコが気球をちょうど良い高さまで引き寄せていく。
バーナーの火力を調整しながら、案内ネコが三人に向かって帰還予定を尋ねてくる。
そのネコに依頼書を見せると、彼は「グラビ三頭とかマジ面倒だニャ」と遠慮ない意見を述べ「これは時間が読めニャいから、合図してくれればその辺の仲間が気づいて来てくれるはずニャ」と無責任な返事を寄越してバーナーの方に戻っていく。
「ギルドアイルーの中にもいいかげんなヤツがいるもんだ」とヴァンとルルが顔を見合わせにやり、と笑った。
ちょうどそこで気球は係留柵に固定され、猫たちがどたどたと荷物を降ろし始め、桟橋にどやどやと足音が響いていく。
湖の冷たさと火山の熱気の温度差で、カルデラ湖の表面には案外強い風が流れている。
固定されているとはいえ、その影響でわずかに揺れる気球から桟橋に足を下ろして、三人のモンスターハンターはひと時の空旅を終えた。
「なんだか、嫌なカンジ」
ルルリアは、腑に落ちない顔をしながらその銀髪をくるくると纏め、オカサンゴで作った桃色の髪留めを着ける。
どうも、いつもと様子が違う。
風も、火山も、湖も、変化はない。
ただ、そこにたちこめる気配が、なんだか違和感がある。
レウスヘルムを両手で持ったまま、噴煙を上げる山頂を見やり彼女は神経を研ぎ澄ます。
「絶対に、ヘン」
ベースキャンプにまで、僅かだが、血の臭いが届いている気が……する。
桟橋のたもとに荷物を積み上げ、アイルーたちはさっさと気球に乗り込み手を振っている。
形式上のポーズなのだろうが、なんとなく励まされているようでシンバは結構気に入っていた。
彼は係留縄を解くと手をあげ、自らもネコ達に手を振る。
ウィンチがからん、と物悲しい音を立ててバルーンが自分たちと関係を絶ったことがわかる。
さぁ、これからが本番だ。
長丁場になることを想定し、ヴァリオンは肉焼き器に燃料をくべて持ち込んだポポの肉を炙り始める。
肉が焼ける香ばしい匂いが辺りに広がり、ルルリアはその違和感から引き戻される。
まぁ、いい。
鎧竜三頭以上討伐なんてそんな依頼自体がどうにかしている。
狩りを始めれば嫌でもあの火山の麓まで行かなきゃいけないんだし。
と荷物をテントに運び始めた。
「ウルトラ上手に、焼けましたぁ~、っと」
ヴァンは自分の分だけでなく、残り二人の分まで焼肉を作っている。
彼はこの肉焼きが大好きだった。
丸焦げにならないように火力を調整しながら、肉汁がじんわりと滲み出てくる肉の塊に集中する。
一瞬なのだ。
そう、美味い肉というのはただ焼けていれば良い訳ではない。
そのしっかりした繊維と甘みのある脂身が渾然一体となって初めて真の美味さがわかるのだ。
その焼き加減はまさに一瞬の閃き、1000分の1の単位での刹那の輝きなのだ。
「オレには、その瞬間が見えるッ!」とかなんとか言いながら塩と胡椒をぱらり、と振る。
「この肉焼き器を開発した職人にはほんと、大感謝だぜ」と独り言を言いながら鼻歌交じりにハンドルを回し、塩梅良く焼けた美味そうな食料を量産していく。
なんせグラビモスという大物を連続狩猟しなければならないのだ。
途中でスタミナ切れを起こしては命にかかわる。
「おい、シンバ。そっちはどうだ?」
一通り、人数分のこんがり焼けた肉を確保し、桟橋から釣り糸をたれている弟分に声をかける。
シンバの方も数匹のサシミウオを吊り上げ「首尾は上々だぜ」と笑顔を返す。
「んじゃ、それも焼くからよこせ」といいつつヴァンはルルリアの姿を探す。
だが、彼女の姿はベースキャンプの何処にも見当たらない。
ルルリアは忽然と、姿を消していた。
さっきまで、そのテントの中に荷物を運んでいたはずだ。
なぜだか急に、ヴァンの腕に鳥肌がたつ。
ざわり、ざわり、と体中の毛穴から嫌な汗が吹き出る。
ヴァリオンはあのグラムの一番弟子だ。
普通では考えられない厳しい条件のクエストもこなしてきた。
それにナァルに付いて古龍退治にも散々付き合わされた。
大抵の事では動じない胆力を身に着けている、と自覚もあった。
でも、自分の体は、今、恐怖している。
何かが嫌なことが、起きようとしている。そんな気がしてならない。
そういえば、さっきルルのやつが、らしくない険しい顔で山の頂を睨んでいた。
自分が、なぜこんなイヤな気分になったのか、彼は唐突に思い出す。
そう。
ルルリアだ。
あいつは何処にいる!?この、感覚は、過去に、一度だけ感じたことがある。
思い出せなかったのではない。
思い出したくなかった記憶が、ヴァリオンの脳裏にフラッシュバックしてくる。
その忌まわしい光景が脳裏に浮かんだ瞬間、ヴァリオンの体は思考と切り離されて勝手に動き出していた。
「ちぃッ!」
ヴァンはせっかく焼いた食料を放り出すとヘビィスリーパーを引っつかみ、なにかの前触れのようにちょうど噴火した山に向かって駆け出した。
ドォンドォン、と連続で火柱が上がる荒れ狂う火山に向かいながら、ヴァンはいまさらながらこのフィールドに立ち込める違和感に気づきつつあった。
冷えた溶岩でごつごつした地面を全力で走るヴァリオン。
その背後にはシンバが追いすがる。
さっきまで上機嫌に肉を焼いていた先輩ハンターが急に血相を変えて走り出したのを見て、彼もまた何か異常事態が発生したのを見て取った。
大体、自分が釣りをしている時には、隣にアイツが、ルルリアが居て要らないツッコミをしてくるのがいつものはずなのだ。
だけど、今回に限って、彼女は隣にも、後ろにも、どこにもいなかった。
それにもっと早く気づいていれば、とシンバにも焦りの気持ちが強く湧き上がる。
背中に抱えたガンランスの重さが恨めしい。
いつもなら頼れる相棒の重みが今は邪魔に思えて仕方ない。
その消極的な考えを振り払い、シンバは先を行くヴァリオンの背中だけに集中することに決め、必死に彼の後を追った。