【覇竜アカムトルム】
父グラムの残した資料によれば、それは『起源にして頂点』と称されていた。
その巨大な体躯は圧倒的な存在感を示し、体中いたる所から伸びている鋭い棘殻はその凶暴性の象徴であった。
ぎりぎりと軋むその体にはグラビモスの鎧など及びもつかないほどの硬度が備えられ、その残虐な大牙は視る者に拭い去れない恐怖を植えつけるのだった。
その姿はまさに“覇竜”と称されるのにふさわしい。
灼熱の地獄に降り立った、いうなれば黒い悪魔のように異様な風貌。
伸び上がった姿勢を本来の四足歩行に戻し、アカムトルムは先に見据えたルルリアに狙いを定める。
考える間を獲物に与えず、ソレは予備動作なしの急激な突進を始める。
鋭く太い爪を地面にえぐり入れ、巨体に似つかわしくないスピードで迫ってくる覇竜。
鎧竜グラビモスも厄介だが、コレは別格だ。
グラムの手記にも、弱点や生態よりも相対した時の注意点の方が多く記されていた。
ルルリアは大剣を地面に打ちつけ、その勢いで自らの体を宙に放る。
一瞬遅れて、アカムトルムが彼女の居た場所を蹂躙し、火成岩の地面が深くえぐれて粗い砂になる。
「……案外、早いね」
「あの大きな体に圧し掛かられるだけで死ねるな」と自分の死に様をシミュレートするルルリアは存外、落ち着いていた。
彼女はグラムとナァルが遺したハンティングマニュアル、いうなればレジェンドハンターの門外不出の詳細な虎の巻を熟読し、彼らが記したモンスターたちのデータをほぼ完璧に把握していた。
図解付の図鑑をガキのころから読んでいるルルリアにとっては、実際に初見のモンスターでも、図鑑の中では何度も出会っている顔馴染みのようなものだった。
もちろん、知識としてアプリオリな『机上』の知識とアポステリオリな『体験』した知識には埋められない差はあれど、彼女に蓄えられた情報は、あの冒険者グラムと神殺しのナァル二人のレジェンドハンターが生涯かけて集めたもの。
そんじょそこらのデータではないのだ。
噴煙色濃い火口付近の高台で、破壊の象徴のような怪物がその凶暴性を一人の人間に向けている。
その体格の差は比べるまでもなく、彼女が構える蒼刃剣ガノトトスの威力は覇竜にとって脅威でもなんでもなかった。
アカムトルムは今、ただ純粋に怒り狂っていた。
自分の縄張りに無断で入り込むモノは何であろうと容赦しない。その相手がどんなに小さなものであろうと、覇竜は容赦しないのだった。
アカムトルムの、体の割りに小さな瞳が思い出したように緋色に変わる。
周囲の溶岩にも負けない熱さを持つその血液を体中に循環させ、その悪魔はさらにルルリアにむけて突進する。
土煙を巻き上げながら向かってくる鋭利な牙に水竜のヒレをあわせ、ルルリアはその暴力的な衝撃をいなす。
彼女の体はくるりくるりと回転し、アカムトルムの攻撃力を限りなくゼロにまで近づける。
回転がおさまり、レウスグリーヴのつま先が両方地面を捉える。
しかしルルリアは自分の武装選択が微妙に失敗だったことを今更ながら悔やんでいた。
彼女にとって、大剣は大きすぎて取り回しづらい得物だった。
相手が鈍重な鎧竜ならばその刀身を盾にしつつ威力のある斬撃を叩き込むことが出来ただろう。
だが、こんなバケモノが相手になってしまった今、大剣では自らの長所を生かした戦法を取ることが出来ない。
いくらアカムトルムのことを識っていたとしても、相手にダメージを与えることが出来なければ、疲弊していくのは間違いなく自分だ。
体力の差など比較するほうが間違っている。
何度目かの跳躍の最中、ルルリアはヴァリオンとシンバ、二人の仲間の到着を心待ちにしている自分に気づいた。
「……それは無理ってものよね……」
二人は自分がドコに行ったかすら把握していないだろう。
仮に探してくれているにしても、今自分がいる山頂付近に都合よく現れてくれるなんてのはありえない話。
つくづく、あの暗闇が恨めしい。
せめて書置きくらいさせて欲しかった。
無理難題なことを考えながら、ルルリアはアカムトルムの後方に着地する。
覇竜がのたくさと方向転換する間に一度斬りかかるも、ガノトトスの水を湛えた刃がその滑らかな甲殻に弾かれる。
その硬質な打撃音が耳に届き、ルルリアは舌打ちして跳ね返された勢いで崩れた体勢を立て直そうとした。
そのとき。
ふっ、とルルリアの頭上に影が走った次の瞬間、気づく間もなくルルリアは横殴りに吹き飛ばされ、その小躯で空中に弧を描いた。
いくらも経たない一瞬の後、ごつごつした岩壁にしたたかに背中を打ち付けられる。
体中の骨がきしみ、気が遠くなるほどの激痛がルルリアの神経を走り続けている。
ヘルム越しに受けた頭部の衝撃は、容赦なく彼女の意識を根こそぎ刈り取ろうと暴れまわっている。
ぎり、と歯を食いしばり、死神が振り下ろす幻影の鎌を振り払うもそれは必死ながら、実はささやかな抵抗でしかない。
脳内にバシバシとアドレナリンが駆け巡り『今受けたダメージは無かったモノだ、戦え戦え』と叫びまわる。
冗談じゃない。
こんなに体中痛いのにごまかせない、そんなんじゃ。
ルルリアのモンスターハンターとしてのセンスだけが、一箇所に留まり続ける危険性を叫んでいた。
たった一撃、覇竜の剛尾の一振りを受けてしまっただけで、彼女の肉体と思考は停止寸前に追い込まれていた。
口中に鉄の味が広がり、唇の端から彼女の命を支える血潮が筋となって流れ、ぽたぽたと地面に吸い込まれていった。
目の前が真っ赤だ。
呼吸もままならない。
腕には力が入らず、持っているはずの大剣はどこにも見当たらなかった。
あばら骨も、数本折れているのが胸を襲う焼ける様な痛みで理解できる。
ハンターとして鍛え上げられた体だからこそ解る、自身の深刻なダメージ。
色濃く迫る、リアルな死の予感。
ルルリアは瞳孔が開き、霞む眼で覇竜の方向を見やる。
アカムトルムはその背に逆立つ大棘を振り上げ、トドメを刺さんとばかりにこちらに向かってくる。
途中に転がっているグラビモスの体をその大顎で引っ掛け、ごみクズか何かのようにぶん、と自身の後ろに投げ飛ばす。
自らが喰い残した鎧竜をぞんざいに扱い、その命を冒涜する覇竜の脅威を目の当たりにしてルルリアはこのエリアから撤退する決断をする。
どうにかして、二人に、ヴァンとシンバに合流しなければ。
「ぐ、ふ……。ア、レは無理、だよ。父さ、ん」
更にのどの奥からこみ上げる鉄くさい吐血を堪え、彼女は足を引きずりながらアカムトルムの目線から外れようとする。
今まで危ない目に何度か遭ってきたけど、これはトップクラスにマズイ状況だ。
まず、火山というのがいただけない。
モンスターのみならず、環境自体もハンターに敵対している。
ここにきてクーラードリンクを服用していないことが大きく影響していた。
気力を振り絞ることすら難しいダメージは、灼熱の温度によって加速的に深刻さを増してゆく。
獲物が逃走の体を現したのを見てとり、暴力の塊のような覇竜は勝利を確信する。
アカムトルムはその屈強な後足でグンと立ち上がり、炎渦巻く山々に響き渡る咆哮を放つ。
まさしくその叫びに呼応するように山は怒り、その内腑に渦巻くマグマを天に向けてほとばしらせる。
真っ赤に焼けた火山弾が周囲に飛来し、ルルリアの行く手を遮る。
着弾するその炎の威力は、今の弱った少女一人くらい簡単に舐め尽してしまうだろう。
彼女もまた、それを理解していた。
後ろ足で立ったまま、戦いの勝者は獲物を見続ける。
のろのろと自分の前から逃げ出そうとしている侵入者。
自分の縄張りに入り込んで、無断で出て行くなどもってのほかである。
プライド高い覇竜は、哀れなこの小さな侵入者に容赦ない裁きを下す決定を告げる咆哮を放つ。
自慢の大顎を限界まで開き、アカムトルムは周囲の炎ごと大気を吸い込む。
取り込まれた大量の空気は、その強靭な肺臓で圧縮され、炎気と融合される。
背中の色とは対照的に見える白みがかった腹の鎧がぶくり、と膨らみ、一寸アカムトルムは動きを止める。
そして、短いが太く力強い首を獲物に向け、狙いを定めた。
ルルはその瞳の端に絶望的なモノを捕らえる。
自分に向けてあの暴力的なバケモノはブレスを撃つ気だ。
アカムトルムの吐く攻撃息吹、ソニックブラストについて、父の図鑑の記述にはこうあったのを思い出す。
『決して、撃たせることのないように。防ぐ手段は撃たせないこと、ただそれにつきる』
がぱり、とアカムトルムは口腔をめいっぱいに開ける。
その洞穴のようなノドの奥からヂリヂリと細かい振動音が発生する。
ルルリアは完全に背を向けて必死に走っていた。
左足首に嫌な痛みがある。
きっとヒビが入っているか折れているか、だがそんなこと些細なことだ。
確かに、アレをくらえば、あのブレスをまともに受けてしまえばそんな痛み忘れてしまうだろう。
それどころか、未だ体中を駆け巡る痛みともお別れできる。
自らの命と引き換えに。
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