突然、自分の周囲の空気が前方に流れた。
直後、彼女の体は浮き上がり、先ほど尾で叩かれた以上の速度で吹き飛ばされていく。
覇竜のブレスの予備渦だ。
ひとつ目の肺から、進行方向を確保するために打ち出されるこの『一発目』は獲物を封じ込める渦でもある。
そして、数秒後に放たれるふたつ目の大肺から吐き出される炎を纏った渦こそがメイン。
その『一発目』によってルルリアはまた岩壁に背中を打ち付ける羽目となった。
もう、体は言うことをきかない。
指先ひとつ動かすことも出来ないくらいのダメージを受けていた。
強烈な圧力の渦によってレウスメイルが岩にめり込んでいく。
今度こそ、自分は死ぬ。
これで、やっと……お父さんとお母さんに……逢える。
不思議な安心感が、彼女を包み込む。
なぜだか穏やかな気持ちだった。
キィイィイイイィン!
アカムトルムの大肺が一気に収縮し、物凄い高周波を発する。
動けない風圧の中、ルルリアは、アノ声を……聞いた。
『受け入れよ!』
頭の中にその声が響いたとたん、ルルリアの意識は金色の光に包まれた。
がちり、とパズルのピースがはまり込むように、ソレはルルリアの精神と同化する。
『があああああぁあぁあぁぁアアアァアァァァアアァアア゛ァ゛ァ゛ア゛ッ゛!!!!』
人の叫びとは思えない程の声が彼女の咽から放たれる。
その咆哮は、火山に渦巻く熱風を吹き飛ばす。
その咆哮は、火山に粛々と佇む岩々を削り飛ばす。
その咆哮は、火山の主たる覇竜のブレスを突き破る。
その咆哮は、火山の主たる強大なアカムトルムの装甲を無遠慮に剥ぎ取ってゆく。
めり込んだ岩盤から抜け出したルルリアの周囲に、赤黒い何かがモヤのように渦巻いている。
彼女の見据える先に、体中の棘を折り取られたアカムトルムの姿があった。
ルルは、自らの手で防具をむしり取ってゆく。
ぶちぶち、めりめり、とそれは綿か何かのように引きちぎられ放り投げられる。
火竜リオレウスの上質な鱗を用いた防具。
火に対して絶対の防御を誇る堅い殻を使った鎧。
その丈夫な装備を、ルルリアの異様に伸びた爪が切り裂いてゆく。
ぎ、と覇竜をにらむ視線は、いつもの脳天気な少女のものでは断じてない。
アカムトルムをにらみつける瞳は、無邪気な真紅の宝石だった面影はなく…無機質で冷たい『黄金色』に輝いていた。
それはまさに異様な光景だった。
一人の少女を中心に轟々と大気が渦を巻いている。
その渦に巻かれた炎は散り散りに溶け、砂塵は上空に吹き上げられる。
大気の縛りはますます威力を増し、重たい溶岩に細かな波紋を刻んでいく。
ルルリアの纏っていた火竜の鎧は跡形もなく吹き飛び、彼女はその肌を晒す。
突如、彼女の体に光が産まれ、その光はいよいよ輝きを増してゆく。
そのまばゆい光の奥で美しい金色(こんじき)に輝く龍の鱗が顕現していた。
つま先からももに、腹部から胸、のど、あごにかけて、少女の艶やかな体のラインに沿うように、細かな鱗が張り付く。
だが、その鱗の縁は鋭く、自らの巻き上げた瓦礫を物ともしない硬度を備えている。
四肢に伸びている爪ははっきりと攻撃の意思をしめし、マグマの赤色を受けてギラギラと光る。
はぁはぁと、荒い息吹の口元からのぞく歯にはもはや、はにかんだ八重歯の面影はなく、獲物を絶命させんがために用いられる鋭い牙と豹変していた。その並んだ鋭利な凶器はまさに、今の彼女の心理を表し猛っていた。
黄金の鎧を纏い、髪留めなどとうに弾けとび逆立つ銀髪をひるがえし、ルルリアはその凶暴な金の眼差しを覇竜に向ける。
覚醒した彼女の咆哮一発で、攻守は逆転していた。
いまや絶対に有利な立場にいるのは、この小さな体のルルリアだった。
それを本能で悟り、でかい図体をうねうねと動かし、アカムトルムは地面に潜ろうとしている。
さっきまでの強気な覇気は完全になりをひそめ、どこか安全な場所に移動しようと硬い岩盤をがりがりと、溶岩が吹き出てくるのもお構いなしに覇竜は堀りすすむ。
突如、がくんと爪が抵抗を受け、それ以上掘り進むことが出来なくなった。
おかしい。
自分はいつもこうして移動している。
自分の爪よりも固い岩など見たことがない。
絶対の自信を持ってアカムトルムは掘り進む。
だが、いくらも進まない。
それどころか、体が後ろに戻っているような気がする。
それは気のせいではなかった。
ルルリアの、人の力を超えた両の腕が、覇竜の尾をつかみその爪を食い込ませていた。
彼女はそのまま力任せに尾ごとアカムトルムを地面から引っこ抜く。
夕暮れを迎えた火山の空、紫色に煙る噴煙の中に覇竜の巨体が舞った。
最強の【飛竜種】とはいえ、アカムトルムの翼はとうに退化し、そんなものどこにも見当たらない。
名ばかりの飛竜であるこの存在の初飛行は人間に投げ飛ばされる、というひどく不名誉な仕方で行われることになった。
形容するのが難しい程の衝撃を響かせ、覇竜はその体を地面に叩きつけられる。
産まれて初めての屈辱を受け、ここでアカムトルムは怒りを爆発させる。
本能では逃げるべきだと解っている。
“アレ”はもう人間ではない。
なんだかよくわからないが、覇竜である自分にとっても危険な化け物だ。
だが、プライド高いアカムトルムは体中の血を沸騰させ、自らの力を誇示する。
その真っ赤に染まった鎧は威圧感に溢れ、彼の威厳をまざまざと示す。
覇竜は必殺のブレスをおみまいしようと息を大きく吸い込み口を開く。
その破壊の渦が放たれようとした刹那、がぁん、とその上あごを叩きつけられ、彼の顔面は地面にめり込んだ。
出口を失ったソニックブラストの威力がアカムトルムの腹の中で暴れ回り、その体を中から破壊していく。
ばりばりと殻が剥がれ、その体液を噴き出しながらのたうちまわる火山の王者。
その比較的柔らかな腹部に、ルルリアの左腕がめり込む。
もはや、ルルリアにとってこの生き物は覇竜でもなんでもなかった。
みりみり、と嫌な音を立ててその鎧が捲られてゆく。
胸筋ごと殻をむしりとられ、アカムトルムは苦痛の叫び声を上げる。
巨体に似合わない甲高い声は許しを請うように空に響いた。
だが、上空に跳ねたルルリアは金の視線の軌跡を残し、その声を無視する。
そこからは、狩りではなかった。
もう、戦いですらない、一方的な虐殺。
彼女の爪は鋭利な切れ味の太刀よりも砥がれ、その蹴り上げる足の威力はどんなハンマーの一撃よりも重い。
しなやかに、的確に急所を突く両腕の乱舞は並み居る双剣の攻撃力をあざ笑う強さ。
アカムトルムの屈強な体は、ルルリアの外道的な攻撃でみるみる形を変えてゆく。
その強さの象徴の背棘はとうに無く、先のルルリアに深刻なダメージを与えた乱暴な尾は、本体からはるか遠くにちぎれ転がっている。
自慢の大牙は根本からボキリと折られ、岩盤をも砕く太い爪は指ごとむしられていた。
何度目かの噴火に合わせるように、覇竜アカムトルムは断末魔の叫びを上げる。
それは王として、覇としての威厳はまったく伴わない、情けない敗北者の泣き声だった。
動かなくなったアカムトルムに、しかしルルリアは手をゆるめない。
その鎧を力任せに剥ぎとり、肉をむしり、筋肉を引きちぎってゆく。
ルルの体を覆う黄金に輝く鱗は覇竜の赤黒い血を浴び、グロテスクな色彩のヌメりをまとう。
その爪は覇竜の臓腑を引きずり出し、そこらに撒き散らす。
返す腕で堅い骨を叩き折り、灼熱の髄液が散乱してもルルリアは攻撃を続けた。