「とりあえず……こねぇよな」
重苦しいため息を落とし、今まで自分の世話をしてくれた看護ネコに片手を上げて病室を出るシンバ。
ネコが「またいつでも来るニャ」といらない一言をいい、彼の気持ちはさらに落ち込んだ。
シンバの退院は例の日から数えて五日後だった。
あの後、ちょっと良い雰囲気だったあの子は一度も顔を出さない。
そりゃ、無防備なルルにも責任があるとは言えるが『おっタてて』しまったのはシンバが悪い。
一ヶ月近いブランク、狩りの腕も鈍っているだろう。
つくづく、あのネコマスクが恨めしい。
こんど会ったら文句の一つでも……。
「言えねぇんだろうな、俺は」
背中に背負った【デッドウイングスペシャル】のずっしりした重みを感じる。
それは武器の重みだけではない、なにか、ヒューマから託されたモノの重みも加わっているように思えてならないのだ。
そういった意味では、今まで育ててくれた師匠に恨み節を吐くどころか、礼の一つも言えていない自分にも腹が立つ。
ヴァリオンの話では、一応自分は既に【リューシェ】の団員として登録されているらしいから、この足でトゥトゥに向かってしまうつもりだったが、酒場にアイツがいるとちょっと気まずい。
ディズのヤツあたりとクエストに出てくれていると良いんだが……。
◆
「あ、変態だ」
シンバがトゥトゥのドアを開けると、からんと安っぽい音でベルがなった。
その来客を知らせる音から間を置かずにルルリアのナイフの様に鋭い言葉がシンバの繊細な心に突き刺さった。
【リューシェ】の面子は殆ど狩りに出ている様なのに、なぜかコイツは入り口近くのテーブルでオレンジジュースなんか啜っていやがる。
「そんな事言って、素直じゃありませんのね」
深い松葉色のストレートヘアを肩口で黄色いリボンで束ねた女性……交流会で来たというハンターだろう。
見た事がない、しかしやけに艶っぽいハンターが向かいに座って口を尖らせているルルリアにやんわりと突っ込みを入れる。
「おんなは殿方にカンじてもろてなんぼ。どすぇ?」
さらに続く彼女の言葉にルルの形のよい眉尻がくい、と上がる。
と同時にほっぺたにさっと朱が走る。
その意見には口を挟まず、ルルはズズッと下品な音を立ててグラスの中身飲み干すと、たったとカウンターの方に行ってしまった。
というか、『アレ』を他のヤツも知っているとなると汚名返上するのが大変だ……といらない心労が増えたシンバである。
脳裏にアイツの兄貴分が言ってた『ルルと付き合っていくのはしんどいぜぇ?』という台詞がリフレインする。
げんなりしているシンバに、その緑髪の女性ハンターが席を勧める。
その厚意に会釈を返し、ルルが座っていた席の隣に腰を下ろした。とりあえず、自己紹介をしておく。
彼女は、にっこりと笑みを浮かべるとのんびりと名前を教えてくれた。
「わたくしはケイキン、と申しますわ。このような字を書きますの」
ルルのグラスが残した水滴を指先でなぞり、彼女は『荊』と『琴』という字をテーブルにしたためる。
シンバはそういった文字を見るのは初めてだったが、聞き慣れない名前の訳がわかって納得できた。
逗留者であるにも拘らず、荊琴はシンバの境遇にやけに詳しかった。
「怪我の具合はもうすっかり良いのですか?」と聞かれ、彼は腑に落ちないものを感じながらも取りあえず話を合わせる。
その怪訝な表情を読み取ったのか、彼女はころころと笑いながら「ルルちゃんが全部教えてくれましたわ♪」と赤面上等な事をおっしゃる。
「ね?ルールちゃん♪……良かったですねぇ、素敵な彼氏が無事に退院できて♪」
荊琴は嬉しそうにそう言い、戻ってきたルルリアにその端正な顔を近づける。
「ごちそうさまですの」とにやり顔だ。
どうやらルル自身も無防備に色々話して、自分でとばっちりを貰っているらしい。
とばっちりとは言わないか。
それは自分で巻いた種だ。
「ンもう。荊姉はしつこいってば!シンバはまだ彼氏でもなんでも無いって何度いったr」
「ま・だ・ぁ・?」
コレ以上ないってくらいにニンマリとした粘っこい笑顔を浮かべる荊琴。
どう見てもルルリアより何枚も上手のようだ。
「うぐぅ」と言葉を詰まらせ、ルルは元いた席にその丸っこい尻をぺたんと下ろした。
同時に右手に持っていたグラスをダン、と音を立ててシンバの前に置く。
「あ、ありがと。ルル」
病院から歩いてココに来るだけで、寝たきりに甘えた足腰は疲労を感じている。
その事にちょっとしたイラつきを覚えながらも、体は水分を求めていた。
彼女が持ってきたのは濃い目のレモネードだった。
狩りの後には良く飲んでいたシンバの好物のドリンクだ。
いつもは雑なルルが、こうしてちょっとした事を覚えていてくれるのがやけに嬉しいシンバだった。
それからというもの、ルルリアを弄くるのと同じくらいシンバにもちょっかいをかけて来る荊琴をどうにかガードしつつ、快方した自分を噛みしめていると段々と団員が狩りから戻ってくる。
彼らはシンバとルルリアが同じテーブルに座っているのを捕らえると、口を揃えて『おアツイですなぁ』と生暖かいねっとりした視線と言葉をかけていくのだった。
「おまえ、俺のいないとこで、ナニを言いふらしたンだよ」
「言いふらしてなんかいないよ。シンバの様子聞かれて、答えただけだよ」
わやわやと人が増えてきた酒場のテーブルは位置も最悪だ。
入り口真横の物凄く目立つところのスペシャルシート。
これでは来る人出る人全てにお目通ししているようなものだ。
なんだってこんな……もっと奥で飲んでれば良い物をと、シンバはちょっと憮然とする。
「シンバさんが今日退院で、ここに来た時まっさkモゴモゴ」
ルルが真っ赤な顔で荊琴の口を押さえている。
うーうーとまだ何かをバラしたい荊琴を必死にとどめようとするルルリア。
「けー姉ぇ!黙って!オネガイ!」といつもの脳天気な彼女らしくない、必死な様子。
だけど色々と理由が解ってしまい、シンバ自身も赤くなる。
どうしてこう、今日のルルリアは……カワイイんだよっ!!
「おぅ、あんさんが、うわさのシンバさんやね?」
爆発しそうなシンバの肩に、これまた見慣れない顔のハンターの手がぽんと置かれた。
そして今までなぜか空いていた荊琴の隣の席に自然と腰を下ろした。
どこかの鈍いヤツと違い、それなりに聡いシンバは彼がもう一人のゲストハンターにして荊琴の【コレ】だな、とピンとくる。
彼は自分を「フウガ」と名乗る。
その言葉に続いて、荊琴が自分の時と同じようにテーブルに『風』『牙』と塗れた指を走らせた。
その風牙と名乗る男は表面上荊琴とよく似ている。
懐っこい笑い顔で自分以外にも愛想よく受け答えしている。
だが、いかんせん、その身のこなしにはハンターとはまた違った【殺気】のような物を感じて仕方ない。
それは気の迷いか、勘違いか、と思うほど些細な気の流れ。
シンバはそれとなく周囲に視線を投げ、自分と同じようにこの風牙と荊琴という凄腕のハンターという触れ込みの二人に注意を払っているやつがいないか、探して見る。
『シンバくぅん!退院おめっとぉ!』
『ついでに入団おめっとぉ!いぇーい!』
『で、シンバって誰?』
『わがんね。ま、いっか。かんぱーい!!』
がつん、とジョッキが音を立てる。
『今さっきルルと俺をイジってっただろ!!』と心の中でツッコんだシンバ。
その向かいでは風牙と荊琴が仲良く二人のおかずをとりかえたりしてなんだか甘い空間を作りだしていた。
「はい、風さま。あーん」
「うんー。あーん」
彼女はフーフーしてイイカンジに冷ましてくれたスープを口に入れてもらう彼を見て、先刻感じた【殺気に近いモノ】はなんだったんだとシンバは毒を抜かれてしまう。
その彼の隣では眼前の刺激的な光景にショックを受けた銀髪小娘が、自らの好物である【ゲリョスの悪魔風ステーキ】をシンバの口に入れようか入れまいか、物凄い葛藤の最中にいたのは荊琴しか気づかなかった。