ルルリアはふと、他にいくつかの気配を感じる。
急に濃くなった何者かの気配。
背中に迫るイヤなニオイを感じ、彼女は振り返って目を疑った。
背後にはグラグラと揺れながら立ち上がった怪鳥の亡骸。
大きな嘴がだらりとだらしなく開ききり、唾液をだらだらとしとどにこぼしている。
その眼光は空ろに、白目を向き焦点は定まらない。
だが。
ソレは間違いなく動き、こちらに一歩、また一歩と確実に近づいてくる。
ハリのある赤色の鱗は銅色にくすみ、淡いブルーとピンクのコントラストが美しかった翼膜は、今は血の気が失せ、土色に彩られていた。
それでも、その『死体だったクック』は大地を踏みしめ、ゆっくりとだか確かに自分達に向かって敵意を露わにしはじめていた。
「ど、どうしてッ?」
「なん、だとッ?」
今まで、一度倒したモンスターが蘇生したことなど無かった。
いや、こんなことあってはならないことだろう。
ルルリアだけでなく、ヴァリオンですらこの衝撃的な眼前の事実に驚愕し、状況を忘れていた。
『ゴゴゴゴゴ、ググゴゴゴゴ…』
地の底から響いてくるようなクックの威嚇の鳴き声。
いつのまにか全身の筋肉が盛り上がり、『生前』のイャン・クックよりも凶悪な風貌に変貌しつつあるソレ。
ぐるりと反転している瞳がおどろおどろしい。
一際目立つのは、本来、クックにあるはずのない…【角】
いや、アレは、まさか。
「……ヤツの、さっきのトゲ、なのか?」
ヴァリオンが気付く。
間違いなく、コレは、異常な事態だ。
クックの体にはあの狼が撃ちだしたトゲが各所に刺さってビグビグと蠢き、哀れな死体になんらかの作用を及ぼしているとしか思えない。
『グゴゴォォオォォォオォゴゴゴゴゴォゴォゴゴゴォ…ッ!!』
まるで地獄からの慟哭。
苦しそうに叫び狂う『生ける死体』
本来それなりに愛嬌のあるはずのイャン・クックの面影などどこにもみられない。
ソレは只の狂気。
口から、目から、他にも体の随所からその内包していた体液を撒き散らしながらうなり叫ぶ狂怪鳥を、ヴァンとルルは正視できなくなりそうだった。
「くるぞ!」
風牙の一声が、ルルの意識を引き戻した。
一瞬のカン、本能に従って力いっぱい横っ飛びする。
方向はそれこそ勢いに任せた。
例の狼が、つい今までルルの立っていた地面をごっそりとその凶爪でえぐる。
その弾けた土くれがルルリアの顔面を直撃し、彼女は思わず顔をそむけた。
次の瞬間ルルリアは背中に強烈な衝撃を受け、地面に叩きつけられた。
狼の一撃を避けた先で、蘇生したクックの跳び蹴りをモロに背に食らうルルリア。
ヴァリオンが思わず妹の名を叫ぶほどの一撃。
風牙の連射する矢はクックの肉に刺さる事は無い。
非常に硬く変化した鱗にキズひとつつけることなく弾かれてしまう。
背中のダメージが思った以上に深刻なのか、立ち上がろうとしているものの、まだ上体を起こせないルルリアの盾になるように大剣を構えるヴァリオン。
狼とゾンビクックの波状攻撃を必死の形相で受けている彼はじりじりと後退する。
◆
風牙はそんな彼等を見ながら、自分の心境を改めて疑う。
とりあえず、連中に対して仲間意識など持っていない。
自分にあるのは『役割』としての立場だけ。
ぶっちゃけ、自分個人としてはこいつらが『このあと』どうなろうと知った事ではない。
だが、彼は心地よかった。
緩急のある自由なモンスターハンターとしての生活が、ヌルい空気と積み上げた技量に飾られた猟団の空気が、自分が努めて非情に鍛え上げた冷徹な心に、針の先ほどの穴を穿けた。
その穴は徐々に広がっていった。
厚く積み上げた、凍て付く【選定者】という堤防。
その強固な守りに、ほんの少しだけ入った亀裂。
今では、その亀裂は広がり、目に見える裂け目となっているのが自覚できる。
このままではローナ団長の『猟団勧誘』に思いが傾いてしまう。
そんなリアルな危険すら感じてしまった。
確かに『見極め』には時間をかけねばならなかった。
今回のルルリアにヴァリオン、今までの連中もそうだが【特異点】は得てして強力な輩が多い。
常に慎重さが必要だった。
しかし、時間をかけ過ぎたのも事実。
彼は、調査対象のチカラよりも人間の暖かさという極自然なモノの破壊力を誤算していたのだ。
その影響力を自覚したときに、風牙は焦った。
パートナーが、こともあろうか選定対象に懐かれて喜んでいた。
荊琴の口から【妹】に対する柔らかい言葉が出る。
いや、二人で交わす言葉にすら『他人の事』が増えた。
それは時を過ごす間に『仲間の事』になりつつあった。
ハンター達だけでなく、町の人々からの笑顔が嬉しいと思うようになった。
……先代の風牙が危惧していたのは、こういうことか。
今になって、自ら【処理】した前の風牙が『壊れた』理由がわかる。
だから自分でも不自然なくらいに急いて任務を終了させようとしている。
のだが。
「ち。蘇生針まで使うとは思わなかったぞ」
自分の予想を超えた容赦のない狼……【オルガロン】の攻撃は手加減などまったく感じられない。
ただでさえアレの攻撃はえげつない威力の上、さじ加減が難しいというのに……。
ヴァンの大剣がオルガロンの頭突きで弾かれる。
いくら【愚者使い】とはいえ、覚醒していない状態ではただの武器だ。
これでいい。
そのまま攻めて、ヴァリオンを殺す……までもいかなくても再起不能に出来れば、懸念は一つ、減る。
「……までいかなくても…だと…?」
風牙は思わず自分の思考を反芻し、つぶやいてしまう。
そして、自嘲気味に鼻をならした。
俺の、本心は……どっちなんだろうな……。
クック・ゾンビがヴァリオンを攻め立て、いつのまにか彼は額から一筋の血を流している。
防具の守りを貫通する打撃を受け、ルルリアに続いてヴァリオンも濃いダメージを負ってしまっている。
オルガロンは余裕だ。
瞳にありありと浮かんでいた憤怒はなりを潜め、その太い尾をゆらゆらと揺らしながら今の状況を楽しんでいるかのようだ。
風牙のとまどう思考と裏腹に、彼の体は弓矢を構えて動いてゆく。
まぁ、バレバレだっただろうがオルガロンには意図的に狙いをつけなかった。
だが、あのゾンビは別だろう。
射掛けてもいい、はずだ。
俺は……コイツらを見捨てろ、との命令は受けていないのだから。
そう判断した彼の行動は早い。
腰に下げてあるリールから鋼線を引き出す。
ピィンと甲高い細音を立て、その鋭利な糸を一本目の矢に引っ掛け、くるりと矢を回して糸を結んだ。
と同時に岩壁に向かって渾身の力で弦を放つ。
硬質な音を立てありえない程深く岩に食い込んだ矢を確認すると、間を置かずにクックに向けて矢をつがえ、放つ。
その矢は、一見あらぬ方向に飛んで行くかに見える。
しかし先の壁に打ち込まれた矢を支点として深い角度で弧を描き、神速に加えさらに稲妻の様な加速度を得て狂怪鳥を襲う。
特殊な鋼を細く伸ばした暗殺用の糸、風牙はソレを矢にくくりつけ、反応出来ない角度からの射を放ったのだ。
赤黒く変色し、非常に硬くなったイャン・クックの鱗。
先ほどの射で確認した。
アレは貫けない、だが。
「目なら、どうだい……」
その台詞と同時に彼の矢は、づどん、と破裂音を立てクック・ゾンビの右目に命中する。
円周によって加速された閃光がクックの瞳を貫き、思考を停止している脳髄をも弾き飛ばす。
眼球を串刺しにされ、哀れなクックはしばし停止する。
本来の支持系統である脳が破壊され、各所の筋肉や神経が混乱してソレは細かく痙攣するだけの骸。
何か吹っ切れたような顔でもの凄い一撃を放った風牙を見て、ルルリアは自分を奮い立たせる。
「あんな神業見せられて、燃えなきゃハンター失格だね」と未だに痛みの残る背中を誤魔化しながら立ち上がった。
隣でヴァンが心配そうな顔をしているのに気付いたルルはニヤリと笑ってみせた。
「ヴァン、前にさ。背中踏んだの、アレ、ごめんね」
童顔を土で汚しながら無理に笑って見せた妹分の肩を叩き、ヴァリオンも白い歯を見せた。「さぁて、反撃だ!こんなわけの分からない状況、さっさと終わらせて帰って風呂入って酒飲むぞ!」と彼は気合を入れる。
脳漿が矢傷を伝ってこぼれ出すクック・ゾンビ。
それでもなお停止しないソレはおぞましい光景にほかならない。
逆に脳が破壊された事で完全なクグツとなったのか、刺さった棘が活発に蠢いているのが見て取れた。
痙攣は止まり、無言でこちらに向かってくるクック・ゾンビ。
その向こう側に、もう一頭のクック・ゾンビが起き上がるのが見えた。
冗談じゃない!一体でもややこしいのに、まだ増えるのか!?
その光景にヴァンとルルは少なからず戦慄した。