「ちょぉ、待てや!ゴルァッ!!」
自らの脛に噛り付いていたクック・ゾンビの嘴の蝶番をグラムブレイドでめきりと強引に外したヴァリオンが吠える。
「俺の妹にナニする気だコラ!」と怒り心頭の形相でルルを加えたクックに飛び掛る。
とりあえず、この過保護に輪をかけた兄貴は、可愛い妹がクックごときに「イかされそう」なのを見て激昂していた。
ルルの表情には羞恥と怒りが見られ、その感情を慮るのは容易い。
「今、俺が助けてやらないで誰が助けるんだ!」と燃え上がったヴァリオンの怒気に中てられたのか、クック=ゾンビの動きが鈍る。ヴァンの体から【兄貴オーラ】がモウモウと立ち上り、深い色の瞳の奥には怒りの炎がゴウゴウと渦巻いていた。
がっつんがっつんと大剣の刃も腹もなく殴り続ける鬼のような形相のヴァンを見下ろし、ルルリアはちょっと嬉しくなった。
自分の為に我を忘れてくれるこの頼れる人を、上気し潤んだ紅眼が映すだけで彼女の押さえ込んでいた感情が高まる。
やっぱり『わたし』は、この人が……好きだ。
不意に、ルルの耳にギンギンと硬質な音が届く。
咥え上げられたまま身をよじると、洞窟の入口でデイジーが火竜弩を構えていた。
そのライトボウガンの銃口から硝煙が立ち上り、先の音がそこから放たれた弾によって起こされたものだとわかる。
しかし、その貫通弾は硬く変質したクックの鱗を貫く事は敵わず、弾かれあらぬ方向に飛んで行く。
ディズも遠目にそれが理解出来たのだろう、兆弾による仲間への被害を考慮したのか数発の斉射でトリガーから指を離す。
「って、風牙さん!?」
ルルリアを咥えているイャン・クックのようなモノから少し離れた地面に風牙が突っ伏している。
まさか、まさか……死んでる?
例の狼にやられたのだろうか。
それほどの相手、だったのか。
見知った者のハンターとしての最期の姿にデイジーは心から震え上がる。
自分の認識の甘さに、覚悟の足らなさに。
あらためて見れば、ヴァリオンは元気そうに大剣を振り回しているが、その表情にいつもの余裕じみた微笑はない。
ルルリアだって、モンスターに噛み付かれて、今にも食い千切られそうな状況なのではないか?
自分が、今まで思っていたハンターライフとは別物の物凄くキツイ真の姿。
遊びではないとわかってはいたが、どこか本当に理解していなかったモンスターハンターという【生き方】に付きまとう死という実感。
「ディズッ!後ろっ!」
普段耳にしない緊迫したルルリアの声が、怯えひるんだデイジーを叩き起こす。
自らも最悪な状況の中で目にした、友達の危機。
解っていながら助けに赴けない悔しさと切なさはルルに大声を上げさせた。
「え?…きゃあぁぁぁぁぁぁッ!」
言われるまま振り返ったデイジーの背に、右目から矢を生やしたクック・ゾンビがいた。
彼女がソレに気付いた瞬間ソレの嘴がディズにがぶりと喰らいつく。
あまりの恐怖に動けぬ彼女はその手にあったライトボウガンを取り落とし、そのおののきは彼女にハンターというよりは女性らしい叫び声を上げさせたる。
そしてディズは咥え上げられながら目にしたクックの黄色みがかった白目の狂気に撃たれ、ふとその意識を遮断した。
無理も無いだろう、自分の予想できる範疇を軽く超えた状況が続きすぎたのだ。
過負荷のかかったデイジーの脳みそが悲鳴を上げても仕方ない。
獲物を捕らえたクックは嬉しそうに小踊りし、ぴょんぴょんと跳ねる。
その度に咥えられたデイジーの体が無造作に上下し、幾度目かでボーンキャップが外れ彼女のブロンドの長い髪がぱっと宙に舞う。
濡れたように輝く金色の波は、気を絶して弛緩した彼女のすらりとした四肢を包みこむ。
つくりもののようなディズの細いあごがかくりと上を向き、悩ましい首筋が露わになった。
「デイィジィィッ!」
ヴァリオンの悲痛な叫びが洞窟にこだまする。
自分を好きだと、愛していると言ってくれた女が今、酷い状況にいる。
自分を文字通り受け入れてくれた自分の女が危機的状況にいる。
ヴァンの脳裏にディズの顔がいくつもよぎり、彼は今までに無いほど混乱した。
今までの結果からグラムブレイドでこのクック・ゾンビにダメージを与えることは出来ない。
それは頭では理解している。
だが、それとこれとは全く違う次元での話しだ。
それが出来ようが、出来まいが、俺はアイツを助けなきゃいけないんだ!
ヴァンは大剣の柄をギリと握りなおし、デイジーをよだれまみれにしはじめている許しがたいゾンビ野郎に向かって走り出す。
斬れなくてもいい、思い切り叩きつけて首の骨折ってやるッ!
「(俺の女に)なにしてくれんじゃ、この、ヤロゥッ!!」
前の部分は無意識の内に声に出さないところがヴァリオンらしいクオリティではあるが。
「そう、だよ……ね。当然、だよ……ね」
「ディズは彼女だもん、ね」と呟くと余計に感情が溢れてきた。
自分には一瞥もくれず、デイジーの元に走ったヴァリオンの背が滲む。
ぼろぼろとこぼれはじめた熱い涙を堪えるように、ルルリアはぎゅっと両目を閉じる。
体を這い回る痛みと官能、ソレよりも今彼女の心に大きく広がるのは深い悲しみだった。
所詮、自分は【妹分】なのだ。
血がつながった、本当の妹ならまだ良かった。
受け入れもするし、諦めもする。
でも、実際は中途半端も甚だしい、妹みたいなヤツ……でしかない自分。
どんなに彼を意識しようと、彼は『わたし』を見てはくれない。
だから『あたし』は、彼の『妹っぽい存在』になろうと努めてきた。
それが、唯一、自分が持てたアイデンティティ。
ヴァリオンの側にいても良いのだ、という心の拠り所。
自身の遠く後ろで、ルルリアが静かに絶望した事などつゆ知らず、ヴァンはディズを解放しようと躍起になっていた。
甲高い音を立て火花を散らす刃。
いくら攻撃しても嘴を開くどころかひるみもしないクック・ゾンビ。
何が凄腕ハンターだ。
何がレジェンドハンターの弟子だ。
俺は女一人救えない無力な男だったのか。
焦燥と怒りがない交ぜになり、ヴァリオンの剣筋は雑なものになりはてる。
それこそ今の彼の姿をみた師匠はどう思うのか。
あきれて彼に喝を入れるだろうか、それとも頭を振って彼の未熟さを責めるだろうか。
『基本が全くなっちゃいない。そこらの新米ハンターの方がまだ余裕があるのぅ。わしを扱うにはまだまだ修行が足らんようだのぉ』
「う、るせぇ!」
デイジーのわき腹がクックの嘴に挟まれて欝血している。
赤紫色に内出血している色白な肌を見ると心が締め付けられるように苦しい。
あんなの見せられて冷静で居られる方がおかしいぞ!
『だから、もう少し落ち着けと言うとろうが。小僧、いい加減に気付かんか?』
「何をだよっ!」
ヴァンはグラム・ブレイドの柄を両手で振り上げる。
頭上に高くかかげ、渾身の力でそれを振り下ろす。
やけに軽い手ごたえ。
いつも感じていた刀身が描く遠心力を感じることなくヴァリオンの両腕は振り下ろされた。
だがその切先はクックの硬殻に打ち付けられることは無い。
それどころか、刀身が……無い。
鈍く銀に輝いていたグラムブレイド。
そのエッジの利いた鋼鉄の剣は忽然と姿を消していた。
一瞬だ。
さっきまで、目の前のクックを叩いていた重い鋼の塊がなくなっている。
じゃらん、と音を立て、グラム・ブレイドの柄を戒めていた鎖が解け落ちる。
「な、なんだ?」
『鈍いヤツじゃのぅ。ホレ、ワシがせっかく目覚めてやったんじゃ。さっさと斬らんか』
ヴァリオンの頭に、しわがれた老人の声が響く。
すこし前から聞こえていたのは、この声か?
『いいからはよせい。ヌシの大切な女なんじゃろ?助けたいんじゃろ』
ヴァリオンは今の自分の状況が全く把握できていない。
デイジーを助けようとしたら、グラムブレイドの刀身が無くなって、急に声が聞こえて……。
『めんどくさいヤツじゃのぅ。おヌシが理解できるまで、ヤツは待ってはくれんぞ?』
ヴァンは、考えたことに対してイチイチ反応してくるこの声に憮然としたモノを覚えるが、確かに『コイツ』のいうとおりだ。
今は考えている場合ではない。
今はデイジーを助けるのが先だ。
ヴァンは柄だけになったグラムブレイドを握りなおす。
ぎりり、と力を込めた瞬間、彼の眼に光り輝く半透明の刀身が姿を現した。
ソレはたとえるなら、揺らめき絶つ熱気の生む陽炎の如く。
ソレはたとえるなら、闇空を照らす紅蓮の炎の如く。
ソレはたとえるなら、雨雲の去った天にかかる虹の如く。
だがその存在は、疑うことの出来ない絶対の力に満ち溢れ、煌々とその姿を輝かせている。
『ヌシが【選択】に応じて参った。我が名はアェスレーゼン。小僧、一寸力を貸してやろうぞ。存分にわしを振るうが良い』
朗々とした威厳に満ちた声がヴァンの体を、心を奮い立たせる。
心の底から、力が湧き出てくる。
今までの疲れやダメージなどどこかに行ってしまったかのように活力がみなぎっている。
ヴァンは頭では理解できていないが本能で理解していた。
その体は『声』が言い終わる前に腕を振るった。
すぱん、とクック・ゾンビの首が落ちる。
その浮いた首にヴァンは返す手首でくるりと刃を向け、嘴を落とし、愛しのデイジーをその腕に取り返した。
ふわりと舞うその金髪を掻き抱き、ヴァンは小さく安堵の息を漏らした。
クック・ゾンビの首痕から噴出すいやな色の体液がディズにかからないよう守りながら、彼女の体を隅に横たえる。
ヤツらはまだ、残っているのだ。
気を失っているデイジーの頬をひとなでして、ヴァンは立ち上がる。
振り向きざまに先ほど首を落としたゾンビを斬、斬と適当に切り伏せる。
さすがに七つの破片にされたゾンビの体は徐々に動かなくなる。
だが、ヴァンはクック・ゾンビがその死体に戻る過程を看取ってやる義理などない。
残りの五頭に向かって赤い光の大剣、アェスレーゼンとやらを振りかざすのだった。