「私、ハンター辞める……」
蒼白になるほど握り締めた両手。
俯き、前髪で窺がえないデイジーの声は震え、次いではたはたとフローリングに熱い雫を落とした。
ああ、やはりその手の話か。
ヴァリオンは薄々解っていた。
大きな危機を脱した新米が必ずかかる【はしか】みたいなモノだ。
勝利の喜びの後に必ず感じる、今後繰り返される死への恐怖。
コレを乗り越えられるか否かでモンスターハンターとしてやっていけるかどうかが決まる。
「わたし、何にも出来なかった……ただ、みんなに迷惑をかけて役に、ぐす……立たなかった」
段々と感極まってくるディズを慰めるのは簡単だ。
だけど、ヴァンはその簡単なことをしない。
あの妹分より大人びている背格好とはいえ、ハンターとしての経験はルルの足元にも及ばない。
ここで甘える事を覚えてしまったら次は必ず、死ぬことになる。
「もっと強くなれ。それしかないぞ」
デイジーに触れ、抱きしめながらそうささやくのは恋人の行動としては当然なのだろう。
だが、今彼女はハンターとしての岐路にある。ヴァンはハンターとして応えることを選ぶ。
突き放した姿勢で、叱り付けるような口調をとる。
それに、もし彼女が本当にモンスターハンターとしてやっていけないと思っているなら、ここにこんな風に泣きには来ない。
デイジーはきちんと順を追って相談に来るはずだ。
だからコレは、甘え。
ヴァリオンという強い存在に、ただただ寄り添って自分の弱さを慰めて貰いたかった、デイジーの甘えの現われなのである。
「それ、だけ?」
俯いたデイジーは、ヴァリオンの言葉が続かないことに気付く。
ちらと見ても、ヴァンは意図的に自分の甘えた視線に気付かない姿勢なのがわかる。
「ああ、コレはおまえが自分で乗り越えなきゃいけない問題だ。分かってるんだろ?本当は」
お世辞にも綺麗にされているとはいえないシンクからマグカップを取り上げ、気持ち程度にそれをすすぐヴァリオン。
そんな彼の口調はディズを責めるものではない。
流しの下から秘蔵の果実酒を取り出し、糖でべたつくコルクを抜き、中身をちょっとだけマグに注ぐ。
デイジーはもう泣いていない。
そりゃそうだろう、この真摯なカレシに泣き真似する意味などもう無い。
彼はある意味、自分がここにきた理由を端から承知していたように思えてならないし、先刻の自分を反芻するに、そのバカっぷりに恥ずかしさがこみ上げてくる。
「まぁ、ゆっくりやっていこうぜ。焦らなくてもいいさ」
冷蔵庫から炭酸水のビンを取り出してマグカップにそうっと注ぐと、ぴちぴちという爽やかな微音が聞こえる。
しゅわしゅわと泡立つ即席のカクテルを目の前に出され、デイジーはちょっと考えてソレを受け取る。
そのまま口に運ぼうとしてふと目を上げると、にやっと笑った想い人。
「ふん、だ。先輩顔しちゃって。いじわるオヤジぃ」
「おいおい、おっさんが好きだって言ったのは誰だよ」
そう笑いながら自分のカップには酒を多めに入れたヴァリオン。
頬を真っ赤に染めながらふて腐れつつマグをちびちび舐めるカノジョを見ながら呑む甘い酒ってのもオツですな、と口の中でぶつぶつ。
「ほれ、ちょっと休んだら病院に行くぞ。送っていってやっから」
「やだ」
どうやら、ヴァンはなんだかディズの何かのスウィッチを入れてしまったらしい。
いつにも増して、今日のデイジーは……子供っぽい?いや、ずいぶんと甘ったれな雰囲気ではあるが、子供返りしているわけではないようだが。
「やだ、じゃないだろ。ちゃんと薬もらって治療してもらってこい」
「やぁだ」
ふい、と後ろを向いてしまったディズの背にやれやれとため息をつきつつ近づきその肩に手をかけるヴァン。
しかし、急に振り返った彼女の腕が首に回され、次いで押し付けられたデイジーの柔らかな唇がヴァンの呼吸を止める。
驚きで取り落としたマグカップがフロアに転がり、樹海で取ってきたスグリの発酵した甘酸っぱい香りがほのかに広がった。
ふんふんと息苦しく感じる積極的なキスは、ヴァンの思考を徐々に弱らせる。
急な状況に驚き見開かれた彼の目に、徐々に開かれるカノジョのまぶたが映る。
翠玉髄の宝石がしっかりとヴァンの視線を受けとめ、絡んだその目線を解くまい、とディズの腕は彼の首を更に引き寄せた。
「……ぷぁ」
ゆっくり離れてゆくデイジーの唇とヴァンのそれの間に、つうと粘液の糸が伸びる。
離れ際にヴァンの下唇を軽く噛んでいった意図を深読みしたくなるヴァリオン。
そりゃ、なんだ。
オレだって、その……なんだ。
「わたしって、あなたの、何なの?」
「なに、って、そりゃあ……」
離れた、とはいえ、それは唇だけの話。
お互いの鼻息が徐々に荒くなっているのは、それこそ二人とも感じている。
顔面は間近、逸らすことの出来ない視線はそれぞれを捉え離せない。
「なに、なの?……言って。お願い」
十四も年下の小娘の言葉にたじたじと固まる三十路超えの男。
さっきまで口の中にあった酒の味などとうに消え去り、寸前まであったカノジョの唇の甘さのみが彼を支配する。
「か、カノジョ、だよ」
「ホントに?」
間近から上目遣いで聞かれると、いろいろマズい。
逃げようにもデイジーの腕は首根っこにしっかり回されて近づくことはできても離れる事は許してくれそうに無い。
「ホント、だよ。うん」
「わたしは……あなたに、必要なの?」
今日はやけに食い下がる。
何度か恥ずかしい台詞を口にさせられて恥ずかしい思いもしたが、自分は既にディズがいない生活は考えられなくなっている。
確かに俺はデイジーのことを。
「ああ、愛して、いるよ」
「証明、してよ。ヴァン」
潤んだ瞳に中てられた。
ディズの体から良い匂いがする。
しなやかなカノジョの体に触れると、指先に電気が走ったような衝撃を受ける。
その度にヴァンは自分が壊れたと思う。
コイツはいつも強敵だ。
多分、一生勝てない気がする。
それでもいいか、と思わせるデイジーの魅力。
がっ、と背と腰に回された太く逞しい腕。
締め上げられる体に巡る女としての安心感。
デイジーは傷に響いた痛みを奥歯を噛み締め食い殺す。
ヴァリオンがその唇をディズの首筋に走らせる。
貪るように、彼はデイジーの肌を味わう。
カノジョの左腕に巻かれた包帯を止める結び目が解け、貼り薬のにおいがヴァリオンをとっさに現実に引き戻した。
「ダメ。もっと……して」
思わず離れようとしたヴァリオンを女の力とは思えない強引さで引き留めるデイジー。
これ以上気遣われてたまるものか。
狩りで役に立たないのは納得した。
いつか必ず皆に追いついてやろうと思う。
でも、今ここでこの人に、ヴァンに気遣われるのは、納得出来ない。
デイジーは彼を一度引き止めておいて、自ら離れる。
ヴァリオンが目で自分を追っているのが分かる。
自分も、彼を見つめながら動く。
ついに彼女の重みを受けてヴァンのベッドが木の軋む音を安っぽく立てる。
ぷつ、ぷつ、と二つ三つ胸元の釦を外し、彼女は自らをヴァンに差し出した。
「あなたにだけは、必要としてもらいたいの。今だけでも」
「今だけ、なんてつもりは無いぞ」
覆いかぶさっても抵抗しないディズにヴァンの男の部分が興奮する。
彼女は怪我人だということを忘れそうになっている自分。
だが、もう、二人とも余りにも互いを求め合ってしまった。
止まれない。
見つめあうヴァリオンとデイジー。
年の差など、周りが懸念するほど感じていない二人。
ヴァンのゴツい手のひらがディズの滑らかな太ももに触れる。
「……珍しいな、スカートなんて」
「今頃言わないでよ、ドンカン」
さっきから感じていた違和感の正体はソレか。
いつもはパンツルックのデイジーが今日に限ってスカートとは。
「嫌いだった?」
「いや、俺は好きだ」
「んじゃ、良かった」とにっこり笑うデイジーのおでこに口付けをするヴァリオン。
自分でも随分と手馴れてきたように思うが、それも全部コイツにリードされてのこと。
少々情けない気もしている。
「こっちにも。ん……」
だが、目を閉じ、薄桃色のリップを突き出しキスをねだるデイジーが可愛くて仕方が無い。
似合わないくらい穏やかに微笑むとヴァリオンは彼女の唇を優しく奪いはじめた。