看護士の金切り声がツーテールを引きとめようとする。
それをひょいとかわし、ルルはその体を窓からぽいっと投げ出した。
「いつまでも寝てられないってば、よっと」
窓の手間まで伸びたケヤキの大木の細い枝先を素手で掴んで、ぐんっと引き寄せる。
おっと、ちょっとでも間違えば地面にまっさかさまってお約束ですか。
「やばいやばい」とうそぶきながら枝をぐんとしならせ、逆上がりの要領で体を起こし太ももを引掛け体を安定させる。
なんのことはない、こんなアクション朝飯前さね。
「ルルリアさんッ!?」
窓辺に駆け寄ってきた看護士さんに向けてニヤリと上等の笑顔を投げ、そのまま幹を伝って地面にするすると降りて行くいい年した娘。
四階の窓から飛び出す、というありえない行動は生真面目な病院関係者には全く理解出来ない。
というか、モンスターハンターという人種はみんなどこかオカシイと思う。
入院処置だというのに一日二日で行方不明になる患者が多すぎる。
はるか下でバイバイと手を振り、そのままスタコラと下町に向かうルルリアの背中を見ながら深いため息をつくナース。
怪我人とは到底思えない速さでハンター街に走るバカの背中を見ながら彼女はカルテに【自主退院・未払い】と走り書きするのだった。
「んー、咽かわいた。お、フルベビアイス!」
脱走を成功させ意気揚々とトゥトゥに向かう。
クックに噛みつかれた背中がまだちょっとツッぱるけど、こんなのどうというコトは無い、いつもの事だ。
退院のお祝いに買い食いでもするか、とルルは胸元からお財布を取り出すもはたと立ち止まる。
「おっさん、中落ちイチゴと電撃チョコ。カップでくださいな」
しばし考え、うん。と頷いて指を二本立てた。
兄貴分はああ見えてチョコレート系の甘味は好物だ。
とりあえず照れくさいところは多々あるが、助けてくれたお礼という形にすれば別におかしくなかろう。
午後の面会、どうせヴァン兄はデイジーのトコ先に行くんだし、抜け駆けってわけじゃないけど、たまにはいいよね?とアイスのカップが入った袋を振り回しながらヴァリオンの部屋に向かう脳天気な妹分。
きっと彼は病院を勝手に抜け出してきた自分にあきれるだろう。
ちょっと小突かれるかもしれない。
でも、そういう時、ヴァンは決まって優しい瞳をする。
ルルリアは彼のその目が大好きだった。
◆
「……んぁ?」
アイスの袋をがさがささせながらヴァンのアパートの廊下を曲がると、お目当ての部屋の前に誰かがしゃがみこんでいる。
なんだかヴァンの部屋の中を窺がっている……というか、覗いているのか?
「なにしてんの?シンぶっ!?」
しゃがんだ体勢から電光の速さでルルの口を押さえるシンバ。
その顔はなんだか物凄く上気しているようだ。
いきなりのことで目を白黒させるルルの耳元に物凄く小さな声で「間が悪い」と囁くシンバの目が思いっきり泳いでいる。
『なにが?』
『いいから、どっかいくぞ』
『ヴァンにアイス買ってきたの』
『それどこじゃない』
『あん?』
『いいから!』
アイコンタクトのみで会話する二人。
とりあえず埒が開かないとシンバの手のひらを引っぺがし、普通にしゃべろうとしたルルの耳に、なんだかヘンな音……いや、声?が聞こえた。
「ちょ、まてまて。いいから、気にすんな」
ヴァンの部屋。
ドア。
ちょっとだけ開いている隙間。
シンバは必死にルルリアの腕を取る。
だが、彼女の感覚はモヤモヤとした違和感を感じ取ってしまった。
ここに来ても、シンバはひそひそした声量を止めない。
だから、余計に際立つ……何かの声。
【デイジーの声】だと、ルルは直感する。
いくら自分が鈍かろうとネンネだろうと、予想くらいは出来る。
それくらいの知識はあるのだ。
いや、自分で経験はないから8割くらいしか確信出来ないが、シンバのこの挙動不審さからもソレは明らかだ。
そう、明らか……だ。
ヴァンの部屋から、かみ殺した女の声と男の息遣いが漏れ出している。
瞬きもせず、ヴァリオンの部屋のドアを凝視するルルリア。
シンバはもう、彼女を留めることは無理と悟る。
そして、そう遠くない未来に起る事態に備え、自分を落ち着かせる事に務めた。
シンバが力なく手をはなしたと同時にルルリアはじりじりとそのドアの隙間に近づき、先刻のシンバと同じ格好で部屋の中を窺う。
そのルルの目に、ぱっとブロンドが舞った。
その長く美しい金糸を振り乱し、デイジーがヴァリオンに乗っかっている。
細い肩を露わにして、背中を震わせながらディズの上半身が上下する。
寝台に仰向けになった男の手が、女の胸をまさぐる度に女は声を殺す。
包帯の巻かれた自らの手の甲を噛み、上がりそうになる嬌声を必死に殺し続ける。
その仕草そのものが男の獣性を刺激する事を、知ってかそれとも知らずか、女はさらに深く求められる。
それを受け入れ、悦びに浸る女。
女の背から腰に巻かれた包帯は半ば解け、男の手掛かりとしての拘束具に成り果てている。
申し訳程度に残ったスカートの薄い橙色が二人の汗と体液でじっとりと重くなり女の太ももから逃れられない。
建物の薄い壁を気にしてか、声を押さえつける二人の理性はしかし、自分たちの繋がった部分が立てる水音と、それが濃く響く室内に満ちる艶憑いた匂いも相まって瓦解寸前だった。
「……ッ!」
必死の思いで、音を消してルルリアは立ち上がる。
二人のまぐわいで起こる卑猥な音に耳を塞ぐように。
必死の努力で、隙間を広げたがっているドアを静かに閉じる。
友達の苦しそうな、しかし幸せそうにも聞こえる息遣いから逃げるように。
走り出したい衝動を、これまで生きてきた中でも最大級の我慢をもって押し殺す。
兄と慕う人の……妹である自分には決して見せない、見せてくれるわけがないオスの顔を振り払うように。
握りこんだ拳が真っ白になるほど奥歯を食い締めゆっくりと、しかし急いでこの部屋の前を離れる彼女。
その苦しみに満ちた横顔を追いながら、シンバが彼女に続いた。
男子寮を無言で出た後、出会う人々の言葉に生返事を返しながらふらふらと道を行くルルリア。
行き先は山の手の方向。
てっきり自分の部屋かトゥトゥに向かうものだとばかり思っていたシンバは首をかしげながらも沈黙をもってルルの少し後ろを歩く。
そう、声はかけない。
今のルルリアは「ヴァリオン」や「デイジー」という名前を耳にした瞬間、爆発するのは目に見えている。
なにかにショックを受けたルルはダイナマイト以上の危険物、そんな彼女を扱う上で気を付けなければならないのはニトロ以上に揺らさないことだと今までの経験で理解している。
しかし、コイツはどこに行くつもりなんだろう。
そういやマズイことにアイスが入った袋、ヴァンの部屋の前に置きっぱなしだ。
あの鈍いヤツはともかく、デイジーは気づくだろうな。
しかし、あの澄ました女がよくもまぁ、あんなふうに乱れるものだね。とシンバは二人の情事を思い返して鼻の穴を膨らました。
見知った人間の生の部分と言うか、本来秘められている部分というか、ぶっちゃけエッチシーンはかなりシゲキが強い。
それに加えて、シンバの目から見てもディズは綺麗な女の子だし、それはそれでちょっとオイシかったのも事実。
「って俺はそんなに飢えてねぇよ」
思考の罠に落ちかけた自分に突っ込みを入れどうにか立ち直る。
大体、午後からの面会時間に合わせて一緒に見舞いに行くという約束を忘れてカノジョとエッチしているヴァリオンが悪い。
まぁ、その見舞い相手が自分の部屋に居たんじゃしかたない気もする。
っつーか、オトコとして共感できる部分もちょっとある。
そこまで考え、シンバはルルリアの行き先に思い当たった。
この道は王都の病院に向かっている。
いや待て。
考えて見れば、ディズにしろルルにしろ何で大人しく病室に居ないんだ。
ヴァンの話では数日の検査入院だっという話だったはずだ。
でも、二人ともココとアッチにいるということは、それはもう抜け出して来たってことだろう。
……いや、あの、二人とも、もうちょっとオシトヤカな方が女性として良いのではないかい?
ふと気づくと、前を行くルルが振り返りジト目を向けている。
アレは色々混乱している目だ。
それに応えるためとりあえず自分の中で最高の笑顔を作ってやった。
やっぱりというかなんというか「ふんっ」と鼻をならして前に向き直り速度を速めた彼女を追いかけたシンバであった。